第一章 とれたて花火と夏祭り 6


 休み明けの月曜日。教室に入って席へつくと、前の席のつばさが声を掛けてきた。彼女はあんパンを頬張っており、左手には牛乳パックが握られている。もごもごもごごくんズズズーっ、としてから僕に指を向けた。


「おお、喜一郎。土曜日の祭り、お前がいなかったから、勝負する相手がいなくてつまんなかったぞ」


 彼女は不平を漏らしてくる。つばさには何度も七夕祭りに誘われたけど、彼女たちと行くことはなかった。しかし、射的や輪投げの僕の体たらくを思うに、つばさといっしょに行っても勝負にならなかっただろう。つばさの圧勝じゃないだろうか。


「あぁ、ごめん、ごめん。どうだった? お祭りは」


 勉強道具を鞄から出しながら、ぎこちなく答える。後ろめたさのせいで上手く口が回らない。


 誘いを断っておきながら、密かに祭りへ行った。そのうえ、めちゃくちゃ遊んでしまった。さすがに合わせる顔がない。


 つばさは僕の葛藤には気付かず、歌うように言った。


「いやぁ、やっぱ祭りはメシがうめーな。屋台がいっぱいあったし、おれは楽しかったぜ。射的もできたし満足だよ。来年も行きてぇな。あ、それよりまた別の祭りに行かねえ?」


 どうやら、七夕祭りには満足してもらえたようだ。別に僕が企画したわけでも誘ったわけでもないのに、ほっとしてしまう。次があるなら僕も行こうかな。


「お、なんだ。また祭りに行くの?」


「あー、青葉。お前ん家の近くの祭り、結構楽しかったぞ。お前も来ればよかったのに」


 つばさの話が聞こえたのか、近くにいたクラスメイトが集まってくる。祭りへ行ったグループだ。その中には秋人の姿もあった。


 グループのひとりが、「何より女子の浴衣がよかった」と強く頷く。確かに、彼らのグループを見かけたときは何人かが浴衣姿だった。それに灯里ちゃんもいた。浴衣姿に興奮してしまうのはよくわかる。


 しかし、その男子が浴衣の話をすると、なぜか周りのクラスメイトが気まずい表情を浮かべる。「おいお前、その話は……」とその男子の背中を叩いた。すると、彼はすぐに「あっ」という顔をする。……なんだ?


「どうしたのさ。何かあったの?」


 僕が尋ねても、彼らは何も言ってくれない。視線を彷徨わせるだけだ。どうやら言いづらい類の話らしい。けれど、つばさがいともあっさりとバラしてしまう。


「灯里が浴衣姿で来たってだけだよ。それを見られなかった喜一郎が可哀想だからっつって黙ってんの」


 つばさがあんパンの残りを口に放り込みながら、ぞんざいに言う。指についたあんこを舐め取っている。すると、その瞬間に男子たちは「言うなよー!」と声を合わせた。


 ……あぁなるほどなるほど。そういうことか。これは彼らのやさしさだ。灯里ちゃんがせっかく浴衣姿で来たのに、それを見られなかった僕に気を遣っている。


 もし、僕が用事か何かで祭りに行けなかったとして、あとで灯里ちゃんが浴衣姿で来たと聞いたら、悔しくてほぞを噛んだだろう。後悔に身を燃やしたかもしれない。それだけの威力と価値がある。


「いや、違うんだ青葉。隠したかったわけじゃないんだ。でも、お前が事実を知ってしまったら無念で仕方がないと思ってだな……」


「……確かにあれは見なければ損だ。山吹さんの浴衣姿って。国宝かよ」


「めちゃくちゃ可愛かったよなー……、いいもの見られたよ、ほんと。寿命伸びたわ」


「間違いなく土曜日が俺の人生のピーク」


 気を遣ってくれていたのだろうが、一度堰を切ると止まらなかった。賞賛の言葉が止めどなく流れていく。それだけよかったのだろう。わかる。……そう、申し訳ないがわかってしまう。


 僕も灯里ちゃんの浴衣姿を見ているからだ。あれは本当によかった。できるなら、僕も立ち上がって「うなじ!」って叫びたいところだ。


 しかし、実は彼女とふたりきりで会っていました、なんて言えるわけがない。


「でも、最後まではいっしょにいてくれなかったんだよなー……。途中で帰っちゃったんだよ。はぐれたとかで」


 ぎくりとする。僕が会っていたのはそのあとだ。

 はぐれた灯里ちゃんと花火をしていた。その前に屋台回りまでした。そのときに、彼らのグループとニアミスしそうになって、強引に隠れたりもしている。正直、かなり後ろめたい。気を遣ってくれているだけに。


