第二章 駆け抜けろ青春、まるで転がり落ちるように 5


 いつも通り学校に向かう。最初は通うのにまどった電車通学も、一ヶ月経てばすっかり慣れてしまった。


 昨日は不可思議な現象の連続で、今もそのちゆうにいるというのに、特に変わらずいつも通り学校へ行けてしまう。周りもいつも通りの風景。

 ちがうのは、電車の中でついやまぶきさんの姿を探してしまったことくらいだろうか。



 彼女は昨日、無事に過ごせただろうか。


 やまぶきさんに直接けたらよかったのだが、ぼくは彼女のけいたいの番号も知らない。それに、もし〝かんしようのろい〟が発現していたら、けいたいを持つこともできないだろう。確認するすべがなかった。


 残念ながら電車内にやまぶきさんはおらず、だんと変わらない駅で降りていく。


 駅から学校まで徒歩十分。学校まではほぼ一本道で、その間も住宅街がある程度なので、その駅で降りていくのは学生ばかりだ。学校へ向かう道中で、学ランとセーラー服だけだった生徒の中に、ブレザーの学生姿が混ざっていく。行き先は同じ。分かれるのはしきに入ってからである。


 県立おうとう高校とおうとう中学校。同じしきないにあるのに、制服は高校が学ラン、セーラー服、中学はブレザーと分かれている。中学から高校へ進学する生徒の間では、これが賛否両論あるらしい。

 ぼくちがう中学校だったので、そこに思うところはないのだけど。


 ふたつの学校があるのでしきつうの学校よりかなり広く、生徒数も多い。一部のせつは共用にされているものの、それでもだ。通学路を歩く生徒の数も多い。


「……ん」


 歩いていると、ずいぶんと目立つ背中が見えた。セーラー服がかんかもしている女の子。遠くからでもよくわかる。


 日本人ばなれした銀色にももいろの混じったかみを大きな三つ編みにして、地面スレスレのところでらしている。色だけでなく量もすごい。あれではだかつしよくなのだから、どんなに遠くでもちがいようがなかった。


「……おはよう、はるつうに登校してくるんだね」


 ぼくと同じように登校していたのは、〝青春ののろい〟のせいれいはるだ。彼女はほかの生徒と同じように、歩いて学校へ向かっていた。


「あぁ、いちろうさん。おはようございます。わたしだって登校しますよ。ここの生徒なんですから」


 彼女はにこりともせずに、そんなことをすらすらと言う。周りの人もはるかんを覚えていないようだ。何とも不思議な光景だった。桜の木から現れたせいれいが、制服を着て登校しているというのは。


 しかし、彼女があくまで学校の生徒だ、と主張するなら、疑問になることがひとつある。


はるってつうに人として生活しているってこと? どこかに家もあるの?」


「やめてください、こんなみちばたでどこ住み? なんて。朝っぱらからナンパですか、このすけべ」


「……別にすけべではない。それにナンパでもない」


 どうやら真面目に答えてくれる気はないらしい。それならそれで仕方ない。ならば今度ははるのことではなく、彼女のことを聞くことにした。


「今朝はやまぶきさんは? はるが登校するのなら、てっきりやまぶきさんといっしょだと思っていたんだけど」


「呼ばれたら行きますけど、呼ばれなかったら行きませんよ。それに昨夜、あかさんは一度もくしゃみをしていないので、〝かんしようのろい〟も発現しませんでした」


 ……そうか。それならよかった。いくら家にいるといっても、あの状態にされてしまったらつらいだろうから。


 そのままはるといっしょに登校して、昨日と同じように教室へ入っていった。はるは迷うことなく教室の一番後ろの席へ移動し、そこにかばんを置いた。昨日までそこに机はなかった。


