第一章 とれたて花火と夏祭り

第一章 とれたて花火と夏祭り 1


「きぃくん、どうしてここに?」


灯里あかりちゃん、なんで君がこんなところに?」


 散々つばさや秋人あきひとに「七夕祭りには行かない」と言っておきながら、結局祭りに足を運んでしまった僕は、神社の境内で彼女と出会った。青色の浴衣を着た灯里ちゃんだ。


 七夕祭りは各所に用意された笹に、配られた短冊をつるすお祭りだ。その昔、幼馴染の灯里ちゃんと短冊をつるした思い出があった。境内に一本だけあった笹にだ。


 それを思い出したせいで、神社の境内にやってきた。すると、そこには灯里ちゃんも来ていたのだ。


 そして、僕たちを驚かせる出来事は続く。


 突然、季節外れの桜吹雪が巻き起こり、なんとそれが人の形を成したのである。


 銀色と桃色が混じった三つ編みに、褐色の肌と翠色の瞳。なぜかうちの制服であるセーラー服を着た、妙な女の子が現れた。彼女は空中からゆっくりと降りてくる。


 手を差し出すと、桜の花びらが分厚い本へ姿を変えた。そうして、彼女は言うのだ。



「すべては忘れ去られた物語。けれど、滅ばなかった物語。未だ長き道は遠い先まで――さぁ、再び青春ミッションを始めましょう」



 なぜ灯里ちゃんがここにいるのか、なぜ僕を昔の呼び名で呼ぶのか――そんなことが些細に思えるほど、彼女の存在は異質だった。僕たちは呆気に取られた。


 何せ、桜の花びらが女の子に変わったのだから。ただただ絶句し、少女の動向を見続けることしかできない。


「お久しぶりですね――灯里さんに喜一郎きいちろうさん。といっても、あなたたちはわたしのことを覚えていないでしょうか」


 名前を呼ばれ、びくりとする。

 なぜ僕たちの名前を知っている? それに、覚えていないというのは? 

 僕たちの困惑をよそに、彼女は独り言のように呟いた。


「いや、わたしもおかしいと思ったんですよ――あれほどの感情を集めた呪いが、たった数回のミッションで消滅してしまうなんて。やはり間違いだったようです。あなたたちには再び、ミッションが課せられることになりました。理不尽と思われるかもしれません。が、得てして呪いというのはそういうものなのであしからず」


 彼女は表情を変えることなく、感情のこもっていない声で淡々と言った。意味のわからないことを淡々と。僕と灯里ちゃんは顔を見合わす。

 灯里ちゃんは彼女を警戒していたし、それは僕も同じだ。


「あなたは……、一体何者なの……?」


「あっと、申し遅れました。わたしの名前は白熊猫しろくまねこ小春こはる。お気軽に小春、とお呼びください。敬称はいりません。わたしの正体は〝青春の呪い〟の精霊です。あなたがたは呪いを受けている。それを伝えに来たのです」


「〝青春の呪い〟……?」


「呪いを受けている……?」


 情報の洪水に頭がついていかない。桜の花びらが姿を変えた少女、小春は呪いの精霊であり、僕たちは呪いを受けている。彼女が精霊だというのにはどこか納得できるけれど、呪いだって? 


 いやいや、そんなバカな。急に何を言い出すんだ。

 そう否定する中で、その話を信じる自分がいるのに気付いていた。小春の話は本当だ。根拠も何もないっていうのに、彼女の話は信用できると思ってしまっている。その妙な心の動きの理由はわからない。


 小春は手を差し出す。そこには黒い本がふよふよと宙に浮いていた。


「呪いを解くためには、呪いに匹敵する強い感情をぶつければいい。そのための青春ミッションを、この〝青春ミッションボード〟が伝えてくれます。記憶がないだけで、おふたりはこの青春ミッションをクリアしたことがあります。そして、一度は呪いから解放されたんです」


