13.望遠鏡

 砂漠の国へ行く前に、ルーメンに無茶振りとも言える講師の仕事を振ったのはフェエルだった。総主教の負担を軽くして精神の安定が図れれば、との意図だった。実際、昼の間はルーメンが傍に控え、夜の礼拝の後はゆったりと過ごすことが出来るようになると、彼女は少し落ち着いたように見えた。

 同じく出発前に渡された通信具で1日の報告を済ませ、ルーメンは新たに借りてきた本に手を伸ばす。


 占星学入門・星に寄り添う・星と歴史・星読みの世界――


 オカルト的なものも含め、占い関係の本を片っ端から漁って、一番実用性がありそうだったのが『星読み』だった。星の運行で天変地異や気候異常、国の大局などを占うというものだが、占いの中でも細かい計算や統計の上に成り立っている歴史あるものだ。

 簡単な天空図を基に窓を開け、ルーメンは空を見上げた。方向が違うのか、同じものには見えない。ここから何かを読み取れるようにならなければ。

 冷やりとした夜風が彼の髪を撫でる。ルーメンは天空図を頭上に掲げて決意を新たにした。




 数日ですっかり日に焼けたフェエルが帰都すると、土産だと細長い筒状のものをルーメンに押し付けた。砂漠の国では星を頼りに移動するので、星見の道具を豊富に扱っているのだと彼は言った。実は戻ってきてから帝都で買ったものだと言われても、ルーメンは別に構わなかったが。


「お前は普段物を欲しがらないが、必要だと思うものは金がかかるな」

「もらっておいてなんですが……欲しいとは言ってませんよ?」

「必要だろう?」

「必要ですが」


 成人してからは仕事分の給与は与えられている。買おうと思えば彼は自分でも買えるのだ。先回りして与えられている気がして、ルーメンは素直に礼が言えなかった。

 腕の長さ程の望遠鏡。レンズの直径は7センチから8センチとかなりいいものに見える。


「……フェエルは星見をしたことは?」

「ないな。現実的でないことはあまり見ない。お前に任せる」


 聖職者の言葉とは思えなくて、ルーメンは小さく笑った。


「何だ?」

「いえ。ありがとうございます。大切に使います」


 黙って頷いて踵を返そうとしたフェエルは、思い立ってもう1度ルーメンに向き直った。先程よりも身を寄せて声を低くする。


「毒を盛られたと」


 平静を装いながら、ルーメンは何処から知ったのかと呆れていた。あのあと特に誰も騒がなかったし、自分も黙っていた。毒を入れた人物と自分とフォルティス・プレセンテ。3人だけが知っていることのはずだった。


「口もつけていませんので」

「第3者がいたのだろう? きちんと早めに手を打たないと、後悔してからでは遅いぞ。その人物を陥れたいとでも思っていたのでなければ」


 実行犯の目星はついていた。大丈夫ですと口にする前にフェエルが続ける。


「まぁ、もう辞めてもらったから大丈夫だとは思うが」


 思わず彼を見たルーメンをフェエルはにやりと笑った。


「慰謝料はそれなりにもらっておいた。お前の口座に入れてあるから、たまには確認しろ」


 預けている金の確認などルーメンはしたことがなかった。纏まった金を引き出すこともない。フェエルに言われたことが引っかかって、初めて彼は台帳を参照するということをした。

 成人前後から、何度か大きな額が振り込まれている。残高の桁は数えるのが面倒になるくらいだった。今から遊んで暮らしても恐らくやっていける。


 何の金か。フェエルが慰謝料と言っていたのを考え、何度か狙われた命と酷く痛めつけられた時のことを思い出す。何人か、急に見かけなくなった人物がいる。深く考えたことはなかったが、ことだったのかもしれない。

 今ルーメンに自覚させるということは、そろそろ自分で後始末までやれと示しているようにも思えた。


 ――お前が転べば、彼女が怪我をすると思え。


 いつか言われたフェエルの言葉が、頭の中にこだました。



 ◇ ◆ ◇



 ノックの音と、ドアのロックが外れる軽い音にフォルティスは振り返った。そろそろ講義に向かう時間で部屋を出なければならないのに、部屋のロックを外せる人間が訪ねて来るはずはなかった。

 フードを被った人物が我が家に帰って来たかのような顔をして入ってくる。

 足取りも軽く机に近付くと、その上に三脚の付いた何か細長い筒のような物を置いた。


「……おい」

「プレセンテさん、少し預かっていて下さい。どうせ後で補講しますよね?」


 呆れたように冷たく見られて、ルーメンは居住まいを正した。


「……すみません。今日は用事でもありましたか?」

「いや、ない。ないが……まず、それは何だ」

「望遠鏡です。帰りに星を見ようと思いまして」

「星。また、何を……まぁ、後で聞く。それから我が物顔で入ってくるくらいなら、そろそろ他人行儀に呼ぶのをやめてくれんか。俺はあんたの都合のいい教え子になる気はないんだが」

「呼び方で何か違うのですか?」


 不思議そうに首を傾げるルーメンだったが、それ以上悩む様子もなかった。


「では、フォルティスさん?」

「敬称もいらん。俺が呼び捨てているのに、役職が上のお前が何で丁寧に呼ぶんだ」

「あまり親しげには」


 怪しい噂の付き纏う自分に深く関わらせまいと、フォルティスを慮ってのことだとは解る。彼にとってはそれも余計なお世話だと思っているのだが。


「部屋にいる時くらいはかまわんだろう」

「そう、ですか? フォルティス」


 自分を呼んだ口元がほんのり笑った気がして、フォルティスは思わずその赤い唇から視線を逸らした。自分で言ったことなのに、妙な気分になりそうだった。彼は心の中でぷんすか怒っている妻と子供に頭を下げる。