 ほかの席の位置も、つじつまを合わせるように移動している。けれど、周りの生徒は気にした様子もなく、はるにおはよう、と声をけている。


「おはよう、しろくまねこ


 そんな声が聞こえてぎょっとした。なんだその不気味な言葉は。と思ったが、あれだ。はるみようだ。しろくまねこはる。彼女は容姿だけでなく、名前もすさまじい。


 あきれながら、ぼくも自分の席へ向かう。それとなく視線をめぐらせていると、やまぶきさんはすでに教室の中にいた。自分の席でほかの子とおしゃべりしている。その姿を見て、何となくほっとする。ほおにもかんしようのマークはない。彼女は無事に、学校へ来られたようだった。


 ぼくがひとりで安心していると、やまぶきさんと目が合ってしまった。彼女はいつしゆん、視線を外しかけたが、ぎこちない動きで軽く手を上げてくれた。ぼくも同じように返す。きっとぼくの方がよっぽど動きがかたかっただろうけど。


「おう、いちろう。おはようさん」


 ぼくの前の席のつばさが、口をもごもごさせながらあいさつをしてくる。その手にはふくろめのポテトチップス。バリボリとごうかいに食べているせいで、あぐらをかいたスカートの上にぼろぼろと落ちてしまっている。口の周りにもつけながら。


 おはようを返してから、「ついてる」とてきすると、彼女は手のこうでぐしぐしとぬぐった。



「おいおい、づか。そりゃないだろう。これ使っていいから、手と口をけって」


 ちょうど通りかかったあきひとに見られていたらしく、彼はポケットティッシュをつばさに差し出した。悪びれもせず、「おお、さんきゅ」とつばさは受け取ると、これまた乱暴にティッシュで口元をぬぐう。


 つばさにあきひと。昨日、放課後にはると別れのあいさつを交わしていたふたりだ。ふたりとも変わった様子は見られなかった。しかし、思わずぼくたずねてしまう。


「あのさ、ふたりとも。ちょっと聞きたいんだけど。はるって前からこのクラスにいた?」


「は?」


「あん?」


 つばさはバカにしたような目で、あきひとはきょとんとした様子で。何を言っているんだこいつは、と言わんばかりの表情をぼくへ向けてくる。


「わけのわからないことを言うじゃないか、いちろう。それってどういう意味だ?」


「いや、えっと……。じゃあ、はるって何か特別な感じがしない? その、見た目とかさ。つうの高校生じゃないっていうか」


「見た目? おれは別に特別だって感じたことはねーけど」


 つばさははるに目を向けながら、しんそうに言う。ぼくの言動がおかしい、とでも言いたげに。しかし、ぎんぱつかつしよくの少女を特別に感じない、というのは明らかに変だろう。


しろくまねこ、昨日のアレた?」


「昨日わたしが見ていたのはくうくらいなものですよ」


「えぇ、なにそれこわ……」


 ほかのクラスメイトもはるとはつうに接している。以前からのクラスメイトでもあるかのように、平然とだ。かんを覚えているのはぼくと、さっきからちらちらとはるの様子をうかがっているやまぶきさんだけのようだ。


