第一章 とれたて花火と夏祭り 3

 前を歩く男性が何より目立つ。グループの中でだれよりも背が高く、整った顔立ちの男の子。彼は紺の浴衣に身を包んでいた。両手を裾に突っ込みながら、穏やかに笑っている。


 彼の名前は桐山きりやま秋人あきひと

 僕と灯里あかりちゃんの幼馴染であり、クラスメイトでもある。


 そう、彼の周りにいるのはクラスメイトのグループだ。男女問わず見知った顔だ。


 秋人の隣で焼きそばを食べているのは、同じくクラスメイトである小野塚おのづかつばさ。


 秋人と並ぶと大人と子供くらい身長差がある。全体的に小柄なのだ。

 つばさ自身はパワフルだけど、肩も細いし手も小さい。男っぽい性格だが、見た目はとても女の子らしい。Tシャツに短パンというラフな格好で、浴衣は着ていなかった。

 よく見かける私服姿だ。長いぼさぼさの髪もいつも通り揺れている。


 さて、懸念していたトラブルだ。僕たちはふたりともお祭りにはいないはずで、いっしょにいるのがバレるのはまずい。おかしな誤解をされかねない。しかし、その対応策は既に打ってある。僕は後頭部につけていたお面に手を伸ばした。


 しかし、そこで気が付く。灯里ちゃんが前を向いたまま、固まっている。彼女はお面をつけようとせず、静かに口を開いた。


「……あのね、きぃくん。こんな土壇場で本当に申し訳ないのだけれど。彼らはわたしの浴衣姿を一度しっかり見ているのよね。そのうえで、浴衣も同じ、体格も髪型も同じの、お面をかぶったわたしを見て、別人だと思ってくれるかしら……?」


 ……本当に土壇場である。

 参った。その通りだ。だれとも会っていない僕はまだしも、灯里ちゃんは既に接触済みだ。きっと浴衣の色や柄は覚えられているだろう。


 少なくとも男子は、しっかり目に焼き付けているはずだ。この状態でお面をかぶったとしても、それは変装ではなくて「お面をかぶった灯里ちゃん」でしかない。


 なぜ土壇場までそれに気付けなかったのか……。まずい。非常にまずい。クラスメイトたちはすぐそばまで迫っている。いつだれがこちらに気付いてもおかしくない。


「か、隠れる?」


 灯里ちゃんがおどおどしながら言う。名案だけど場所がない。

 周りはたくさんのお客さん、道の両隣には屋台が連なる。これでは身を隠せない。一ヶ所、木が生えているせいで屋台と屋台の間にスペースができている。隠れるとしたら、そこだ。屋台の陰。木の陰。


 でも、見られたらすぐにバレそう……。逃げ出そうにも、目立つ動きをすれば気付かれる。どうする。どうすればいい。


「ねぇ、たっくん。ほら、たこ焼き、おいしいよ? あーんして、あーん」


「あーん。あー、みっちゃんがあーんしてくれるから、とってもとってもおいしいよぉ」


 そんな甘ったるい声がして、ついそちらに目がいった。男女の若いカップルだ。大学生くらいだろうか。

 男性が女性の肩に手を回し、抱くようにして歩いていた。女性が小柄なので、彼の腕の中にすっぽりと収まっている。後ろ姿では女性がほとんど見えないくらいだ。


 ……これだ。これしかない。手荷物を地面に置いてから、僕は行動に移す。


「灯里ちゃん、ちょっとごめんっ」


「へ? あ、ちょ、ちょっときぃくん……! やっ……」


 灯里ちゃんの手を強引に引っ張り、彼女の頭を胸に抱くようにしながら、近くにあった木に彼女を押し付けた。屋台と屋台の間にある木にだ。木と僕で灯里ちゃんを挟み、彼女を僕の背中で隠す。胸に顔を押し付けているので、灯里ちゃんの顔が見られることはないだろう。


「ちょ、ちょっと……、きぃくん……、こんな……、こんなの……、はず、恥ずかしい、んだけど……」


 僕に抱えられ、灯里ちゃんは手でぱたぱたぱたと叩いてくる。顔は真っ赤だ。潤んだ目で僕を見上げ、口をぱくぱくさせている。顔の赤さで言えば、僕も似たようなものだ。思わず目を逸らす。


 咄嗟とはいえ、とんでもないことをしてしまった。世界一かわいい女の子を胸に抱くなんて。

 しかし、ほかに方法が思いつかなかった。それをわかっているから、灯里ちゃんも抵抗はしない。


 灯里ちゃんは僕の胸に手を当て、気まずそうに顔を伏せる。彼女の後頭部に左手を添えた。右手は木に押し付けている。距離は限りなく近く、彼女の身体がどこかしら当たっていた。

