第四章 心に最後に残るモノ 5


「いっそ死にたい……」


 あかちゃんは両手で顔をおおかくしながら、そうなげいた。かくれずに身体全体から負のオーラがあふしている。どよんとしたもの。

 穴があったら入りたい、とはこういうときのための言葉だろうか。


 あのあと、とりあえず落ち着くためにぼくあかちゃんは駅近くの公園に移動した。ふたり並んでベンチにこしける。


 すでにとっぷりと日が暮れている公園には、人の気配が全くなかった。公園といっても小さな遊具と木が並んでいるだけのもので、昼間も子供が集まっているかはみようなところだ。


 本当なら飲み物のひとつでも差し入れしたいところだけど、今の彼女は自分でかんを持つことさえできない。このふんの中でぼくが飲ませてあげるのもどうかと思ったので、だまってとなりに座ることにした。


「いや、だれだってちがいはあるし、そんなにへこまなくても」


「そんなの無理に決まってるじゃない! ずかしさで死にそうよ!」


 彼女は両手で顔をかくしたまま、そうさけぶ。そりゃそうだ。あれだけおおさわぎした挙句、すべて自分のかんちがいでしたー、じゃさすがにずかしい。ぼくだって死にたくなる。


「で、でもでもでもでも! あれはきぃくんもちゃんも悪いわよね! 仲良くしすぎなんだもの!」


 おっと、責任てんだ。

 急にあかちゃんが顔を出したと思うと、ぼくを見上げながら声をあらげる。表に出した顔は未だに赤い。


 泣いていたせいで目まで赤くなっているし、明らかにつかれも見えている。ぼろぼろだ。世界一かわいい女の子がぼろぼろになっている。そんなことを言うとおこられそうだ、と思いながら、ぼくは言葉を返した。


「別に仲良くはないけどね……、さっきも説明したけど、くっついていたのははるのせいだし。アイスだってぼくのを勝手に食べられただけだし。ぼくと妹なんて顔そっくりだから、ちゃんと見ればわかるはずなんだけど」



 僕がはんげきすると、見る見るうちにまた顔を赤くして、「そうよ、どうせわたしが悪いんですよ!」と顔をせてしまった。


 さっきからこの調子だ。すっかり意気しようちんしてしまっている。ただまぁ、さっきよりはよっぽどいいんだけど。

 何に対しておこっているのかわからなかった、さっきよりは。


 本当にどうなることかと思ったけど、丸く収まってよかった。いや、丸く収まったどころじゃない。雨降って地固まるというか。おたがいにかかえていたものが解けていったのはよかったと言えるだろう。


「……うん、悪いことばかりじゃなかった」


 ぼくがそうつぶやくと、あかちゃんが顔を上げてぼくの顔色をうかがう。どういうこと? と無言で問いかけられたので、ぼくは言葉を続けた。


「本心を伝えることって大事なんだなって。ぼくたちはおたがいが勝手な思い込みをして、はなれてしまったけれど、最初から胸の内を明かしていればそんなことにはならなかった。それがわかっただけでも、よかったと思うんだ」


 子供のころぼくあかちゃん。


 今のぼくあかちゃん。


 もう少しでぼくたちは子供のころと同じあやまちをおかしそうになったけれど、今度はそんなことにはならなかった。正直に自分の気持ちを言ったからだ。それは本当によかったと思う。かえしにならないで。


「うん……」


 あかちゃんは静かにうなずく。前を向いたまま、とうとうと口を開いた。


「本当のことを言うとね、実はずっとうれしかったの。わたしが〝青春ののろい〟を受けたとき、きぃくんが助けに来てくれて。わたしのことを忘れていなくって。きっとわたししか覚えていないだろうけど、きぃくんは約束を守ってくれたんだなって」


「────」


 約束。


 それはきっと、ぼくがずっと大事にしていた、あかちゃんとした約束のことだろう。ぼくだけじゃなかったんだ。独りよがりだと思っていたぼくの約束は、きちんと彼女の元にも生きていた。


 それはどんなにうれしいことだろう。


「まぁ、そうね。わたしもきぃくんに対して、ちゃんといっしょにいてって言うべきだったのよね、子供のころ。どんどんわたしが可愛かわいくなっていくんだから、そりゃきぃくんもいっしょにいづらいわよねぇ」


 たはは、と照れくさそうにあかちゃんは笑う。じようだんめかしてはいるけれど、ようやく調子がもどってきたらしい。実際その通り。彼女がこれほど可愛かわいくならなければ、ぼくはなれようとはしなかったろう。


