第三十四話 硬化


 ニラの森の林道から少し離れた場所で獣の粘り着くような悲鳴が木々の葉を揺らさんとばかりに響いた。 そこにいるのは漆黒の大鎌を携えた一人の少女と猛々しい龍の爪のような両角の白い鹿。 そして絶命した獠牙の巨人オークと唖然とする赤色の醜悪な小人ゴブリン七体だった。


 醜悪な小人ゴブリンが数体がかりで飛び掛かる。 少女もまた飛び上がり空中で相対した。 少女は大鎌を横に払いモンスターの腸目掛けて斬り裂くと、血飛沫が吹き出し、斬撃で吹き飛ばされた辺り一面を赤い水溜りにさせた。


 突進する白い鹿の鋭い両角が醜悪な小人ゴブリンの首元に勢いよく突き刺すも、そのスピードが止む事はなく、二体、三体と続けざまに串刺しにし、最後の一体に向けて薙ぎ払うと死体に激突混じりに悲鳴をあげた。 身動きが取れなくもがき苦しむその声は少女の躊躇いもない大鎌の一線で途絶え、森がしんと静まり返った。

 「終わったようだな、凛」

 「ええ。 それより見て、カノープス」 少女——凛は密集した森の先を指差した。 「あっちにも醜悪な小人ゴブリンの死体がある」

 「……本当だ」 白い鹿——カノープスは歩いてそれを確認した。 「やはり間違いないようだな。 【結界】で隠していたが、この先にやはり凛とましろ以外の〈異邦人ストレンジャー〉が潜んでいるようだ」

 「カノープス、私たちも今あなたの【結界】によって気配を遮断している?」

 「消している」 カノープスは首肯した。 「奴らが【探知】を発動させない限り私たちは相手の懐まで飛び込む事ができる」

 第二エリアへ到着した凛とカノープスはまず〈異界獣ペット〉の共通スキルである【索敵】を発動させた。 周囲に数体の反応を感知したが、カノープス曰く、そこに引っ掛かったものは全てモンスターのようだったので、次に消耗の激しい【探知】を発動させた。 すると、領域内に不自然な空白を発見できたという。 それはほかの何者かが【結界】を発動させている証拠らしく、凛たちはその空白に進路を変えて移動していると、モンスターの死体が点在し、換金のためのモンスターの死体の一部を切り取る行為もされていないまま放置されていた。 惜しまれつつ前進していると、醜悪な小人ゴブリンの死体を食べる獠牙の巨人オークとそれを見つめる赤色の醜悪な小人ゴブリンたちに遭遇したのだった。

 凛は死体を辿るように草叢を刃先で搔き切る。 十五分ほど経っただろうか、粘球を吐く蠕動虫キャタピラと鱗粉を撒く透き通る白群色の翅と長い触覚のトリマ麗翔虫バタフライを颯爽と打ち払うと緑深い地に小さな窪地が現れた。

 「気をつけろ凛……」 厳然とした口調のカノープスは姿勢を正した。 「この先にいるぞ……、〈異邦人ストレンジャー〉が……」

 かすかであるが、血のような臭いが風に乗って鼻腔をさすと厳かなで険難な雰囲気に大鎌を持つ凛の手が知らず知らずのうちに力み出す。

 行こうか行くまいか考え倦ねていると、窪地の奥で物音を感じ取った凛たちは背後の濃い草叢に逃げるように隠れた。

 息を殺すように葉の間から窪地を観察していると、森厳な森のなかで息を荒げた男の声が聞こえてきた。 凛の目の前に表れたのは、脇腹から血を流した男性の腕を肩にかけて窪地を登る少年と、距離を離したその後ろで大きな深緑の熊に乗っかるサイズ違いの箱を持った角刈りで大きな体躯の少年がいた。 安物の黒いポロシャツ、安物のチャコールグレージャケットを羽織り、ヴィンテージのウエスタンジーンズを履き、見たところなんの武装もしていなかった。

