第二章 駆け抜けろ青春、まるで転がり落ちるように 3


「ごごご、ごめん、やまぶきさんっ!」


 我ながら、ここで声をひそめられたのは見事だと思う。もう少しで、大声であやまりながらそう道具箱の中から飛び出していた。そうなれば終わりだ。そう道具箱の外には先生がいる。言い訳のしようがない。


「いい。見つかるかもしれないから、静かに」


 やまぶきさんは決して目を合わせず、ぼそっとそれだけつぶやいた。それでぼくも口をつぐむ。そうだ、ここまでやったのだから、絶対にミッションは達成しなくてはならない。


 しかし、ひっついたままでは彼女に申し訳ないので、できるかぎり彼女とはきよを取った。彼女の顔の横に手をつき、ギリギリまで身体をはなす。姿勢としてはつらい。


 けれど、ここまでやっても彼女とはおそろしく近いままだった。ぼくがもしがさして手を動かせば、彼女のどんなところにでもれられる。力をけば、彼女と身体を重ねることだってできてしまう。そんなきよだ。


 彼女のかみうでれて、くすぐったさで身をよじりそうになる。そうする前に彼女の方が先に身をよじった。動けばそれだけぼくの身体にもれてしまう。ぬくもりが届いてしまう。理性が飛びそうになるので、できればやめてほしい……。


 そのとき、左手に痛みが走る。ぼくと彼女の手はつながったままだ。ぼくの手をにぎる彼女に、ずいぶん力が入ってしまっている。別に意地悪ではなさそうだ。


 おそらく、無意識のうちに強くにぎってしまっているのだろう。やまぶきさんもきんちようしているのだ。


 やまぶきさんの顔を見る。彼女は横を向き、目をせている。長いまつ毛だ。近いせいでよく見える。はらりと流れるかみれいだ。耳はすっかり赤く染まり、暗い空間なのに顔が真っ赤になっているのがわかる。れるいきは熱い。それがみようつやっぽい。


「……最近太ってきちゃったので、運動しなくちゃとは……」


「……そうは見えないが、どのくらい……」


 先生の声がすぐそばで聞こえて、びくっとする。どうやら二人組だ。やまぶきさんの言う通り、教室の見回りをしているらしく、とびらかぎを確認している音が聞こえる。どちらも女の先生。この声、一方はもも先生だと思う。


 ぼくやまぶきさんにきんちようが走る。とはいえ、まさかそう道具箱に生徒が入っているとは思いもしないだろう。このまま通り過ぎるはずだ。


 そうなれば、ここからだつしゆつしてろうはしまで行き、ミッションはクリア。何の問題もない。……そうなるはずだった。


「あれ?」


 先生たちの足音が止まる。本当にすぐそば、そう道具箱の目の前だ。そのせいで、声がはっきりと聞こえてくる。


「どうした」


「いえ、ほうきが一本、出しっぱなしになっていまして。ダメですねえ、どこの生徒さんでしょう。ちゃんとしまっておかないと」


 ──血の気が、引いた。


 おいおいおい、じようだんだろう。待ってよ、もも先生。かんべんしてよ。そのほうきを拾うのはやめてくれ!


 しかし、ぼくの願いも通じず、先生はそう道具箱の前に立っていた。その手にはほうきにぎられているのだろう。


 そう道具箱のとびら部分にはわずかなすきがあるので、やまぶきさんからはもも先生の姿がにんできるだろうけど、ぼくからはやまぶきさんの顔しか見えない。そのやまぶきさんの表情から絶望的なものを感じる。


 どうすればいい。どうすれば……、どれだけ考えても良い案なんて思いつかない。言い訳すら出てこない。それはそうだ、こんなせまいところに男女が入っている理由なんて、一体何があるというのだ!


