8.一夜

 西側からの強風は町を横切るように被害を拡大させたが、南側は比較的被害が少なかった。畑が広がっていて、建物がばらけているお陰もあるのかもしれない。南西側はほとんど無傷で残っている建物も多かった。

 その、残っているうちの1軒、この辺りでは珍しい石造りの2階建ての家のドアをフォルティスは遠慮がちにノックした。

 夜も更けている。明かりは漏れておらず、何度目かのノックでようやくか細い返事が返ってきた。


「フォルティスです。こんな時間に申し訳ないが、一晩寝る場所を貸してもらえないだろうか」


 名乗りと共に固く閉じていた扉が勢いよく開き、中から顔を出した壮年の女性は、まだ言葉を繋いでいるフォルティスに抱き着いた。

 彼女の震える肩を優しく叩き、彼はしばらくの間黙って彼女を受け入れていた。


「……ごめんなさい。あなたも、辛いのに……」

「ありがとう。貴女も無事でよかった。ここならばもしやと思ったのだ。畑も無事な様だな」

「炎は北から広がって……風にあおられて東へ伸びたの。あっという間だったわ」


 フォルティスが小さく頷いて、その大きな体を少し避けた。


「彼が、ソリスとニテンスを見つけてくれた。屋根裏でいいから泊めてくれ」

「まぁ。神官様が。そんな方を泊められるような場所では……」


 狼狽える彼女をフォルティスは大丈夫だからと、背を押して家に上がり込む。手招きされてルーメンも恐縮しながら従った。

 食事も碌に摂っていないふたりに、女性はミルクを温めてくれ、毛布と共に使われないものが雑然と置いてある屋根裏に置いていった。


「御親類ですか?」

「いや。野菜を市場に売りに来てて、ソリスと仲良くなったようでな。俺もたまに帰ってきた時とか食事を共にしたり……旦那を早くに亡くしてて子供もいないからと、ニテンスが生まれたときは本当の家族のように喜んでくれて……」


 掠れていく声にルーメンは小さく頷く。しばらく沈黙が続いた。


「鎧、もうお脱ぎになった方がいいのではないですか?」


 背を丸めてミルクに口をつける男にそう言うと、彼は曖昧に笑って視線を逸らした。


「脱いだらもっと臭う」

「気にしませんよ。生きている臭いです」


 町の中には焦げ臭い臭いと共に肉や髪の毛の焼けた嫌な臭いも混じっていた。静かにカップに口をつけるルーメンをフォルティスはしばらくじっと見つめていたが、やがてゆっくりと鎧を外していった。

 むっとした臭いが一瞬辺りを満たしたが、彼が窓を開けてくれたお陰で少しずつ空気が入れ替わっていく。夜風は少し冷やりとしていて気持ち良かった。


 フォルティスは風下に回り込むとそのまま床に横になった。

 ルーメンはカップの乗ったトレーを端に寄せ、自分も硬い床に身を横たえた。黙ってフォルティスの広い背中を見ていると、やがてその背が細かく震えだしたのが分かった。

 そっと近寄って震える背に手をかける。大きな体がびくりと反応した。


「抱きますか? 一時は忘れられますよ」


 怖いくらいの速度で彼は振り返り、ルーメンを睨め上げる。流れた涙も溢れ出す涙もそのままで、カッと目を見開いて。


「馬鹿を言うな」

「ですが」

「……やめてくれ。俺は一時も忘れたくない」


 見ていられないのです。ルーメンは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


「お役に立てず……すみません」


 そっと俯くルーメンの頬を分厚い無骨な手が撫でた。


「あんたは充分役に立ってんだよ。これ以上はいらないんだ。ここでうっかりあんたを抱いたりしたら……男だと解っていても抱けそうなくらい綺麗だけどな。そう思える自分も怖いんだが……一生後悔することになる」

「後悔、ですか? 男を抱いたことを?」


 苦笑して、彼はゆっくりと首を振った。


「他人を慰めるのに、自分の身体を差し出すことしか知らない人間を抱いたことを、だ。愛してると迫られるのとは違う」

「することは変わりませんよ?」


 訳が分からないという風に眉間に皺を寄せるルーメンのその額を、フォルティスは指ではじいた。


「そういうところだ。与えたがるくせに、自分の差し出そうとしているものの価値を知らない」


 傾いでいくばかりの銀の頭に彼は小さく息を漏らす。


「早く起きて、馬に乗るんだったな。何かしたいというのなら、昼間の唄を歌ってくれ。あれなら、寝られそうだ」


 ルーメンはにこりと笑うと、フォルティスの頭をその膝に乗せ、くすんだ金髪を梳きながら子守唄を口ずさみ始めた。

 彼がうとうとし始めたところでルーメンはもう一度誘いをかけてみたが、その状態でも首を振られた。

 広場で助けられた時も思ったのだ。起きるのが少し早いのではないかと。彼はこの声にあまり影響を受けないのかもしれない。何だか少しほっとして、彼が眠ったのを見届けるとルーメンもそっと目を閉じた。




