第二章 文学少女の悩みゴト 8
「
「はい? 漫研、ですよね。聞いたことはありますけど」
なぜ、今そんな話を。疑問に思いながらも答えた。
「創研の人たちは、元々漫研に所属していたんです。漫研を退部した人たちが新たに作ったのが、創作研究部ということになります」
「……漫研で喧嘩でもあったんですか?」
あまり穏やかな話とは思えない。退部した人たちが設立というのなら、それはもう部の分裂だろう。部の分裂なんて、事がこじれた結果にしか見えない。喧嘩。意見の喰い違い。何か揉めることがあって、部が別れざるを得なかった。大規模な何かがあったのだろうか。
「元々、漫研にはふたつのグループがあったそうです。派閥と言っていいかもしれません。漫画を描く人と読む専門の人。もちろん、漫画が好きな人が集まる部なので、描く人も描かない人も同じはず。
しかし、そこには壁があったそうです。仲が悪かった。読む専門の人は『描く側はこちらを見下している』と言い、描く側は『あの人たちは何もしない』なんて言っていたみたいで。
それは……、なんというか、空気の悪い。何となく双方の言い分はわかるが、喧嘩するのはダメだろう。見ていて気持ちのいいものではない。そこで、ぱっと思い立つ。
「その描く側派閥のリーダーが、立河先輩ってことですか?」
それなら腑に落ちる。前みたいに口汚いことを言っていれば、そりゃ大喧嘩に発展する。
しかし、瀬尾先輩は「そうですけど、そうじゃありません」と不思議なことを言う。
「立河さんは描く側派閥ですが、意見を口にすることはなかったそうです。むしろ、派閥争いをくだらないと思っていたみたいで。我関せず、せっせと漫画を描いていた、と聞いています」
それは意外た。あの気性の荒さなら、好んで前に出そうだけど。
「それでも何とか、部の均衡は保たれていました。でも、三年生が卒業すると同時にバランスが崩壊したそうです。
気が強い人が多く残った読む側派閥と、大人しい人ばかりになった描く側派閥。読む側派閥が幅を利かせ、描く側派閥は虐げられました。
随分肩身の狭い思いをしたそうです。一部の人には個人攻撃まで始まりました。一番気が弱かった部員が標的になり、ひどいことをされた言われた、と聞きます」
胸の中にもやっとした感情が立ち昇る。気分の悪い話だ。漫画好き同士が集まっただけなのに、なぜイジメが起きるのか。うんざりする。
しかし、瀬尾先輩が続けた話は、まるでその鬱々としたものを晴らすようだった。
「その気の弱い部員というのが、立河さんのご友人だったそうです。今まで傍観していた立河さんはそれをきっかけに、描く側派閥の矢面に立つようになりました。彼女を庇った。
そして揉めに揉めたあと、立河さんは派閥の人たちを引き連れ、創研を立ち上げたんです。立河さんは慕われているので、ついていく人も多かった。結果、小さな部室では手狭になってしまった。
……どうですか、
「……………………」
瀬尾先輩は困ったように笑う。確かに、見方は変わった。傍若無人な小さな先輩、という最悪な印象は変わりつつある。
しかし、しかしだ。瀬尾先輩が語った話も、あくまで彼女の一面だ。たとえ、漫研の方でいくら徳を積んでいても、僕たちの前ではあんなひどいことを言う人だ。そう簡単に評価はひっくり返らない。
むしろ、瀬尾先輩がその話をすることに疑問が沸く。なぜ、そんなことを。彼女の中でも悪者であることは変わらないはずなのに。
「……知っておいて欲しかったんだと思います。わたしにも背景があるように、立河さんにもこの勝負をする背景がある。描くか、書くか。
わたしたちの違いはそれくらいなんですよ。それを踏まえて、青葉くんには勝負を見届けて欲しいんです。いずれ、山吹さんにも話を聞いてもらわないといけませんね」
そう言って静かに笑う。勝負。僕が思っていたような、単純な構図ではないようだ。それはわかった。立河先輩には立河先輩なりの、勝負に挑む理由がある。
しかし、瀬尾先輩に買って欲しいという気持ちは変わらない。
「あ、も、もちろん、わたしも全力でやりますから……、手を抜くなんてことはないですよ。青葉くんたちにも手伝ってもらってますし、頑張って最高の出来にしますね」
瀬尾先輩は両手を持ち上げて、ぐっと拳を作った。その仕草と、頑張って力んでいる姿は可愛らしい。
一体、彼女はどんな作品を書くのだろう。それは、立河先輩を打ち負かせるのだろうか。
喉の渇きを覚えたので、僕は部室を出た。一階に自動販売機があるので、そこに向かって階段を降りる。校舎内は静かだ。旧校舎は文化部の部室が多いはずだが、声は聞こえない。
自販機で何を飲むか選んでいると、階段を下りる足音がした。特に気にするつもりはなかったが、その足音が近付き、なおかつ「あら。文芸部の一年坊じゃない」なんて声を掛けられれば、振り返るしかない。そして、ぎょっとする。
「こんにちは」
そう平然と挨拶するのは、小柄でツインテールの女の子。毛先が揺れて肩に触れている。顔立ちは幼く、身体も小さいのに恐ろしく気が強い彼女。忘れようがない。創作研究部の部長、立河すみれだ。
なぜ、僕に声を掛けるのか。意図が読めない。何を言ってくる気だ、と警戒する。すると案の定、彼女はぎろりと僕を睨み付けた。
「あんた、先輩が挨拶してんだからちゃんと返しなさいよ」
「あ……、す、すみません。こんにちは」
「はい。よろしい」
肩を竦めて、彼女は僕の横に立つ。手には財布を持っていた。飲み物を買いにきたらしい、とようやくわかった。
……それ以上の意図はないのだろうか?