「変なやつだなぁ」


 つばさはあきれた声を出しながら、食べ切ったポテチのふくろをクシャクシャと丸めていた。


「……あ、そうだ。いちろうやまぶきさんのこと、いつでも相談に乗るからな。力になれるかどうかわからないけど、たよってくれよ」


 席をはなれる直前、思い出したようにあきひとぼくへ耳打ちしてくる。そして、男前に笑うのだ。


 さつそく、「実はやまぶきさん、のろわれているんだけどどう思う?」と相談したくなるような笑みだった。






 昼休みにはるから呼び出された。お昼には青春ミッションが届くはず。そういう予定らしいので、やまぶきさんといっしょにだ。


 向かったのは、屋上へ続く階段のおど。屋上は開放されていないので、ここへやってくる生徒はおそらくいない。聞こえてくる声も遠かった。


 内容が内容だけに、ほかの人に聞かれたらみような誤解を受けかねないので、わざわざひとのないところを選んだわけだ。


 はるやまぶきさんはとなり同士で階段にこしけ、ぼくは向かい合わせに座る。思い思いの昼ご飯を取り出した。


「ミッションはまだ来ていないの?」


 ぼくが弁当箱を開きながらはるたずねると、「もう少しで来ると思います」という返事をもらう。彼女ははんの焼きそばパンを持ってきており、小さな口でかじっていた。


「何でもいいから早く来てほしいものだわ」


 やまぶきさんがつかれた表情をかべた。彼女もお弁当だ。ぼくのものよりいくらか小ぶりの、可愛かわいらしいピンクの容器。しかし、そのふたがぱかっと開けられて、ぼくはぎょっとする。その中身にだ。


 小さな弁当箱にぎゅうぎゅうにめられている、レタス、キュウリ、キャベツ、トマト、ブロッコリー。真ん中にはどん、ととうが乗っかっている。野菜ととうオンリー。それ以外に存在していない。


「……何そのお弁当。すごいね」


 言われ慣れているのか、彼女はフォークを取り出しながら歌うように言う。


「生野菜。それは健康と美しさのけつとうはおばあちゃんが身体にいいって言ってたから。わたしは外側はもちろん、中身も世界一でありたいのよ」


 サラダにフォークをし、さくさくと食べている。「おいしー」と小さくつぶやいているあたり、無理して食べているわけじゃなさそうだ。とうサラダだけで足りるのか、とも思ったが、あれだけの量の野菜を食べたらお腹いっぱいにもなるだろう。


「〝青春ミッションボード〟のルールについて、昨日説明しきれなかったことがひとつありまして」


 焼きそばパンを半分ほど食べたあと、はるが指を一本立ててそう言う。


「『おく』についてです」


 なにそれ、とやまぶきさんが声を上げた。


「少しややこしいのですが」


 そう前置きをしてから、はるはゆっくり口を開く。


「青春ミッションを完了した際、その完了の証明として『おく』をちようだいすることがあります。もらうおくは〝青春ミッション〟に関わること。要求された場合、そのおくを差し出さない限り、ミッションを完了することはできません。どんなおくうばわれるのか、うばわれる前にわかることもわからないこともあります」


 おくを、うばわれる。


 それだけ聞くと、何とも重い話ではあるのだが、いまいち実感しづらい。どんなおくうばわれるかわからない、うばわれるかどうかすらわからない。それではかくしようがない。


「……あれ? じゃあ、ぼくたちってもしかして昨日のでおくうばわれたりしたの?」


 昨日、ぼくたちはひとつのミッションをこなした。そのおかげでのろいの力はわずかに弱まった。ミッションは完了しているはずだけれど、おくうばわれたようには思えない。

 いや、本当におくうばわれていたとしたら、それにも気が付かないのか。


「いえ。昨日のミッションでおくを要求されることはありませんでしたので、うばわれてはおりません」


 はるは静かに否定する。どうやら、昨日のミッションはおくが要求されないほう、だったらしい。


「質問。おくうばわれてしまった場合、そのおくけた部分はどうなるの? ぽっかり穴が開いて、思い出せなくなるってこと?」


 やまぶきさんがしやくぜんとしない様子でたずねる。はるは小さく首をった。彼女は焼きそばパンをちぎると、それを前へ差し出してみせる。


「例えば、『わたしたち三人がお昼ご飯を食べている』というおくうばわれたとします。そうなった場合」


 彼女はちぎったパンを口の中に放り込むと、新しくパンをちぎり、再び前に差し出す。


「『いつも通りのお昼休みを過ごした』だとか『いつもの友達とお昼ご飯を食べた』とか最もつじつまの合うおくめられることになります。なので、おくうばわれたことには気が付かないのです」