 どこからか水音が響いて来て、ルーメンはその目を開けた。見知らぬ床に一瞬身を固くする。もう1度桶の水をひっくり返すような音が外から聞こえてきた。起き上がって、そういえば民家に泊めてもらったのだと思い出す。

 フォルティスが見当たらない。少々痛む身体をさすって、ルーメンはいつの間に横になったのだろうと焦っていた。座ったまま、仮眠程度の予定だったのに。

 彼がそっと屋根裏から下りていくと、ちょうど入口の扉が開いて首からタオルを下げた下穿き一枚のフォルティスが入ってきた。


「よう。おはよう。座ったまま寝るなんて器用なんだな」

「……お早い、ですね。何を?」

「井戸借りて水被ってきた。少しはましになるだろう。馬も借りられたから、着替えたら出発しよう」


 疲れていたとはいえ、他人と同じ部屋で寝て相手よりも遅く起きるなんて。寝かされたことさえ気付かなかった。

 中央の暮らしでは考えられない事態に、ルーメンは居心地の悪さを感じていた。


 家主の女性に丁寧に礼を述べて、馬を引いてきたフォルティスへと近づく。どう乗ったものかとしばし迷っていると、後ろからひょいと抱え上げられた。

 ルーメンも小さい方ではない。どちらかというと背は高い方なのだが、それでもフォルティスとは頭1つ分くらいの差がある。彼が桁違いなのだ。


「……ちょ……」

「軽いなぁ。食わなそうだもんな」


 そのまま押し上げられてなんとか跨る。


「もうちょい前に。ん」

「……あの、後ろでも……」


 慣れた様子でひょいと飛び乗ったフォルティスの大きな体に抱え込まれるようにして前に座っているのは、どうにも恥ずかしい。


「馬に乗ったこともないんだろう? 後ろだと振り落すかもしれんからな。それほど遠くない。ちょっとの我慢だ。なんだ。昨夜は抱けと言ってたじゃないか」


 にやにやとからかいの言葉を吐くフォルティスは、容赦なく手綱をふるった。

 初めはゆっくりと歩かせてくれたが、馬の動きに慣れるまでに少しかかる。慣れてくると彼は少し速度を早め、片腕をルーメンの腰に回した。


「そのまま身体を預けているといい」

「……決めました。中央に戻ったら乗馬もやります」


 ふふ、とルーメンの耳元で低い笑い声がした。

 隣町までは鐘ひとつもかからない。朝1番の鐘を聞きながら町に入る。

 宿泊予定だった宿に辿り着いて馬から下り、ルーメンが彼に礼を言っていると、宿の中から人が駆けてくる気配がした。


「ルーメン!」


 その声にぎょっとする。


「猊下……? 朝の祈りの時間のはずでは?」


 正装のままがばりと抱きつかれて、ルーメンは慌てて彼女を引き離した。


「猊下! 人の目が……」

「……げいか……?」

「あなたって人は……!」


 パーン、と頬を張る音にフォルティスは慌てて2人の間に割り込んだ。


「ちょ、ちょっと、お待ちください。彼の、話も……」


 はらはらと目の前で涙を零し始める美女にフォルティスも先が続かない。


「プレセンテさん、ここまでありがとうございました。こちらは、大丈夫ですので」

「あんた……ただの加護持ちじゃ、ないのか?」


 やんわりと彼を帰そうとその腕に手をかけたが、ルーメンの力では彼を動かすことは出来ないようだった。

 ひとつ、息を吐く。


「中央神殿、テル・ルーメンです。お見苦しいところを……」

「っはっ?!」


 フォルティスに深々と頭を下げた後、ルーメンは総主教にも同じように頭を下げた。


「長時間お傍を離れて申し訳ございませんでした。お叱りは後ほど。礼拝をお済ませ下さい」


 彼女を追ってきて、そっと遠巻きに見ている従者を促して彼女を先導させる。併設されている教会の礼拝堂に向かう途中でルーメンを見つけたに違いない。タイミングが悪かった。

 その背中が見えなくなったところで、ルーメンはフォルティスに向き直った。




*********************

朝1番の鐘=午前6時くらい

鐘1つ=1時間くらい

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