第一章 とれたて花火と夏祭り 2
たくさんの人が屋台の間を歩いている。がやがやと賑やかな声が聞こえる。楽しい明るい声だ。普段は暗い夜の中を、きらきらとした明かりが照らしていた。そこを僕たちも並んで歩く。浴衣姿の
すると、どうしても周りの視線は彼女に吸い寄せられていった。それもそうだ、世界一かわいい女の子が浴衣姿で歩いているのだから。
そして、自然と隣を歩く僕にも視線がいく。居心地の悪さったらない。男女がふたりでお祭りに来ていたら、カップルかそれに近いものだと思われる。普通の高校生でしかない僕が、灯里ちゃんのような彼女ができるはずないのに。
灯里ちゃんが気を悪くしていたらどうしよう……、と思っていたところだったので、彼女が真面目な顔で「ねぇきぃくん。ちょっとまずいわ」と言い出したときはどうしようかと思った。
「ど、どうしたの?」
「わたし、クラスのみんなには『はぐれちゃったから帰るね』みたいなことを言っちゃったのよ。だっていうのに、きぃくんとふたりで歩いていたら……」
「……それは僕もちょっとまずいな。誘われたのに、祭りには行かないって言ってあるんだ」
この状況は妙な誤解を招きかねない。みんなに嘘を吐いて、ふたりでこそこそ会っているなんて。それに、今から僕たちは花火をしなくちゃならない。ふたりきりでだ。今、この状況を見られてしまえば、それも難しくなるだろう。
どうするべきだろうか、と考えていると、僕はひとつの出店に目が留まった。
「あ。灯里ちゃん、あれ着けてみたらどうかな」
僕が指差したのは、お面を販売している屋台だった。子供向けアニメやマスコットキャラクターなど、様々なお面が並んでいる。あれを着ければいい。
本来は幼い子供が買うものだけど、お祭りなら僕たちが着けていてもそれほど目立たないだろう。
早速僕らはお面を買った。
僕はひょっとこで、灯里ちゃんはきつねのお面。ずっと顔に着けるのはしんどいので、頭の横あたりに固定しておく。知り合いに会いそうなときだけかぶればいい。
しかし、驚くべきは灯里ちゃんのポテンシャルだ。僕がお面を着けても、祭りでテンション上がっちゃった高校生だが、灯里ちゃんは違う。似合う。かわいい。
いや、浴衣の女の子ときつねのお面自体が相性いいのか?
何にせよ、彼女がより可愛くなってしまった……。この人はどこまでいってしまうのか……。
お面を身に着けてから、改めてコンビニへ向かう。人の波に乗っていく。すると突然、服の裾をくいくいと引っ張られた。
見ると、灯里ちゃんが目をきらきらさせながら屋台を指差している。
……輪投げ?
輪投げの屋台。お祭りや縁日では珍しくない店だ。景品に向かって輪を投げて、上手く入ればその景品がもらえるというもの。灯里ちゃんは輪投げがやりたいのだろうか。
と思ったが、どうやら関心は景品の方にあるらしい。
「見て見て、きぃくん。ほら、景品に花火がある!」
楽しそうに景品を指差す灯里ちゃん。そこには、ちょっとした花火セットが置いてあった。ミッションに必要な線香花火も入っている。これを取ろうと言うのだろう。
ふむ。コンビニで花火を買って、それで終わりと言うのは味気ないとは僕も思っていた。
「よし。やろっか、灯里ちゃん!」
「そうこなくっちゃ!」
にわかにテンションが上がり始めた僕たちは、人の良さそうな太った店主に声を掛ける。彼はお金と引き換えにニコニコしながら輪を渡してくれた。
お菓子やちょっとしたおもちゃが手前に並ぶ中、花火セットは高価なものに入るみたいだ。奥に配置してある。景品の下にはござが敷いてあるので、それを踏まない位置から投げるようだ。先に投げるのは灯里ちゃん。「よーし」と浴衣の裾をまくっている。
「えいっ」
掛け声とともに、彼女は輪を投げた。距離が届かなかったり、ほかの景品に弾かれたりしながらも、リズムよく投げていく。そして最後の一投。
