第三章 デートへ行きましょう 2


 やまぶきさんのそんな話を聞きながら、駅へと向かっていく。物を持てない彼女を自動改札機に通すのは大変だったが、何とかやりげ、ホームで電車を待つ。朝の時間帯だけにホームには人があふれていた。


 電車待ちの行列に並びながら、「それでねー」と話すやまぶきさんを見ていると、いくつもの視線を感じる。彼女は人目を引く。男はもちろん、女性も「おお」といった顔で彼女に目を向けている。


 その視線はどれもやまぶきさんのぼうに向けられたもので、かんしようのマークに気付いた人はいなかった。彼女も視線を向けられることには慣れているのか、見られていても気にしていない。


「そういえば、やまぶきさん。青春ミッションの内容、思い当たる節ってあった?」


 ほおのマークを見つめながらたずねてみる。たんに彼女はうーん、としぶい顔を作ってうでみをした。


「ぜんぜん意味はわかんなかったけど、心残りを解消して前へ行けってことはわかった」


『ふたりの男女が心をさらす ともに行き ともにき ともに往く 昔のざんを拾い上げながら それは思い出にすべきことではない 心残りがある限り 決して前には進めないのだから』


 それはぼくも思い至った。何かしらの心残りがキーワードであることは想像できる。問題はその内容だ。


やまぶきさんが心残りにしていることってある?」


「……んー」


 ぼくたずねると、彼女は前を向いたままあいまいな返事をする。ちらりとぼくを横目でいちべつすると、「そうじゃないわよね」と小声でつぶやくのが聞こえた。どういうことだろう。


 ぼくが様子をうかがっていると、彼女はぱっと声を明るくしてこう言った。


「色々考えてみたんだけど、最近の出来事で心残りっていうと、もしかしてアレかなーっていうのは一個だけあったのよ」


「おお」


「いや、期待しないで。この前ね、といっしょに遊んだんだけど」


 だれかと思えば、クラスメイトのもりぞのさんだ。以前、教室でやまぶきさんに「ブース」とせいを浴びせてけんに発展していたあの子。そんな関係になっていたのか。手が早いというか、なんというか。あの関係から遊びに行くまでのあいだがらになっているのはすごいことである。


 ぼくの感心には気が付かず、彼女は手ぶりを交えて話を進めていた。


「最初はふたりきりでショッピングモールとかをだらだらデートする予定だったのよ。でも遊ぶって聞きつけた友達が、何人か集まっちゃって。結局みんなで水族館行っちゃったのよね。もちろん楽しかったし、とも仲良くなれたからよかったんだけど、ちょーっとだけ、デートもしたかったなーって」


 なるほど。言わんとしていることはわかる。女の子同士で遊ぶことに対して、かたくなにデートという言葉を使っているのは置いといて。


 それならば、とぼくは口を開く。これは青春ミッションとしてではなく、単に思ったことなんだけれど。


「なら、また改めてもりぞのさんをさそえばよかったんじゃない? 今度こそ、ふたりで遊びに行こうよって」


 予定が変わったのなら、また立てればいいだけの話だ。もりぞのさんも最初はふたりで行くつもりだったんだろうし、二回目はダメってこともないだろう。


 けれど、やまぶきさんは何やらみような表情をかべる。照れ笑いと苦笑いのちょうど中間くらいの表情。


「……いや、別にそれでもいいんだけど。改まってまたさそうとなると、何だかマジっぽく思われない?」


 心配しなくても今でもかなりマジっぽいけど。


 ホームに電車が入ってきたので、ぞろぞろ乗り込んでいく。電車内は混雑していた。座ることもできないので、ぼくやまぶきさんはとなり同士で並ぶ。ぼくつりかわつかまって立っていると、やまぶきさんは何やら険しい表情をかべていた。電車が動き出す。


 がたん、とれたひように、やまぶきさんはつりかわに手をばしたけれど、それはむなしくくうを切った。バランスをくずしてぼくにぶつかってくる。


「ご、ごめん……」


 身体をはなしながら、やまぶきさんは困ったような表情をかべている。あぁそうか。物にれることができない彼女は、つりかわつかめない。れる電車内をたいかんだけで支えなければならないのだ。それは大変だ。


 ぼくは彼女にこそっと、「ぼくの服、つかんでいてもいいから」と伝える。すると彼女は、ほおゆるめながら「ありがとぉ」と言ってくれた。うわづかいの笑顔のりよくが高すぎて、ぼくはそっと前を見る。


 やまぶきさんがきゅっとぼくの服のすそつかむ。目立たないように。「よかった、これはセーフなのね」とやまぶきさんは安心したように言う。ぼくも同じ気持ちだ。


 すそつかめるかどうか心配だったけれど、身体の一部分としてとらえられているようだ。しっかりとつかめている。


 ぼくは彼女の手を意識しないように、ポケットに手を入れる。

 取り出したのは破ったノートのメモ。そこには昨日の〝青春ミッションボード〟の文言が書かれている。


 再び青春ミッションについて考えていると、同じようにはしを見ていたやまぶきさんが「……心をさらす、かぁ」とぽつりとつぶやく。ぼくが目を向けると、照れくさそうに軽く手をった。