 青春ミッション……。そんなことを言われてもぴんとこない。

 記憶がない、と彼女が言うように、そんな覚えは全くないのだ。

 それに、青春ミッションとやらをふたりでクリアした、というのも眉唾だ。灯里ちゃんとふたりでなんて。

 僕たちは随分前から、ろくに話もしないような間柄なのに。そもそもだ。


「……さっきから、まるで僕らが記憶を失っているかのような口ぶりだけど?」


「そう言っているんですよ。青春ミッションをクリアする際、記憶が奪われる場合があるんです。あなたたちは以前、ミッションをクリアした際に、青春ミッションに関するすべての記憶を失ったのです」


 僕たちは記憶を失った。らしい。全く覚えていない。記憶が失われているのだから、覚えていないのは当然なのだけど。


 しかし、おかしな存在である小春を受け入れてしまっているのは、そこが関係しているのだろうか。彼女を否定しきれない自分がいる。今の話だって、何の確証もない話だ。途方もない話だ。

 けれど、それを疑う気が沸いてこない。


「ちょ、ちょっと待って。そもそも、なんでわたしたちは呪われているわけ? あなたが不思議な存在っていうのはわかるけど、それになぜわたしたちが巻き込まれているの?」


 灯里ちゃんは戸惑いながら、小春に問いかける。それは確かに僕も疑問だった。僕たちは呪われている。


 しかし、その理由がわからない。一体何をやらかしたというのか。


 灯里ちゃんの質問に、今まですらすらと話していた小春が、初めて言いよどんだ。動きが止まる。しかし、それは一瞬のことで、すぐに彼女は口を開いた。


。学校という環境で、マイナスの感情が膨れ上がりました。それが集まって呪いとなって具現した。そして偶然、桜の木の前にいたあなたたちに降りかかったんです。まぁ事故みたいなものですよ」


 ……運が悪かった?

 それはひどい話だ。納得しようがないが、「事故みたいなもの」と言われれば、理不尽さは伝わる。事故に遭うときは、自分が悪いとは限らない。呪いも同じということだろうか。


 ……本当に?


 そこで初めて、小春の話に違和感を覚えたけれど、その理由がなぜなのかはわからなかった。


 灯里ちゃんを見ると、渋い顔をして口をうにゅうにゅと動かしている。しかし、結局言い返しはしない。小春が話を続ける。


「その〝青春の呪い〟によって、灯里さんはくしゃみをすると、しばらく物に触れられなくなります。〝不干渉の呪い〟と呼ばれる呪いです。喜一郎さんは彼女の呪いを解くために、青春ミッションに挑むことになります。まぁ以前は、ほとんどふたりでこなしていましたが」


 呪いの被害を受けるのは灯里ちゃんで、呪いを解くために活動するのは僕。役割分担がされているらしい。しかし、はいそうですか、とはならない。

 あなたたちは呪われています、わかりました呪いを解きます、なんてふたつ返事ができるわけがない。


「……話はわかったわ。で、その青春ミッションっていうのは何をすればいいのかしら。もうわたしたちは挑戦できるの?」


「灯里ちゃん」


 結論の早い灯里ちゃんに、制止の声を上げてしまう。灯里ちゃんはもう小春の話を飲み込み、そのうえで青春ミッションとやらに挑もうとしている。聞き分けが良すぎる。この女の子が信用できるかわからないっていうのに。


 しかし、灯里ちゃんは首を振ってから答えた。


「大丈夫よ。多分、あの子は信用できるわ。理由はわからないけど、そう感じる。そう思える。きぃくん、あなただってそう思っているんじゃない?」


 ……言葉に詰まる。その通りである。口では灯里ちゃんを止めながらも、僕は小春のことを信用している。頼りにしようとしている。記憶を失う前のことが原因なのか、小春に不信感がないのだ。どうやら、それは灯里ちゃんも同じだったらしい。