彼女は見事に景品に輪をくぐらせた。吸い込まれるような、綺麗な投入だった。
「おお、お嬢ちゃん、上手いねえ。これは目玉商品だよ」
はい、と店主に景品を渡される。バケツの中に、カラフルで様々な道具が入っているアイテム。
……砂場セットだった。子供が公園に持っていくやつだ。この景品の中では高価なのかもしれないが、どうしろと……。
明らかにかさばる砂場セットを持って、灯里ちゃんは立ち尽くす。
「……いや、ほら。遊び終わった花火って水につけなきゃいけないじゃない。バケツ、ちょうどいい」
「……………………」
僕は黙って輪を放る。
大体、灯里ちゃんは力み過ぎなのだ。あんなに力が入った状態で、思った場所に投げられるはずがない。考えてもみてほしい。
輪投げというのは、景品に輪を投げるだけのゲームなのだ。それも、ちょっと投げたら届くほどの距離で。実にイージーだ。力を抜いて、冷静に、淡々と投げる。それでいい。
「お兄ちゃん、上手いねえ。これは人気商品だよ」
「……………………」
手渡されたのは、妙なキャラクターのキーホルダーだった。色んな人気キャラを織り交ぜたような、パチモン臭さが爆発しているキャラクター。これもお祭りあるあるだろう。妙なグッズを押し付けられる。
「いや、きぃくん。力入れなさすぎ。ぜんぜん届いてなかったじゃないの。え、そのキーホルダー、何なの……? 何モチーフなの? こわ……」
「……いや、このキーホルダーがあまりにも可愛くて。ごめん、こっちを優先しちゃった」
「……………………」
「……………………」
どうやら僕らは輪投げの才能(輪投げの才能?)が壊滅的にないらしく、何度やっても花火セットを手に入れられなかった。下手すぎる。
業を煮やした灯里ちゃんは、おじさんにお金を渡しながら声を上げる。
「おじさん! このござを踏まなければ、どう投げても問題ないんですよね?」
「そうだねぇ。腕をびよーんと伸ばそうが何しようが、ござに足を踏み入れなきゃセーフだよ」
おじさんの言葉に、灯里ちゃんは満足そうに頷く。何の確認だったんだろうか。まさか、本当に腕を伸ばすわけではあるまい。
「え」
僕が首を傾げていると、なぜか灯里ちゃんにきゅっと手を握られた。彼女の左手が僕の右手を握っている。ぶわっと鳥肌が立ちそうになった。
あまりにも小さく、それでいてやわらかい手だ。それが僕の手を包んでいる。すべすべで心地良い肌を意識させられ、身体が熱くなる。そして、混乱が押し寄せた。
なぜ、僕の手を握るんだろう。これにどういう意味がある?
「きぃくん。わたしの身体、あなたに任せたわよ」
僕の目をまっすぐに見つめ、真剣な面持ちで彼女は言った。は? と頓狂な声が漏れる。しかし、すぐにその言葉の意味がわかった。彼女が突然、ござのある方向へ倒れ込んだのだ。
「ちょちょちょちょっと! 灯里ちゃん、何やってんのっ!?」
僕の手を握った灯里ちゃんが倒れていく。当然、僕の手は引っ張られる。彼女は僕の手を支えにしながら、なおも身体を傾けていった。
彼女の全体重が僕の右手に掛かる。引っ張られる。力を緩めれば、灯里ちゃんはそのまま地面に倒れてしまうだろう。
僕は必死で踏ん張る羽目になった。まるで組体操のようだ。ふたりで小さな扇を作っているような。
「いいわよ、きぃくん。かなり近くなったわ!」
彼女の声に前を向くと、灯里ちゃんは手を伸ばして輪を投げようとしていた。花火セットとの距離は目と鼻の先。これだけ近ければ、外しようがない。灯里ちゃんが軽く放ると、花火セットに輪が乗った。
「よっし、きぃくんもういいわよ! 引っ張り上げて頂戴!」
「はぁ!? 無理だよ、何言ってんの!? もう僕手がプルプルしてるんだって! 離す、離すよ! ちゃんと受け身取ってね!」
「待って待って待ってきぃくん待ってお願い、浴衣汚すと洒落にならないから! 怒られちゃうから!」
……とまぁ、そんな大騒ぎを経てようやく。僕たちは花火セットを手に入れたのだ。
