第四章 心に最後に残るモノ 2


やまぶきさん、ちょっと話があるんだけど」


 休み時間の合間、ぼくあかちゃんがひとりになるタイミングで話しかけた。彼女が教室から出ていくのを見計らって。


 おそらくトイレにでも行くんだろう。トイレ前に話しかけるのは心苦しいけれど、彼女はなかなかひとりにならないので、仕方なかった。


 後ろから追いかけて、彼女のかたたたきながら声をける。予想外だったのは彼女の反応だ。かえった表情は実に暗かった。

 目をせながら、投げやりに「なに」と返されてしまう。


「ええと……、ここじゃ話しづらいから、放課後とかダメかな」


 あかちゃんの反応にまどいながらも、ぼくは用件を伝える。


 彼女はすぐにはうなずかなかった。窓の外に目を向けると、力のこもっていない声で言う。


「わたし今日そう当番だし、そのあとちょっと用事があるから、話せるのはかなりあとになるけど」


「それでもいいよ。待ってる」


 遠回しに断られているのはわかったけれど、話すなら今日じゃないとダメだ。それも直接話したかった。待てと言うのなら待とう。


「………………」


 待つと言ったぼくに、あかちゃんはみような表情を向けてくる。いいとも悪いとも言わない。無言でぼくを見つめてくる。


 それが何かをうつたえているように見えたけれど、その内容まではぼくにはわからなかった。


 ……ちんもくつらい。


 世間話でもいいから、口を開きたい。必死で話題を探していると、昨日の光景が頭にふっとかんだ。公園前の光景だ。


 あのとき、彼女に似た人を見た。ぼくは深い意味もなく、思いついたことをそのまま口にする。


「そういえばやまぶきさん、一昨日の夜って公園の前にいた? ほら、近所のあの公園」


「え」


 ぼくの言葉に、あかちゃんはきよかれた表情をかべる。かたをびくっとさせて、一歩身を引いた。手がかみびていく。せわしなくかみでながら、「え、えぇ? 一昨日? い、行ってないけど?」と目線を泳がせる。


「そっか。いや、一昨日ね……」


「し、知らないったら知らなーい! 何のことやら! それじゃ、わたしちょっとお花をみに行かないと、ね!」


 彼女は強引に話を打ち切ってしまうと、さっさかげて行ってしまった。……そんなにトイレに行きたかったのだろうか。だとしたら申し訳ないことをした。


 どうやら、一昨日の人はちがいだったようだし、気にする必要もなさそうだ。まぁ元々大事な話っていうわけでもない。大事な話は放課後だ。


 で、放課後。


 彼女と約束を取り付けた……、と思うので、ぼくは教室で待っていた。


 教室からはすっかりひとせていた。最初はだらだらおしゃべりする生徒も、部活へ行くために準備する生徒もいたけれど、時間が経つにつれて減っていった。ほかの教室にも残っている生徒はいないのか、ろうからも人の声は聞こえない。静けさだけが残っている。


