第二章 文学少女の悩みゴト 2
「邪魔するわよ」
冷たく言い放って入ってきたのは、ひとりの女の子だった。
正直な感想を言わせてもらえば、「生意気そうな子だな」というもの。顔つきというか、立ち振る舞いがそう感じさせる。顔立ちだけは可愛らしい。くりっとした大きな瞳に、小さな顔、やわらかそうなほっぺた。髪が両脇で括られ、毛先は肩に触れる長さのツインテール。動くたびに髪の束が揺れる。
身体は小柄だ。肩が細い。半袖から見える腕は華奢な印象を与える。小春やつばさよりは背が高いが、顔立ちの幼さなら負けていなかった。ただ、背は低いのに胸のふくらみはしっかりとセーラー服を持ち上げている。
彼女は腕を組んで眉を上げ、つまらなさそうに部屋の中を見渡していた。
……だれだろう、この子は。文芸部にはもうだれも残っていない、と
「あら。珍しいわね、お客さんだなんて。なに? 瀬尾、もしかして今、部活勧誘中だったりする?」
彼女は僕たちに気が付くと、意外そうな顔をした。
……僕は内心で冷や汗をかく。危ない。瀬尾先輩を呼び捨てにしているってことは、この人、僕たちの先輩だ。同じ一年生だと思っていた。一年生にしても幼いよな、と思ったくらいだ。二年生だろうか。瀬尾先輩と同じ学年だとは到底信じられない。瀬尾先輩が大人っぽいっていうのもあるんだろうけど。
幼い先輩の質問に、瀬尾先輩はおどおどしながら答える。
「あ、は、はい……。その、部活見学に来てくれた人です……」
「はぁ。こんな時期に? しかも、文芸部なんかに? こんなところに見学に来てもしょうがないんじゃないの。あんたの陰気臭い顔しかないじゃない」
当たりが強い言葉を吐く。なんというか、彼女は随分と態度が大きい。口が悪い。瀬尾先輩を萎縮させている。傍から見ているだけでも、少しむっとしてしまう。灯里ちゃんも不快そうに眉を顰めていた。
「あんたたち、小説が書きたいんだったらソウケンに来たらどう? 歓迎するわよ。文章書きはまだいないけど。少なくとも、文芸部に入るよりはよっぽどいいわよ」
こちらに手を向けて、つまらなさそうに彼女は言う。ソウケン。さっき、瀬尾先輩も口にしていた言葉だ。
「あぁ、ソウケンっていうのは、創作研究部。略して創研。今年度からできた部活で、みんなで創作活動をしていこうって部活。まぁ今のところ漫画書きの集まりだけど。部長はあたし。二年の
「説得……?」
「そう、説得」
彼女――立河先輩は机に手を乗せ、体重を預けながら話を進めた。
「創研を新しく作ったのはいいんだけど、部室がね。ちょうどいいのが余ってなくて、狭い部屋しかもらえなかったのよ。十人以上もいるっていうのに。これじゃ漫画を描くどころか、部屋に全員入ることすらままならないわ。で、どう。あんたたち。この部屋、瀬尾がひとりで使っているんだけど、どう思う?」
立河先輩は手をくるりと回す。そういう言い方をされると、そりゃ不釣り合いだとは思う。
ひとりで使うには広すぎる。僕たちの表情を見て、立河先輩は満足そうに頷いた。
「ちょっと贅沢に使いすぎよねぇ……。たったひとりの部活にこれは異常だわ。で、今、瀬尾と交渉しているってわけ。あたしたち創研の部室と、文芸部の部室、取り替えっこしない? ってね」
彼女はおどけるように言ったが、場は全く和まなかった。瀬尾先輩もすっかり俯いてしまっている。長い髪が顔を隠し、表情が見えなかった。
「取り替えっこって……、そんなの、生徒同士で決められることなんですか?」
「あぁ、それは大丈夫。顧問の先生たちには話がついているし。『部員全員の同意が取れているなら何とかする』って言質取ったわ」
手をひらひらさせながら、立河先輩は言う。灯里ちゃんは面白くなさそうに口を閉じた。立河先輩は「あとは瀬尾がいいって言ってくれれば、話は前に進むんだけどねー」とこれ見よがしに声を大きくした。