しかし、花火が手に入っても、火種がなければ遊べない。結局、ライターを買うためにコンビニには行くことになった。
すると途中、またもくいくいと裾を引っ張られた。嫌な予感がする。灯里ちゃんを見ると、再びきらきらした瞳で屋台を見ていた。今度は射的だ。射的の景品を指差している。たくさんの景品が並ぶ中に、オイルライターがあったのだ。
あれあれ、と灯里ちゃんは指差すけれど、僕のテンションは上がりようがない。さっきのようなことがあっても困る。
「ねぇきぃくん。あのライターをどっちが先に落とせるか、勝負しましょうよ」
「えー……? 勝負って言われてもなぁ……」
「負けた人が勝った人の言うことを一個だけ何でも聞くってのはどう?」
「やろう。僕、射的が大好きなんだよね」
灯里ちゃんは「やった」、と嬉しそうに屋台へ駆け寄る。僕は思わぬ大チャンスに心臓が荒ぶっていた。なんて無防備なことを言うんだろう。世界一かわいい自覚があるのに、随分と脇が甘いことを言う。
それとも、灯里ちゃんは僕なら「よっぽどひどいことは言ってこないだろう」と思っているのだろうか。信用されているのかもしれない。どうやら、その信用は今日までのようだな!
いや、あれだよ。僕って普通の高校生だから……、聖人君子でもなんでもないから……。それとも、灯里ちゃんは射的に自信があるのだろうか。
と思っていたら、「わたし、射的って初めてやるわ!」と嬉しそうにお金を払っていた。
「さ、やりましょうか。わたし初めてだから、先攻でもいい?」
「いいよ。お先にどうぞ」
僕は頷く。よくもまぁクールに言えたものだ。
もう少しで「いやいやいや、それおかしくない? 関係なくない? 明らかに先攻有利なんだからさ、せめてジャンケンで決めようよ」とすごい剣幕でまくしたてるところだった。
そんな必死さを見せれば、ゲームの賭け自体がなくなる可能性があった。よく堪えたと思う。偉い。
射的は、よく見かけるスタンダードなものだ。棚には景品がずらりと並んでいるので、それを撃ち落とす。コルクを空気で飛ばす射的銃でだ。落とせば景品がもらえる。
ここも景品はお菓子やおもちゃが多いが、先ほどの輪投げより高価なものもちらほら見掛けた。とはいえ、僕らの目的はオイルライターだ。あれを狙う。
灯里ちゃんはほかのお客さんの見よう見まねで、コルクを銃口へ詰め込んだ。そして、レバーを引く。ぎこちない動きで構え始める。
しかし、初めてというだけあって、上手く狙いが付けられないようだ。パンッ! と小気味いい音は出たものの、明後日の方向へ飛んで行ってしまった。
「うーん……、思った以上に難しいわね……、当たる気がしないわ」
コルクを詰め直しながら、灯里ちゃんは困ったように言う。
ちょうどそのとき、隣のお客さんが銃を構えた。小さな男の子のお客さんだ。彼は台に身体を預け、狙いを定めていた。小さな身体では長い射的銃を扱うのは難しいので、台で安定させているのだろう。
なるほど、と灯里ちゃんが呟く。
「こうやってすれば……、あぁ、確かに狙いやすいわね」
台の上に上半身を乗せて、彼女は射的銃を構える。それを僕が横から見ているわけだけど、その光景には衝撃が走った。妙な色気を感じるのだ。
浴衣姿の女子が台に上半身を預けている、その姿に。体勢に新鮮味を覚えるからなのか、構えるとお尻の形が出てしまうからなのか……。
わからないけど、ロマンを感じる。
僕が新たな境地を開いている間、灯里ちゃんは的を外し続けた。最後の一発は命中したものの、落とすまでには至らず、「今当たったのに!」と悔しそうに声を上げる。まぁこれも射的あるあるだ。当たったからといって、落ちるとは限らない。
さて、僕の番だ。お金を払って銃を手に取るが、まだコルクは手に持たない。
「灯里ちゃん。最初に言っておくと、コルクを詰めてからレバーを引くんじゃダメなんだ。詰める前にレバーを引くんだよ」
