第二章 駆け抜けろ青春、まるで転がり落ちるように 7


「さ、いつまでも笑ってないで行きましょ。まだわたしたち、何も終わらせてないんだし」


 彼女は立ち上がり、プールの方を指差す。確かにそうだ。すでにどっとつかれているし、今ごろになってあせしてきたのだけれど、何もげてはいないのだ。


 やまぶきさんはプールに向かってす。ぼくあわてて追いかけた。


 どうやら人は残っていないようだし、外から見られる心配を考えると、走った方がいいのだろう。収まっていないどうが、再び強くなる。走っているからではない。


 だれもいない夜の学校にしんにゆうするこうようかん、警察官からのとうぼうげき。悪いことをしている実感が、しびれるような興奮を身体にきざむ。


「あは。なんだかドキドキするわね」


 となりを走るやまぶきさんは、笑みをこらえることなくそう言う。同感だ。ちょっといつもとちがうだけで、こんなにも心臓は高鳴っている。


 わずかな月明かりだけをたよりに走り、屋外プールへ辿たどく。ぼくたちはまだ一度も使ったことがないプールだ。しかし、中学とそれほど変わりはない。プールの周りはフェンスで囲ってあり、すぐ近くにこうしつへいせつされている。


 フェンスのとびらに手をける。かしゃん、というかわいた音がかぎの存在を知らせていた。


かぎかってるわね」


「そうだね。わかってたことだけど」


「そうなると……、これも乗り越えるしかないわよね」


 そういうことになる。フェンスはそれほど高いわけでもないし、かぎを開ける方法を探すよりずっと簡単だろう。


 やまぶきさんはフェンスに両手をけて、「よっと」というごえとともに足を引っかける。身軽な身のこなしだ。

 これなら数秒とからずフェンスを乗り越えられるだろうが……、いいのだろうか。

 やまぶきさんはスカートだ。フェンスを登っていけば、下にいるぼくは幸せなことになる。わざわざてきするつもりもないけれど。


「あ」


 残念ながらちゆうで気が付いてしまったらしい。やまぶきさんは照れ笑いをかべながら、「ごめん、先行って」とフェンスから降りてしまった。

 ……うん、まぁわかっていたことだ。そんなラッキーはなかなか回ってこないってことを。


 ぼくはフェンスに足をけると、そのままひょいひょいと乗り越える。やまぶきさんも同じように簡単に乗り越えていた。


 ふたりして地に足を着けたあと、目の前の光景に「おー」と声を上げた。


 夜だからプールも暗くてよく見えないのかと思っていたけれど、おもちがいだった。水面がひかかがやいている。

 遠くの電灯の光、空にぽっかりとかぶ月、ちりばめられた星のまたたき。それらがプールの上でれているのだ。れいに光を反射させながら、そこにたたずんでいる。


 予想していたよりもれいで、げんそうてきなプールの光景に、ぼくたちはつい声をらしてしまっていた。


「思ったよりもれいね。プールも水も」


 やまぶきさんがたたたっとプールへ近付いていく。「プールサイドは走ると危ないよ」とぼくはつい声をかけてしまうが、別にれてはいないし、くついているし、そうでもないんだろうか。


 しかし、やまぶきさんはいつの間にかくつくつしたいでしまっていた。れてはいないが、あのはしゃぎようは本当に転んでしまいそうだ。


「きゃー、気持ちいい」


 プールの近くにしゃがみこむと、ぱしゃぱしゃとうれしそうに水をはじいている。ぼくやまぶきさんにならってくつぎ、裸足はだしになってから彼女のそばへ寄っていく。


「水、冷たい?」


「ぬるい! ぬるいけど、ちょうどいいぬるさ! ここ最近ちょっと暑かったからねー、気持ちいいよ」


 うーん、本当に気持ち良さそうだ。ついぼくも小走りになってしまう。


 彼女のとなりに座り込み、ひかかがやく水面に手を入れる。小さく飛沫しぶきを上げた。やまぶきさんの言う通り、あまり冷たくはなく、しかしそれがここい。


 先ほどまで走っていたこともあって、熱くなった身体をいやしてくれた。飛沫しぶきがまた光を反射させる。

 ぴかぴかと光るプールの水と、ここい温度の水に手がれていると、次の欲求が生まれてきてしまう。


「……むしろ、飛び込んでしまいたいわね」


 やまぶきさんがプールをながめながら、ぼそりと言う。


「わかるけどさ。さすがにそれは、ね」


 いくら何でも、プールに入るのはダメだろう。そのときは気持ちいいかもしれないが、あとが大変だ。現実的ではない。それはやまぶきさんもわかっているのだろう、ちぇーっとくちびるとがらせた。「気持ち良さそうなのになぁ」と。