 そのやわらかさと温かさ、左手に伝わる心地良さに目を見張る。髪の毛先が当たるのがくすぐったかった。


 落ち着くよう自分に言い聞かせながら、僕はゆっくり口を開く。


「ごめん、灯里ちゃん。ほんとごめん」


 謝りながら、背後を流れる人ごみに気を配った。ここまでやったんだ。見つかるわけにはいかない。


「……うわ、すごいな。あれ。めっちゃイチャイチャしてる」


「バカップルだ。テンションの上がったバカップルだ」


「羨ましいよなぁ、まったく」


 ……ひそひそと話しているようだが、丸聞こえだ。呪詛がこちらに届いている。しかし、彼らは僕たちだと気付いていない。あちらからでは。灯里ちゃんの姿はほとんど見えないのだ、僕の背中が覆い隠しているから。上手くいった。


 注目を浴びながらも自分たちの存在を隠す、ということに成功しつつあった。


「ん?」


 だからこそ、秋人が声を上げて立ち止まったときは、心臓がひっくり返りそうになった。横目で彼らを窺っていたけど、急いで顔を前に向ける。手に力が入る。


 すると、「ちょ、ちょっと……」と灯里ちゃんが再び手をぱたぱたさせた。慌てて緩める。


 気付かれただろうか。この状態でバレたら終わりだ。言い訳のしようがない。


「………………」


「どうしたんだよ、桐山。何かあるのか?」


「ん。いや、何でもないよ。悪いな、行こうか」


 結局、秋人が何も言わずに立ち去ったときは、本当に心の底からほっとした。

 彼らが離れたことを確認してから、よろよろと屋台の間から抜け出る。


「………………………………」


「あいたっ! ご、ごめんって……」


 灯里ちゃんは何も言わず、僕の腰にパンチをお見舞いした。その顔は未だ赤い。わかりやすくそっぽを向いて、前を歩いていった。

 しかし、彼女の怒りも深くはない。無茶をした僕に、一応、怒ってみせた、という感じだ。  


 神社の境内に戻り、バケツに水を汲み、いざ花火をやろうという段階になれば、彼女は忘れたように元通りだった。仕方がなかった、と割り切ってくれたのかもしれない。


 花火セットを開けて、互いに手持ち花火を握る。〝青春ミッションボード〟には線香花火と書かれていた。けれど、線香花火はシメにやるものだろう。せっかく色んな花火があるのだから、遊んでからでもバチは当たるまい。


 しかし、いざ火を点けようとした段階で問題が起きる。火が点かないのだ。射的で取ったオイルライター、これが上手く使えない。ホイールを回しても火花が散るだけで、肝心の火が灯らない。間違った使い方をしていると思えないのだが……。


「おかしいわね、何で点かないのかしら……」


「ねぇ、なんでだろう……。うーん?」


 何分、ライターなんてふたりとも縁がない。何がいけないのかわからない。点け方の問題? それとも不良品?

 延々と悩んだあと、灯里ちゃんが「……これ、もしかして、最初はオイル入ってないんじゃない?」と言い出したときには力が抜けてしまった。


 もちろん、オイルライターにオイルが必要なのは知っている。しかし、使い捨てライターしか知らない僕たちは、てっきり燃料は入っていると思い込んでいたのだ。最初から補充が必要だとは思わなかった。燃料がなければ、火が着くはずもない。


「なるほどね……、あのお兄さんが『君たちに必要なものだ』って言っていた意味はこれだったのね」


 灯里ちゃんがマッチを取り出す。お兄さんの苦笑いの理由もわかった。こうなることが予想できていたのだ。僕たちがオイルライターの前で、首を傾げる光景が。


 お兄さんに感謝しつつ、僕はマッチに火を灯した。ライターと違ってすんなり火が点く。

 その火種に、灯里ちゃんは手持ち花火を近付けた。パチパチ、という弾けるような音とともに、赤色の火花が噴出される。かなり勢いがいい。緑、黄色と色を変えながら、閃光が闇を照らす。火薬の匂いが鼻に届く。