文芸部には瀬尾先輩しかいない。瀬尾先輩が頷けば、部員全員という条件は揃ってしまう。部活の交換が成立してしまう。
……そういうことか。瀬尾先輩がやけに僕たちを警戒していたり、立河先輩を怖がっている理由がわかった。無理強いされているのだろう。彼女の圧の掛け方を見ていれば、容易に想像がつく。強い言い方をすれば脅迫だ。
「実際のところ瀬尾さぁ、あんたにこれだけ広い部室って必要ないでしょ。ひとりで何に使うのよ。あたしたちの使っている部屋でいいでしょ? そこだってひとりで使うに広すぎるくらいよ」
立河先輩が瀬尾先輩を覗き込み、面倒くさそうに声を掛ける。素っ気ないが威圧的だ。しかし、瀬尾先輩も言われっぱなしではなかった。顔は俯いたままだけれど、反論の声を上げる。
「た、確かにわたしひとりで使うには広いですが……、部員が増えるかもしれないですし……」
「だからこんな一年坊を引っ張ってきて勧誘? あんた本気? もう七月なんだけど。とっくに勧誘のピークは過ぎてるんだけど。どうせ来年もそんなに入ってきやしないわよ。うちの部室で事足りるってのよ」
立河先輩は食い気味に彼女の言葉を突っぱねる。肩身が狭そうに、瀬尾先輩の背が丸くなる。肩が落ちていく。それでも、ぼそぼそとした声でも、瀬尾先輩は言葉を返した。
「こ、この文芸部の部室は何代も前からずっとこの場所にありまして……、で、伝統もありますから、わたしの代で、わたしの意思で変えてしまうのは嫌なんです……」
「はぁん。伝統ねぇ。何の役にも立たないことをよくもまぁ。あんたの代で変えたくないっていうけどさ、来年もあんたひとりで部活勧誘するんでしょ? 今回でわかっただろうけど、あんたにゃ無理よ。だれが根暗女しかいない部に入りたがるのよ。どうせ、来年もだれひとり入らずに、あんたの卒業と同時に廃部よ、廃部」
「……た、たとえそうだとしても、ここは大事な場所なんです……。思い出のある場所で……。わたしのせいでそれがなくなるなんて、先輩方に申し訳が立ちません。そ、それに本も文集もたくさんあります。こ、これだけのものを置いておくには大きい本棚も必要ですし……」
「段ボールにでも突っ込んでおきなさいよ、文集なんて。どうせ滅多に読まないでしょ。それをありがたがって、こんなふうに飾っちゃってまぁ……。大事な場所って言っても、どうせなくなるのよ? どうせ廃部よ? 意味なくない?」
バカにした言い方で、立河先輩は言葉を積み重ねていった。淀みなく、すらすらと流れ落ちていく。瀬尾先輩を傷つける。瀬尾先輩が必死で言い返せば、それの何倍もの反論が降ってきてしまう。
嫌な光景だった。部屋の空気はとっくに最悪で、もう口を開いているのは立河先輩だけ。止めるべきだろうか。無関係ではあるものの、これ以上、瀬尾先輩がいたずらに貶められるのを見たくはない。うんざりする。僕は声を上げようとして――ふと、隣を見て固まってしまった。
灯里ちゃんがすごい形相で立河先輩を睨んでいる。眉を大きく顰め、歯を見せながら口を曲げ、目はこれ以上ないほど吊り上がっていた。怒っている。灯里ちゃんが怒っている。すごい顔で。鬼の形相で。ぐるるる……、と唸り声でも上げそうな灯里ちゃんに、僕は怯んで口を閉じてしまった。
しかし、背後の鬼を知らない立河先輩は、さらに責め立てる。
「どうせ廃部になるなら、伝統も思い出もないわよ。あんたがわがまま言って占領するよりも、あたしたちが有意義に使ってあげるって言ってるんだからさ、もう答えは出てるでしょ? ていうか、もう廃部でいいんじゃないの。こんなあるんだか、ないんだかわからない部活より――」
バンッ、と机を叩く音がした。