「いや本当にその通りだよ。あかちゃん、見るたびに可愛かわいくなっていくんだからさ。今もそう。君が言うように、あかちゃんは世界一かわいい」


 ぼくは彼女がいつも言っているように、その文言を口にした。いつもの彼女ならきっと「当たり前でしょう」と笑い飛ばすか、胸を張るかのどちらかだったにちがいない。


「えっ……」


 でも、今回はなぜかちがった。おどろいたように目を見開く。ぼくの顔を見つめながら、ほおじよじよに赤くなっていくのがわかった。あっという間に真っ赤になってしまう。


 目はせわしなくきょろきょろと動いていたけれど、ぼくが見ていることに気が付くと、ぱっと目をらしてしまった。ぱたぱたと自分の両手で顔をあおぎながら、目をせてしまっている。


 ……どうしたんだろうか。いつものあかちゃんらしくない。


「……ね、きぃくん」


「うん?」


 あかちゃんはぼくから顔をそむけながら、ぽつりとつぶやいた。


「もう、どこへも行かないのよね。いっしょに、いてくれるんだよね。わたしがいてほしい、って言えば」


 そんなことを彼女は言う。確認のためなのか、何か不安になることがあったのか、か細い声でそう言った。どういう意図なのかはわからない。顔が見えないので、彼女がどんな表情で言っているのかもわからない。でも、答えは決まっている。


「もちろん」


 ぼくが短く言うと、顔を上げた。そして、これ以上ないほどのれいな笑みをかべるのだ。


 ──ふたりの男女が心をさらす──


 ──ともに行き ともにき ともに往く──


 ──昔のざんを拾い上げながら──


 ──それは思い出にすべきことではない──


 ──心残りがある限り 決して前には進めないのだから──


 そのときである。


 暗かった公園に、きようれつな光がんできた。目をつぶりたくなるほどのまばゆせんこうあざやかな七色でできたその光は、公園の中心で巻き起こっていた。


 公園のやみをすべてもうとしているかのように、四方八方へらしている。


 光だけではない。かがやきに続くように強風がれている。公園の中心からそれは発生していて、勢い良くぼくたちの方へけていった。


 おどろきとともにがるかんぼくたちはこれを知っている。見たことがある。


 あれは青春ミッションをクリアしたとき、〝青春ミッションボード〟から生まれたものと同じだ。しかし、なぜこのタイミングで現れるのか。


 その疑問に答えるように、光と風の中心にははるが立っていた。彼女自身もとつぷうかみと服をはためかせている。彼女の手には大きな黒い本。〝青春ミッションボード〟だ。


 開かれたページからあふれんばかりの光が発生していて、そこから流されるように文字が空中へとかんでは消えていく。



 やがて、七色の光と強い風はじよじよに勢いを落としていき、最初から存在しなかったように消えていった。あとに残るのは黒い本とぎんぱつの少女。

 彼女はその場にたたずみながら、静かにこう宣言した。


「ミッション、完了です」


「え……?」


 彼女の言葉に、ぼくあかちゃんは顔を見合わせる。ミッション完了、と彼女は言った。しかし、ぼくらはミッションを達成するどころか、その内容すらあくできていないはずだ。


はる、わたしたち、ミッションなんてやってないんだけど……」


「そもそも、どんなミッションかもわかってないんだけど……」


 ぼくたちのまどいの声に、彼女は小さく首をった。


「いえ、見事な青春でした」


 そう短く言う。あとに続く言葉はない。この話はこれっきりだ、と言わんばかりだ。いやまぁ、クリアでいいならクリアの方がいいんだけど……。


「……なんだか、しやくぜんとしないわね」


「本当に」


「クリアだと言っているのに、かない顔はやめてくれませんか」


 あきれながら、彼女はぱたん、と本を閉じる。

 すると、閉じたそばから本がはらはらとくずれていってしまった。桜の花びらに姿を変えながら。その花びらは地面へ辿たどく前に、りゆうのようになって消えていってしまう。


 彼女が〝青春ミッションボード〟を不思議な力で出したりしまったりするところは何度かもくげきしているけれど、そんなふうに消えていくのは初めて見た。まるでしようめつするかのよう。くずっていく姿はそう思わせる。


 そして、どうやらそれはさつかくではなかったようだ。〝青春ミッションボード〟は今確かに、この場から消えていったらしい。


「おめでとうございます。青春ミッションはすべて完了いたしました。やまぶきあかさん。あなたは〝青春ののろい〟から解放されたんです」

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