第二章 駆け抜けろ青春、まるで転がり落ちるように 6


 ──で。


 およそ二十時。ぼくやまぶきさんは、家の近くで待ち合わせしていた。ご近所さんの強みだ。


 すっかり暗くなった住宅街はあまり物音が聞こえてこない。たまに車が通ることで、ようやく人の気配を確認できる程度。まだそんなにおそくなっていないのに、ずいぶん静かだ。虫が電灯に集まるのを見つめる。


「お待たせ」


 やまぶきさんの声が聞こえて、そちらに目を向ける。彼女は手をひらひらとさせながら笑っていた。時間ぴったりである。こうやって夜に会うのはなかなかしんせんなのだけれど、服装はいつもと変わらずセーラー服。ぼくも学ランである。一応、学校内に入るわけだから、制服で来た方がいいと判断したのだ。


「それじゃあ、いこっか」


 やまぶきさんにうながされて歩き出す。夜だからといって、学校への行き方は変わらない。駅で電車に乗ってあとは徒歩だ。だからこそ、こうもすんなりとやまぶきさんが出てこられたことに少しおどろいた。


やまぶきさん、なんて言って家を出てきたの?」


「ん? 学校に忘れ物を取りに行くって言って出てきたけど?」


 ぼくと同じだ。親には忘れ物をした、と言ってある。そこまでおそい時間ではないし、何よりぼくは男だったので、特に心配されることもなかった。けれどやまぶきさんはちがう。こんなにもかわいい女の子を、夜道に出すのは危険だとは思わなかったのだろうか。


「あ、だいじよう。お母さんには『あおくんといっしょに行く』って言ったら、じゃあいいよ、って言われたから」


「…………」


 しんらいの言葉はうれしいような、申し訳ないような。やまぶきさんのお母さんとは会えばあいさつはするけれど、しんらいしてもらえるようなあいだがらではない。

 未だに親たちの目からは、仲の良かったころと同じように見えているのかもしれない。


 まぁ今回はそれがいい方向に転んだわけだけど。やまぶきさんがいないとミッションはクリアできない。ミッションを行うのはぼくだけれど、ミッションボードには「かわいいあの子」という表記があった。ぼくがひとりで行ってもミッションはすいこうできない。


 そもそも、ひとりだったらどうやってプールではしゃぐのか、という話だけど。


 いつもと同じように電車に乗り、同じ駅で降りる。ちがうのは座れるくらいに乗客が少ないことと、周りに学生がいないことだろうか。それは降りてからも同じだった。

 登下校時は学校から駅まで生徒がたくさん歩いているが、今は人の気配がない。おかげで、とがめられることなく、校門前までやってこられた。


 しかし、当然のように校門は閉まっている。校舎も真っ暗だ。暗いグラウンドに静まり返った校舎、いつもの学校とは全くちがったふんである。立ち入りを禁じる。そう暗に言われているかのようだった。


「中は……、だれもいない、のかしら」


「多分。先生たちももう帰っちゃったんじゃない?」


 校門前でひそひそとないしよばなしをするぼくたち。しばらく様子をうかがう。けれど、確証が得られない。本当にだれもいないのだろうか。


「……一応、学校の周りをぐるっと回って確認してみようか」


「そうしましょう。中ではちわせするのが、一番こわいし」


 やまぶきさんとうなずう。しんにゆうしてから実は人が残っていました、ではお話にならない。教師に見つかればただじゃ済まないだろうし、ここはしんちようにいくのが一番だろう。


