16.降臨祭

「――その夜、月は煌々と輝いていました。蒼い夜に主は降り立ち、光る錫杖を一振りすると、荒れ狂っていた獣たちはうなるのを止め、平伏すように頭を垂れました」


 降臨祭は教典の冒頭『口伝』の朗読から始まった。

 大聖堂の高い高いアーチ状の天井に向けられたルーメンの声が、そのアーチにぶつかり、沿うように広がって降り注いでくる。

 朗々と響くテノールの声に合わせて、総主教の持つ錫杖の小さな輪がしゃらんと合いの手を入れた。

 控え目な祈りの文句がルーメンの朗読と重なり、人々の持つキャンドルの灯りが揺れる度、映し出す人々の影も複雑に揺れて、荘厳な雰囲気を醸し出していた。


 鍵盤の前でそれを聞いていたフォルティスは思わず身震いした。

 毎年、年の終わりの日の夜に行われる降臨祭。昨年はこの大聖堂での典礼に彼は参加していなかった。周りが皆参加したがったので受付を買って出ていたのだ。今更ながら、何故皆がそれほど参加したがるのか分かる気がした。

 重なるのは声だけではない。灯石あかりいしで照らされた2人は金と銀の一対になり、離れていてもその動きは訓練された兵士達のように結びつく。


 祭壇に向かい、剣と教典を持った男神の像に祈りを捧げる総主教へと、ルーメンは聖杯を差し出した。それが祭壇に置かれると聖水の満たされた別の器が用意される。

 ルーメンは壇上でそれを受け取ると、祭壇に掲げながら礼の姿勢をとり、聖杯の隣に置いた。さらに用意された小さな金の杯を恭しく総主教に手渡すと、彼女は聖句を述べながらそれで聖水を掬い、聖杯へと注いでいく。低い位置から高い位置へ移動するしなやかな指先からも光弾く聖水が滴り落ちた。

 ルーメンは朗読の合間にそうやって儀式のサポートをし、人々の眼も耳も魅了していく。


 そこに自分が割り込んでいいものかと、フォルティスは気後れする。

 もちろん典礼は始まっていて、オルガンの音を出さないわけにもいかない。彼は震える指先をそっと擦り合わせた。

 総主教の祝詞が終わり、ルーメンがフォルティスに視線で合図を送る。1度音が出てしまえば、後は彼の手と足が覚えていてくれていた。

 何度かひやりとしながらもプログラムは進み、皆で歌う『降誕の詩』の伴奏でも大きな失敗はしなくてすんだ。参加者からも不満の声は無いようで、フォルティスは心の中で胸をなで下ろす。


 残すは差し替えてもらった曲のみ。ルーメンはその楽譜も用意してくれたが、そらで弾けるほど彼はその曲を気に入っていたので、楽譜は1度確認しただけだった。得意な曲で終われると、フォルティスは肩の力が抜けるのを自分でも感じていた。

 出だし数小節をスムーズに進むと、ふっと聖堂内の灯りが落ちた。手元にはすぐに明るさが戻ったものの、不安げなざわめきが背後は暗いままだと知らせてくれる。

 そのまま続けてもいいものか、指は動かしつつもフォルティスは迷った。


「続けて下さい」


 近くでルーメンの声がした。他に聞こえないよう潜めてはいたが、フォルティスが演奏を止めずにいたことを称えるような声だった。

 彼が少しだけ頭を巡らせて天井を見上げると、いくつもあったはずの灯石も吊るされたランプも全て消えている。点いているのはフォルティスと鍵盤を照らしている物だけのようだった。参加者は全員キャンドルを手にしているはずなので、真っ暗という訳ではないのだろうが。


「きょろきょろすると目立ちますよ。大丈夫ですので、そのままお願いします」


 明かりの外側にいるルーメンの姿はフォルティスからは見えない。だが、彼が大丈夫と言うのだから、どうにかするのだろうとフォルティスは演奏に集中することにした。

 しばらくざわめいていた参加者は曲の中盤、ちょうどそこから盛り上がっていく所にさしかかると、瞬間だけ息を呑んだ。フォルティスには知れぬことだったが、いくつかの灯石が仄かに灯り、またゆっくりと消えていったのだ。