 言い訳かもしれないが、ルーメンの声は時々

 フォルティスは初め、容姿だけが彼が一定の人間を惹きつけている理由だと思っていたのだが、講義を聞く人々が異様に静かなのを感じると、それだけではないと思うようになった。息づかいさえも漏らさず、ずっと聞いていたくなる声。(あるいはそれはある種の人には恐怖にも感じるかもしれない)


 講義は2週目、3週目と人が増えていき、余裕のあった席は今はぎゅうぎゅうで、立ってでも受けたいという者も出る始末だ。お陰でルーメンの講義は週1回から週2回に増えていた。必然的に、フォルティスの補講も週2回は確保できることになっている。

 時々、こっそり補講していることがばれて一緒に受けたいと申し出る者もいたが、彼は真面目に勉強したい者以外はすべて断っていた。

 自分と居る時くらいは彼にそういう煩わしさを覚えさせたくなかったのだ。

 他に人がいてもいなくてもルーメンの態度は変わらなかったし、そういう彼に接した者は、噂ほど冷たい人間でも人でなしでもないと解ったと思う。


「フォルティス? 遅刻しますよ。補講できるからと甘えないで下さいね」


 ……歯に衣着せぬどころか、剃刀を仕込んでいるような物言いだけはフォローのしようもなかったが。

 フォルティスは荷物を抱えて、先に出て行くルーメンの後でゆっくりと部屋を出た。ルーメンは気を使って目立つ銀髪を隠し、時間差でフォルティスの部屋に通っていた。それでも気付く者は気付くはずなのだが、思ったほど噂にはなっていない。

 フォルティスがそれとなく聞いてみると、目くらましの魔法を試してみていると笑っていた。

 ルーメンはこの数年で本当に詠唱なしでの魔法を身につけてしまったのだ。それをひけらかしもせず、奥の手だと隠し通そうとするところが彼の怖いところかもしれない。


 その怖いところも、守りのためにしか使う気がないルーメンにフォルティスは惹かれていた。彼のアンバランスさから目を離せない。

 あるいはそれは愛しいものを1度に失った彼が、正気を保とうと刷り込んだ感情だったのかもしれない。それでも――

 それでもフォルティスは、妻と子を悼むと同時に、誰も寄せ付けようとしない彼に並んで歩くことを目標に神官の道を選んだのだ。


「それでは講義を始めます」


 教典を開く音が静かな講堂に広がる。


 例えそれが、神の無慈悲を知ることになろうとも。




 フォルティスへの補講も終わると、ルーメンはほくほくと望遠鏡を抱えて出て行こうとした。


「一緒に……行ってもいいか?」


 きょとんとした顔に断られるかとも思ったが、ルーメンはあっさりと了承した。


「よろしいですよ。星に興味が?」

「いや……うん、まあ、そんなところだ」


 暗いから危ないなどと言おうものなら、子供じゃないと笑われそうで、フォルティスは言葉を濁した。命を狙われるような人間が暗がりにひとりで行くなんて、危機感が足りない。魔法が使えるのなら、何とかなると思っているのかもしれないが。

 フォルティスがナイフを忍ばせていると、ルーメンが小さく笑う息づかいが聞こえてきた。


 風のない公園の真っ黒い湖には星々が映り込んでいた。まるでその向こうにもうひとつ世界があるように。

 時々その星の光がゆらりと動くので、フォルティスは何事かと目を凝らした。星々に混じって弱々しい光を放つ虫が何匹かいるようだった。


「ホタルですかね。もう季節も終わりでしょうから今年最後かもしれませんね」


 陽が落ちるとしんと冷え込むようになった。そろそろ秋の生き物が勢力を伸ばす頃だろうか。

 手早く望遠鏡を設置すると、ルーメンは覗き込みながらあちこちつまみを回して調節し始めた。フォルティスが肉眼で見て分かるのは月くらいだ。今日はちょうど半円でオムレツのようだなと彼は色気のないことを考えていた。


「覗きますか?」


 ルーメンに誘われてフォルティスは筒の端に目を近づける。

 茶がかった月の表面が眼前いっぱいに広がっていた。細かな模様のような物や、何かの衝突痕のようなものもくっきりと見える。

 1度目を離して、彼は半月を見上げた。


「思ったよりもはっきりと見えますね。観察すべき星がどれなのか、これから勉強しなければいけませんが」

「……今度は何を始めたんだ? そういえば、馬には乗れるようになったのか?」

「星見を勉強しようかと。馬ですか? とっくに。今度遠乗りにでも行きますか?」

「そんな暇があるのか?」

「ないかもしれませんね。ですが、ひとつ分かりました」


 何だ? とフォルティスがルーメンを見やると、彼はにっこりと笑った。


「星見をする時はごつい男性ではなく、美しい女性を連れてくるべきですね」

「お前……本気で刺されるぞ」

「時間の有効活用が出来ていいと思ったのですが」

「有効活用でしか会いたくない相手なら、会わなくてもいいんじゃないか」

「そういうものですか」


 くすくすとルーメンの忍び笑いが響く。


「オルガン」


 不意に、ルーメンが言った。


「貴方がいなくなる前に、1度聞いておきたいですね」

「機会があったらな」


 ぜひ、と望遠鏡を覗き込みながらルーメンは薄く笑った。

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