25.審問

 久しぶりに出た外は眩しかった。くらりとして目を瞑るルーメンの腕をフォルティスが支える。


「出られるのなら、少しは運動しろ! 元々白かったが、青みが増してるじゃないか。陽に当たれ、陽に!」

「そうですね。外出する度に誰かに迷惑をかけるようではいけませんね。こんなに自分の時間があったことがなかったので、本や資料を読み込めるのが楽しくて……」


 フォルティスは渋い顔をしたまま、少し離れてついてくる人物に視線を流す。


「何をそんなに疑われることになってるんだ?」


 彼は魔道具を取り出そうとしたが、ルーメンがその手をやんわりと止めた。


「隠すことなど無いのです。そのまま何でもお聞きください。私が無傷でただひとり生き残ったので、疑われるのも仕方がないのです」

「……お前が、総主教と総主教補佐を手に掛けたと?」

「それと、襲撃してきた当人ですね。見方によっては犯人を引き入れて口封じをしたとも取れる状況ですので」

「お前はそんなことなどしない」


 ルーメンの腕に添えられたままのフォルティスの手に力が篭った。


「ふふ。疑わないのは貴方くらいですよ」

「その当人は誰が……」

「フェエルが返り討ちに。鮮やか過ぎて驚きました。彼は……彼も、辛い道を歩いてきたのでしょう」

「ん? 返り討ちにしたのに、では何故……?」

「直前に私を庇ってナイフを左胸に受けていたのですよ。私の陰にいた猊下を庇ったのかもしれませんが。私は猊下の血を止めようとしていて動けなかったのです」


 フォルティスは凄惨な現場を想像して黙り込んだ。

 新緑の映りこむ湖の畔で足を止める。吹き抜けた風がルーメンの銀の髪を舞い上がらせた。


「理由は……彼がそんなことをした理由は分かって……」

「……恐らく。身勝手な理由ですよ。審問会で明らかになるでしょうからお教えしてもよろしいのですが……」


 流石に、それは多くの耳のある場では話せない。フォルティスも意を汲んでその先は聞かなかった。


「終わったら、聞かせてほしい」


 ルーメンは小さく頷いた。


「……ところで、あれから何日くらい経ちましたか? 審問会までどのくらいか計算するのをうっかり忘れていまして。決まれば知らせてくれるとは思っているのですが」

「……事件からは12日。日の感覚もなくなるようなとこなのか」


 眉をひそめながら律儀に教えてくれるフォルティスに、ルーメンは小さく笑う。


「祈りと本だけで暮らしていたら、つい。食事は勝手に届きますし」

「あの環境を快適だと言うようでは、そこに入れている意味もないな」


 呆れ声のフォルティスは、次の瞬間声を潜めた。


「食えるようになった、ということは、食えなかったのか?」


 ちらりとフォルティスを見上げて、ルーメンはすぐに湖面に視線を落とす。


「情けないことに。気付かれないようにはしていたつもりだったのですが……そんな様子でしたから、よけい疑われるのでしょうね」


 何が、と言いかけて、結局それは音にならなかった。それは聞いても答えない気がした。そこまで踏み込むには2人の距離は少し遠い。ルーメンはフォルティスのことを友とさえ思っていないに違いない。

 親のような2人を目の前で失ってショックだろうに、隔離されたような環境の方が落ち着いて食欲も戻るだなんて、確かに周りには奇異に映るだろう。けれどルーメンはやったのならやったと言う。何故か、そういう確信がフォルティスにはあった。


 元々細い肩がもっと小さく見えて、目の前の湖に消えていきそうで思わずフォルティスはその腕を掴んだ。驚いたルーメンが振り向く。そのまま引き寄せて抱き締めてしまってから、彼は言い訳を考え始めた。


「……フォルティス?」

「あ、いや、違うんだ。その……」


 普段使わない頭をフル回転させる。


「勘違いされますよ? それとも、ご無沙汰過ぎて男でも良くなりましたか?」

「いや、だから、そうじゃなくて……お、お前が、湖に身を沈めるんじゃないかと……」


 結局、半分本心だった。心とかけ離れたことを言っても、ルーメンにはすぐばれる。

 ルーメンは喉の奥で笑いながら、フォルティスの太い腕を抜け出した。


「自ら命を絶つことは教義で禁止されています。残念ながら、私には選べない選択ですね。ご安心を」

「そ、そうか。そうだな。す、すまん」

「……でも、そうですね。泳いでいて溺れたというのなら、不可抗力でしょうかね」


 おとがいに手を当てて、少し上を向きながら吐かれる科白に、フォルティスはもう一度その手を掴んだ。ふふ、とルーメンは口元だけで笑う。


「冗談ですよ。怖い顔をなさらないで下さい」

「冗談に聞こえんっ」


 彼をこの世に確実に繋ぎとめておけるものはないのか。自分では心もとない。おそらく彼が平静に見えるのは、全てを投げやりに見ているからだ。己の命も大事なものに入っていない。それが感じられて、繋ぎとめたくて手が出た。