 小春は僕たちふたりを眺めたあと、ゆっくり頷く。そして、手のひらを差し出した。その上には本が浮かんでいる。〝青春ミッションボード〟。それが勝手に開き、ぱらぱらとページが捲られていく。


「話が早くて助かります。あなたがたが挑戦する青春ミッションは既に現れています。どうぞ、ご覧になってください」


 僕たちは〝青春ミッションボード〟を覗き込んだ。文字は七色に発光しながら、青春ミッションとやらを僕たちに伝えてくる。



『ふたりが持つのは線香花火 暗い夜にそれだけ輝く 喧騒から離れた場所で ふたりしかいない秘密の場所で』



「…………………………」


 灯里ちゃんと顔を見合わせる。


「ええと、これは……、ふたりで花火をしろってことなのかな」


「そうじゃない……? 秘密の場所って言い方は意味深だけど、静かでだれもいない場所なら、いいってことでしょ。そうとしか読み取れないわよね。ねぇ、そうよね、小春――」


 灯里ちゃんが問いかけながら、前を向いたときだった。僕たちは言葉を失う。


 ……そこには、だれもいなかったからだ。何もない。空虚な夜だけが広がっている。


 しかし、どうやら夢を見ていたようだ、なんて言う気は起きない。

 小春はただの人間ではなかった。呪いの精霊というのは本当のようだ。そう強く印象づいただけだった。


「……状況を飲み込めたわけじゃないけれど。やれって言われたからには、やった方がいいんでしょうね」


 灯里ちゃんは腰に手を当てて、静かに言う。髪飾りがしゃらりと揺れた。僕も彼女と同意見だった。

 やれと言われたからにはやろう。これはやらなくてはいけないことなんだろう。そんな気がする。


「花火ってコンビニでも売ってるよね? ライターも」


「ん、そうね。場所は……、ここで問題なさそうね。喧噪から離れているし、わたしたちしかいないし。どんなことをやらされるかと思ったけど、それほど難しくなさそうよね」


 灯里ちゃんは気が抜けたように笑う。彼女が笑うと、そこだけ光り輝くようだった。思わず目を逸らしてしまう。おかしな状況に気を取られていたが、正直、灯里ちゃんもかなりの異常事態だ。


 だって、浴衣姿だ。

 世界一かわいい女の子が浴衣を着ている。


 白い花が彩られた青色の浴衣で、赤い帯が魅力を引き立てていた。彼女は長い髪を後ろでまとめ、可愛らしい花の髪飾りが揺れている。いい。すごくいい。素晴らしい光景だった。『浴衣姿の異性は何割増しかで魅力的に見える』というけれど、もうそんな次元ではない。神々しさすら感じる。


 僕が突然黙り込んだので、灯里ちゃんは訝し気な顔をする。

 しかし、すぐに「あぁ」と納得すると、得意そうに笑った。人差し指を僕にぐいぐい押し付けてくる。


「はいはい、わたしの浴衣姿に見惚れるのはいいけれど、早く行きましょ。いいわねぇ、きぃくん。しばらくは世界一かわいいわたしの浴衣姿を、独り占めできるんだから」


 灯里ちゃんはご機嫌に前を歩いていく。僕はぎくしゃくしながらそのあとを追った。浴衣姿の破壊力が強すぎる。気の利いた返事もできやしない。少しは冷静になろうと深呼吸をしたけれど、その呼吸が止まってしまった。灯里ちゃんの後ろ姿を見てしまったからだ。


