17.惜別
部屋に入るなり、ルーメンは魔道具を発動させた。
少し明るめに点けた部屋の灯りの下で見ても、やはりルーメンの顔色は悪い。仏頂面になったフォルティスにルーメンは苦笑した。
「魔法で、やったのか? 灯石に干渉して」
「試したら、できたというくらいの話ですよ」
「練習の時も使ってただろう? そんな顔色をしてるということは、無理したんじゃないのか」
フォルティスはルーメンを抱え上げ、ベッドへ座らせる。
幼い子にする対応のようで、ルーメンは微妙な表情を貼りつかせた。
「……加減が分からなくて、想定以上に魔力を使ったのは事実ですが……無理をしたというのは違います」
「なんでそんなことを。魔法のことは周囲に知られたくない、知られない方がいいと思ってたんだろう? 危ない橋を渡らずとも良かったじゃないか。そんなに俺の演奏は心配だったか?」
ルーメンは静かに微笑む。
「反対ですよ。『降誕の詩』もあの短時間でよく出来ていました。緊張からか硬い曲もありましたが、最後は好きな曲だと仰っていたのできっと一番の出来だろうと。私と近しいと知っている者は知っていますから、そこで不当な評価をつけてほしくなかったのです。灯りが落ちても冷静でしたし、神が奇跡を起こしてもおかしくない演奏でしたよ」
「……ルーメン」
「とても、その身体と指から紡がれる音とは思えませんが、世の中は不思議ですね」
「……ルーメン! どうしてそう、ひとこと……!」
眉間をぐりぐりと押さえつけるフォルティスをルーメンは喉の奥で笑う。
「参加者の反応はそのまま評価に繋がると思いますよ。田舎の教会では収まらないでしょうから、何年で戻されるのか楽しみですね」
「ルーメン、俺はソリスとニテンスを偲んでいられればいいんだ」
「教団は使える者は使います。今でなくとも貴方は目をかけられたはずです。奥様とお子様も貴方の演奏を好きだったのでしょう? 強いられるのは苦痛かもしれませんが、いるかどうか判らない主にではなく、そのお2人に向けて弾いてあげてくだされば、それでいいと思います」
――いるかどうか判らない……
フォルティスはその言葉にショックを受けていた。最愛の者達を失わなければいけなかった自分がそう思うのは、ある意味仕方のないこととも思えたが、幼い頃から主に仕え、教典を
彼を慮っただけならもっと違う言い回しをしたはずだ。何故そう思うのか、そう思えるようなことが彼の身に起きていたのか。神の御許とも言える教団の中で?
黙り込むフォルティスを変わらぬ微笑みで見ていたルーメンは、気付いてつと視線を外した。
「ああ……すみません。あまり見られるのは気持ちのいいものではないですよね」
「問題無い。視られて困ることはない。なんなら、覗くか?」
それで彼が解るのなら。『神の愛し子』でもない、総主教付きでもない、テル・ルーメンという一個人を心配して気に掛ける人間がいると知ってくれるのなら。
構わない。
彼はその時、本気でそう思っていた。
けれど、ルーメンはゆっくりと頭を振る。
「視なくとも、貴方は見えやすい。これ以上視る必要はありません。必要のないことは、見ないようにしているのです。視られたことを後悔させたくもありません」
彼を知れば知るほど、心のどこかがきりきりと軋む。
主が彼を救わないのであれば、誰が彼を救えるのだろう。今の自分ではない事だけは確かで、フォルティスは唇を噛んだ。
「……もう、休め。世の中は休息日でも、どうせお前は休まないのだろう?」
「年が明ければ聖水配分に行かなければいけませんから……今回は砂漠の小国にも行きますので、準備が色々……貴方の見送りも出来ませんね」
そう言って、ルーメンは寂しそうに
「……ここで……少し休んでいっても、いいですか? 床で構いませんし、陽が昇る前には出て行きますので」
フォルティスは何を言われたのか少し考えてから破顔した。
黙ってルーメンを担ぎ上げて布団を捲るとベッドの上に彼を放り投げ、その上から乱暴に布団を被せる。
「……フォ……フォルティスっ」
「俺は明日いくらでも寝てられる。休む気があるなら、さっさと寝ろ」
「信じられません。私を放り投げるなんて、貴方くらいです」
「不敬か?」
「馬鹿力だと言ってるんです!」
「子守唄でも歌ってやろうか」
にやにやしながらいつもルーメンの歌う子守唄を口ずさむと、ルーメンは布団をやや乱暴にかけ直しながら横を向いた。別にそれが効いたわけではないのだろうが、彼は思ったよりも早く眠りについた。そのくらい、疲弊していたに違いない。
自室に戻るよりもここで休みたいと言われたことを嬉しく思う反面、数日後にはここを出て行かなければいけないことに胸を痛める。
そっと顔にかかる銀髪をはらって形のいい頭を一撫ですると、フォルティスは机に向かい教典を開くのだった。
机に伏していたフォルティスの背中に誰かの手が当てられた。
はっとして頭を上げると、ルーメンが傍に立っている。
「ベッドをお借りしてすみませんでした。戻りますので、どうぞお休みください」
「朝までいてもいいんだぞ」
窓の外はまだ暗い。
ルーメンはゆるゆると首を振った。
「あまり甘えますと後々困ることになりますから」
フォルティスはルーメンの顔色が良い、とまではいかなくても改善しているのを見て取って、それ以上引き止めるのを諦めた。
「フォルティス。ありがとうございました。貴方と貴方の愛する人たちが心安らぎ、いつか再び相見えるまで、貴方に主の祝福がありますように」
フォルティスの顔に手が添えられ、銀色の髪が近付き、額に柔らかいものが触れる。
それは彼にとって儀式の一部で、恐らく餞別以上の意味はないのだろう。それでも普通は神官同士で祝福のやり取りなどしない。大主教位の総主教付きの『神の愛し子』の祝福は、受けようと思えばかなり高価だ。
「……ルーメン。俺にはもったいない」
「少しは教義が頭に入りやすくなるのではないですかね。またいつでもお教えいたしますので、気軽にお尋ね下さい」
「気軽に尋ねようものなら警備の人間に張り倒される気しかせんのだが」
くすくすと笑って、ルーメンは腰を折った。
「御活躍を祈念しています。フォルティス主教」
背を向けたルーメンはもう振り返らなかった。
ルーメンのいやに他人行儀な挨拶が、これきりだと告げているようで、フォルティスは彼の唇の触れた額にそっと手をやり、小さく息を吐き出した。
出発の日は晴れていた。
数日ぶりの陽光に雪化粧した街並みがきらきらと反射していて眩しい。
迎えの馬車を前に、フォルティスは目を細めて今一度中央神殿を振り返る。一際高い鐘楼から澄んだ鐘の音が聞こえてきて、青い空をバックに数羽の鳥が一斉に飛び立つのが見えた。
――遠い。
覚悟は決めてきたはずだったのに、思いがけず近くで過ごせたこの数ヶ月が、フォルティスの心を焦らせていた。もう少し、もう一歩、時間さえあれば踏み込めた気がするのに。
使える者は使う。ルーメンの言葉を思い出し、開いた手のひらに視線を落としてぐっと握り込む。それが、近道だというのなら。
新たな決意と共に、新米主教は馬車に乗り込んでいく。より、近くを目指すために。
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