26.喪失

 アスピスはルーメンより4歳から5歳年上の、丁度フォルティスと同じくらいの年齢だった。体格にかなり差があるので並んでも同じ年にはとても見えないが。性格的にも大人しく、いかにもウィオレが御しやすそうな人間に見えた。

 ルーメンは引き継ぎの名目で何度か行動を共にしたが、彼自身は特に悪い人間ではない。ウィオレに恩があるのか、彼には強く出られないのだろうなというのは見てとれた。

 年下のルーメンに教えを請うことを躊躇わない真面目な一面もあり、確かに総主教として充分な資質があるのだろう。左右色の違う瞳も神秘さを醸し出していたし、その辺の人選は抜け目ないな、とルーメンは感心する。


 一通りのレクチャーを終える頃、彼はボリュームのある金髪を邪魔そうに払いながらルーメンの袖を控えめに引いた。ウィオレが離れているのを確認してから、声を潜める。


「ルーメン大主教……」

「猊下。私はもう大主教ではございません。どうぞ、呼び捨てて下さい」

「あ……すみません。でも、その……教えを請うているのは私の方で……」

「猊下の事情はよく存じております。。トップに立つ者は軽々しく謝罪を口にするものではありません……何ですか。ウィオレ総主教補佐が戻ってきますよ」


 彼の少し子供っぽいところが前総主教を思い起こさせて、うっかり態度を軟化させると、彼はほっとしたように笑った。


「総主教付き、とはいきませんが、これからも私を助けてくれませんか。その、もう少し傍で」


 それが、難しいということは本人も解っているはずだった。だから、声を潜めているのだ。


「猊下。それはウィオレ総主教補佐が許可しないでしょう」

「彼が首を縦に振れば、そうしてくれるのですか」

「……猊下。本来ならば、決めるのは貴方だ。それを判断できないのであれば、判断できるようになるまで口を出すべきではないのではないですか」

「でも、貴方は……」

「私はほんの少し見逃されて主教の位に残されたにすぎません。前総主教猊下を救えなかった罪は重い。次に同じことがあってはならない。それに、前総主教補佐は遺言で、自分のために生きろと言ってくれました。私はそれに従いたい。必要ならばお手伝いしましょう。ですが、お傍にはいられません」

「遺言……」


 しゅんと項垂れて、気まずそうに視線を揺らすアスピスにルーメンは小さく息を吐き出した。


「猊下。しゃんとして下さい。そんなことを言われたのなら、不敬だと一喝なさって、黙って私について来いと言えばよろしいのです」

「ええっ?」


 目を白黒させている青年には、まだまだ威厳が足りない。幼いころから教育されていた彼女とは違う。その辺もこれから教えられるのだろう。


「ウィオレ総主教補佐も彼の選んだ者達も優秀ですよ。貴方は彼らと貴方の教団を作らねばなりません。私の知っているのは過去の教団です。基本はお教えできても、この先を教えることはできないのです」

「ルーメン主教、では、友人なら……友としてなら、力を貸してもらえますか」


 ルーメンはぎょっとする。


「猊下を友人になど出来る訳がありません! それこそ不敬です!」


 掴まれた袖を振りほどいて、ルーメンはアスピスに背を向けた。そこまでしてから、それも不敬だと気付いてもう一度彼に向き合う。深々と頭を下げると溜息が降ってきた。


「失礼いたしました」

「ルーメン主教……私は未熟です。担ぎ上げられて右も左も分からない。歳の近い貴方が……ウィオレにも臆しない貴方がいてくれたら、どんなに心強いか」

「残念ですが、私がいると火種になります。幸か不幸か猊下にさえ口のきき方を知りませんので。友なら古くからの友人を大切になさればいいのです。きっと力になってくれるでしょう」


 にべもないルーメンにアスピスは恨みがましい目を向けたものの、ウィオレが戻ってくる気配を感じてそれ以上は口を閉ざした。

 ルーメンは軽く礼を取って、ウィオレが戻ってくる前にアスピスの前を辞する。

 後は好きにやればいい。自分の役目はそこまでだと、彼は思っていた。



 ◇ ◆ ◇



 ルーメンがいなくとも教団内が滞りなく回るようになった頃、彼は体調を崩した。

 張っていた緊張の糸が切れたのか、夏を前にふと差し込んだ寒さに流行病を拾ったのか……両方だったのかもしれない。ともかく高熱を出し、一時は意識も失くすほどだった。

 時々浮き上がる意識で病院に入れられているというのは解ったものの、記憶は飛び飛びだ。

 ゆめうつつにそのまま死ぬのではないかとぼんやり思って、それもいいかと意識を沈める。けれど、そういう時に限ってフェエルの夢を見るのだ。彼との最後の時を。ルーメンではなく、『テル』に自分のために生きろと言ったあの時を。

 今でもその意味はよく解らない。だから余計、解るまで来るなと言われている気がして、ルーメンはこの世に引き止められた。


 なんとか命を繋いで起き上がれるようになるまでにひと月。すっかり鈍った体を戻すのにもう半月。面会謝絶が明けてからは、忙しい合間を縫ってフォルティスが見舞いに来てくれたりもした。彼の場合、見舞いと言うよりは見張りに近かったのだが。

 入院中に邪魔になるからとバッサリと切られた銀の髪を見て絶句して、骨と皮ばかりになっている手首をそっと擦り、量が食えないなら栄養価の高いものを食えと差し入れを持ってくる。

 形だけの見舞いに訪れる者は他にも何人かいたのだが、彼がいなかったら入院生活はまだ伸びていたかもしれない。

 退院の日もフォルティスはわざわざ病院を訪れた。


「荷物もほとんどないのですから、大丈夫ですよ。そんなに教会を空けたら、皆さん困るでしょう?」

「心配いらん。みんないい人ばかりだ。送ったら、すぐ戻る。馬車じゃなくて馬で来てるからな」


 ルーメンの手から唯一の荷物をひったくるようにして持っていく。


「……過保護な親みたいですよ」

「病院だからって、食べるのがめんどくさいから薬剤になりませんか、なんて交渉する人間を放っておく気はない!」

「栄養価が同じなら、問題無い気がするのですが」

「人を作るのは栄養価だけじゃない。……後遺症とか、ないのか?」


 渋い顔をした後に今度は心配そうに見下ろす。忙しないフォルティスの顔を見ながら、ルーメンは熱の下がった後に医者から言い渡された検査結果を思い出す。


「……もう、私の子は産まれないようです。その機能がほぼ失われていると。0ではないようですが」


 少しの間ルーメンを見つめて、そっと目を逸らすと彼は「熱か」と呟いた。ルーメンは頷く。


「神の子を見殺しにした罰かもしれませんが……正直、ほっとしたんです。私は自分の子など欲しくない。出来ないのなら、その方がいい」

「そうか」


 ルーメンはそんなことを言うなと怒られるかと思っていたが、フォルティスは少しの間目を閉じただけだった。自分の思いをただ飲み込んでくれたことに、ルーメンはどこかむず痒さを感じる。だから、つい、口を突いて出てしまった。


「お陰で、検査結果を知る看護婦さん達に随分迫られました。人妻というのは寂しいものなんでしょうか? こちらの体力が続かないと言うのに、あの手この手で……」

「……ルーメン!」


 とたんに眉間にしわを寄せ、溜息をつくフォルティスにルーメンはなんだかほっとする。余計なことを言って叱られたいなどと、そんな、子供みたいなこと。きっと病み上がりだから、まだ少し熱に浮かされてるのだ。

 馬車に押し込められ、窮屈そうに身体を丸める大男にルーメンはふふと笑うのだった。

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