29.代書屋

 1年。ルーメンは民俗学を掘り下げていた。土着の少数民族にあの月のヒントが隠されている。そう信じて。時に現地まで足を運んで話を聞いたり、図書館にない、本になる前の資料を集めたり……特に『タマハミ』に関するものは口伝しか残っていないものも多く、一層興味をかき立てられた。

 レモーラに行く前に多くの事例を集めておきたい。熱心になりすぎて寝食を忘れていると、会議などで戻ってきたフォルティスが喝を入れた。


 その過程で彼は世の中には実に多くの宗教があることを知る。主の言う『救い出さなければいけない異教徒』とは、それら全てを指しているのか。確かに教団は勢力を伸ばしてはいる。けれど、無数にあるそれらを平らげて纏めきる力は無いような気がした。


 どちらにしても、ルーメンには他の生き方が出来ない。ここで足掻いていくしかないのだ。



 ◇ ◆ ◇



 着任は静かなものだった。信者でもない村人が物珍しそうに遠巻きに見ている。水時計のあるアトリウムを開放すると、子供達が歓声を上げた。

 しばらくの間は礼拝に来る者もなく、初めに受けた相談は親を失った子供のことだった。ルーメンには子供をどう扱ったものかもよく解らない。一緒に連れてきたマーテルに聞いてみると、近所の子供の面倒をみるのはよくあることだった、と返事が来たので、いっそのこと孤児院を作り任せてみることにした。

 小さな教会はひとりで切り盛りしても余裕がある。ルーメンもマーテルもお互いの距離を量りかねていたので、それぞれの役割が決まると意外と上手く回り出した。


 水時計の噂が広まり、少しずつ観光客も増えてきた頃、ひとりの若者が教会を訪ねてきた。

 掃除などの手伝いをしてくれている村の者に案内されて、事務室まで来た彼に妙な既視感を感じて、ルーメンはまじまじと不躾な視線を注いでしまう。薄い茶の髪にやはり薄茶の瞳。地味な印象ながら、笑顔は人好きしそうだった。

 手伝いの者に向けられていたその笑顔がルーメンを向いた途端、強張った。落ち着かない視線に、ひどく戸惑っているのが感じられる。ルーメンはちょっと笑って視線を外した。


「どのような御用でしょう?」

「え? あの……あの、ここの、主教は……」

「年が明けてから、私ですが」

「っえ!?」


 久しぶりの、総主教付きの自分を知っている者の反応だった。


「い、いつまで……」

「特に、期限は決まっておりませんが……私では何か不都合が?」

「あ、いえ。それは、全然! あの、ちょっと、ちょっと、すいません!」


 そういうと青年は胸に手を当てて、大袈裟に深呼吸する。

 黙って待っていると、伏せられた瞳が開いた時には彼の動揺は消えていて、人懐こい商売人が現れた。切り替えが早い。


「すみません。そこの、水時計のあるアトリウムで代書の仕事を取らせてもらえないかと思いまして」

「代書? 代書をなさるのですか」


 はたと、以前図書館で砂漠の国の言葉の本を探していた青年の後ろ姿が過ぎる。彼にも既視感を感じた。あの時は――

 じっと見るルーメンをどう感じたのか、『神眼』の圧力が大きかったのか、彼は少し恐縮したようだった。


「……だめ、でしょうか」

「……それは、私も依頼すれば代書してもらえるのでしょうか。教団関係の書類を代書したことは?」

「あ、あります。大丈夫です。運びもやったことがあるので、頼まれれば」


 にこりと笑う営業用の顔に、ルーメンは小さく息を呑んだ。


「……お名前を、聞いても?」

「あ! 失礼しました! ジョットっていいます」

「ジョットさん…………つかぬ事をお伺いしますが、どちらのご出身でしょう」

「え? ……ネブラ、ですが」


 帝国の中でも外れの田舎町だ。だが、昔から熱心な信者がいて教会も古くからある。


「ご両親も信徒なのですか?」

「ええ。母はそりゃあもう、熱心な。父のことはよく知りませんが……」

「知らない? 離れていたとか……」

「ああ、いえ。なんていうか……」


 いつもなら、ルーメンはこんなところまで踏み込まないし、その先も聞かなかっただろう。けれど、彼にはどうしても先を話してほしかった。にこりと笑って先を促す。


「……昔、総主教猊下が聖水配分に回ってこられたことがあって、その時に中央から来ていた方に母が一方的に入れあげたみたいでですね……お恥ずかしい話なんですけど……一晩でいいからって無理矢理迫ったみたいで」