 僕が会話に参加せずに存在感を消していると、秋人がスッと近付いてきた。彼は耳元まで顔を近付け、そっと尋ねてくる。


「なぁ喜一郎。土曜日、喜一郎は祭りには来なかったんだよな?」


「へ? え、えぇ、あぁうん。行ってない行ってない」


 まさか、そんなことを訊かれるとは思っていなかったので、挙動不審になってしまった。これでは行ったと言っているようなものだ。いや、さすがにそこまで深読みはできないか?

 そもそも、秋人はなんでそんなことを尋ねるのだろう……。もしかして、気付いている? 思えば、秋人は僕の背中を見ている。あのとき妙なリアクションも取っている……。


 僕が焦りを重ねていると、彼は肩を叩いて、「あぁいや、悪かった。何でもないんだ、気にしないでくれ」と朗らかな笑みを浮かべる。それ以上は何も言ってこなかった。ほっと息を吐く。


 しばらくの間、僕とつばさの席を中心に彼らと話し込んでいた。

 そのときである。思いも寄らぬ方向から爆弾が落とされたのは。


「あ、お話し中ごめんなさい。きぃくん、ちょっといいかしら」


 男子の間から、にゅっと現れたのは灯里ちゃんだった。手刀を切りながらの登場だ。まさか、急に灯里ちゃんが出てくるとは思わなかったから、男子たちは瞬時に固まってしまう。僕も驚く。学校でこんなふうに話し掛けられるなんて、初めてではないだろうか。


「え、灯里ちゃん。どうしたの」


「小春がちょっと話したいことがあるから、廊下に来てくれって。先行ってるわね」


 廊下をちょいちょいと指差すと、灯里ちゃんはさっさと廊下に出て行った。小春の話したいこと……、青春ミッションのことだろうか。


 小春はなぜか僕たちのクラスメイトになっていて、この学校に我が物顔で通っている。うちの制服を着ているのはそういうことらしい。青春ミッションのサポートをするためだ、と言っていた。


 ちょっとごめん、と僕は席を立とうとした。しかし、その前にクラスメイトにぐっと身体を掴まれる。同時に多数から。思い切り引っ張られて、机の上に転がされた。彼らはみんな怖い顔をして、僕を見下ろしている。


「え、ちょ、な、なに?」


「なにじゃねーよ! おいおいおいおい、青葉どうなってんだ! なんださっきのやり取り!」


「や、やり取り……?」


 彼らが興奮している理由がわからない。やり取り? 僕と灯里ちゃんの? いやいや、いくら何でも灯里ちゃんとしゃべっただけでこの扱いはひどくないだろうか。


「とぼけるなよ! なんだあれ! 『灯里ちゃん』? 『きぃくん』? 随分と距離の近い呼び方じゃねーか!」


「あ……」


 うっかりしていた。これは男子たちの興奮も致し方ない。あんなふうに親しげな呼び方をしていれば、そりゃこんな反応にもなる。関係を邪推したくもなる。完全に誤解だけど……。


 どう言えば伝わるだろうか。そもそも、呼び方が昔に戻った理由は僕らにもわからない。気が付いたらこうなっていた。そう説明するしかない。しかし、それで納得するとは思えない。かといって、誤解されたままなのもまずい。


「待て待て。みんな落ち着けよ。あの呼び方は昔からなんだって。俺からすれば懐かしいくらいだ」


 どうやって説明しよう、と身体を揺らされながら考えていると、秋人が口を開いた。男子たちの肩に触れながら、落ち着くように言う。すると、興味の矛先は秋人に向いた。


「昔からの呼び方? どういうことだよ、桐山」


「ふたりは幼馴染なんだよ。一応、俺もだけど。あの頃の呼び方に戻っただけだよな、喜一郎」


 秋人が言った瞬間、周りが「幼馴染!」と声を揃える。……正直、こうやって騒がれるからバラされたくはなかったんだけど。まぁ致し方ない。身体を起こしながら、僕は説明する。