 ぼくたちは学校内に目を向けながら、周りの道を歩いていく。静かだった。学校の中も、ぼくたちが歩いている道も。通行人もけない。

 今、校門を乗り越えてしんにゆうしても、きっとだれにも見られないのではないだろうか。


「えーと、『夜の学校』はこれでクリアでしょ。『かわいいあの子』はわたし。で、あとはプールではしゃげば、ミッションはクリアでいいのよね?」


 やまぶきさんが指折り数えながら、ミッションの内容を確認している。


「だと思うよ。プールではしゃぐ、っていう指示があいまいでやりづらいけど」


「白目をきながら、あばばばーってプールサイドを走り回ればはしゃいでる感出ない?」


「それだれがやるの? ぼくじゃないよね?」


 彼女はぼくの問いには答えず、「ま、今回のミッションは問題なさそうでよかったわ」と笑う。


 まぁ、それは確かに。前回のミッションは大変な目にった。毎回あんな思いをしたくはない。


 実際のところ、ぼくたちはほとんどミッションをクリアした気になっていた。難関はすでとつしているからだ。


 今回のミッションで難易度が高いのは、夜に家をすことと、学校にしのむこと。前者はすでに達成したし、確認できれば学校内のしんにゆうも容易だろう。問題はない。


 ……そう思って、ぼくたちはすっかり油断していたのだ。


「……君たち、こんな時間に何をしているのかな」


 突然、後ろから声をけられて、びくっと飛び上がりそうになる。おそおそかえると、なんとそこには警察官が立っていた。

 中年の男性と若い男性。彼らは人の良さそうな笑顔を向けながらも、ぼくたちの姿をじろじろと見ている。


「この学校の生徒さん? それ、ここの制服だよね? でも、学校はもう真っ暗だし、何をしているのかなーって声けさせてもらったんだけど」


 ……まずい。


 制服で来たのが裏目に出た。深夜というわけではないし、「こんな時間に」と言われるような時刻ではないような気はするが、じようきようがまずかった。制服を着た男女ふたりが、真っ暗な学校の前でうろうろしていたら、そりゃ警察官だったら声もけるだろう。


「あぁ、ええと、その……」


 ふたりの警察官を前に、ぼくは何も言えなくなってしまう。あつかんが強すぎる。悪いことをしていなくても警察官を見れば身構えるのに、今はその悪いことをしようとする前だ。

 つうの高校生ならひるんでしまう。言い訳も出ない。どうしよう、補導されてしまうのだろうか……?


「そっちの子はどうしたの。こっちを向きなさい」


 若い方の警察官が、やまぶきさんに声をける。

 彼女はなぜか、前を向いたまま決してかえろうとはしなかった。はんこうしているわけではないらしい。

 目をぐりぐりと動かして、あせりの表情をかべている。


「ど、どうしたの」


 ぼくが小声でたずねると、彼女も同じように小声で、「いや、かえったらわたしは絶対顔を覚えられる」と早口で言った。……なるほど。世界一のぼうが、こんなところで裏目に出るとは。


「ほら、どうしたの。理由があってここにいるのなら、その理由を言ってごらん」


 さとされても、言えるような理由ではない。こっちは学校にしのもうとしているのだ。

 かといって、だいたいになる言い訳も持っていない。前もって考えておくんだった。混乱を起こしている頭では、何も思い付きそうにない。


 どうしよう。どうするべきか。


 視線を感じて、横を見る。やまぶきさんが目線をこちらへ向けていた。そのひとみには何かの決意を感じる。彼女はきゅっと引き結んだくちびるいつしゆんゆるめ、「やるしかない」とぼくにだけ聞こえる声で言う。


 ……ちょっと待って。


 ぼくまどっているのに、やまぶきさんは力強くうなずいた。……この人、やる気だ!


「ゴウッ!」


 そのごえとともに、やまぶきさんは見事なフォームで地面をった。道をまっすぐにけていく。それに引っ張られるように、ぼくも同じ方向へした。


「あ、こら! 待ちなさい!」


 警察官のさけごえと、ぼくたちを追いかけてくる音が耳に届く。四つのくつが地をたたいている。こわくてかえることができず、ぼくやまぶきさんの背中を見ながら、ひたすら足を動かしていた。


 彼女は角を一度曲がり、さらに曲がった。ずいぶんいつしようけんめい走ったおかげか、後ろからの足音も遠く感じる。それでもかえれなかったけれど。


 そうしているうちに、学校の周りをぐるりと一周していた。すると、やまぶきさんはぼくの顔を見ながら、指先を校門へぴっと向けた。口はひらかない。しかし、彼女が言いたいことはわかった。


 ぼくたちは走る勢いをそのままに、校門を飛び越えた。


 やまぶきさんは見事だった。スカートをひるがえしながら、れいに門を越えて着地してみせる。

 ……ぼくは足を門にけてしまった上に、ちょっとつんのめった。が、校門は越えた。すぐにものかげかくれる。


「………………」


「………………」


 外の様子をうかがう。おたがいにじっとだまって。かたうくらいに身を寄せ合い、縮こまって小さくなろうと必死になる。

 心臓は痛いくらいにバクバクと鳴っていた。やまぶきさんが近いからではない。楽しいときめきは今はない。


「……追いかけて、こないわね」


「……うん」


 十分すぎるほど待ってから、静かに口を開く。さっきから何も聞こえてこない。遠くで犬がえたくらいだ。


 多分、だいじよう。きっとあきらめたのだろう。


「はぁー……」


 ほとんど同時に深い、本当に深いため息をく。身体から力がけていく。そのまま地面に座り込んでしまった。見ると、やまぶきさんも同じような格好になっている。それがおかしくて、おたがいに笑ってしまった。


「危なかったわね……。まさか、補導されかけるなんて。れてよかったわ」


すとは思わなかったけどね……。やまぶきさん、意外ときもわってるよね」


「そう見える?」


 やまぶきさんは苦笑すると、自分の手をかかげてみせた。明らかにぶるぶるふるえている。今も止まらないようだ。ぼくも自分の両手を見ると、同じようにふるえていた。また笑ってしまう。

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