69.閑話:名も無き村にて

 その街の衛兵が教会にやってきたのは、陽も中天を過ぎ、主教が何方どなたかの懺悔を拝聴している時分でした。


 あちこちの教会を転々として気紛れにお手伝いなどしていましたが、元大主教の位階を持っていた私にどう接すれば良いのかと、持て余されるのが常でありました。

 加えて『神眼』などと呼ばれる加護持ちでもあります。人に緊張感を与えるらしいこの瞳も、どうやら交流の妨げになっているようです。


 そんなことも最近ようやく解ってきたところなのです。

 総主教付きという特殊な役に就いていたため、私は世間とはかなりズレているのだと認識するのに、ずいぶん時間が掛かりました。


「あの……主教様は……」


 この方とお会いするのは初めてですね。見慣れない神官の姿に戸惑っているようです。

 私も主教ではあるのですが、彼が言っているのはそういうことではないのでしょう。


「今、懺悔室なのです。よろしければ私がお伺いしますよ?」

「はあ……」


 言ったものの、まだ迷っているようでそわそわと奥を覗き込んだりしています。やがて諦めたようにおずおずと話し始めました。


「ここから南西に少し行ったところに小さな集落があるのですが、どうもそちらで教会関係者を呼んでくれと言われたようなのです。そう言った者もその集落の者ではないようで、何だか良く分からないのですが……」

「そうですか。私は手が空いてますし、案内して頂けるのでしたら行っても宜しいですよ? 申し訳ないのですが土地勘が無いもので……」

「あ、歩きになってしまうのですが……半刻程……」


 私はそんなに偉そうに見えるのでしょうか? やけに恐縮して馬車は通れない道なのだと説明しています。


「問題ないですよ? 一筆残していきますので、少々お待ち下さい」


 主教に南西の集落に向かう旨を書き残し、衛兵について街を出ます。

 この街自体もそれ程大きい街ではありません。教会1つで揺りかごから墓場までを担っているのです。


 更に南西へと向かう道は、もう獣道と呼んでも差し支えないような道でした。とても、新鮮です。

 時折飛び出してくるイムゼ大ねずみ等の害獣を軽くいなしながら、彼は頻りに恐縮していました。

 もっと堂々と誇って宜しいのに。その仕事ぶりはとても頼もしくあります。


 集落の入口では大柄な強面の冒険者が1人仁王立ちしていました。どこかで見たことがあるような気もしますが、冒険者は似たような風貌の者も多く、確証が持てません。


「何でこんな処にあんたが居るんだ?」


 ガラガラと大声で、心底不思議そうに彼は私を指差しました。


「何処かでお会いしていますか? すみません。記憶に無いのですが」

「あぁ、あんたは知らないだろうよ。こっちが勝手に何度か見かけただけだ。ま、別に誰でもかまやぁしねぇ。ちぃっとやり過ぎたから、目を瞑ってもらえると嬉しいがな」


 にやりと笑って、彼は踵を返します。


「衛兵の兄さんも来てくれたんなら、ちょっとそっちの動かない奴らを見たことねぇか確認してくれや」

「え? 動かない?」


 その冒険者の指差す先にはバタバタと倒れている数人の男達がおりました。

 衛兵の彼は一番近い者に近寄ると、顔を覗き込んでから脈を確認していました。見てる間に顔が青褪めていきます。


「あの、これは……」

「どうも、組織的な人攫いみたいでな。わしも気付いたのは偶然だったんで、詳しくは分からん。そっちの小屋に喉潰されたり、足を切られたり可哀想な被害者が居るから、医者を世話してやってくれや」


 彼が示した小屋へ行こうと歩を進めると、彼は私の袖を引いて引き止めました。


「あんたはこっちだ」


 示したのとは別の小屋に案内されると、そこには目隠しと猿轡をされた深い緑の髪の女性がひとり、震えていました。とても、珍しい髪色です。

 あちこち汚れ、擦り傷もあり、足は裸足でした。両手は自由になっていますが、それを持ち上げて目隠しや猿轡を外す力も、立ち上がる気力も無いようです。


「何故拘束を解いてあげないのですか?」

「わしが解いたら犯人と間違われかねん。一応、助けたのだと伝えてはあるが、意味が飲み込めたのかは判らん」


 確かに容姿だけ見れば、山賊や破落戸ならずものに間違われてもおかしくはありませんね。よく見れば返り血も浴びていて、気の弱い女性なら卒倒しかねません。


「あとな、その娘さん癒しを使えるぞ。だから他の者とは別扱いだったようだ。ただ、慰み者にされてたようで、心が壊れかかっとる。こういうのを救ってやるのが、あんた達の仕事だろう?」