 もも先生がとびらに手をかける。がちゃ、と開く音がした。暗かったそう道具箱の中に、光が差していく。あぁ、もう。もう終わりだ。なんてことだ……。


もも先生、くろかわ先生。至急、職員室におもどりください。かえします。もも先生、くろかわ先生。至急、職員室におもどりください』


 ……校内、放送。


 もうダメだ、と思ったせつ、ぴんぽんぱんぽーん、という間のけた音が聞こえた。校舎内にひびわたっていく。次に聞こえてきたのは、感情を乗せない聞いたことのある声。


「……名前、呼ばれちゃいましたね」


「何だろうな」


 ふたりの先生が短くそうやり取りをすると、とびらは静かにもどされた。早足でふたりがはなれていくのがわかる。ろうせいじやくもどってくる。


 全身から力がけた。ここがそう道具箱の中じゃなかったら、座り込んでいただろう。大きなあんのため息が二人分、小さな箱の中に満ちていく。


「……………………」


「……………………」


 脳がひりつくような危機的じようきようから逃れて、空気がゆるんでいくのを感じる。同時に、ずかしさがもどってくる。こんなせまいところに男女ふたり。ところどころ身体がい、手はおたがいにぎゅっとにぎってしまっている。これじゃあ本当にバカップルだ。


 男としてはこれ以上ないほどうれしいじようたいではあるものの、それとは別に口を開きづらい空気が流れていた。さっさと出てしまえばいいのに、すぐに先生ももどってくるだろうに、なぜかぼくらはせまい個室の中に閉じこもったままだった。


 しかし、そこでがちゃん! と勢い良くとびらを開けられてしまった。


 ぼくしゆんに早く出なかったことをこうかいする。なんてことだ。一体だれが──。


「何やってるんですか、こんなせまいところで。このどすけべども」


「……はる


 再び身体中から力がけていってしまう。とびらを開けたのははるだった。


 みような空気のせいでなんとなく出られなかったけれど、外から開けられたおかげでぼくらはすんなりだつしゆつした。


はる。さっきの校内放送、助かった。本当にありがとう」


 ぼくがお礼を述べると、はるかたすくめる。「あそこで見つかってしまうのも、また一興かとも思ったんですが」とおそろしいことをさらっと言うが、まぁとにかく助かった。本当によかった。


「しかし、不思議なんですけどね」


 はるぼくたちふたりを見比べながら、首をかしげた。その視線は下へ。ぼくたちがつないでいる手を指差した。


「一度、手をはなしてから先生たちと会話するなりかわすなりして、そのあとでやり直せばよかったのでは?」


 無理して一回でやろうとするより、その方が確実だったのではないか。彼女はそう言うのだ。


 言っている意味がいつしゆん理解できなかった。数秒ほど固まってしまう。それはやまぶきさんも同じだった。


「はぁ──ッ!?」


 ばくはつするかのように、ふたりのさけごえが同時にひびく。ぼくらははるって声をあらげた。


「なにそれ! 見つかったらそれでミッション失敗じゃないの!?」


「まぁ失敗でしょうね。でも、またやり直せばいいでしょう。今度は見つからないように。条件は満たしているんですから、何回でもやればいいんですよ」


「いやだから、ぼくたちはミッション失敗したらそれっきりだと思っていたんだって! そうじゃないなら、なんで言ってくれなかったの!?」


「そんなことを言われても。わたしは一言もそれっきりだなんて言っていませんし、〝青春ミッションボード〟にそんなさいもありませんでした。勝手にかんちがいしておこられても。何ですか、あなたたち。のろい相手にクレームとはいい度胸ですね」


 ぼくたちのいかりの声をいなすどころか、逆におどしをかけてくる始末。そう言われてはだまむしかない。未だなつとくはいっていなかったが、「陽がしずると、今日中にミッションをクリアすることができなくなりますよ」と言われてしまえば、早々にミッションへもどるしかなかった。


 気を取り直して。


 手はずっとにぎっている。ミッションは続行中だ。あとは残りわずかのきよを歩いていくだけ。


 足をそうとしたが、そのときにふと思う。後ろからははるの視線を感じていた。かえってみると、彼女はそこにたたずんだまま。そのそうぼうは確かにぼくたちを見つめていた。


〝青春ミッションボード〟には『決して人に見つかってはいけない』とさいされていたが……。


 これ、見つかってない?