「そうだね。何となく昔の呼び方に戻ってるだけだよ。ただ、みんなが今知ったくらいには、僕と灯里ちゃんって接点ないから。話しているところも見たことないでしょ」


 あまりこんなことは自分で言いたくないけれど。灯里ちゃんと僕は、別に仲がいいわけではない。幼馴染というだけ。高校でも、ほとんどしゃべった記憶がない。


 それはみんなも知っていることだ。顔を見合わせながら、「確かに、青葉と山吹が話しているところって見たことないな」「仲良かったら、俺らがとっくに見てるもんなぁ」と言葉を重ねる。


「でもさ! それでも幼馴染だろ! あんな呼び方されちゃってさ、羨ましいっつーの! 俺たちより大分前に進んでいるっていうか、かなりのラッキーだろ、青葉!」


 ひとりが僕の襟首を掴んで、がくがくと揺すってくる。彼は前に灯里ちゃんにフラれたらしい。不満を言いたくなる気持ちもわかる。


 しかし、そうやって何度も妬まれたことがある僕だからこそ、言える言葉がある。


「……確かに僕はラッキーなのかもしれない。でもさ、自分に置き換えてみてよ。あの灯里ちゃん相手に、幼馴染っていう立場だけでグイグイいける人っている? 今は別に仲良くないし、ほとんどしゃべらないっていう状況で」


 僕が淡々と言うと、彼らはすぐに言い返そうとした。しかし、思い直して考え始める。しばらくシミュレートする。その結果が出ると、みんな揃って渋い顔になっていた。


「……無理だな。幼馴染だから何? って感じ。ほかに武器がないとどうしようもない」


「幼馴染でも、今仲良くないなら意味ねーもんな……」


「俺はもう『山吹と幼馴染だった』っていう過去の栄光にすがるぐらいしか思いつかん」


「というか、あの山吹さんと幼馴染って結構キッツイな。コンプレックスで死にそうになる」


「いや本当。俺もそう思う。青葉よく自害せずに生きてられんな」


「待って、みんなちょっと理解よすぎ。人をコンプレックスで殺そうとしないで」


 さっきまで羨ましそうにしていたじゃないか……。実際コンプレックスはすごいんだから、そこは触れないでほしいんだけど……。まぁでも、わかってもらえてよかった。


「どうでもいいけどよ。喜一郎、小春に呼び出されてんだろ? 行かなくていいのか?」


 つばさに指摘されてはっとする。慌てて立ち上がると、「ごめんちょっと行ってくる」と僕は廊下に出ていく。今度は彼らも何も言わずに見送ってくれた。


 灯里ちゃんと小春は廊下の隅のほうに集まっていた。あまり人が通らないからだろう。しかし、小春が堂々と〝青春ミッションボード〟を持っていたのは驚いた。


「あの、それって人に見られても大丈夫なの?」


「これは普通の人には見えませんから」


 さらりと彼女は言う。小春はぱらぱらとページを捲り、そして、僕たちに見えるように突き出した。


「次の青春ミッションが既に出ています。ご覧になってください」


 小春に言われ、僕と灯里ちゃんはそのページを覗き込む。次は一体何をやらされるんだろうか。その不安を煽るように、書かれた文字が奇妙にも七色に光っていた。


『図書室の奥に座る、髪の長い乙女。彼女こそが文学少女。文学少女が望む理想の出会いを果たし、彼女の物語を完結させろ』


「……んん?」


 灯里ちゃんとふたり揃って眉を顰めてしまう。おそらく、引っ掛かったのは同じ箇所だ。途中まではいい。文学少女を探し出し、彼女と理想の出会いを果たす。この理想の出会い、というのはどんなものか検討しなければならないが、それ以上の疑問点がほかにあった。


「「彼女の物語を完結させろ……?」」


 つい声が揃ってしまった。灯里ちゃんは釈然としない、といった感じで、長い髪を指でイジっている。


「これってどういう意味なのかしらね……? 彼女の物語……、を、完結……?」


「……そこは保留してもいいかもね。まずはこの文学少女って人を探さなきゃ。図書室にいるらしいけど……、灯里ちゃん、心当たりってある?」


 僕の質問に、灯里ちゃんは人差し指を顎に当てる。視線を宙に彷徨わせながら、口を開く。


「そうね。あるといえばある……、けど、確証は持てないわ。ちょっと調べてみるわね。そうね、放課後に図書室で落ち合いましょうか」


「調べる? どうやって?」


 どういう方法を取るかわからないが、僕が手伝えるなら手伝いたい。しかし、なぜか彼女はふふ、と微笑みを浮かべ、胸を張りながら答える。


「こう見えてもわたし、世界一かわいいのよ」


 ……と、全く答えになっていない答えを言った。

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