10.兆候
フェエルに連れられ、本格的に補佐の仕事を傍で見るようになると、ルーメンは彼がいかに広く深く教団内外に影響しているのか分かるようになった。
表に出る訳ではないのに、総主教の名のもと人脈で、あるいは金で細々したことを解決していく。
憂い事は決して彼女の元まで届けない。彼の手の内で消される。
それらに、いつしかルーメンも『
ある時は『加護持ち』の面通しだと、いかにも胡散臭い手もみの男から女性や子供を預かることもあった。フェエルは黙って彼らに金を握らせる。
彼等の中には時々ひどく怯えて、病院に入ったまま帰ってこないものもいた。ルーメンは手が空くと病院に通い、希望者には瞳と声を使って辛い記憶を閉じ込めたりもした。
周りはそれも瞳の力だと思ってくれている。声のことはできればフェエルにも知られたくなかったので、ルーメンはそのことについて説明したことは無い。
そうして復帰した者は彼を崇拝した。彼らの神よりも、もっと深く。
聞き分けのない者を暴き立て、弱みを盾に相手を掌握する。そうやってねじ伏せた事案もいくつかあった。
彼等からの視線は当然のように冷たい。
必然、彼の評判は二極化していく。より憎むもの。より媚びるもの。
「お前は私と同じには出来ないだろう。だが、下地は出来上がりつつある。お前は凛と立っていればいい」
そう言うフェエルは、本当に厄介な案件にはルーメンを同行させることは無かった。そういうものは大抵「もう終わった」と返されるだけ。
時々、フェエルはルーメンに囁く。
――最高峰の方がいいのではないか。
と。
主の教えに従い、同じように生きているはずの神官達の裏の生活を垣間見るたび、ルーメンから元々豊かではなかった表情が消え、いつしか常に微笑みを湛えているようになった。一見すると穏やかになったようにも見える。
そうすることで少なくとも女性からの支持は厚くなったし、
フェエルが視え辛い理由も理解してきたルーメンは、笑んだまま答える。
――それほどの高みに登らなくとも、世の中は見渡せます。
と。
◇ ◆ ◇
「ルーメン」
ルーメンが夜遅くに自室に戻ると、弱々しい呼び声が聞こえてきた気がして総主教の部屋を見やる。
いつでも開け放されている彼女の部屋に続くドアから、侍女が困ったような顔をして覗いていた。
「……お薬を、飲んでいただけなくて……」
頷いて、彼は少しの時間2人きりにしてくれるよう、彼女達を廊下へと促した。
フェエルについて忙しくしているルーメンが、彼女とゆっくり顔を合わせるのは久しぶりだ。ベッドサイドの椅子に彼が腰かけると総主教は少しだけ微笑んだ。
「周りの者を困らせてはいけませんよ。もう寝なくては」
「解っているわ。ねぇ、ルーメン。ずいぶん忙しいのね。すっかりフェエルの仕事ばかり手伝って、ちっとも私の傍にいない」
「している仕事は猊下のお手伝いですよ。フェエルがいかに優秀か肌で感じられます」
彼女は曖昧に笑うと、枕の下から盗聴防止用の魔道具を取り出して作動させた。
それからルーメンの手を取ると自らの頬に当て、ゆっくりと瞼を下ろす。
「……ルーメン。歌って。あなたの声を聞きながら眠りたい」
ルーメンが静かに歌い出すと、閉じられた彼女の瞳に涙が滲んだ。
「ルーメン。秘密よ。私、もう……何も、みえないの」
ルーメンの声が途切れた。
彼の手に触れている総主教の手が小さく震える。
「ルーメン。神に相応しい者が現れたから、私はもう要らないのかしら……」
「そんなことはありません」
濡れた瞳が青褪めたルーメンの顔を見上げる。
「みえなくとも、総主教は猊下おひとりです。私がずっと支えますので、なんの心配もございません」
「本当に? ずっと? 最近のあなたはどんどんフェエルに似てきて……口先ばかり上手い彼を見習わないでね?」