「もちろんわたしは対象外ですので、お気になさらなくて結構ですよ」


「……あ、そう」


 まぁそういうことならいい。さて。おそろしいハプニングにわれて中断したせいで、まだミッションはクリアできていない。さっさと達成してしまおう。


 危機的じようきようかいできたこうようからか、ぼくたちは大きく足を開き、一、二、三、と数えながら飛ぶように歩いた。その数字が七を刻んだとき、両足同時に足を着き、ぺたん、とかべぎわに手を突く。最後まで行けた。


 〝青春ミッションボード〟に書かれていた条件どおり、だれにも見つからず、はしからはしまでろうを歩き切った。



 そのしゆんかんだ。とつぜん、後ろからきようれつな光がんできた。ろういつしゆんおおいつくすほどのまばゆかがやき。


 かえると、その光ははるの手の上から発生しているのが見えた。〝青春ミッションボード〟。いつの間に取り出したのか、彼女の手にはあの大きな黒い本がどっしりと乗っかっていたのだ。開かれたページから七色の光があふしている。光の中に文字が流れていく。空中に吸い込まれていく。


 それらは宙に飛ばされると、またたに小さなけつしようとなって消えていった。流れていった文字には見覚えがある。あのミッションの文章だ。


 それらがすべて流れていったあと、光はじよじよに弱まっていく。本の中にもどるようにして光が消えていき、はるがぱたん、と本を閉じると完全に消失した。


 ろうの風景が日常のものへもどっていく。はるは本を持っていた手を下ろすと、静かに口を開いた。


「ミッション、完了です」


 彼女の声が届いたたん、「やったー!」とやまぶきさんは両手を挙げてがんした。本当にうれしそうにその場でぴょんぴょんとねる。子供のような喜びっぷりだ。こちらまでほほゆるんでしまう。


 しかし、ぼくがいることを思い出したのか、はっとした表情を作ると、「べ、別にいいじゃない! これぐらい喜んだって! のろいが解けたんだから!」と何も言っていないのにおこったように言った。


「一時はどうなることかと思ったけど、これで解決ってわけね。あぁよかった。このまま物が持てない、ってじようたいだったらどうしようかと思ったわ……」


 心底ほっとしたのだろう。おだやかな表情をかべながら、やまぶきさんはろうを歩いていく。どこへ行くのかと見ていると、彼女はそう道具箱の前で足を止めた。視線の先にはほうきがある。

 さっきもも先生が置いていったほうきだ。彼女はぼくに顔を向けると、にやっとした笑みを見せた。手を閉じたり開いたりしてから、おもむろにほうきへ手をばす。


 今まで見たことがないぐらいのはしゃぎっぷりだけれど、ぼくの方も心底ほっとしている。よかった。あんなに不便な身体のままだったら、本当にどうしようかと思っていた。それももう心配無用だ。少しは、約束を守ったことになっただろうか。


 彼女がうれしそうにほうきへ手をばしていく。しかし、そこで気が付いてしまった。あのみようなマークだ。かんしようのマークが、彼女の横顔にしっかりときざまれたままなのだ。ミッションは達成されたというのに。


 そして、そのかんしようのマークが示す通り。


 彼女の手は無情にもほうきをすりけていった。やまぶきさんはおどろいて自分の手を見つめる。もう一度、ほうきれようとしたが、やはり上手くいかなかった。れられない。〝かんしようのろい〟におかされたままだ。


「どういうこと!? ミッションは成功したんじゃなかったの!?」


 後ろにひかえていたはるやまぶきさん。そんな彼女に対して、はるはどこまでも静かに言葉を返していた。


「はい。ちがいなくミッションは成功しています。ですが、しよせんは数あるミッションの中のひとつでしかありません。ミッションはまだ続きます。こんなふうに具現化するほどののろいが、たったあれだけの行動で消えるわけがないでしょう」


 そんなとんでもないことを。はるは悪びれもせず言ってのけた。


 ……おいおい、じようだんだろう。あんなことがいくつも続くのか。ひとつこなせばそれで終わりだと思っていたのに、全くそんなことはないらしい。ミッションはまだまだこれからだと、彼女は言っているわけだ。……かんべんしてほしい。


 後出しの事実をさらっと言うはるに、やまぶきさんは口をぱくぱくさせて何か言いかけたが、結局何も言わずにかたを落とした。先ほどのこともある。きっとこうしてもだとさとったのだろう。