立河先輩は驚いてこちらを振り返り、瀬尾先輩も顔を上げる。僕は驚かなかった。灯里ちゃんが机を叩くまでの過程を見ていたから。
空気が静まり返る中、灯里ちゃんはゆっくり立ち上がる。そうして、静かに立河先輩を見下ろした。憤怒の表情は消えている。怒りの色は瞳の中だけに滲んでいた。
「何よ一年坊。何か文句でもあるの」
立河先輩は、真っ向から灯里ちゃんを睨む。すぐに臨戦態勢に入っていた。気の強い人だ。緊張感に包まれ、一触即発の空気に変わっていく。火花が散りそうだ。
しかし、意外にも灯里ちゃんは何も言わなかった。黙って机の上に視線を向ける。転がっていたシャーペンを掴むと、文集の隣に置かれた用紙を引き寄せた。そして、文字を書きこみ始める。
書き終えたあと、記入面が見えるように前へ突き出した。立河先輩がぎょっとする。瀬尾先輩が口に手を当てる。僕は……、どうだろう。どんな顔をしているんだろうか。
その用紙は『入部届』と書かれていて、『文芸部』『一年一組
「これで廃部にはなりませんね。こんな素敵な部ですもの、なくなるわけないですよ。で、先輩、さっきなんて言ってましたっけ。『部員全員の同意』が何でしたっけ?」
立河先輩がぐむ、と黙り込む。信じられないものを見るような目で、入部届と灯里ちゃんを見比べていた。
ふぅ、と僕は聞こえないように息を吐く。灯里ちゃんが熱くなった理由はわかる。もちろん、灯里ちゃんが瀬尾先輩を気に入っている、というのは大いにあるんだけど、それ以上に我慢ならなかったのだ。
女の子が弱い者いじめされるのは。瀬尾先輩は気が強いとは言えない。そこにつけこみ、立河先輩は好き勝手に暴言をぶつけていた。気弱な瀬尾先輩に、灯里ちゃんは昔の自分を見てしまったのだろう。灯里ちゃんも小さい頃は弱気な子で、男の子によくいじめられていた。今では到底考えられないけれど。
しかし、いくら何でも突っ走りすぎだ。こんなことをすれば恨みを買う。それこそ、瀬尾先輩と同じような目に遭うことだって考えられる。『部員全員の同意』が必要だからだ。
それはよくないだろう……、と僕はシャーペンを手に取り、残った一枚に名前を記す。『一年一組
まぁ、三人いればだいぶ印象も違う。一応僕、男子だし。
「山吹さん……、青葉くん……」
瀬尾先輩は声を震わせながら、僕たちを見つめていた。
肝心の立河先輩といえば、苦々しく僕らを睨み、「あんたら本気なの。どうかしてるわ」と吐き捨てる。しかし、その表情はすぐに消え、彼女は手を広げながら口を開く。
「文芸部に入るのはいいけど、あんたたち何か書けるの? いくら文芸部っつっても、くっちゃべってるだけじゃダメなのよ。文化祭では文集を作るそうじゃない。あんたたち三人でどこまで分厚くできるんだか。義理で入るにしても、責任は果たせるんでしょうね」
……痛いところを突かれた。灯里ちゃんがさっき言っていたように、僕たちは小説なんて書けない。書こうと思ったこともない。瀬尾先輩は何でもいいとジャンルを並べてくれたけど、あれだって相当ハードルが高い。
少なくとも、前と同じような分厚い文集は作れないだろうし、普通の文集だって怪しい。
責任を果たせるのか、なんて部外者の彼女に言われる筋合いはない。ないのだが、確かにその通りではあるのだ。僕たちでは瀬尾先輩の力になれないかもしれない。灯里ちゃんも勢いがしぼんでしまう。
立河先輩は呆れたように大きくため息を吐くと、腕を組んで瀬尾先輩に目を向けた。
「瀬尾」
「な、なんでしょう」
おどおどと答える瀬尾先輩に、立河先輩はツインテールの毛先を指に巻き付けながら、どうでもよさそうに口を開く。
「あたしと勝負しない?」
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