24.反省房

 ウィオレ大主教が来た時、もう部屋の中に生きている人間はルーメンだけだった。全員血まみれだったがルーメンだけは傷ひとつ負っていない。ナイフはフェエルの足元に落ちていた。ルーメンが抱きかかえている、フェエルの足元に。

 菫色の瞳が部屋の入口で1度怯み、それからルーメンを疑わしそうに見つめた。


「……何があった?」

「その男が、押入って総主教を刺したのです。止めようとした私も刺そうとして……私はフェエルに庇われました」

「その男は、お前が?」


 ルーメンの冷静な声に、ウィオレは鼻をひとつ鳴らした。


「いいえ。彼も、フェエルが」

「全て死んだ者の仕業せいか」

「嘘などついておりません」

「……まあいい。医者に診てもらうか?」


 部屋中誰の血だか判らないくらいあちこちに血飛沫が飛んでいる。ルーメンの服にも髪にも、その手にも血の跡がこびりついていた。


「必要ありません」

「最近疲れているみたいだと噂されていたぞ。怪我がなくとも診てもらったらいい」

「必要ありません」


 抱きかかえていたフェエルを総主教の隣に横たえると、ルーメンは立ち上がった。


「後処理はお任せします。部屋を移らねばいけないのであれば、明日以降にして頂けると。さすがに、今夜は動く気力がありません」


 そのまま自室に下がろうとするルーメンをウィオレは引き止めた。


「そこで、寝ると?」

「何か、問題が?」


 彼は答えに窮する。


「逃げも隠れもしません。心配ならドアの前に見張りでも置いて下さい。証言が必要なら明日以降にお願いします。今日はもう……放っておいて下さい」


 小さな溜息だけが、ルーメンの疲労を物語っていた。

 疑いの眼差しを受けながら、閉められたことのないドアをきっちりと閉める。それはそれまでの生活との決別の瞬間だった。



 ◇ ◆ ◇



 総主教のいない1日は混乱で始まった。後任がすんなり決まるはずもなく、危うく朝の礼拝が行われないなどという失態を犯すところだった。

 ルーメンが淡々と準備をこなし、それをウィオレが押し留めようとしてさらにそれを周囲が止める。総主教代理で礼拝を仕切っていたルーメンほど滞りなく進められる者がいないのは明白だった。


「彼は当事者で、疑いはまだ晴れていない。神聖な礼拝を任せるべきではない」


 正論とも取れるが、周囲の反応は微妙だった。ルーメンが罪を犯したと決まったわけでもない。フェエル総主教補佐と押入ったという男のことはわからないが、少なくとも総主教に対して彼は従順だった。刃物を向けるとは思えない。

 それが周囲の総意だった。

 聖杯や聖水を祭壇に並べ、準備を終えたルーメンがウィオレ大主教に向き合う。


「準備は終わりました。私が気に食わないのであれば、いくらでも代役を立てて下さって構いません。どうぞ」


 総主教の持つ錫杖を両手に平行に乗せてウィオレの前に差し出す。さすがのウィオレも祝詞は覚えていても細かい式進行までは自信がなかった。ようやく20歳を越えたところという青年は顔色一つ、眉ひとつ動かさない。それが癪に障るが、さすがに手が出せなかった。


「図書室に資料がございますよ。2刻からの礼拝はそちらを参照なされば良いのでは」


 かっと頬を紅潮させるウィオレに特に興味を寄せる訳でもなく、ルーメンはそのまま祭壇の前に進み出た。1刻の鐘が鳴り響く。


「時間ですので、進めさせていただきます」


 平行にした錫杖を頭上に掲げ、深々とこうべを垂れる。総主教の侍女をしていた気丈な数人がサポートにと動いてくれた。




 滞りなく終わった朝の礼拝に、ルーメンがそのまま総主教に繰り上がってもいいのではないかという声も上がる。『神眼』があるのだから『予見』にこだわる必要はないと。

 対してウィオレ大主教は審問会が先だと言い張った。彼に本当に罪がないのか、総主教ひとりが押し切った大主教位に問題はないのか。公平に次の総主教候補を吟味すべきだと。もちろん、それまで彼に協力を仰ぐのは致し方なしと渋々付け加えて。