 しかし、かたを落としたいのはぼくも同じだった。はるは「たったあれだけの行動」、と言うが、ぼくやまぶきさんもずいぶんしようもうしている。


「じゃあ早く、次のミッションとやらを出しなさいよー……」


 顔をせたまま、力なくやまぶきさんは言う。ここで文句を言っていなされるよりは、さっさと相手の言うことを聞いた方が早い。彼女のせんたくは正しい。しかし、それさえも上手くいかなかった。


「わたしもそうしたいところですが、次のミッションがまだ来ておりません。ミッションが届くまでは待機でお願いします」


 あっさりとはるは言う。はるはそれでいいかもしれないが、のろいを受けているやまぶきさんはそうはいかない。


「え、じゃあなに? わたしはこのままってわけ!?」


 勢い良く顔を上げると、信じられない、といった様子で彼女は狼狽うろたえた。このままではつうに生きることさえ難しいのだ。放置されるのは困るだろう。


 けれど、さすがにそうはならなかった。はるは軽く首をってから、手に持っていた〝青春ミッションボード〟をたたく。本の周りに桜がり、本が光に包まれた。その姿を変えていく。本は小さな手鏡へ。それがやまぶきさんの前へ差し出される。


 その手鏡をのぞみ、やまぶきさんはぎょっとした。あのマークにおどろいたのだろうか。けれどそうではなく、彼女は「すごい美少女がいると思ったらわたしだった」なんて言っている。自分のぼうにぎょっとするなよ。


 気を取り直して、再び鏡を見つめる。彼女の目の下にはあのみようなマーク。やまぶきさんはそれを見つめながら、細い指で何度もなぞっている。


「ミッションをクリアしたほうしゆうとでもいいましょうか。のろいの力がわずかに弱まっています。ずっと続くはずだったのろいの効果がうすまり、一定時間で消えていくようになりました。

 あなたが〝かんしようのろい〟を発現させてからそろそろ二時間経ちますが、のろいの効果が続くのはその二時間程度です」



 はるがそう言ったしゆんかん、あのマークがすぅっとうすくなっていき、やがて完全に消えていった。最初からそこには何もなかったかのようだ。きめ細やかなはだだけが残っている。


 やまぶきさんはおそおそる立てかけてあったほうきに手をばすと、今度こそしっかりつかむことができた。彼女はあんの息をき、それはぼくの口からも同じように出ていっていた。


「わかっているとは思いますが、これでのろいが消えてなくなったわけではありません。条件が満たされれば、再びあなたはあの〝かんしようのろい〟を受けます」


「条件って?」


「トリガーとなる行動があるはずです。何かしたときにのろいが現れませんでしたか?」


 言われて、思い返す。かのじよの顔にかんしようのマークが現れる直前、何か変わったことをしただろうか。トリガーとなるような何か。そこで頭にかんだのは、


『くちゅんっ』


 おそらくこの世で最も可愛かわいらしいであろう、彼女のくしゃみであった。


「くしゃみかな……」


「くしゃみね……」


 同時に思い至ったらしく、彼女も同じように口に出していた。あちゃー、と言わんばかりの表情で、かたを落としながら。


「つまりわたしは、くしゃみをするとあのじようたいになるっていうわけね……、くしゃみしちゃダメなのかー……、キツイなー……」


 確かにキツい。せいぎよが難しい上に、一度やれば日常生活が困難になるほどのダメージを受けるところが何よりつらい。悲観的になった彼女は「というかわたし、ひいたら部屋からも出られずににするんじゃないの……」と言い出す始末だ。


「自宅でのろいが発現した場合は、わたしを呼んでくださればフォローいたします。ただし、外ではわたしにたよることはひかえてください」


 はるは静かにそう言う。にはけられそうだが、不便さは変わらない。これからのことを思って、げんなりとしている彼女に「そ、外ではぼくがフォローするからさ」と伝えてはみたものの、彼女の顔は晴れなかった。ありがとね。つかれた顔で笑うやまぶきさんに、ぼくの胸がじくりと痛んだ。

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