 ……なるほど。そんなふうにされてしまえば、うばわれたという実感すら持てない。それは不気味だ。できればけたい。しかし、おくを要求された場合、おくを失わなければ、ミッションは完了したことにならないという。せんたくは最初からないようなものだった。


「まぁどうせけられないので、なやむ必要もないのですが……、っと失礼」


 はるが説明をちゆうで区切ったかと思うと、ポケットからけいたいを取り出していた。着信があったのだろうか。こう見ると完全にただの女子高生だ。実は彼女は留学生か何かで、今までのはすべてドッキリなのでは、という気さえ起きてしまう。


 しかしそれは、ただの現実とうだ。すぐにそれが証明されてしまう。


 はるけいたいを取り出し、ディスプレイをながめながら「きました」と言ったしゆんかん、そのけいたいはじんだ。細かい桜の花びらに姿を変えながら、空中へ勢い良く四散する。それが宙でぴたりと止まった。


 時間をもどすように再びはるの手の上に集まったかと思うと、花びらはその姿を変化させている。黒いそうていの大きな本に。


〝青春ミッションボード〟。突然現れたそれに対して、やまぶきさんは「心臓に悪い」としぶい顔をした。


 彼女はページを開きながら、「これが新しいミッションです」とぼくたちの前へ差し出す。ぼくやまぶきさんは同時に顔を見合わせた。心臓がいやなリズムで音を鳴らす。


 昨日のミッションは苦難ばかりで、とても上手くいったとは言えない。今度はどんな難題をふっかけられるというのか。またあの詩のような言い回しを、読み解かなくてはならないのか。


 ぼくやまぶきさんはうなずうと、開かれたページをのぞんだ。果たしてそこには、ぼくたちがになうミッション内容が書かれていたのである。


『夜の学校にこっそりしのんで、かわいいあの子とプールではしゃいじゃえ~! きゃー! 青春☆』


「文体統一して」


 読んだしゆんかんにそんな言葉が飛び出した。いやなにこれ。思っていたのとぜんぜんちがうんだけど。


「なんでこんなに頭の悪そうな文章なの……。昨日のはちょっと詩みたいな、回りくどい文体だったじゃない」


「わたしに聞かれても知りませんよ」


 ぼくの疑問にはるうつとうしそうに答える。いや、これは物申したくなるだろう。のろいなんだったら、そこはきっちり厳格なままでいて欲しかった。


「まぁちょっとアレな文章だけど……、その代わり、わかりやすくはあるんじゃない?」


 やまぶきさんが苦笑をこぼす。……まぁ確かに、昨日のミッションとちがい、ストレートな表現なのでちがいようがないし、わかりやすい。内容ははっきりしていた。


 ただ、その内容が問題ではあるのだけれど。


「夜の学校にしのむ……、か。だいじようなのかな」


「できるできないで言ったらできるんだろうけど……、まぁ見つかったらおこられるわよね」


 やまぶきさんと顔を見合わせ、おたがいにちょっと困った顔をしてしまう。何せ、ふたりともあまり悪いことに対して経験がない。ものじするのは仕方なかった。


しのめたとしても、指示もあいまいだしね……、プールではしゃぐってどうすればいいんだろう」


「そうねぇ……、まぁ『かわいいあの子』はわたしでいいとして」


「…………」


 さらりと言ってのける。ぼくが思わず彼女の顔をまじまじと見てしまうと、やまぶきさんは「?」と首をかしげた。……あぁ、おかしなことは何も言っていない。確かに彼女はかわいいのだから。


「じゃあ……、まぁ。とにかく行ってみましょうか。それであおくん、悪いんだけど今夜さつそく、付き合ってくれる?」


 彼女の言葉にぼくうなずく。夜の学校にしのむのはていこうがあるけれど、ミッションならば仕方がない。


 それに、なんだかんだでこのじようきように少しばかり興奮を覚えていたのだ。確かにこれは、青春っぽいかもしれない。

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