30.異邦人
結局、屋敷の人間には警戒されたまま、何もできずに3年が過ぎようとしていた。
中央にいた頃よりは、もう少し気さくに信者や村人と交流を持てていたが、どこかお客さん扱いされているのはずっと感じている。
時々定期連絡で(連絡するようなこともないのだが)フォルティスに簡潔な書類を送ると、食べてるのかとか寝ているのかとか、子供を心配するような文面の手紙が添えられて戻ってきたりした。
年に1度くらいは会議でパエニンスラに顔を出さねばいけないのだが、どうにも船が苦手で、ルーメンは最初の年に1度出ただけであとは理由を付けてサボっていた。どうせフォルティスが上手くやるだろうと。
ここではゆったりと自分の時間が持てる。ルーメンは星見も続けていた。
田舎の空はとても澄んでいて、砂漠で見たような数の星が毎晩見えている。資料に記されていないようなものまで見えるので、時々読む星を間違えるほどだった。
自分で書き起こした天空図が溜まっていく。
代わり映えしない星々に安心感を覚えていたある日、唐突に星が瞬いた。
――『来たる』
ルーメンは星見にも『神眼』を併用している。読み間違えはほとんどない。
けれど、星々の教えてくれることはいつも曖昧で、幾重にも意味が取れたりする。
この世にとって大きなこと。何が、来る? しかし、他の結果はいつもと変わらない。世の中に変化はない? では、何故?
ルーメンは望遠鏡から目を離し、降ってきそうな星々を見上げた。
屋敷の若奥様からは律儀に毎年寄付がなされる。それをもってうちのことは詮索するなということらしい。今年もそろそろかなとルーメンが思っていたら、記憶のあやふやな、加護持ちらしい娘を保護したから視てほしいと連絡が来た。
有用な加護なら教団に連絡しなければならないし、仕事が詰まっている訳でもない。ルーメンは屋敷との繋がりも何か変わるかもと、手の空いた時点で彼等を呼んだ。
個人を覗くことは『宣誓』と呼ばれる。大半は犯罪を犯した者を強制的に視るのだが、たまに記憶を失くしたものや上手く話しのできない子供などを視ることもある。嘘はつきませんと誓わせるから、『宣誓』。
大概は聞きたいことを依頼者に書きだしてもらって、それを聞いていく。嘘をつけばすぐにわかる。必要以上のことは視ないとルーメンは決めていたので、今回も事前に質問書を作っていた。
当日。
アトリウムに迎えに出ると、屋敷の面々の中に見たことのない人物が2人いた。
ひとりは嬉しそうに水時計を見上げている少女。もうひとりは必要以上にルーメンを警戒している青年。目立たないように後ろに控えているつもりなのだろうが、その警戒心が逆に彼を目立たせていた。
少女のぎこちない挨拶も、その少し変わって聞こえる言葉も、ほぼ黒に近い茶の髪と目も、彼女が異邦人だと告げていて確かに興味を惹かれる。
屋敷から出たことのない青年が、この数日でそこから出る決心を彼女のためにしたのかと思うと、ルーメンはまた別な興味が湧いてきた。
それだけの魅力とはなんだろう。
彼女はすらすらと文章を読み上げるのに、サインを促すと書けないようだった。読めるのに書けないとは。ルーメンは彼女の手を取り、一緒に彼女の名を記す。『ユエ』というほんの3文字。それを、覚えていないなんて。
彼女の緊張と不安、そして背中の向こうで彼の不快感が感じられた。元のように向かい合って座り、彼に視線を向けると睨まれていた。この程度の接近で不快感を示されるなど、彼は自分より世間知らずなのだなといっそ微笑ましく思った。
盗聴防止の魔道具を発動させ、『宣誓』が始まる。心の枷を外して覗きやすくするのに祝詞を唱えて、初めに加護を確認する。『繋ぐ者』ではないかと事前に言われていたが、それは視えなかった。『青い月』、そう視える。若奥様の話では紋のようなものは何処にもないと。それだけでも不思議な事だったが、ルーメンのように見えないところに……体の内側にある可能性は大きい。
一通りの質問に、少し探りを入れるものを混ぜ込んだ。答えてもらえればもうけもの、くらいの気持ちだった。
何か見たか、との質問に彼女は「青い月」と答えた。
地の底から空いた穴を見上げて、彼女は確かにそこに青い月を見ていた。ルーメンがあの森で見た月と同じものを。
心臓が跳ねる。それは確かにそこにあるのだ。