 彼女の、うなじが見えている。髪と浴衣の間に、白い肌の絶対領域ができている。足から力が抜けそうだ。普段はさらさらの髪を流しているので、うなじを出すことはない。


 しかし、今は見えている。白い肌が見えている。やけに艶めかしい。視線が吸い込まれてしまう。


 ……いけない。

 完全に浮き立ってしまっている。不思議なもので、興奮しすぎて逆に冷静になってきた。僕は排熱するように大きく息を吐く。そうしてから、灯里ちゃんに声を掛けた。


 さっきから気になっていたことがあったのだ。


「そういえば、灯里ちゃんはなんであんなところにいたの? 今日はクラスの人たちと来てたんじゃ?」


 そう、元々はうちのクラスの男子が「お祭りに行こう!」と言い出したのだ。そのグループが大きくなり、クラスの男女数人で行くことになった。灯里ちゃんもそこに入っていたはずだ。僕も誘われていたが、なんだか行く気が起きなくて断った。


 ……結局来ているけれど。


 そして、『境内にあった一本だけの笹』を思い出して、僕は石段を上ったわけだ。

 灯里ちゃんが同じ想いを抱いてここに来た……、と思えるほど僕はおめでたくない。きっと何か理由があるのだろう。


 なぜか彼女は「えっ」と驚いた声を上げる。恐る恐る、といった具合に僕を振り返った。その表情はぎこちない。目線をきょろきょろ動かしながら、慌てたように言う。


「え、えっと……、そう! 実はみんなとはぐれちゃって。とりあえず、落ち着いた場所で連絡を取るためにここへ来たのよ。でも、何だか疲れちゃって。ちょうどいいから、連絡して、帰ろうとしていたところ」


「あぁ、そうなんだ。大丈夫? 疲れているなら別の日にする?」


「ううん。どちらかというと、人ごみにいるのが疲れたって感じだから。大丈夫よ」


 それなら、まぁ大丈夫だろうか。そんなに時間は取らせないだろうし。


 僕たちは並んで石段を下りていく。灯里ちゃんは頬を指で掻きながら、「きぃくんは、どうしてあそこに?」と尋ね返してきた。灯里ちゃんの顔を見ると、俯き気味で視線をこちらに向けてはいない。


 一瞬、適当にごまかそうかと思った。正直に話すのはちょっと照れくさい。

 しかし、握っていた短冊を見る。そこには自分の字で願い事が書かれていた。嘘を吐くのもどうかと思いなおし、僕は正直にそのまま伝える。


「まだ小さい頃、僕たちはこのお祭りに来たことがあるよね。灯里ちゃんはきっと覚えてないだろうけど、あのとき、神社の境内に一本の笹があったんだ。だれの短冊もつるされていない笹が。そこに僕たちだけが願い事をつるした。もしかして、今年も用意されているかもって思ってね……」


 言っているうちに恥ずかしくなってきた。頭を掻きながら、視線を彷徨わせる。ちょうど、階段も下り終わったところだった。喧騒が戻ってくる。賑やかなお祭りだ。たくさんの人が道を歩き、屋台の光が眩しいくらいに夜を照らしている。


 灯里ちゃんが何も言ってくれないので、不安になって彼女を見る。もしかして、気持ち悪いと思われただろうか。昔のことをわざわざ持ち出して。


 そうだったらどうしよう、と彼女の顔色を窺うと、なぜか彼女はぽーっとした顔で僕を見ていた。


「――――――」


 唇がきゅっと締まり、瞳は潤んでいるように見える。手は胸の前で小さく握られていた。頬はぽっと赤く染まっている。小さな唇が震えるようにして、開いた。


「あの、きぃくん。実は、実はわたしも――」


「あ、灯里ちゃん危ない」


 楽しそうに走っている子供が、僕たちのすぐそばを通る。

 もう少しでぶつかりそうだったので、灯里ちゃんには少し下がってもらった。すぐに後ろにいたお母さんが「危ない! 走っちゃダメ!」と声を上げる。


「あ、ごめん。で、なんだっけ」


「……ううん、なんでもないわ。それより、早く花火を買いに行きましょ。あっちにコンビニあったわよね?」


 目を瞑って静かに笑うと、彼女はわずかに首を振った。

 そして、ぱっと表情を戻すと、道の先を指差す。確かコンビニはあったはず。僕が頷くと、早速そちらへ向かうことになった。


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