「審問会までは彼に反省房に入ってもらおうかと思います」


 ざわりと一同の空気が冷えた。


「いくらなんでも……」


 誰かが呟いた一言に、ウィオレ大主教は微笑で答えた。


「彼の安全のためでもあります。あそこは外からも鍵がかかるし、その鍵は大主教以上でないと開けられません。彼ならば自分で開け閉めできるのですから、閉じ込めることにはなりません」


 目配せし合う一同に、ルーメン本人が手を上げた。


「構いません。特に外出する気もありませんので、審問会が決まりましたら知らせて下さい。礼拝、式典などで疑問等あればいつでもお答えしますので」


 そのまま席を立ちあがり、ウィオレを視線で促した。

 ウィオレは先に先にと冷静に対処する青年を苦々しく思う。彼が自分の手駒にならなかったことも――

 彼は席を立ち、ルーメンを小さな窓ひとつの狭い反省房に案内する。ベッドと洗面台とトイレ、小さな祭壇。それしかない。

 房に入ったルーメンはざっと部屋を見渡して口角を上げた。


「……こんな所にと、言わないのですか」

「今の私には、似合いの場所だと思って」


 ウィオレはその言葉を量りかねる。自分が何らかの罪を犯したのだとも取れるし、生き残った自分を責めているようにも思える。

 もっと悲しみにくれるとか、取り乱すとかしていれば自分だってこんなに不信の目では見ないのに。ウィオレは眉間に皺を刻みつつ、そのドアを閉めた。




 簡素ではあるが、3食食事が差し入れられる。その時にメモを書いておけば誰かが本を借りて届けてもくれる。ルーメンは部屋から1歩も出ずに祈りと読書で毎日を過ごしていた。

 時々ウィオレが確認事項がある時に訪ねる他は、訪ねる者もない。静かに日々が過ぎていく。苦ではない。むしろ、このままでいられたらいいのにと思うほどだった。

 早々に日付の感覚を無くして、鐘の音だけを頼りに祈りを捧げていると、客だと看守のような役割の者に声をかけられた。


 対面室に通され、透明な氷板石の壁の向こうにいる人物と目が合う。彼は気が急いたように立ち上がると、壁のギリギリまで身を寄せた。


「ルーメン」

「お久しぶりです。どうされたのです? 何か、教典で解らないところでも?」

「冗談を言ってる場合か! 何だ、この対応は!」


 壁に空いたいくつかの小さな穴から、生命力にあふれた声が飛んでくる。


「何があったんだ……ルーメン」

「冗談などではなかったのですが……フォルティスは相変わらずですね。慣れましたか? 座ったらどうです?」


 フォルティスは苦々しい顔をして、音を立てて座り直した。


「お前こそ変わらない。心配したのが馬鹿らしくなる」

「ご心配を? それは、失礼いたしました。ありがとうございます。心配いりませんよ。快適に過ごしてます」

「快適?」


 ぎろりと、彼はルーメンを睨みつけた。


「痩せた」


 ルーメンは首を傾げる。


「最近は、食べられるようになったので戻って来てると思うのですが」


 フォルティスは頭を抱えた。

 この場では盗聴防止の魔道具は使えない。聞きたいことも、問い質したいことも山ほどあるというのに。


「あの、ここにいるのは私の希望でもありますし……審問会までのことですから。貴方がそれほど気に病まなくとも。それに、別に外に出られないという訳でも無くて……出なくても済んでしまうので、出ていないだけなのです。大主教以上でしたら、房で会うことも可能ですし……」


 フォルティスは主教位であり、急な訪問だったのでこちらに通されただけのことなのだ。

 きょとんとしたフォルティスの顔にルーメンがこらえきれず肩を震わすと、彼は眉間にしわを寄せて怒鳴りつけた。


「出て来られるのなら、さっさと出て来い!」

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