先ほど、瀬尾先輩から彼女のことを教えてもらったけど、どうしても警戒してしまう。僕が見たのは、瀬尾先輩に失礼な言葉をたくさん重ねた彼女だ。
あのとき、灯里ちゃんと一触即発になったのは、思い出すだけで恐ろしい。正直、怖い先輩だ。
そっと隣を窺う。彼女は自販機を見上げ、財布から小銭を出していた。隣に立つと、彼女の小ささがよくわかる。肩の位置が低い。細い。つばさや小春ほどじゃないにせよ、小さな女の子って感じがする。
「ねぇ」
僕が見ていることに気が付いたのか、彼女は突然声を掛けてきた。
「……なに、びくついてんのよ。あんた、ジュース買わないの? あんたが買わないと、あたしが買えないでしょ」
「あ、あぁ、はい」
慌てて、小銭を投入して目当ての飲み物を買う。自販機の前から退くと、彼女はすぐに小銭を入れ始めた。
……立ち去っていいのだろうか。どう対処していいのかわからない。
「あんたも部活中? 瀬尾の手伝いでもしてんの? あぁいや、小説だから手伝うも何もないか」
立河先輩が平然と話しかけてくるので、立ち去るタイミングを失う。大人しく返事をしようとして、気付いた。手伝う。体験しないと書けない、という瀬尾先輩のために、僕たちは協力している。作品作りを手伝っている。
しかし、実際に執筆するのは瀬尾先輩だ。実労働は彼女だ。小説は手分けなんてできないし、ひとりで書くものだろう。
しかし、漫画は違う。僕もあまり詳しくないけど、プロの漫画家はアシスタントを使う。複数人で作品を作る。ひとりで描くより圧倒的に速い。同じことを立河先輩がしているとすれば、文芸部としては不利ではないか。
「た、立河先輩は、ほかの部員に手伝わせているんですか」
「ん? んにゃ。瀬尾とあたしの勝負なんだから、全部あたしがひとりで描くわよ。まぁこれはあたしの勝手なこだわりだから、あんたたちは好きにすればいいと思うけど」
彼女はあっさりそう言うと、取り出し口から缶を拾い上げ、プルタブを開けた。ブラックの缶コーヒー。随分と渋いものを飲む。ぐびぐびぐびっと飲んでから、はぁー、と深いため息を吐いた。
……なんだろう。どうにも違和感がある。以前、部室で暴れたときはこんな感じではなかった。ここまで自然体で話す人ではなかった。もっと冷たい態度を取る人だったのに。
「せ、先輩。僕と先輩は敵同士ですよね……、今、普通に話してますけど……」
「はぁ? いやまぁ、そうだけどさ。でも別にあんたと勝負するわけじゃないし。あぁなに? 前みたいにピリピリしてほしいの? あたしだって、いつもあんな態度取ってるわけじゃないんだけど」
呆れたように彼女は肩を竦める。なんだろう、これは。これでは本当にただの先輩だ。気安い先輩だ。戸惑う反面、彼女の「前みたいにピリピリしてほしいのか」という言葉がすっと入ってくる。そうなのかもしれない。瀬尾先輩の話を聞いたときも、同じような思いを抱いた。
僕は、彼女に倒すべき敵であってほしかったのかもしれない。彼女のやさしい面を見たくなかったのかもしれない。
気が付けば、僕は立河先輩に問いかけていた。
「あの、先輩。漫研の話なんですけど……」
僕が口にした途端、立河先輩は思い切り渋い顔をした。コーヒーが苦いわけではなさそうだ。彼女ははぁ、とため息を吐くと、鋭い眼光を僕に向ける。
「瀬尾か。どうせ瀬尾が変に美化して言ったんでしょうけど、違うから。あたしは漫研の連中が気に喰わなくて出てきただけ。むかついただけ。それ以上に意味なんてないから、変な勘違いするんじゃないわよ」
ふん、と鼻を鳴らし、これ以上は聞くな、と言わんばかりに口を閉ざす。そうされると何も言えない。黙って僕もジュースのプルタブを開けて、口に含んだ。
「ていうか、敵のことなんて気にしてないで、自分とこの心配すれば? 〆切キツいけど、瀬尾は間に合いそうなの?」