質問を重ねるにつれ、一瞬、ルーメンの知らないものが見える。中にあの青い月を視たときのような建物が見えて、彼はそれが視えるような質問を探すのに躍起になった。初めて『
大きな船。四角い乗り物。あの日視たものと似たような映像がちらちらと過ぎる。
彼女は何者なのか。記憶があやふやだというのなら、もしかして自分と同じものなのか。彼女を知れば、自分のことも解るのではないか――
あまり長時間そうしているのはまずいと思い始めたとき、彼女が瞬きより長い時間目を閉じた。
誰かを覗いている時にそんなことをされたことがない。
「神官サマの声は……とても素敵ですね。そのお声で、どれだけ信者を増やしてきましたか?」
言い終わると、ゆっくりと目を開け、彼女は不敵に笑った。
ルーメンは動揺する。声で人を操れると、何故分かったのか。信者獲得に使ったことはないが、誰にも知られていないことだった。『神眼』から自ら逃れた者もいない。
それでも次の瞬間には
「確かに、私の声を聴きたいと教会に通う方もいらっしゃいます。ですが、帰依するかどうかは個人にお任せしていますよ」
彼女の額にうっすらと汗が浮かんでいる。彼女も無理をしているはずだ。
「これで終了ですね。お疲れ様でした。どうぞ皆様の元へ。足元に、お気を付けて」
立ち上がり、彼女の横までいくと彼女の足が細かく震えているのが分かった。
気丈に立ち上がったものの、振り返ろうとして彼女は膝から崩れ落ちる。
目の端に屋敷の執事と青年が立ち上がるのが見えた。
抱き留めた彼女はすぐに執事の腕の中に抱きかかえられていった。少しだけ後悔する。彼女をそんな風にしたかった訳ではなかったのに。
どうにか繋がりを持っていたいと思ったものの、上手くはいかない。屋敷の者達は警戒を深めただろう。
彼らの乗った馬車が見えなくなると、ルーメンは目を閉じて長く息を吐き出した。
◇ ◆ ◇
ルーメンが異変を感じ始めたのはその日の夜中だった。
ぐるぐると誰かのとりとめのない思考が頭の片隅に入り込んでくる。良くは解らないが、希望だったり感動だったり……
『腹黒めっ』
罵りの言葉は一際強く、はっきりと響く。
その声に『宣誓』を受けた彼女だと気が付いた。彼女の方から無理に終わらせた影響が出ているのだろうか。初めてのことでルーメンも戸惑っていた。
ともかく様子を見ることにして、普段の生活を続ける。
朝の礼拝の折に前触れもなく『人でなし』とか『エロ神官』とか聞こえてくるのは、さすがに彼も少し堪えていた。
基本的にそういうのが聞こえるのは彼女の意識がある時のようで、夜中は比較的静かだったものの、夢の断片なのか、ひどく落ち込んでいる気配が伝わることもある。ベッドの中で無意識に伸ばした手に、自分が彼女を慰めようとしているのだと解って、ルーメンは居たたまれない気持ちになった。
これほど否定されている自分に彼女は慰められたくはないだろう。
おかしな形ではあったが、彼女と繋がっているということにルーメンは喜びも感じていた。こちらのことはどうやら伝わっていないようだが、このままいれば彼女の秘密も分かるかもしれない。そんな風に少し楽観的になりすぎていた。
日が過ぎるにしたがって、彼女の声も弱くなっていく。影響が薄れてきたのだなと解釈していたが、たまたまアトリウムで屋敷の使用人らしき者が雑談しているのを耳に止めて心臓が止まりそうになった。
――1度は目を覚ましたんだけど、もう、4日目でね。熱が下がる気配はないし、眠ってる時間の方が多いし……原因もさっぱり。医師の心得のある奥様でも分からないっていうんだから、そう長くは……
熱を出して寝込んでいる? 体調不良? それで、声が弱まっている?
驚く使用人に構わず、無理矢理訪問の約束を取り付けさせる。あれが原因なら、もう1度繋がってきちんと終わらせてやらなければいけない。あちらだってなんとなく分かっているんだろうに、知らせてもこない徹底ぶりにルーメンは苛立った。
目の前で倒れられているのに、罵りの言葉に元気だと思い込んでいた自分にも、腹が立つ。
訪問を許されたのは次の日の午後。ルーメンは耳の長い愛らしい動物の縫いぐるみを土産に用意して、丘の上の屋敷に向かった。
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