 教室に残っているのも、今ではぼくと、それとはるだけだ。


 さっきまであきひとがいっしょにいてくれたけれど、ぼくはるだけになると「それじゃ、がんれよな」と帰っていったのだ。


 ぼくが何かを言ったわけではないのに、はるは自分の席にだまって座っていた。動かずにじっとしている。

 話しかけるようなふんでもないので、ぼくも自分の席で待っていた。


 ずいぶん静かだ。まるで校内にはだれもいないんじゃないか、とさつかくするほどに。


 気が付けば、窓の外はすでに日が暮れ始めている。夕暮れの色が教室に入り込んでいた。


「……まだ、待ってたんだ」


 しばらく経ってから、あかちゃんが教室へやってきた。とびらに手をかけながら、力のない表情で言う。


はるもいるし」


「わたしのことはお気になさらず」


 そう言って、はるは目をつぶった。不思議なもので、それだけで彼女の存在がはくになるような気さえした。


 あかちゃんは大きく息をくと、重い足取りでぼくの席の前へ座る。つばさの席だ。そこへこしかけながら、「それで?」と問いかけてくる。話って何なの、と。


「青春ミッションに関すること?」


 あかちゃんの口から、その言葉が飛び出してくる。そう言われると思い出す。初めて青春ミッションに関わったときの教室も、こんなふうに夕暮れの中だったな、と。


「そう。結局、ミッションの内容もあくしきれていないし、改めて話し合おうよ」


「…………」


 彼女はだまってぼくの顔をじぃっと見つめていた。ぼくの話を聞いているのだろうか。やまぶきさん? と名前を呼ぶと、視線を外して「聞いてるってば」とかみをかきあげた。


「……どうしたの、やまぶきさん。なんかげん悪くない?」


「べっつにぃ。悪くなんか、ないでっすけっどぉ」


 ぶー、とでも聞こえそうなくらい、げんがおで彼女はくちびるとがらせている。


 何なのだろう。ここまでこつげんが悪いところを見たことがないから、どう対処していいかわからない。


 妹はいつもこんな感じだけど、みたいに接するわけにはいかないだろうし。


 ぼくが困っていることが伝わったのか、ぼくをちらりと見てから軽く息をく。に座り直してから、形のいいくちびるを動かした。


「青春ミッションに関することよね。結局、休みのときに遊びに行ったのはハズレだったみたいだし、改めてかりを探さなきゃならない。そういうことでしょ?」


 彼女の言葉にぼくうなずく。


「そう。ミッションをやろうにも、そのミッション内容の見当がついていないんだから、まずそこから。で、やまぶきさん。何か思い当たることってある?」


「そう言われても、難しいのよね」


 あかちゃんは頭に手をやりながら、ため息まじりに言う。やはり何も思いついていない様子だ。


 こうなってくると、ミッションにちようせんすることもできない。進めることができない。あかちゃんがあの難解な文章からちようせんすべきことがらを思いつかないかぎり、ぼくにできることはないわけだ。


「ねぇ、やまぶきさん。これは提案なんだけど」


「なに?」


やまぶきさんがミッションで何をすべきか思いつくまで、こうやって会うのをやめない?」


「────」


 彼女の動きがぴたりと止まる。しばらくその体勢のままで固まり、顔をゆっくりとぼくへ向けた。その表情には何の感情も映していない。イエスともノーとも言わない。ただぼくを見つめている。

 空気が急速的に重苦しいものへと変わっていくのが感じ取れた。


「──どうして」


 ようやくあかちゃんの口から出てきた声にも、感情が乗っていない。無機質な声だ。その声が、周りの温度さえも冷たいものに変えていく。それ以外は何も聞こえない。


 校舎の外では部活をやっているだろうし、校舎内にも人は残っているはずなのに、この教室にはほかの音が聞こえてはこなかった。


 重くなっていく空気にこんわくしながらも、ぼくは話すのをやめなかった。


「今朝のことを考えたらわかるでしょう。ぼくたちの関係が誤解されてる。あの場で否定しても、そのあとふたりでいたら説得力なんてないしさ。一回はなれた方がいいよ」


 今朝のそうどうははっきり言ってあやうかったし、あかちゃんの機転がなければ本当に誤解されていただろう。デートしたのは事実だからだ。

 ぼくも彼女もかつだったとしか言いようがない。あかちゃんのことを考えれば、もうあんなことはやめた方がいい。いっしょにいるのもだ。


「ミッションがわかれば教えてくれればいいし、内容だいではぼくがミッションをひとりでもこなすから。……やまぶきさん?」


 彼女は聞いているのかいないのか、表情を変えないまま動かなかった。目をせながら、小さな口がわずかに動く。


「……わたしとそういうふうに誤解されたら、困るんだ」


 おどろいた。その言葉の内容にはもちろん、その声の質にだ。冷たく、突き放すような声。聞いているだけで不安になるような声。おんな空気が教室を満たす。あせりを覚える。あわててぼくは、口を開いた。


