第四章 心に最後に残るモノ 6


 はるの言葉を証明するかのように、あかちゃんのほおから〝かんしようのろい〟のマークがすぅっと消えていく。あとには何も残っていない。〝青春ミッションボード〟も消えた。〝かんしようのろい〟のマークも消えた。


 はるは解放された、と確かに言った。さっきまでしやくぜんとしない思いだったけれど、これで終わりなら話は別だ。喜びの感情がち、ぼくは思い切りこぶしにぎった。



あかちゃん! やったじゃない! もうのろいは終わったんだよ、青春ミッションクリアだ! 君のマークももう消えてる!」


「ほ、ほんと!?」


 あかちゃんはすぐに自分のポケットから小さな手鏡を取り出すと、それを開いて自分の顔を見た。それはすぐにかんの表情へと変わる。


「何もない! 消えてる! それに、わたし、ちゃんと物が持ててる!」


 やったー! とあかちゃんは本当にうれしそうに両手を上げた。そして、あろうことかその勢いをぼくへぶつけてくるのである。


「やった、やったよ、きぃくん! もう終わったのよ、これで! きぃくんのおかげだよー!」


 そんな喜びの声を上げつつ、あかちゃんは思い切りぼくいてきた。体温が一気にじようしようする。喜びの感情が別のものへ変わってしまう。


 彼女の女の子らしい身体がけられ、ぎゅうっと小さな手できしめられる。信じられないほど近いきよに彼女の顔があった。あかちゃんは目をつぶっていて、そこには光るものがあったけれど、そちらに意識を向けられない。かみからかおにおいばかりに意識がいく。


 ここで力強くきしめることができれば絵になるんだろうけど、ぼくの両手は宙にかぶばかり。無理だ無理だ。相手は世界一かわいい女の子だぞ。今こうしているだけで意識が飛びそうだ。



「喜ぶのはいいんですが、このあとの話をさせてもらってもよろしいですか」


「あ、はい」


 はるにそう言われると、大人しくぼくからはなれるあかちゃん。ぼくいていたことなんてもう忘れてしまったかのように、はるの方へ歩み寄っていく。


あかさん。あなたは青春ミッションをこなし、〝青春ののろい〟から解き放たれました。もう自由です。なので、わたしともお別れですね」


「え……、あ……、そっか」


 はるにそう言われて、ぼくもようやくそこに思い当たった。彼女は〝青春ののろい〟のせいれいであり、あかちゃんをサポートするために現れた。青春ミッションが終わった今、ぼくたちのそばにいる必要はない。


 もうお別れなのだ。


「そっか、はる……。お別れ、なのね。いろいろとありがとう。大変なことばかりだったけど、はるといっしょにいられてうれしかったわ。さびしくなるわね」


「何を言うんですか、あかさん。わたしは〝青春ののろい〟の一部。わたしなんかと出会わなかった方が、よっぽどよかったんですよ」


 はるはわずかにくちびるゆるめる。けれど、それもいつしゆんのことだった。彼女はいつもの無表情にもどり、あかちゃんを見つめる。


「それに、あかさん。あなたは、わたしとの別れをしんでいる場合ではないんですよ」


「……どういうこと?」



 はるはゆっくりと手を差し出す。そこには、何枚かの桜の花びらがにぎられていた。


「まだ、ミッションは完全には終了していないということです。おふたりとも、これが最後の試練です。少し前に、『おく』の話はしましたね」


 覚えている。説明は長くて複雑なものだったが、要約するとこのような形だったはずだ。


「えっと……、確か、青春ミッションを完了する際に、ミッションに関するおくわたすことがあるっていう話だったよね」


 ぼくがたどたどしく言うと、はるはゆっくりうなずく。


「今回のミッションは青春ミッションのおくちようだいしなければ、ミッション完了になりません。そして、どんなおくが消えるのか、すでに決まっています。──それは、青春ミッションに関する、すべてのおくを頂きます」


「え……」


 言葉にまる。


 はるの言葉がすぐには理解できなかったからだ。青春ミッションに関するすべてのおく。それはどういうことなのだろうか。今こうしていることも、ここ数日の出来事も、はるのことも、すべて忘れてしまう。そういうことなのか……?