 だが、フォルティスはそれを上手く伝える術を知らなかった。もどかしいままに、そういう想いこそ視てくれればいいのにと思う。

 小さな教会はそう空けてもいられない。後ろ髪引かれる思いで帰路につくフォルティスは、馬車の中でただ主に祈るのみだった。


 審問会はそれから3日後、緊急に開かれた。



 ◇ ◆ ◇



 各地から集まった大主教位を持つ者達が壇上に並んで座っている。真ん中の総主教の席は空席だった。

 今まで壇上からしか見たことの無かった景色を見上げて、ルーメンは綺麗なものだなと見当違いのことを考えていた。壇上に並ぶお歴々の背後には巨大なステンドグラスがあって、差し込む光を色とりどりに染めている。


 自分の証言を一通り終えると、怪我を負った侍女――襲撃者の元恋人――が証言に立つ。彼女の証言とルーメンの証言を合わせても何ら矛盾はなかった。彼の凶行は明白だ。もしも、ルーメンが彼の首を切ったのだとして、それを責められる謂れもないはずだった。

 ルーメンは聞かれたことには嘘偽りなく答えた。なんなら『見識』に覗かれてもいいとウィオレには言ってある。右眼がまずいなら、左眼だけでどうぞ、とも。


 糾弾される者が不在のまま、動機の話に及ぶ。事前に関係者から話を聞いているはずのウィオレ大主教は、1度呼吸を整えてルーメンを見やった。


「検死の結果、死因は失血死。胸を刺されていました。……ですが……彼女は妊娠していましたね? それを知って、密かに猊下に想いを寄せていた彼はそれが許せなかった。穢されたはずなのに幸せそうにしていたことも。身勝手ではあるが、解らなくもない。しかし……どういうことです?」


 会場がどよめいた。それほど人数は多くないというのに。中には思わず立ち上がる者もいた。


「どう、とは」

「総主教が子を宿しているなど、その時点でその立場を無くしている。審問にかけて次の総主教を選出しなければいけない。そうしておけば、そもそもこんなことには……!」


 ウィオレの少々感情的な言葉に、ルーメンは冷たい笑みを乗せただけだった。


「私が聞いたのは、彼女は『神の子』を宿したのだと」


 ざわめきと、困惑。きょとんとしたウィオレは、すぐにその眉間にまた皺を寄せた。


「ふざけるな」

「ふざけてなど。確かに彼女からそう聞いて、体調が思わしくないので少し安定してからお知らせしようとしていたのです。彼はたまたまそれを知ってしまった」

「誰の子だ」


 あからさまに彼女を侮辱する言葉に、ルーメンはウィオレを睨みつけた。


「わかりません。彼女が神の子だと言うのですから、私達は信じるしかありません。貴方達が引き摺り出したその子は誰かに似ていましたか?」


 ウィオレは隠そうともせず舌打ちをする。似ているも何も、ようやく人の形を取ったかどうかというところだ。


「そんな扱いをするとは、貴方達も罰当たりですね」


 ルーメンは壁際に控えている何人かの中からひとりの男に目を止めると、「どうぞ」と言った。

 意味が解らなかったのだろう。その男は周囲の者共々右に左に目を向けている。


「『見識』をお持ちでしょう? どうぞ、ご覧になって下さい」


 ウィオレの顔が引き攣った。

 普通、こういう場では誰が加護持ちか分からなくする為に、従者や事務員も配置する。それを迷いもせず見抜かれるのは痛かった。

 ルーメンは涼しい顔で逆サイドに並ぶ者達の中から今度は女性に目を止める。


「『看破』もいらっしゃるのでしたら、私の言葉が嘘かどうかお分かりになるでしょう?」

「……もういい。わかった。本人も亡くなっていることだしな。だが、すぐに知らせなかったことは重い。貴方の大主教位は無かったことにする」


 『神眼』の恐ろしさを肌で感じて無意識に腕をさすりながらウィオレは引いた。


「構いません」

「後任の総主教には『アスピス・シグニフィカ』を推します。『予見』ではないが『予兆』という加護を持っております。紋を入れて相互に作用を深めれば、総主教に充分相応しい。まだ若いがその見目も人を惹きつけるものです」


 ルーメンがあっさりと処分を受け入れたからか、他からももう追及は無かった。話は次の総主教を誰にするかに移り、他の大主教も総主教候補をぽつぽつと挙げていく。ルーメンは興味を失くしたようにステンドグラスを見上げていた。

 フェエルが、自分の子だなどと言うから。その可能性が0ではなくなってしまった。最後に彼女に見せた愛情も本物だった。だから、本当にその子が誰の子なのか判らない。知っていたのは彼女だけ。

 フェエルのことだから、審問会これを見越してそんなことを言ったのかもしれない。もう、確かめようもない。

 ただひとつ、ルーメンはどれだけ責められようともフェエルの名を出すことはしないと決めていた。


「…………主教、いいですね?」


 それほど議論することもなく(ウィオレ大主教の根回しが効いていたのだろう)次の総主教は決まり、ぼんやりしていたルーメンは呼ばれて現実に戻される。


「ルーメン主教? 降格という形にはなりますが、主教位は残すということでいいですね?」


 渋い顔のウィオレに、ルーメンはぱちぱちと瞬いてみせた。


「主教位を、いただけるのですか?」

「どう取り繕っても貴方が総主教付きとして傍でそのサポートをしてきたのは皆知っている事実。総主教補佐も失われた今、貴方に助力を請わねばやっていけないこともあるでしょう。それには一神官では都合が悪い」

「……では、ありがたく」


 ルーメンが深く頭を下げると、閉会の言葉が響き渡った。

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