 それが曲に合わせるように明滅しているというのを、すぐに参加者たちは理解した。不可解のざわめきは感嘆の溜息に変わる。赤に黄色に青に緑。色とりどりに塗られた灯石が壁で天井でフォルティスの奏でる曲を鮮やかに彩っていく。


 最後の1音まで弾き終わり、何が起こっているのかと振り返ったフォルティスは、割れんばかりの拍手にたじろいだ。すでに明かりは元に戻っていて、何事もなかったかのように聖堂内を照らしている。

 戸惑いながらルーメンに視線を投げると、彼はいつもの微笑みのまま近付いてきて、手を差し伸べた。フォルティスが反射的にその手を取るとぐいと引かれる。


「挨拶を」


 唇を動かすことなく、ルーメンは告げる。

 立ち上がり、並んで軽く頭を下げるとまた聖堂内がどっと沸いた。

 何が何だか解らずに始終曖昧な笑顔を張り付けているフォルティスを、ルーメンがこっそりと笑った。



 ◇ ◆ ◇



 終わりの言葉まで滞りなく典礼は進み、1日の最期の鐘が鳴る頃には、後片付けの神官達もほとんど自室に戻っていた。

 着慣れない祭祀服を脱いで、あちこちで囃し立てられながら片付けを手伝っていたフォルティスも、部屋に戻ろうかと足を動かしている。お喋りな友人たちは片付けの手を動かしながら、大聖堂で何が起きていたのか話してくれた。

 灯石が勝手に光量を変えたり明滅するなんて。ましてや曲に合わせて? 奇跡が起きているようだったと彼らは言ったが、フォルティスには奇跡には感じられなかった。

 いつの間にか足は部屋とは違う方に向かう。もういないかも。それでも。


「……ルーメン」


 大聖堂の扉に鍵をかける銀髪の青年に、フォルティスは囁くようにして声を掛けた。顔を上げたルーメンは少し呆れたような表情で彼を見た。


「フォルティス。もうこちらも片付けは終わりましたよ? 何か御用ですか?」


 黙ってルーメンに歩み寄り、フォルティスは彼の顎に手をかけて軽く上向かせた。

 いつも血色のいい顔ではないが、今は更に青褪めて見える気がする。通路の灯りは薄暗くて、確証は持てないが。

 フォルティスはもう少し顔を近づけようとして、背後からの声ではっとした。


「ルーメン。そちらは終わったのか? ……逢引きの邪魔をする気はないが、仕事は片づけて……」

「あい……ち、違います! 彼の、顔い、ろ……」


 慌てて振り向いたフォルティスの口を後ろから手を伸ばしてルーメンは塞いだ。


「ご心配なく。フェエル総主教補佐。今、鍵をかけたところです。お任せしても? 私は今日の主役の彼と少しお話してから戻ります」

「……君は、オルガンの……他はまだ粗削りな感じだったが『神住まう処』は良かった。『奇跡』は多少やりすぎな感も否めないが……まぁ、証拠はないしな」


 こちらも呆れたような瞳でフォルティスからルーメンへと視線を移し、フェエルは片手を差し出した。


「彼と語り合いたいなら、猊下には言い訳が立つ。鍵は預かろう。……ほどほどにしろよ」

「はい。ありがとうございます」


 鍵を受け取ると、フェエルは足早に去っていく。フォルティスは少しぽかんとそれを見送った。


「な、何か誤解してなかったか? なんでそのまま……」

「その方が都合がいいからですよ。まあ、あの様子では薄々感づいているようですが……怖い人なので、あまりうっかりした事を口走らないで下さいね」

「怖い?」

「ええ。見かけによらず。敵に回さない方がいいですよ」


 一神官が総主教補佐を敵に回そうなんて考えるはずもない。そんなことを思っているフォルティスの背中をルーメンはそっと押して促した。


「誤解を生むような態度を取ったのは貴方ですから、解きたいのならご自分でどうぞ。そうした原因の話には予想がつくので、その話は貴方のお部屋でしましょう。フェエルの許可が取れたので気兼ねなくできます」

「総主教補佐とそんなことをゆっくり話せる時間も機会も俺には無いんだが」


 深い溜息を吐き出しながらフォルティスは歩き出した。

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