 今までの激動の数日間が、すべてなかったことになるとでも言うのだろうか。


「その通りです。あなたたちがほんそうしたこの数日間の出来事、それらはすべてなかったことになります。おくをもらうとはそういうことです。その代わり、至って平和な数日間を過ごしたことになるでしょう。当然、〝青春ののろい〟なんてものにはあなたたちは関わっていない」


「…………」


 絶句した。それは、ぼくあかちゃんの数日間がすべてなかったことになる、ということだ。ろうで手をつないだことも、デートをしたことも、おたがいが誤解したせいでこっずかしい青春をすることになったのも。


 それらすべてがなかったことになるというのなら、ぼくあかちゃんは一体どうなってしまうんだ……?


「ま、待ってよ、はる。それじゃあ、わたしときぃくんはどうなっちゃうわけ? 青春ミッションのことは忘れてしまうけど、関係はそのままってこと?」


 あかちゃんがおそおそたずねる。しかし、その声にはわずかなおびえが混ざっていた。なぜか。


 連想してしまっているのだ。一番あって欲しくない結果を。



 そしてそれは、現実のものとなっていた。


「いえ。あかさんといちろうさんが交流するきっかけになったのは、〝青春ののろい〟をあかさんが受けてしまったから。あなた方の関係も、青春ミッションの上に成り立つもの。

 それらはすべてがなかったことになります。

 つまり、あかさんがのろいを受ける前の関係に、そっくりもどってしまうということです」


 ……予想はできていたけれど、それはとてもざんこくなものだった。


 ぼくあかちゃんの関係。それが青春ミッション以前にもどってしまう。それはどんなに遠いものだろうか。


 こんなふうにいっしょにいることもなければ、楽しくおしゃべりすることもない。ただのクラスメイト、いやそれ以下の関係だ。


 ろくに会話もせず、変におたがいが意識してきよを取ろうとしてしまう。近くても遠い。そして、決して近付こうとはしなかった。


 今思えば、なんてつまらない関係だったんだろう。


 ぼくらは、それにもどってしまうのだという。


「……い、いやよ、そんなの。そんなの、絶対いや!」


 あかちゃんははるから後ずさると、悲痛なおもちでそうさけんだ。首をりながら、悲しくなるような声で彼女は言う。


「せ、せっかく、せっかくきぃくんとまた仲良くなれたのに! いっしょにいるって約束したのに、また、またはなれなきゃいけないなんて! そんなの、そんなのってないわよ!」


 彼女の声はふるえていた。このせんたくを受け入れた先をえているから。彼女もわかっているのだ、このせんたくをするしかないということを。道は残っていないということを。


 それからげるようにして、彼女は悲痛な声を上げている。



あかちゃん。……ミッションを、終わらせなくちゃ」


「きぃくん……」


 ぼくだってつらい。めちゃくちゃつらい。本当はいやだ。本当にいやだ。


 でも、やらなければいけないのだろう。


「このままじゃ君は、のろいから解放されない。そんなのはダメだ」


「で、でも。きぃくんは、それでいいの? わたしたち、またはなれるのよ? 友達とも言えないような、あんな関係に……」


だいじよう


 ぼくは努めて平静をよそおう。うつむいていた彼女が顔を上げた。不安に染まったひとみをまっすぐ見ながら、ぼくは自分でもおどろくほどにおだやかな声で言う。


 かつての自分がした約束。そのときの声が、頭の中でひびいていた。




〝ねぇ、あかりちゃん。ぼく、やくそくするよ〟


〝なにを?〟




「たとえおくがなくなっても、またこんなふうにいっしょにいられるって。今回だってそうだったじゃない。なら、次だってだいじよう。きっとだいじよう。それに、約束はぼくも覚えていたから。ずっと覚えていたから」