 しばらくはしゃがんで水と遊んでいたが、まんできずに今度は足を水の中へ突っ込んだ。ふたり並んで足で水をはじく。これがまたいい。少しばかり夏を先取りしているようで、特別な気分になってくる。


 しかし。


「……で、どうしよ」


 やまぶきさんがぽつりとつぶやく。「どうしようね……」と返すぼくの声も弱々しい。



『夜の学校にこっそりしのんで、かわいいあの子とプールではしゃいじゃえ~! きゃー! 青春☆』



 あのアホっぽいミッション内容を思い出す。〝青春ミッションボード〟にはそう書かれていた。そして、ぼくたちはそのミッションに従っているはずなのだ。


「クリアしたなら、きっとはるが来てくれるはずよね? でも、何も起こらないってことは……」


「クリアしていないんだ、きっと。ミッションを達成できてない。でも……」


 場所はクリアした。同行人もクリアしている。ならば、あと足りていないものといえば……。


「はしゃぎ方が足りない……?」


「そう……、なるよね」


 はぁ、とやまぶきさんがため息をく。足で水面をらしながら、「わたし、結構はしゃいでなかった?」と困ったように笑う。うん。はしゃいでいた。


「でも、まだまだってことなのかな……? もっともっと、はしゃげってこと……?」


 なかなかに難しい注文だ。そもそも、はしゃぐって言われてやるようなことじゃないし。プール以外に何もないこの場所で、これ以上テンションを上げるにはどうすればいいのだろうか。


「よし、やろ! もっともっと、はしゃごう!」


 やまぶきさんは自分に言い聞かせるように声を張り上げると、水をばしゃっとげた。立ち上がってプールサイドに立つと、ぼくに向かって「ささ、あおくんも早く!」と手招きする。まどいながらも、ぼくは彼女の正面に立つ。


「ほら、あおくん! テンション上げて! 白目白目!」


「白目に対するしんらいすごい」


 しかし、そう指定されてしまうとやらなければいけない気がしてくる。よし。ミッションのためだ。やまぶきさんのためだ。ここはバカにでも何にでもなるしかない──!


 ぼくは彼女の言う通り、白目になると「あばばばー!」と声を上げながら、その場でみようなステップをんでみせる。どすどすとみしめる。


 それを見て、やまぶきさんはあつに取られたというか、もどりそうになっていたが、すんでのところで「いいねー!」とぼくに人差し指を突きつけた。


「よーし、わたしもおどるわよー! はしゃぐよ! イェイイェイ!」


 になっているとしか思えないテンションだった。声もうわっている。しかし、そうなりながらも彼女はおどっていた。うでり、こしり。|


 裸足はだしこしをくねらせているのはせんじようてきではあったのだけど、ぼくもおかしな動きをするのにいそがしかった。


 しばらくの間、おたがいにせいみような動作を続けていたが、どちらともなく動きが止まった。バテたのだ。

 あまりにカロリー消費の激しい運動に、先に体力がきてしまった。あらい息をぜいぜいとかえす。


「……………………」


「……………………」


 かたで息をしながら待ってはみたけれど、何も起こらなかった。


 周りをわたしても、はるが来る様子はない。ミッションを達成したときの光もない。ミッションは未だクリアに至っていないらしい。


「……うぐぅ」


 突然、みよううめき声をあげながら、やまぶきさんはその場でしゃがみこむ。両手で顔をおおって、ぷるぷるとふるえていた。耳まで真っ赤だ。


 泣き出しそうな声で、「は、ずかしすぎる……、何がイェイよ、バカじゃないの……?」とおのれの行動をなげいている。いや、ぼくのあばばばーよりはマシでしょ。


「でも、困ったね。どうしよう、これ」


 ほうに暮れる。はつぽうふさがりだ。意図的にあれ以上のテンションを生み出すのは難しいし、かといってほかにはしゃげるようなギミックもない。これ以上、何をすればいいのかがわからないのだ。