 しばらくはそうやって、花火は綺麗に光り輝いていた。やがて光が徐々に小さくなり、パチパチ、と鳴ってから消える。


「おー……、意外に綺麗なもんだね」


「ねぇ……、正直、こんなの子供しか喜ばないと思っていたのだけど……」


 にわかに興奮してしまう僕たち。


 いそいそと次の花火を取り出し、再びマッチに火を灯す。マッチの本数は少ないので、花火自体を火種にする。花火から花火に火を灯していく。パチパチパチ。暗い境内に、花火の光だけが輝いていた。


 次第にハイになり、二本同時に付けてみたり、ぐるぐると円を描いてみたり、物凄く楽しんでしまった。あっという間に花火が消化されてしまう。残りは線香花火のみ。


「ねぇきぃくん。ちょっと試してみたいことがあるんだけど、いいかしら?」


「なに?」


 灯里ちゃんが線香花火を指差す。「火、点けてくれない?」と言われたので、僕は言われた通りにマッチを擦った。彼女の持つ線香花火に火種を近付ける。火が点く。赤い球体が現れ、小さく火花を散らした。先ほどまでの派手な閃光とは別物だ。仄かで情緒のある光が、灯里ちゃんを淡く照らす。


 彼女はそれを眺めながら、優しい微笑みを浮かべた。

 線香花火の光だけが彼女を照らす。ふわっとした空気に変わる。まるで別世界だった。浴衣、線香花火、微笑む灯里ちゃん。

 それらが重なると、名のある芸術品でも敵わない。世界のどんなものよりも綺麗だった。


 僕が灯里ちゃんにすっかり魅了されていると、彼女はぴたりとも動かないまま口を開いた。


「きぃくんきぃくん。今わたし、可愛さの世界新記録、出てない?」


「出てる。世界新出てる」


 強く頷くと、彼女はぱっと顔を上げて「あ、やっぱり?」と満面の笑みを浮かべた。花が咲いたようだった。

 線香花火の儚さすら吹き飛ばす、完全無欠、百点満点の笑顔だ。


「そうよねぇ、ハズレなしだものねぇ、このシチュエーション。満足したわ。それじゃきぃくん、青春ミッションの続きやろっか?」


 どうやら、世界新記録を出したかっただけのようだ。記録達成の瞬間を見られたことに感謝しよう。

 記録達成の光景を記憶に刻み込みながら、僕は線香花火を手に取る。既に彼女の線香花火は力尽き、灯里ちゃんの手には二本目の花火が握られていた。


『ふたりが持つのは線香花火 暗い夜にそれだけ輝く 喧騒から離れた場所で ふたりしかいない秘密の場所で』


 青春ミッションの内容はこうだった。条件は満たしている。あとは僕と彼女で、線香花火に火を点ければミッション達成だ。僕は早速、マッチに火を灯そうとする……、が。


「はっくちゅっ」


 うわ、かわいい。びっくりした。マッチ落とすかと思った。こんなにかわいいくしゃみなんて初めて聞いたよ。


 灯里ちゃんは鼻に軽く触れながら、「あぁごめんね」と静かに言う。

 突然のかわいいイベントに戸惑いつつも、僕は今度こそマッチに手を灯そうとして――彼女の異変に気が付いた。


「あ、あれ? え、なにこれ。ど、どうなっているの?」


 動揺した声を出しながら、灯里ちゃんは地面に手を伸ばしていた。何度も何かを掴むような仕草をしている。その先には線香花火が横たわっていた。それを拾い上げようとして、失敗している。その理由は、僕の目からは明らかだった。


 ……彼女の指が線香花火をすり抜けている。まるで透けているかのように。


 異変はそれだけではない。灯里ちゃんの顔にも現れていた。


 右目の下、頬のあたりに妙なマークが浮かんでいる。ハートマークだ。さらにハートの中に、手のひらを突き出すようなマークが描かれている。その下には『STOP!!』の文字。なんだこれは。さっきまで、彼女の頬には何もなかったというのに。


 状況がわからず混乱する中、小春の声が頭の中で再生された。あの呪いの精霊はこんなことを言っていたはずだ。


『その〝青春の呪い〟によって、灯里さんはくしゃみをすると、物が触れられなくなる〝不干渉の呪い〟が発現する』


 そう言っていたはずだ。灯里ちゃんも思い当たったらしく、はっと顔を上げた。


「こ、これが〝不干渉の呪い〟ってやつ……? 確かに触れない。干渉できないってこういうこと?」


「多分……、灯里ちゃんは見えないだろうけど、頬にも変なマークが浮かび上がってる。呪いのせいなのかも」


 ふたりで顔を見合わせ、困った表情を浮かべてしまう。参った。


 灯里ちゃんが物に触れないなら、線香花火も持つことができない。『ふたりが持つのは線香花火』を達成することができない。紆余曲折を経てここまできたのに、最後の最後でつまずくとは。