〝あのね──〟




「〝あかちゃんがピンチになったら、ぼくが絶対に助けに行く〟。そう約束したのは、ぼくは覚えている。これからも絶対覚えてる。だからあかちゃん、安心して待っていてよ」


 そう、約束だ。その約束だけは忘れない。ずっと大事にしていたもので、うれしいことにあかちゃんも同じように大事にしてくれていたもの。おたがいがそれを持っていた。なら、きっとだいじようだろう。この次も、きっと。


 ぼくはそう伝えたかった。安心させたかった。


 なのに、なんでだろう。


 あかちゃんが何やら形容しがたい表情になっているのは。


 彼女は口をわなわなとふるわせながら、目を見開いてぼくを見ていた。まゆは思い切り八の字。


 どこまでもれいに整っている顔が、今はぜんとした表情にえられてしまっている。顔はこれ以上ないほどに真っ赤だ。ゆでだこだ。

 どうやったらここまでせきめんできるんだ、というくらいに顔を赤くしながら、彼女はえた。


「なっ、に、そっ、れ! 今、今言う!? 約束のこと、今言うの!? え、ちょっと待ってちょっと待って、きぃくんは約束のこと覚えてたってこと?


 わたしがそれとなーくいても無反応だったし、さっきわたしが『わたししか覚えていないだろうけど』って言ったときも何も言ってくれなかったのに、実は覚えてたってこと!?


 なにそれぇ……、ちょっともう、やだー……、どんだけわたしにはじうわりさせるのぉ……。

 ていうかさ、このタイミングで約束のこと持ち出されたら、もうわたし『うん』って言うしかないじゃない……、ずるいよもぉー……、何も言えなくなっちゃうじゃん!」


 あかちゃんはわめいて、ずかしがって、最後にはぷんすかとおこりながら、ぼくの胸をぽかぽかとたたいてきた。何とも目まぐるしい。


 その移り変わりについていけず、ただおこられていることだけはわかっているぼくは、「ええと……、ごめんなさい……」と謝罪の言葉をしぼした。



 すると、ぼくたたく手が止まる。彼女は再びずかしそうに目をらすと、いじけるようにくちびるとがらせた。


「……いいよ。きぃくんが約束を覚えていてくれて、正直すっごくうれしかったし」


 そう言って、ぼくから身体をはなす。しばらくはふくれっつらだったあかちゃんだが、はぁ、と大きく息をくと、かみを手でくしゃくしゃときまわした。無理矢理ぶつちようづらを作って、こしに手を当てる。


「わかったわよ、わかった。ミッションを完了しましょ。ここでこねても、どうにもなんないし、せんたくだってほかにはないでしょうし」


 視線をぼくから外すと、彼女は目をつぶった。そのままかたすくめる。次に出てきた言葉は、まるで気がゆるんだから出てきてしまったかのような、そんな独り言じみたものだった。


「それにどーせ、わたしはもうきぃくんには逆らえないしねー」


「ちょっと待って、それどういう意味?」


 あまりに聞き捨てならないことを言われたので、あわてて問いかける。すると、彼女は「うっ」と口ごもり、ぽっと顔を赤くさせた。どうやら突っ込まれるとは思っていなかったらしい。目線が泳ぐ。ごにょごにょと小さな声がわずかにれていく。


「いやあの……、……れた弱み、というか、あの、その」


「ちょちょちょちょっと待って、声が小さい、聞こえないもう一回言って!」


「うっさい、ばーか、ばーか! 何でもないわよ! はる! ミッションを完了させるわよ!」


 ぼくの方には取り合わず、あかちゃんははるの方へ向き直ってしまった。いや、ちょっと待ってよ……。何それずるいって。もう一回ちゃんと言ってよ。


 ぼくの願いは通じず、あかちゃんの言葉にはるはしっかり「はい」と答えた。


 彼女は右手を大きくかかげる。開いた手のひらが宙に向けられる。そのしゆんかんである。彼女の手から小さな光が生まれた。球体のひかかがやくそれは、彼女の手の上でらんらんとした光を発する。


