28.転機
実際に手伝いを始めて気が付いたのは、皆が思った以上にルーメンの位階を気にしていたということだった。それを笠に着たことはなかったはずなのだが、主教になって立場は同じだというのに妙に気を使われる。
少し目が合うと、あからさまに目を逸らす者、怯える者までいて『神眼』の影響の強さをここにきてようやく実感していた。
結果、一つ所に長く続かず、短いスパンであちらからこちらへと教会を変える事になっている。
フォルティスはうちに来いと言ってくれていたが、ルーメンはできるならそれは避けたかった。彼となら上手くやっていけるかもしれない。でも、それで彼に理不尽な迷惑をかけることになるのは本意ではない。
誰にでも裏表なく接する彼には友人も多いし、そこに入り込むのは無理だと自分でも感じている。きっと、今くらいの距離感が丁度いいのだ。
そうやって半年ほどふらふらとして、ある田舎の教会に世話になっている時に、ルーメンはひとりの冒険者からレモーラという村に誘われた。たまたま通りがかって人攫いの一団を潰してしまったという彼は、そこで慰み者にされていたという女性をルーメンに押し付けて去っていった。
癒しが使える彼女だったが、心が壊れかけていた。本人の同意の元、記憶を閉じ込めて教団で保護することにする。中央に戻り、彼女の様子を見守りながら、ルーメンもレモーラのことを調べることにした。
帝国の南東、海に突き出た釣り針型の半島の付け根に大きな火山がある。隔離された環境が昔の犯罪者の流刑地になっていて、それ故に監獄半島と呼ばれていた。隣国フェリカウダの1領地で、港町ポルトゥスに教会がひとつあるだけ。そこよりさらに奥、火山を背にレモーラ村はある。
彼が言っていたように、レモーラには温泉以外に見る物もない。が、調べていくとそこにも青い月の伝説があるようだった。古い話でかなりあやふやだが、風変わりな巫女がいたという。
――んでも、彼女はあんたについて行くと言った。その辺の責任はちゃんと取るんだろうな。
――どういう意味です?
――教団に丸投げすんなってこった。彼女は教団に帰依したかった訳じゃない。あんた個人について行くと言ったんだ。
――レモーラに行く気になったなら、丘の上の屋敷の住人を陰から守ってやってくれ。仲良くなれるなら、なってもいい。だが、一筋縄ではいかんぞ。あの家には秘密がある。どうだ? やることが明確なら、動きやすいだろう?
冒険者に言われた2つのこと。ルーメンは今更何かに導かれているのかと錯覚しそうになっていた。
心を決める。
ウィオレのいない時を見計らって、アスピスに直談判した。
「……監獄半島の、レモーラ村?」
「はい。何もないところなので、観光の目玉になるような物を教会に併設させたいのです」
アスピスも彼がウィオレのいない時を狙ってきた理由は薄々解っているのだろう。隣国の聞いたこともない田舎の村に教会をひとつ建てろ、とは結構な無茶振りだった。
「ウィオレ総主教補佐には「パエニンスラに大聖堂を建てているのだから、もう少しフェリカウダに勢力を伸ばしましょう」とでも言っておいて下さい。私が田舎に引っ込むことに文句は言わないと思います」
「……私は中央に残ってほしい」
「猊下が総主教補佐を説得できるようになりましたら、またお声かけください。その時には考えましょう」
アスピスは渋面を作る。
「……いつになるか」
「猊下の努力次第では?」
「努力で何とかなるものと、そうでないものがあるっ」
「……そうですね」
うっすらと笑うルーメンを見て、アスピスは深い溜息をついた。
「……わかった。希望通りにしよう。私も少し出来るところを見せなければ、貴方はいつまでも戻ってきそうにない。何を併設させる?」
「そうですね……水が豊富で温泉もある……噴水は港町にありますから、からくりのような水時計とか、いいかもしれませんね。港町からは馬車で鐘2つほど。少しは人が来るでしょう」
アスピスは頷いた。
「ひとり、希望を聞いてからですが連れて行きたい者がおります。彼女が独り立ちできるまで1年ほど。その間にお願いします」
「では、その1年はできるだけ手伝っていただきますからね。こうしてウィオレのいない隙をつけるのですから、出来ないことはないですよね!」
「……大っぴらには、無理ですよ? 彼だって監視の目を置いてるはずです」
「そのくらいは、なんとかしてみせますっ」
総主教らしい風格が出てきたかと思っていたが、話しているうちに素に戻ってしまうアスピスに、ルーメンは仕方なく頷いて、そっと息を吐き出した。
◇ ◆ ◇
その年の降臨祭、フォルティスは去年に続いて奏者を任されていた。『奇跡』こそ起きなかったものの、硬さが取れ、より柔らかくなった音にルーメンも惜しみなく拍手を捧げる。
本人に会う気はなかったのだが、細々とした裏方の手伝いをしていたので、ウィオレ総主教補佐に報告に足を運んだ先で鉢合わせた。視線だけでお互いに挨拶し合って総主教補佐に向き合う。
「お話のところ失礼します。講堂の方の片付けと人員の退出確認いたしました。私もこのまま下がらせてもらいます」
「了解した。……なんだ。知り合いだったか?」
ちょっと考えて、ウィオレはあぁ、と漏らした。
「昨年、代理を見つけてきたのは貴方でしたか」
「えぇ。まぁ。今年も、良い演奏でしたね」
フォルティスに愛想笑いを向けると、ルーメンは2人に一礼して部屋を出た。
建物も出て寮に向かう。キンと冷えた空気に彼は少しだけ首を竦めた。雪は降っていないものの曇っていて月も星も見えない。足元に視線を落としながら歩いていくと、寮の手前で別の足音が追いついてきた。
「……ルーメン!」
彼が構わずに足を進めると、程無く肩を掴まれた。