「いやね、心をさらすって言い方じゃなくて、本音を言うって感じなんだけど。本音を言うと、わたしはとデートがしたいっていうよりはだれかとのんびり過ごしたかったのかもなぁって」


 さっきのもりぞのさんの話か。ぼくだまって続きを待っていると、彼女は指を立てながら言う。


「わたしってだれかと遊びに行くときは、大人数になりがちだから。それはもちろん楽しいし、わいわいするのも好きなんだけど、たまにはだれかとゆっくり休日を過ごしたかったのかもしれない。ぶらぶらしながら、そのときの気分だいで遊ぶっていうか。人が多いと、わがままもづらいでしょ」


 その気持ちは何となくわかる。ぼくも人と遊ぶときは、人数が多いほど楽しいと思うタイプだ。その反面、少ない人数でのんびりするのもそれはそれで楽しい。どっちも好きなのだ。


 片方がよりいい、という話ではなく、たまにはちがう方も選びたい、という話。


 ということは、やまぶきさんは「のんびり遊ぶことができなかった」というのが心残りだというわけだ。


 それならば。


「なら、やまぶきさんの心残りである『だれかとのんびり遊ぶこと』を実行すれば、ミッション成功になるのかな」


「え? いやぁ、どうだろ。それだと、ここだけしか合ってなくない?」


 言いながら、やまぶきさんは文の一部を指でなぞるようにして示した。『心残りがある限り 決して前には進めないのだから』。確かにそうだ。このミッション通りにするというのなら、もっと合わせる必要がある。そこで目に入った。『ふたりの男女』という文字列。これは初めてのミッションでも書かれていた一文だ。


 実際あのときは、ぼくやまぶきさんで『ふたりの男女』を演じた。ぼくはそこを指差して言う。


「なら、ぼくやまぶきさんが休みの日にのんびり遊べば、ミッション通りになるかもしれない。ええと、ショッピングモールだっけ。今度、行ってみる?」


 ぼくの口からはそんな言葉が飛び出していた。考えるより先に。言ってから、とんでもないことを口にしていることに気が付いた。デートにさそっている。全世界のだれよりも可愛かわいらしい女の子を、このぼくが。つうの高校生でしかないぼくが。


 しかし、出た言葉は引っ込められない。ぼくはそのまま固まってしまう。しかし、不思議なことに、やまぶきさんも同じように固まっていた。カチコチだ。ぼくの顔を見ながら、おどろいた表情をかべている。


「……え、えーと。やまぶきさんがよければ、だけど」


 彼女の固まった顔を見ながら、ぼくおそおそる付け足す。すると彼女は「……行く」と小さな声でつぶやいた。反射的に「え」と声をらしてしまう。


「行く! 行きたいっ!」


 ぎゅっと服のすそつかみながら、ぼくに身体を寄せて彼女は言う。そのひとみはきらきらとかがやいていた。その眼に吸い込まれそうになりながら、ぼくは何とか「そ、それならいつにしよう」とたどたどしく口にする。そこでようやく、強くつかんでいた手がぼくからはなれる。


「あ、待って待って! 予定帳見るから! 今週空いてたかしら……」


 ほころんだ顔で、予定帳を取り出そうとするやまぶきさん。ぼくがその姿に心をうばわれていると、彼女の動きがぴたりと止まった。みようなポーズのままで固まっている。


 どうしたの、とたずねる必要もない。彼女は今、かばんも何も持っていないし、そもそものろいで物にれられないのである。


「……予定帳が見られるようになったら、また言うわね。待ってて」


「うん……」


 あまりのテンションの落差に、何も言えなくなってしまう。彼女は前を向いたまま、軽く息を吐いた。ぼくは横目でその姿を見つめる。すると、やまぶきさんは両手を合わせて口元へ持っていき、「んへへ」とまりのない顔で笑った。


「楽しみだ」


 独り言だったのだろう。彼女は視線を落としながら、静かにそう言った。ふにゃっとした笑みはだれかに向けられたわけではない。彼女の手は自然にぼくの服のすそつかみ、電車の中でれていた。


「………………」


 そんなにもおだやかな時間の中で、ぼくは気付いてしまう。


 車両のはしから感じるえんりよな視線。ちがう学校の制服を着た男子三人が、そっとやまぶきさんのことを指差している。何を話しているのかはわかる。その表情を見ればいちもくりようぜんだ。

 やまぶきさんが人の視線を吸い寄せてしまうのは、いつものことである。


 けれど、その表情がにわかにくもる。舌打ちでも飛び出してきそうだ。やまぶきさんの手が、ぼくの服にびているのが見えたのだろう。ぼくと彼女は特別な関係ではない。


 しかし、こんな姿では誤解されるのは仕方がないし、何であれ彼女のとなりに立つ男はそんな視線を受けることになる。


 その上で乗せられる、「なんであんなやつが」という視線。


 そう言いたくなるのはわかる。容姿がへいぼんぼくとなりに立っていれば、そう思われるのは仕方がない。それは別にいい。けれど、やまぶきさんが「あんな男といるような女」と思われるのはいやだった。


 れる電車の中で、すそつかむ彼女の手ばかり気になっていた。

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