 その光がはじんだかと思うと、ぼくの視界はももいろで完全にまった。


 大量の桜の花びらである。

 想像を絶する数の花びらが現れて、世界を桜でめていく。花びらだけでできている世界だ。公園すべてを桜色に染め上げて、大量の花びらは空間をしんしよくしていく。ぼくたちを中心にしてすっぽりとドームのように取り囲んでいる。


 桜の花びらはだくりゆうのように動きながら、じよじよぼくたちのいる空間をせばめていった。


すごい……」


 そんな言葉がれ出てしまう。数千万、数億の桜の花びらがう世界なんて、この先一生拝めないだろう。こんなうきじみた光景まで忘れるというのは、本当にもったいない話だ。


「この桜の花びらがあなたたちをおおいつくしたとき、すべてのミッションは完了し、〝青春ののろい〟は完全にしようめつします」


 うずく桜の中心に立ったまま、はるは静かにそう告げる。その間にも花びらが空間をおおっていく。


 あと数分もすれば、ぼくたちは花びらにもれてしまうだろう。そうなれば、もう何も覚えてはいない。今ここに立っていることも忘れ、これからの日常を過ごすことになるのだろう。


 あかちゃんが手を強くにぎりしめているのが見えた。


 そして、それはぼくも同じ。気を付けていないと力を入れすぎてしまう。ぼくこぶしを開いていると、あかちゃんが「あ」と小さく声を上げた。


「そうだ、きぃくん。七夕祭り!」


「あ」


 そういえば、いっしょに行く約束をしていた。ふたりでいっしょに行って、神社にささがまだあるかどうか、確認しようって。そんな約束を前にした。


 彼女はぼくの目を見ながら、ほほみをかべる。そこに先ほどのそうかんはない。いつもの彼女だ。いつものあかちゃんだ。世界一かわいい、ぼくおさなじみがそこにいる。


「いっしょに行くっていう約束したんだから、絶対行くわよ。約束、忘れないように」


「うん。楽しみにしてるよ」


 そんな言葉を交わす。その先にあるものは何も言わない。ぼくたちは約束を確認した、ただそれだけだ。絶対に、あかちゃんと七夕祭りに行く。たのむぞ、忘れてしまったあとのぼく


 約束の確認をしている間に、ずいぶんと空間がせばまっていた。視界がほとんど花びらでまっている。


 あと少しすれば、きっとぼくらにも花びらがんでくる。おくが残っている最後の数秒間なんだから何か言えばいいだろうに、何を話していいか思いつかなかった。


「あ。そうだ、ねぇはる


 あかちゃんは小さく声を上げると、はるの名前を呼んだ。はるは同じ姿勢で固まったまま、いつもと変わらない「はい」という返事をする。



「わたしたちが今こうしていることも、全部忘れちゃうのよね?」


「はい。そっくりそのまま、おくがなくなりますけど」


「そっか。そうなんだ」



 あかちゃんはなつとくしたように、うんうん、とうなずく。何の確認だったんだろうか。おくがなくなる、というのはさっき説明されたばかりなのに。


「ならきぃくん。ちょっと聞いて?」



 あかちゃんはぼくに目を向けた。


 その顔に、ぼくはどきりとさせられる。いつも可愛かわいくて、どきっとさせられることはにちじようはん事なはずなのに、なぜかその顔は今までで一番てきに見えたのだ。


 わずかに赤く染まったほおゆるやかに笑みを作るくちびる、幸せそうな光を映すひとみぼくがぽーっとれていると、彼女は楽しそうに言葉をつむいだ。



「わたし、わたしね。ずっと気が付かなくて、この前ようやくわかったんだけど。自分の気持ちに、気付けたのだけれど。うん、そう。昔からだったの。ずっと、ずぅーっと、昔から、わたし、きぃくんのことが──」

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