「え。いや。困るのはやまぶきさんの方でしょ?」


「なんでわたしが困るのよ」


 せていた目を上げて、彼女はぼくを見た。無表情だった彼女の顔に、いかりの感情が宿っているのが見て取れた。それを見ておどろく。



 あかちゃんがおこっている。



 ひとみに映るいかりの感情と、わずかに混ざるかなしみの色。あかちゃんがおこるところを見たことはある。


 けれど、これは別物に感じた。だんいかりとはほどとおい。


 あかちゃんが本当におこっている。


 なぜ、だろうか。


 そんな表情を見たことがなかったぼくは、まどいながらも口を開く。ぼくとしても引けないのだ。


 けれどそれが、トドメになった。


「いや、だって。ぼくみたいな人が彼氏だと思われたら、やまぶきさんはいやでしょ……? ぼくつうの高校生で。やまぶきさんは可愛かわいくて、みんなから好かれていて、人気があるのに誤解される相手がぼくじゃ……」


「もういいッ!」


 突然声を張り上げて、あかちゃんは立ち上がった。勢い良く机をたたく。

 静かだった教室の中に、はじけたような音がひびく。彼女は机をたたいた体勢のまま、顔をせながらさけんだ。


「正直に言えばいいじゃない! そんなわざとらしい言葉を重ねたりしないで! わたしと恋人だって誤解されて困るのは、あなたの方でしょう!?」


「な、なにを……」


 思い切り声をたたきつけられる。彼女の勢いにされて、言葉が上手く出てこなかった。


 彼女がどういう意味で言っているのかわからず、かえそうとしたが、それよりも早くあかちゃんは顔を上げた。その顔にすでいかりはない。皮肉めいたった笑みをかべながら、彼女はぼくに顔を近付けてくる。


「だって、そうでしょう? あなたには可愛かわいらしい彼女がいるんだもの。ただのおさなじみと休日をつぶしてまでいっしょにいるなんて、いやに決まってる。それとも彼女に何か言われた? それなら、そう言えばいいじゃないッ!」


 再び彼女はきようかんする。「ちょ、ちょっと待ってよ」とぼくあかちゃんに手を向けるが、次の言葉が出てこない。混乱がけていかない。


 彼女、彼女ってなんだ? あれは、ぼくあかちゃんの関係をごまかすための方便じゃなかったのか……?


 ぼくこしかしかけて、何からていせいするべきか迷っていると、あかちゃんははっとしたような表情をかべた。

 我に返ったようで、彼女はくちびるみながら顔を右手でおおう。かみがくしゃりとつぶされる。


 一歩二歩、と後ずさりながら、「あぁもう……! こんなんじゃバカみたいじゃない……!」といらった声を上げた。


「あぁ、ようやくわかったわ。わたしにもわかった。こんなふうなんだ。こんなにも苦しいものなんだ。そりゃのろいにもなるわよ、こんなどうしようもない感情がけば……ッ!」


 あかちゃんはぶつぶつと独り言を重ねながら、胸に手を当てて苦しそうな声を上げる。あわてて、ぼくは彼女の元へろうとした。


「来ないでよッ!」


 足が止まる。見たこともない完全なきよぜつに、無理矢理に動きを止められる。あかちゃんは顔を上げると、するどい目つきでぼくくししにした。


「いい。もういい、無理してわたしを手伝って欲しくなんかない! ミッションもわたしがひとりでやるんだから、あなたはもう関わらないでッ!」


 彼女はそうさけぶと、そのまま教室から走って出て行ってしまった。ぼうぜんとする。小さくなっていく足音を聞きながら、ぼくは力なくに座りこんだ。


 なんで。


 なんでこうなるんだろう。

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