 ちらりと視線を投げられるが、ルーメンは止めない。


「本人が言うには、結構偉い人だったのよって。本人が言ってるのはですよ? ……結局、滞在中は何かにつけ相手にしてもらったみたいなんですけど……」

「お母様は子が出来たことを知らせなかったのですか?」

「知らせたら迷惑がかかるからやめてくれって、町の教会の主教様に泣きついたそうです。どのみち、神官は婚姻を結べないのだから、こどもをもらったから、もういいんだって。中央に出れば誰かわかるかなとも思いましたけど、この髪にこの目の色なんて掃いて捨てるほどいるんですよね」

「その主教はそれがどなたかご存じなのですね」

「たぶん。教えてはくれませんが、色々便宜は図ってくれて……お陰で母と2人でもやってこれました」

「よい主教ですね。お母様は健在で?」

「はい。無駄に元気です」

「それは良かった。大事にしてあげてください。存分に稼いでくれていいですよ。私からも時々お願いしますから」

「え。あ、はい! ありがとうございます!」


 ぱっと顔を明るくして一礼すると、彼は足取りも軽く踵を返した。

 その後ろ姿がルーメンの良く知る人物と重なる。

 いや、結局彼のことはよく解らなかった。

 自分の子がいると知っていただろうか。知っていたら……あの最期は迎えなかった気がする。彼はもっと純粋に愛を注げる相手がいると知っていた方が、幸せだったのではないだろうか。

 最後ではあったけれども、一滴たりとも血を分けていない自分でさえ、抱きしめてくれたのだから。


 ルーメンは事務室を出て、祭壇の男神像を見上げる。

 助けてもらったことなど無い。そう思ってきた。理不尽ばかりで奪うばかりで……

 お前はまだ何も見ていないのだと、見えていると思っているだけなのだと、そう言うのだろうか。

 そこにあるのはただの石の像。どれだけ『神眼』で見つめても、答えは視えてこなかった。




 ルーメンが丘の上のお屋敷の住人に会えたのは、それからまだもう少し先のことだった。

 少しずつ打ち解けてきた村人たちにさりげなく聞いたりして、その様子を探っていたのに気付かれたのか、物騒な執事を連れた彼女はとても不機嫌そうだった。


「いつの間に引退なさったのですか?」


 彼女ではなく、彼に問うと、少し意外そうな顔をされた。


「特に、引退したつもりもないのですが」

「そうですか」


 彼女は視線で彼に「知ってるのか」と問うていたが、彼は小さく肩を竦めるだけだった。

 もう10年以上前、教団からの依頼を受けてもらったことがある。その時、一緒にいたのが、あの街にいた冒険者だと、ルーメンは時間が経ってから思い出した。『鬼神』と『天災』のコンビは当時随分世間を騒がせた。子供だったルーメンもその名を知るくらいには。彼等がまだ繋がっていたとしても全く不思議ではない。


 お屋敷の若奥様は寄付だと言って金貨の詰まった袋を差し出した。にっこりと笑っているのに詮索するなと前面に見える。これは確かに一筋縄ではいかないなと、袋を受けとりながらルーメンも溜息を押し殺してにっこりと笑った。

 主人の方はちょいちょい出かけて家を空けているらしいが、屋敷にはもうひとり年頃の青年がいるはずだった。病弱らしい青年が、彼女の護りたいものなのか。

 隠されると知りたくなる。

 何より、彼は最後の生きた証言者かもしれないのだから。

 彼の祖母か、その姉が巫女だったというところまでは調べがついていた。

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