 誰もが無意識に避ける私の瞳を、しっかりと正面から見据えて彼は言いました。そこに畏怖も忌避も躊躇いも見えません。


「……私を見ても大丈夫なのですか?」

「あん? 威圧でもしてんのか? にしちゃ、迫力ねぇぞ。昨日会った魔熊まゆうの方がいい眼飛ばしてきてたわ」


 熊と比べられたこともありませんが、この人の基準が色々おかしいというのは分かりました。


「いえ、大丈夫ならいいのです」


 私は女性に歩み寄り、とりあえず猿轡を外しながら、なるべく刺激しないように声を掛けます。

 私の声が効いてくれれば良いのですが。


「怖がらないで下さい。私は神官です。貴女は助けられたのですよ。大変でしたね。もう大丈夫です。目隠しも外していいですか?」


 小さく頷いたのを確認して、ゆっくりと目隠しを外しました。

 どの位ぶりの光りなのでしょう? 眩しそうに目を細めた後、私の顔を見て驚きに見開かれたその瞳は、美しい水色をしていました。


「……天使様……私を、お迎えに……?」


 はらはらと珠のような涙を零しながら、彼女の掠れた声がそう言ったような気がしました。

 もう死にたいと、死んでしまいたいと、自分を連れて行ってくれと、彼女の全身が叫んでいました。

 私は少しだけ困ってしまいます。私が連れて行けるのは、彼女の望む処ではありません。


「私に出来るのは、辛いことを心の奥底に閉じ込める事くらいです。閉じ込めて、忘れて、私と共に来ますか?」

「……はい……はい。天使様と……参ります」

「では、私を見て下さい。私の右眼を。そしてよく聴くのです。私の声を」


 私は彼女の忘れたい記憶を閉じ込め、深く深く眠らせました。

 ひとつ息を吐くと、感心したような声が飛んできて、人が居たのだと思い出しました。なかなかの失態です。


「すげぇな。神官ってのは、皆そんななのか? それとも、そういう加護か?」


 私は曖昧に笑って誤魔化しました。


「んでも、彼女はあんたについて行くと言った。その辺の責任はちゃんと取るんだろうな」

「どういう意味です?」

「教団に丸投げすんなってこった。彼女は教団に帰依したかった訳じゃない。あんた個人について行くと言ったんだ」


 自分の言葉を顧みて、確かに少し言葉足らずだったなとは思いました。


「……しかし、私は今腰を落ち着ける場もありません。彼女にしたって1年程は勉強しなければならないでしょう」

「じゃあ、それが終わってからでいい。……しかし、腰を落ち着ける場もないというのは? 何があったか知らねぇが……行く場所が無いと言うなら、監獄半島に行く気はあるか?」

「ポルトゥスですか?」

「いや。もっと田舎のレモーラだ。温泉くらいしかないが、教会でもできれば少し活気が出るかと思ってな。訳ありも多い土地柄だから変な横槍も少ない。心を休めるにゃあ、良い所だ」

「……心に留めておきます」


 彼の言葉に何の裏も無くて少々面食らいました。私を知っているようなのに、それを利用して知名度を上げようとは思っていないようです。それに、心を休めるなど……彼女には必要かもしれませんが、私に必要でしょうか?


「何だ。気づいてねぇのか?」

「何がです?」


 どきりと高鳴った心臓を見透かされた気持ちになりました。あぁ、皆が感じているのはこういうものかもしれない、と不意に思い当たりました。


「一番休息が必要なのは誰かってことにだよ。全く、あんたを育てた奴は碌でもねぇな。ま、育てるのを面倒くさがって放棄したわしは、もっと碌でもねぇが」


 ガラガラと笑ってから、ふと、何かを思いついたように、にやりと企みを含んだ笑みを彼はその口元に張り付けました。


「レモーラに行く気になったなら、丘の上の屋敷の住人を陰から守ってやってくれ。仲良くなれるなら、なってもいい。だが、一筋縄ではいかんぞ。あの家には秘密がある。どうだ? やることが明確なら、動きやすいだろう?」


 私はこの時、その秘密が私の探しているモノに近付く為のひと欠片だと知りませんでした。恐らく、彼もそんなことは思ってもいなかったでしょう。

 彼が何者かを正確に知ったのは随分後の話で、ともかくその時は深緑の髪の彼女を街まで連れ帰り、身体の休息を取らせねばなりませんでした。


 他の被害者の方の扱いや、死体の処分など、街と集落総出で対応に当たっている間に、いつの間にか彼はふらりと消え、私も彼女を連れて中央に戻りました。

 彼女は私以外の男性には恐怖を覚えるようで、女性ばかりの寄宿舎に入るとほっとしたと手紙をいただきました。


 彼女が正式にシスターと認められ、独り立ち出来るようになると、私は彼女に声を掛けました。

 監獄半島の田舎のレモーラという村に行くつもりだが、一緒に来ますかと。

 その頃にはシスター仲間に私のことを聞いていたのでしょう。私を見る瞳が憧憬ではなく、崇拝に近くなっていました。

 他の神官とはやっていける気がしないと、一も二も無く彼女は頷きました。

 はらはらと珠の様な涙を零しながら――


 彼女が菫色の物に反応するのに気付いたのは、もっと後からでした。本人さえも気付いてないかもしれません。

 押し込めてしまった記憶の中にあるのでしょう。

 子供達と接するようになって、随分と彼女は落ち着きました。男性も子供ならば大丈夫なようです。


 ナランハが神官になって彼女を支えたいと私に教えを請うてきました。請われれば厭いません。

 願わくば、彼が彼女の光たらんことを――




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