僕がそう言いながらレバーを引くと、灯里ちゃんは訝し気な表情を浮かべる。
「どうして? そういうのって弾を込めてからじゃないの?」
「これは空気を圧縮して撃つ銃だから、先にコルクを詰めちゃうと上手く空気が入らないんだ」
「へぇ……、そうなんだ。でも、それなら先に言ってよ」
「まぁそこは勝負だからね」
苦笑しながら、コルクをぎゅっぎゅっと詰め込む。できるだけ力を込めて、空気が漏れないように。
「で、大事なのはしっかりコルクを詰めること。空気が漏れると、威力が落ちちゃうから。このふたつに気を付ければ、かなりの勢いが出るはずだよ」
僕は台に手を突いて、ぐっと銃を前に突き出す。
ただでさえ射的銃は長いから、こうすると景品までの距離がかなり詰められる。灯里ちゃんが「え、そんなのありなの」と驚いていた。ありというか、正攻法というか。射的ではよく見かける光景である。店主のお兄さんも何も言わない。
「それと、景品を狙うなら角の方がいい。まともに当たっても倒れない場合はね。くるっと回転させて、落とすって感じかな」
はー……、と灯里ちゃんは感心した声を上げた。
その声を聞きながら、僕はコルクを撃ちこむ。ぱん、ぱん、ぱん、と小気味いい音が鳴り響いた。
「……すごいわ、きぃくん。あれだけうんちくを並べて立てておいて、全部外すなんて。当たらなければ、空気圧も威力もないわよ」
「……………………」
全弾外した。
は、恥ずかしい……。顔が異様に熱くなる。散々テクニックを語っておきながら、見事に弾を外し続けるとは。慣れないことはするものじゃない。なんで急に格好つけてしまったんだろうか……。
この状況に浮かれているのかもしれない。
結局、勝負は泥沼化し、僕と灯里ちゃんは何度もおかわりをして数多くのコルクを撃ちこむ羽目になった。その頃には先攻も後攻もなくなる。
ただひたすらに弾を撃ち続けた。ようやく景品を倒したときには、どちらの弾で倒れたかわからないという有様だった。なんという体たらく。「何でも言うことを聞いてもらえる」という信じられないほどの大チャンスだったのに、それを棒に振ってしまったわけだ。
僕の人生屈指の大失態と言える。
……まぁ。冷静に考えてみれば、灯里ちゃんに「何でも言うことを聞いてあげる」と言われても、欲望のままに願いを言えるとはとても思えないのだが。
どうにかライターを倒し、店主のお兄さんがライターを灯里ちゃんに手渡す。しかし、にこにこと受け取った灯里ちゃんと違い、お兄さんは渋い表情を浮かべていた。
「君たち、さっきからこれをすごく狙っていたけど、何に使うの? 未成年だよね? うちの景品で煙草を吸うとかはやめてくれよ?」
「違いますよ。これで花火をするんです」
「花火? ……はー、なるほどねぇ」
お兄さんは得心がいった、と具合に何度か頷いていたが、苦笑いは消えない。彼は「ちょっと待ってな」と言うと、何やらごそごそし始める。
「はいこれ。お嬢ちゃんはかわいいからサービスだ。店でもらったやつで悪いけど、きっと君たちに必要なものだからね」
そう言って渡されたのは、マッチだった。居酒屋の名前が書かれた、ブック型のマッチ。
……なんでマッチ?
僕たちは神社の方へ歩きながら首を傾げていた。彼がマッチをくれた理由がわからない。ライターが手に入らなかったならともかく、僕たちには景品としてそれがある。火種はあるわけだ。これが必要になるとは思えない。
それとも、開けば連絡先でも出てくるのだろうか。灯里ちゃん相手だから別段不思議ではないけれど……、灯里ちゃんもマッチを見つめながら、不思議そうにしている。
しかし、その疑問の答えが出る前に、僕たちはそれに気付いた。「む」「ん」と僕たちは同時に声を上げる。足を止めた。
前から歩いてくるグループに見覚えがあったのだ。
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