18.砂漠の国

 国内の当番教会を無事に回り終え、一行は慌ただしく隣国に向かう準備を整えていた。

 冷たく澄んだ青色の空を見上げていたルーメンに、総主教が歩み寄る。


「どうしました? 昼間でも見える星があるのですか?」

「……無いこともございませんが……知り合いが主教として旅立つと言っていたので、もう出発したのかと」

「オルガンの……!」


 ぱっと、少女のような笑みを浮かべて、総主教はもう1歩ルーメンに近付いた。


「……何故、お分かりに……」

「フェエルが言ってました。あなたが気にする『知り合い』など他にいないではないですか」

「そんなことは……」


 無いとは言えないことに気付いて、ルーメンはもう1度空を見上げた。


「ですが、あなたが気に掛けるのも解ります。『神住まう処』は素晴らしかったですもの。その場に天使が降りてくるのが見えるようでした」

「猊下もそう思われたのでしたら、彼はきっと大丈夫ですね」

「ええ。きっとそのうち大きな教会に移されることでしょう。フェリカウダのパエニンスラにもオルガンを中心とした教会を建てていますから、良質な弾き手は困ることなどありませんよ」


 侍女が準備が整ったと彼女達を呼ぶ。

 ルーメンは総主教をエスコートしながら馬車へと向かった。


「長旅になるのですから、退屈しのぎに彼のお話を聞かせてちょうだい」


 いつもより弾むように歩く彼女は久々の遠出に少々興奮しているようだ。

 彼女にさんざん叱られたフォルティスとの出会いの日の出来事を、ガタゴトと行く豪奢な馬車の中で、ルーメンは少し懐かしく思い返しながら彼女に語って聞かせたのだった。



 ◇ ◆ ◇



 降臨祭の夜の出来事はフォルティスの名を上げただけではなく、ここのところぱっとしなかった総主教の存在感も上昇させていた。

 彼女の祈りがまこと、主に届いているのだと。

 お陰で事務の者を残しただけで、フェエルもルーメンも彼女について行くことが出来る。

 フェエルはそれをもって、あの夜の出来事をルーメンに追及することを止めた。神の起こした奇跡に口を出すのは野暮だと。


 一行の到着した砂漠に入る手前の町で、星を読んでいたルーメンのローブを誰かが引いた。


「何か起きるのかしら」

「猊下は何か視えませんか」


 総主教は困ったように微笑んで、小さく首を振った。


「でしょうね。星にも異変はないようです。猊下自身には……小さなハプニングがあるかもしれませんが」

「個人のことまで分かるのですか?」


 驚いたように星を見上げる総主教に、ルーメンはふふと笑った。


「いえ。そちらはお遊びみたいなものです。産まれた場所と時間で星の運行を割り出して占うのだそうですよ」

「まあ。そうなの。では、ルーメンは?」


 彼は曖昧に微笑んで、また星々へと視線を向ける。


「私は何処で産まれたのかも分かりませんので」


 きゅ、とローブを掴む手に力が篭るのが分かった。


「さ、侍女たちが冷えてしまいます。お戻りください」

「ルーメン」

「気にしておりませんよ。あやふやな占いなど信じる性質ではありませんので」


 くすくすと笑うルーメンの様子にほっとしたのか、総主教は1度だけ振り返って部屋に戻っていった。

 それを見計らったかのようにフェエルがやってくる。


「本当に、何も?」

「いらしたのなら、出てくれば良かったじゃありませんか」

「邪魔をすると猊下に恨まれる」


 肩を竦める様子に、ルーメンは冷たい目を向けた。


「何を、今更」

「で?」

「大局は動かないと思います。ここは星が多いので、普段見えない星が動いているのをどう読めばいいのか……一騒動あったとしても、収まる。ですかね」

「……収まる、ならいいのか。それ程当てにしている訳でもないしな」

「身も蓋もありませんね」

「言ったじゃないか。現実的な事しか見ないと。オルガンの彼といい仲なら、呼び戻そうか?」


 ルーメンの深く吐いた吐息が白く広がった。


「彼とはそういう仲ではありませんよ。彼は奥さんと子供をまだ愛してます。不自然なことをして困らせないで下さい」

「なんだ。あんな場面を見たからてっきり。それで女に興味を示さないのかと」

「誤解です。女性のお相手はしてますよ。特に興味を引かれる方がおられないだけで」

「お前に興味を示す者は多いというのに」

「中身に面白味がないので続く方は少ないですし。どうせ添い遂げられる訳でもないのですから」

「抜け道はあるぞ。そうやって暮らしてるものも多い」

「知っています。私には必要性を感じません」


 フェエルは苦笑した。


「そんなとこまで私に似なくともいいのに。血など1滴たりとも分けてはいないのにな」

「似てますか?」

「若い頃の、私にな。……まあ、どうでもいい話だ。お前も戻れ。体調を崩すわけにはいかん」


 ルーメンの腕をポンと叩いてフェエルは踵を返す。その背に珍しく少しの後悔が見えて、ルーメンはすぐには後を追えなかった。




 フォンスという砂漠の中のオアシス都市は、砂漠の国にとっての物流の要であるらしかった。

 道端を埋め尽くすような露天(といっても地面に敷物を敷いて売り物を並べているだけなのだが)の数々が昼も夜もひしめいている。

 総主教は教会らしくない四角い小さな臨時出張所に向かうまでの間、きょろきょろと落ち着きなく辺りを見渡していた。一緒について歩く者がいなければ、1店ずつ足を止めて珍しい品の数々を眺め尽くしたに違いない。

 フェエルとルーメンに追い立てられるようにして、彼女は仕方なく足を動かしていた。


 出張所で聖水の受け渡しをして小さな祭壇に祈りを捧げ、一通りの行程は終わりを告げる。

 この国に信者は少ないが、商人が行き交う街なので、何かあった時に駆け込めるところがあるのは心強いに違いない。そこから少しずつ浸透していけばいいのだ。

 信者が増えてきたらきちんと教会を建てましょうと、フェエルは穏やかな笑顔でその場を纏めた。


「フェエルは腹の中が顔に出なくて得してますね」

「地味な顔の使い道はそのくらいしかないんだよ。お前はその派手な顔をこの国でも利くようにしとけ」

「……それで、5日も滞在予定なんですか」

「半分は猊下の慰安だ。少し好きにさせるつもりだから、できるだけ目を離すなよ」


 お互い穏やかな微笑みを浮かべながら、ぼそぼそと囁き合う。


「私にはお休みはいただけないので?」

「若いんだから働け」

「年寄りは無茶ばかり言いますね」

「猊下の為だろう?」


 にやりと笑ったフェエルは、すぐに表情を取り繕って出張所の所長となる主教に挨拶しに向かった。

 彼について回るまで、ルーメンでさえ優秀だが地味で真面目な印象しかなかったのだ。周囲が彼をどう見ているかは想像に難くない。だが、それ故に彼は総主教をここまで護ってきたとも言える。自分を最大限に利用することに彼は長けていた。

 ルーメンでは彼と同じようにはできない。けれど、彼から自分を利用することを学ぶことはできる。

 ルーメンは先程からちらちらと視線を寄越している現地スタッフの女性に微笑みかけた。

 一番手っ取り早く情報を入手できる。何を話したか忘れさせることもできる。目的のためならば、誰の相手も苦ではなかった。

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