 どうしたものか、と僕が頭を悩ませていると、灯里ちゃんが手を伸ばしてきた。なぜか人差し指をきゅっと握られる。不意打ちでそんなことをされれば、嫌でも心臓の鼓動が早くなってしまう。


「あ、灯里ちゃん?」


「ふぅん、人には触れるのね。干渉できないのは物だけってこと? あ、服も触れる。ふんふん、なるほどなるほど……」


 彼女は何事か呟きながら、ぺたぺたと僕の身体に触ってくる。そこに遠慮はない。思い切りのいいスキンシップに、こんなときなのにどきまぎさせられる。


 灯里ちゃんはぱっと表情を明るくさせて、落ちている線香花火を指差した。


「きぃくん、線香花火を二本同時に火を点けてみてくれないかしら? で、右手と左手で持つの」


「いいけど……」


 灯里ちゃんの意図が読めないまま、僕は言われた通りにする。

 マッチに火を点け、二本の線香花火に火を灯した。少し手間取ったが難しいことでもない。僕の右手と左手に、小さな花が咲く。ぱちぱちと火の花が開く。


 さて、これで灯里ちゃんの望む通りにした。顔を上げると、すぐ近くに灯里ちゃんの顔があってぎょっとする。大きな瞳にやわらかそうな頬、まとめた髪、いつもより大人っぽい彼女の顔がすぐそばにある。それどころか身体まで近い。


 彼女はほとんどくっつくようにしながら、僕の右手を両手で包み込んだ。


「――――――!?」


 彼女のすべすべとした肌が僕の手を覆う。長い指が絡む。もうちょっとで声を上げそうだった。

 世界一かわいい女の子にこんなことをされて、普通の高校生なら平気でいられない。顔が熱い。心臓が痛い。体温が急激に上がり、手が震えそうになった。


 なぜ、急に、こんな。僕が混乱していると、彼女はさらっと口にした。


「これでどうかしら。ふたりとも線香花火を持っている、ってことにならないかな」


 そう言われて、今の姿を確認する。僕はもちろん線香花火を持っている。灯里ちゃんは、線香花火を持つ僕の手を握っている。灯里ちゃんも線香花火を持っている……、と言えなくもない。

 どうだろう。


 すると、次の瞬間、神社は強烈な光に包まれた。


 背後から物凄い光が溢れ出している。花火の光なんて簡単に飲み込むほどの、眩い発光だ。いつの間に来ていたのか、光の中心にはあの呪いの精霊が立っていた。白熊猫しろくまねこ小春こはる


 彼女が〝青春ミッションボード〟を持ちながら、そこに佇んでいた。本は開かれている。開かれたページから光が溢れ出していた。空中に文字が浮かび上がり、それがさらさらと消えていく。文字が消えると光は徐々に収まっていき、小春がぱたんと本を閉じた。


「ミッション完了です。お疲れ様でした」


 彼女の口からその言葉を聞くと、どっと疲労がのしかかってきた。

 どうやら、さっきのやり方で問題なかったらしい。安堵の息が漏れる。灯里ちゃんも同じように息を吐き、気の抜けた笑みを浮かべていた。

 しかし、改めて線香花火を手に取ろうとして、未だに物を持てないことに気付く。


「ねぇ小春、ミッションをクリアしたのにこの〝不干渉の呪い〟が消えていかないんだけど。どうすればいいの?」


 小春の元へ詰め寄る。灯里ちゃんの頬にはあのおかしなマークがまだ残っているし、物にも触れないようだ。


 小春は無表情な顔を灯里ちゃんに向けて、だぼだぼの裾を揺らしながら口を開く。


「その呪いは時限式です。時間が経たないと消失しません。ですが、それほど長くはありません。〝不干渉の呪い〟は二時間程度です」


 いや、二時間でも十分長い気がするが……。


 灯里ちゃんも抗議しようとしたけれど、結局何も言わなかった。言っても無駄だと思ったのかもしれない。


「それでは、次の青春ミッションが現れたらお伝えします」


 小春は淡々と告げながら、持っていた〝青春ミッションボード〟を宙に放り投げた。すると、本は桜の花びらに姿を変えて、ひらひらと舞った。その花びらも空中に溶けて消えていく。


 幻想的な光景に目を奪われている間に、またも小春の姿はなくなっていた。突然来て突然去っていく。見た目に反して忙しない子だ。

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