「おま、えは……相変わらず! 聞こえているだろう?」
「お疲れ様でした。今日は泊まりですか?」
「来いと言っても来ないし、聞こえないふりはするし! ああ! 泊まりだ! 覚悟しろ!」
「……何の覚悟ですか」
訝しげな顔をしたルーメンを、にっと笑ってフォルティスは担ぎ上げた。
「……ちょ……! 何を!」
「さすがに今回は休みだろう? 付き合え」
「担ぎ上げる必要はないでしょう?! 下ろして……」
「もう不敬でもなんでもないからな。これが一番逃げられない」
「……逃げませんよ」
「呼んでるのに無視するからだ」
諦めて黙り込んだルーメンを担いだまま、フォルティスはゲスト用の滞在個室へと足を進めた。
ベッドと机くらいしかない簡素な部屋だ。中に入ってからルーメンはようやく下ろされる。
「強引ですね。誰かに見られていたらどうするのです」
「見られて困るようなことはしてないだろう? 聞かれたら答えてやればいい。俺はお前と飲みたかったんだ」
フォルティスは荷物から麦の蒸留酒の瓶を出すと、それを床に置いて自分も座り込んだ。
「お前はベッドに座ってもいいぞ」
「……いえ、床で大丈夫です」
ルーメンが彼の向かい側に座り込む間に、フォルティスは手早く封を開け木製のカップに酒を注いでいた。
ほいと渡されたカップを受け取ると、「乾杯」と声を上げてさっさと1杯空けてしまう。ルーメンは少し呆れて、それでも一口、口をつけた。
「おひとりでも楽しく飲めそうですね」
「そんなことはない。ひとりだと、湿っぽくなる」
彼の瞳にまだ奥さんと娘さんが映っているのを見て取って、ルーメンは謝罪の言葉を口に乗せた。
「気にするな。それは、こっちの事情だ。それより」
すでに3杯目の酒を注ぎながらフォルティスは少し表情を引き締めた。
「年が明けたら、大主教の位階を賜ることになった」
ルーメンは下げていた視線を思わず上げる。
「本当に? それは、おめでとうございます」
「大主教は随分入れ替わるみたいだ。引退させられる者もいるようだし……正直、ぴんと来ない。お前の口添えとか……」
「ありませんよ。私が口を出しても、今の上は聞かないでしょうし」
「……ウィオレ総主教補佐と合わないというのは分かるが……そうか。ますます解らんな」
「配属はどちらに?」
「パエニンスラ大聖堂」
ああ、とルーメンは表情を崩した。
「それは、多分、昨年の降臨祭以降上がっていた話だったのですよ。パエニンスラではオルガンを目玉にと建てていましたから。新しいところでは比較的自由に出来ますよ? 気負いも少なくて良いのでは」
「そう、なのか?」
「ええ。よかったですね」
酒を飲むペースを弱めて、フォルティスは少しほっとした顔をした。
ルーメンも、こうやって何かと自分に絡んでくる彼が色の付いた目で見られていなくてほっとする。
「それで……もし、よかったら……お前も来ないか? 大きいところだし、他にも主教何人かに来てもらうことになる。俺よりはそういうのに慣れてるお前がいてくれれば……」
「すみません」
きっぱりとした否定の響きに、フォルティスは唇を噛んだ。
「俺と、一緒は嫌か」
「いいえ。1年後、配属が決まっているのです」
「え?」
「この1年は違うことをしたいので、それには
フォルティスは意外だという顔をしてルーメンを凝視していた。
ルーメンはふふと笑って、酒に口をつける。
「それに、形は違いますがお世話にはなりますよ。パエニンスラに配属なら、フェリカウダの取り纏めは貴方になるのでしょう? 私が行くのはパエニンスラ領のレモーラという村です」
「レモーラ?」
聞いたことのない名前にフォルティスは首を傾げる。
「監獄半島のポルトゥスから鐘2つ分くらい奥地です」
「そんな所に教会が?」
「建ててもらってます」
「は?」
「温泉のある、長閑なところらしいですよ」
くすくすと笑うルーメンにフォルティスは呆気にとられるしかなかった。
「どうして、急に」
「少し、縁がありまして。しばらくのんびりしようと思います」
「のんびりする前に、無茶してるんじゃないだろうな」
「この1年猊下の無茶振りを受け入れることで飲んでもらいました。ウィオレ総主教補佐の目もあるのでそう大変ではないと思います」
まったく……とフォルティスはカップの中をまた空ける。
「お前には驚かされてばかりだ。ただの世間知らずの加護持ちかと思えば、大主教位持ちの総主教付きだったり、殺人犯にされかけていたり……死にかけてたり!」
「……どれも、私が望んだ訳では……」
「知ってる!」
「フォルティス、酔ってますか?」
「酔いたいのに、酔えん。そこには行かされるんじゃないんだな?」
「えぇ。私がお願いしました」
「じゃあ、まあ、いい。連絡くらい、ちゃんとしてくれればな」
乱暴に次の酒を注ぐフォルティスにルーメンは不思議そうに首を傾げた。
「業務上の連絡は怠ったことはございませんが」
「……あっ」
「あ」
フォルティスが思わず顔を上げたため、カップから酒が溢れ出す。慌てて彼はタオルを取りに立ち上がって、溜息をつくと少しだけ肩を落とした。
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※冒険者と助け出した女性(マーテル)の話は「蒼き月夜に来たる 69.閑話:名も無き村にて」(https://kakuyomu.jp/works/1177354054885672352/episodes/1177354054886127026)にてルーメン視点で詳しく書いています。気になった方はそちらもどうぞ。
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