「それほど器用でないことは、猊下が一番ご存じのはずでは」
ふふ、と小さく笑って彼女はもう一度目を閉じた。
「ねえ、ルーメン。私が総主教でなくなっても、あなたは傍にいてくれるかしら……答えないでね。答えはいらないの。……歌って。お願い」
彼女が眠ると、ルーメンは魔道具を止めて元のように彼女の枕の下に戻した。彼女の涙の痕を拭い、微笑みの仮面を被る。廊下の侍女たちに後を引き継ぐと、自室に戻り、誰にも聞こえぬよう静かに息を吐き出した。
ルーメンは一晩中考える。『予見』を補えるものはないか。自分が見えるのは現在まで。その先を知ろうとすることが主に与えられた役割を越えるものだとしても、すでにその存在を懐疑的に見ているルーメンにはそれほど問題ではなかった。
「猊下が眠れないと駄々を捏ねたんだって?」
昨夜のことをフェエルにどう報告しようか迷っていたルーメンに、彼は先んじて声を掛けてきた。
「駄々を捏ねたと言うほどでは……」
「ルーメンと話すまでは眠らないと、薬を拒否したと」
「少し話して、すぐお休みになられましたよ」
年に1度の降臨祭の後、総主教はその年の当番教会へ顔を出し、聖杯で受けた聖水を分けて回る。昔は全教会を回っていたようだが、現在は数が多いので年ごとに何ヶ所かの当番教会を決めていた。今年は砂漠の小国にも教団の臨時出張所が出来たので、視察も兼ねてそこにも行くことになっている。
今日は当番教会のひとつに視察に出向いていた。
並んで歩いているルーメンの銀の髪が、自然の風ではない空気の流れに揺らいだ。
「何か打ち明けられたり?」
ルーメンは動揺を悟られないように、あえてゆっくりと彼を見る。
「何か、とは」
「やれやれ。そういうところばかり上手くなっていくな。『予見』が出来なくなったと、相談されたのでな。お前にも、と思ったのだが」
「フェエルは何と」
「『大した問題ではない』と。お前は?」
「『私が支えますので、ご心配いりません』と」
フェエルは何度か肯いた。
「それならば、大丈夫だろう。砂の国の視察もいい気分転換になるはずだ。お前を連れ歩くようになってから、彼女は俺に懐疑的というか……嫉妬されているようでな。あまり言うことを聞いてくれん」
珍しく冗談のような事を言って、フェエルは喉の奥で笑った。
「お前を鍛えんと彼女をトップに据えておくのは難しいというのに……損な役回りだ」
「……難しいのですか?」
「ああ……口が滑った。まぁ、すぐ分かることだが、アスピス・シグニフィカを知ってるか?」
「……いいえ」
「20を少し過ぎたくらいの瞳の色が左右で違う若僧だが、彼が『予見』ができると一部で噂になってる。本当に『予見』なのか、それに見せかけてるだけかは知らんが……猊下も最近は『予見』をされていない。どういうことが起こるか、分かるか?」
口が滑ったなどと、どの口で言うのか。ルーメンは溜息まじりに答えた。
「……総主教の代替わりだと主張する人間が出てきますね。恐らく、私たちを快く思わない方たちから」
「向こうもまだ様子見だろうが、猊下が本当に『予見』が出来なくなってるのであれば、こちらは不利だ。だが、猊下の隣でお前が『神眼』を光らせていたらどうだろう」
ルーメンは想像する。力の無くなった総主教の隣に、何もかもを見通す神の眼が寄り添うところを。
「神はお前を遣わす代わりに彼女の加護を引き取っていったのじゃないか。そう、主張できる。そういうことだ」
かちりと彼の手の中で魔道具が音を立て、風が止んだ。
「さあ、猊下を支えるのが我々の仕事だ。しっかり働いてくれ」
足を速めるフェエルの背中を追いながら、ルーメンは何か見えやしないかと、その背中を目を凝らして見つめ続けた。
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