強引な話題変更で、そんなことを尋ねてくる。答えていいのだろうか。少し迷ったけど、この程度の話でどうにかなるとも思えない。正直に答えた。
「はぁ、多分。瀬尾先輩は大丈夫って言ってますけど」
「あぁそう。余裕そうね。まぁその辺は漫画とは勝手が違うか……」
立河先輩は疲れた様子で肩を揉んでいる。そう、〆切がキツいという話なら、彼女の方が厳しい。漫画を描く方が時間が掛かる。それは僕でもわかるし、ひとりでやるなら尚更だ。
本当に三週間足らずで描けるのか。「先輩は――」と尋ねようとすると、彼女は口を曲げて「厳しいわよ」と吐き捨てる。
「やるって言ったあたしが悪いんだけど、信じられないほどのキツさだわ。しんどいったらないわよ。すでに満身創痍」
再び大きくため息を吐く。そこには疑問を覚えた。彼女の言う通り、あの〆切を設定したのは立河先輩だ。キツくはないか、と心配されながらも、彼女はあの〆切を押し通した。その理由はなんだろう。尋ねると、彼女は「あぁ」と力の抜けた声を出す。
「まぁあの子たちに早く部室を使わせてあげたいっていう気持ちと、夏休み前に決着をつけたいっていう思いがね。
不安を抱えたまま長期休みに入りたくないのよ。今を逃せば、きっと二学期まで先延ばしになるわ。すぐに文化祭があるのに。それは嫌。
漫画を描きたいだけなのに部から追い出されて、宛がわれた部室はとても絵が描ける環境じゃない。
でも、それを受け入れなきゃいけない。そんなのってないでしょ。あたしたちは創作をしたいだけなのよ」
立河先輩は真面目な声色で、独り言のようにそう言った。聞き入ってしまう。それは、間違いなく彼女の本心に思えたからだ。
しかし、彼女は不愉快そうに頭を掻くと、「しゃべりすぎたわ」と缶コーヒーを一気に呷った。ゴミ箱に捨てて踵を返す。そのまま立ち去るかと思いきや、彼女は振り返って指を差してくる。
「瀬尾に付き合うのもいいけど、あんまり遅くならないようにしなさいよ。いくら日が長いって言っても、暗くなり始めたら早いんだから。それじゃあね、さようなら」
「さ、さようなら」
ぽつんと自販機の前に取り残される。……おしゃべりした挙句、帰りの心配までされてしまった。何とも言えない気持ちで、僕は部室に戻る。
本当にやめてほしい。僕にそういう一面を見せるのは。ほんの少し話しただけなのに、彼女についていった部員が多いという理由が、ちょっとだけわかってしまう。
頼りになる人だ。やさしい人だ。こういう形で出会わなければ、彼女に抱く印象はまるきり違うものだったろう。
できれば、悪い人であってほしかった。瀬尾先輩にコテンパンにされてしまえ、と思うほどにどうしようもない人であってほしかった。
それはきっと、僕のわがままだ。
部室の扉を開くと、ふっと気が抜けた。瀬尾先輩のおかげだ。彼女は机の上で、腕を枕にして眠っていた。疲れているのかもしれない。隣へ座っても、瀬尾先輩は起きる様子もなくすぅすぅと寝息を立てている。寝顔がしっかり見えていた。
いいんだろうか……、そう思いつつ、僕は彼女に手を伸ばす。
慎重に慎重に、起こさないように。集中しながらそれを手に取る。眼鏡だ。眠るつもりはなかったのか、かけっぱなしだった。買ったばかりなのに壊しかねない。
そっと眼鏡を取ると、彼女の綺麗な顔がよく見えた。眠っているせいか普段より幼く、可愛らしく見える。
「……綺麗な人だなぁ」
つい、そんなことを呟いてしまう。僕はそっと眼鏡を机に置くと、隣に彼女の缶ジュースをことん、と置いた。
「第三章 文学少女と初めての遊園地デート」へ続く。
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