「ね、本当にどうしよっか……」


 やまぶきさんが気落ちした様子でプールに目を向ける。ぼくも同じようにプールをながめながら、手でぱたぱたと顔をあおいだ。暑い。わけのわからない動きであせをかいてしまった。見ると、やまぶきさんも顔をあおいでいる。一筋のあせほおを伝っていた。


「……あ」


 何かひらめいたらしい。やまぶきさんは声を上げると、水面を指差した。「ちょっとあおくん。あれ見てよ、あれ」と声をはずませる。


「あれ? あれってどれ?」


「あれだってば。ほら、真ん中のほう。見えない?」


「んー?」


 やまぶきさんの指を差しているものがわからない。何かかんでいるのだろうか? よく見えないので、プールに近付いて目をらしてみる。水面にれはない。月の光が水の中へとんでいる。れいな姿があるばかりで、そこにおかしなものは見られなかった。


 そのときだ。


「はーい、ちょっと失礼しますねー」


 やまぶきさんが背後にぴたりとくっついて、ぼくのポケットへ手をすべませていた。身体がこうちよくする。なんだ。なんだろう、急に。あまりにも突然に急接近されて、しかもポケットに手を突っ込まれるというなぞの行動に混乱する。


「え、あ、あの、ちょっと、何を……?」


 しどろもどろでたずねてみるけれど、彼女は何も答えてはくれない。ごそごそとポケットをあさるばかりだ。ていこうできずにされるがままになってしまう。


「お、あったあった。さいけいたいは、れちゃうとまずいじゃない?」


 ようやくぼくのポケットから手をいたかと思うと、ポケットの中身までいっしょに持っていってしまった。どういうつもりなのだろう。彼女がぼくからはなれたので、あわててかえる。


 なぜかそこには、満面の笑みで立っているやまぶきさんがいた。


「はい、どーん」


「え」


 思わぬしようげきに、身体がぐらつく。バランスをくずす。視界には、ぼくを笑顔でプールへ突き飛ばすやまぶきさんの姿だけがあった。


 どぼん、と勢い良く水の中へ落ちていく。全身に水の温度が届いていく。不確かな視界と服が水を吸っていくのを感じながら、ごぼごぼと口からあわを吐いた。あわてて、プールの底に足をついて身体を起こす。


「な、なにするのさ、やまぶきさんっ!」


 当然ながら、そんなこうの声を彼女に上げる。プールに突き飛ばすなんて何を考えているのだ。どうしようもなくずぶぬれだ。上から下までぐっしょりだ。


 どうするんだこれ。帰りも電車だというのに──。


「……え」


 ここまでれてしまうと、本当に困る。どうしようもない。そうなってしまっているからこそ、その光景にはおどろいた。目を疑った。


 やまぶきさんが、ぼくに向かって思い切り飛び込んできていた。プールサイドから足をはなし、水の中へ向かって飛んできている。セーラー服がれる。スカートがたなびく。月明りを背にして、空を映す水面へ彼女は飛ぶ。


 その光景がとてもれいだった。かがやく水面に負けないほどの笑顔で、プールへ飛び込んでくる彼女はどんなものよりも美しかった。


 ぼくが心をうばわれている間に、ばしゃん、と勢い良く彼女は着水する。飛沫しぶきが激しくがる。ぼくの顔にも思い切りかかった。


 しばらくは水の中でごぼごぼとしていた彼女だったが、飛び込むときと同じくらいの勢いで顔を出した。ぷは、と口を開く。


 ぷるぷると首をると、かみから小さなみず飛沫しぶきが生まれていく。彼女は顔をくと、さけぶように言った。



「あーッ! 気持ちイイ! 最高に気持ちいいよ!」


「いや、気持ちいいじゃないよ! どうするのさ、ぼくたちふたりともずぶぬれだよ!」


「うるさいうるさーい!」



 ぼくこうを無視して、やまぶきさんはぼくに水をばしゃばしゃとけてくる。ぼくが顔をかばうと、やまぶきさんは楽しそうに笑い声をあげた。本当に楽しそうだ。

 だれもいない学校内で、彼女の笑い声だけがひびいている。


「やったな、このっ!」


「わぁ!」


 その笑い声につられるように、ぼくの方まで楽しくなってきてしまった。お返しに水をけてやる。力いっぱい彼女の方に水を飛ばしていると、彼女は「ひゃー!」と声を上げながら、水の中へとげていってしまった。


 ぼくもそれを追いかけるが、水面に顔を出したたんにまた水をけられてしまう。こなくそ。ぼくも負けじと水をまき散らす。おたがいにばしゃばしゃと水をった。



 夜の学校にしのみ、フェンスを乗り越えて制服のままプールで泳ぐ。罪を重ねていることとずぶぬれになってしまったことへのこうようが、ぼくたちのテンションをどこまでも引き上げてしまっていた。楽しい。楽しいと思っている場合じゃないんだけど、それはもう死ぬほど楽しい。


 しかし、しばらくはしゃぐとさすがにつかれてきてしまった。ぼくたちはいっしょにプールサイドへ上がる。制服が水を吸ってしまってめちゃくちゃ重い。水があらゆるところからしたたちてくる。かみからも制服からも。


「あー、すっごく気持ち良かったわ!」


 満足そうに胸を張るやまぶきさん。彼女ももちろんずぶぬれである。水を吸って重くなったかみをかきあげ、プールサイドにすいてきを落としていた。あしなのでぺたぺたとあしあとまでつけている。


 白いセーラー服はぴったりとはだに張り付き、そでの部分はすっかりけてしまっている。白にかぶはだの色。それがどうしようもなく色っぽい。ため息が出てしまいそうだ。


 けて見えたはだに対する安直な興奮と、水をまとう彼女へのしんすい、それが混ざってただただ目をうばわれる。


「ん。だいじようだよー、下に着てるから下着はけないわよ」


 残念でした、とやまぶきさんはにっこり笑いながらピースサインをしてくる。確かに、黒い布地が見えるだけで、下着は透けていない。


 しかし、あまい、あますぎる。水がしたたるその姿だけで、れつじよういだくには十分すぎるというのに……。


 彼女はそれを自覚していないらしく、ぼくの目の前でスカートをしぼったりしている。めちゃくちゃさぶられているぞ、ぼく


「……にしても、どうしようねこれ。どうやって帰ろうかしら」


「……いや、本当に。やまぶきさん、あとのことを考えていた?」


「ぜんぜん」


 へへ、と悪びれもせず笑ってみせる。まぁそれもそうだろう。後先を考えない無茶をしたからこそ、ここまで楽しかったことは否定できない。こんなみずびたしでどうしろというのか。明日も学校だし、今から電車にも乗らなきゃいけないし、家には親もいるのに。


 ぼくが口を開こうとした、そのしゆんかんである。


「きた」


 やまぶきさんはこしに手を当てて、男前ににっと笑う。


「そうよ。ここまでしたんだから、来てもらわないと困るってものよ」


 まばゆい光がプールサイドを大きく照らした。暗い空に、その光はどこまでも届いていく。にじいろかがやく光。その光には見覚えがある。昨日見たばかりの光だ。そのときと同じように、その人はいつの間にかそこへ立っていた。


 はるである。彼女は当然のようにぼくたちの近くに立っていて、手に持った書物からは光が放たれている。〝青春ミッションボード〟。彼女の手にはそれがにぎられている。白いページから放たれる光には文字が流れて、宙をって消えていく。


「ミッション、完了です。見事な青春でした」


 光が消えた本をぱたんと閉じると、はるは静かにそう言った。


 ようやく。ようやくである。散々苦労させられたが、どうにかミッション完了までこぎつけた。あんのため息がれる。やまぶきさんもぐったりとしながら、気のけた笑みをかべていた。いえー、と力なくうでげる。


 あまり元気は残っていないようで、「で、どう、はる。もうわたしののろいは消えていった?」と問いただす声に力は入っていない。


「いえ。残念ながら、まだ」


「あぁそう……、いや、何となくそんなことじゃないかと思っていたんだけど。じゃあ、また次のミッションが来るまで待機しないといけない?」


「いえ」


 はるは閉じたはずの本を再び開くと、その白いページをでながら言う。


「次のミッションはすでに現れています。……おそらくですが、このミッションをクリアすれば、この〝青春ののろい〟も終わりとなりそうです」


 はるぼくたちの前に黒い本を差し出す。開かれているのは白いページ。そのページはあわくて白い光を帯びており、七色に変化する文字が刻まれていた。



『ふたりの男女が心をさらす ともに行き ともにき ともに往く 昔のざんを拾い上げながら それは思い出にすべきことではない 心残りがある限り 決して前には進めないのだから』

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