 凛はその二人の少年を見て喫驚した。 前者はカジャに頼まれていたラカ・ラパの息子のタリであり、後者が凛と同じ〈異邦人ストレンジャー〉だったからだ。

 状況がいまいちつかめない凛はどのタイミングで踏み込もうか戸惑いを覚えた。 怪我を負った男の手には朽ちかけた匣があり、後生大事そうにそれを懐に抱え込んでいる。 それを見て、凛は第一エリアで盗み聞きした宝物となにか関係しているのではないかと推測した。 だとしたら疑問は払拭されずにさらに凛の頭を擡げる。 元を糺せばタリたちはアオノリの民のために食料とましろにも使用した薬草の補充のためにこのニラの森の第一エリアへと進入したはず。 それなのに今このエリアは第一ではなく第二エリア、それも林道からかなり隔てた距離にある完全なモンスターの生息域内という非武装の彼らにとってすぐにでも離脱すべき危険極まりない場所である。 しかし実際彼らの手許にあるのはあの朽ち果てた匣一つのみ。 ほんの一瞬、あんみつ村で遭ったように凛たち新参者を騙すための虚言なのではという疑念が脳裏を過った。 本当のところ、ニラの森へ向う途上の四人組の冒険者との会話の途中で熊の獣使いビーストテイマが出てきた時点で凛の脳裏にはカジャに対する疑念が決して無かったかと問えばそれは嘘になる。 しかし実際そうだったとしてもカジャの真意が掴みきれていないのも本音だった。 それは無知であると同時に、ましろの命を救った恩人であるカジャを信用しきっている浅はかで愚直なまでの自分の願望が裏切るはずはないと訴えかけているからだった。 踏み出す一歩に躊躇いが伸し掛かる。 ましろの助言が欲しかった。 ましろならどうするだろうか……。 凛は目を閉じると瀕死の重傷を負ったましろの痛々しい姿を思い出す。 大丈夫であろうか……。

 まだ苦しんでいないだろうか……。

 凛がほんの束の間、場違いに物思いに耽っていると、深緑の熊が丸みを帯びた鼻を突くように何度も動かし、不意に凛たちのいる草叢一点に意識を集中させていた。

 薄い葉の壁を越え、凛と熊の視線が折り重なった感覚を彼女は感じ取った。

 「——瓜生」 深緑の熊が鉛のような重い口調で湛然と呟いた。

 「ああ、やっぱりかぁ」 羆に乗った角刈りの少年は口角を曲げに曲げ、歓喜の表情で右手の宙に腕を突っ込み、消えた腕先を引くと同時に現れた黄色い戦斧せんぷの柄を強く握り締めると軽剽けいひょうと地面に飛び降り様に手に持った長物を躊躇なく投擲した。 「——だと思った!!」

 空を切る刃の投擲は凛とカノープスを分裂するように中央目掛けて発射された。 二人は弾かれたように左右へそれぞれ回避し、少年を斜向いから睨みつけるような位置で対峙した。

 「……おめえら」 手に持った箱を波紋を浮かべる虚空に突っ込んだ少年は負傷した男たちを一瞥してから再度視線を合わせた。 「こいつらの仲間だろ?」

 「いいや」 凛は涼しい顔で嘯いた。 看破されない自信はなかったが、敵に真実を語る道理はないからだ。

 「ああ、やめとけやめとけそんなしょうもねえ嘘抜かすの」 少年は鼻を指の腹で擦った。 「おめえら、同じ臭いがすんだよ」

 凛は内心で舌打ちをした。 仲間だと見抜かれればタリたちを人質に取られ、行動の制限を掛けられてしまう恐れが生じたからだ。

 だとすれば——。 敵が人質を取るよりも早く先手を打つしかない——。

 「——カノープスゥゥゥ!!」

 「【突進ラッシュ】!!」

 スキル名の発言と同時に畳み込まれた脚は弾かれるように瞬時に開き、その反動力を加えた風塵を纏う前方への射出は、さながらロケット弾の如き形相で少年と羆に向って突進していった。

 「上等じゃねえか!!」 少年は罵声をあげながら熊の背後へ跳躍し森を揺らすほどの大声を天空目掛けて叫び出した。 「バリィィィィ!!」

 「【硬化ハード】!」

 〈異邦人ストレンジャー〉の命令により発動された熊のバリーの固有スキル。 発言と共に総身の深緑の表皮が光を照り返す鈍色に瞬時に容体を変えると身動きひとつせずに硬直した。

 後塵を拝す土埃が舞い散り二体の〈異界獣ペット〉が激突した。 乱立する木々の放散する乾いた音、鉄同士が衝突し合う固い金属音と肌を揺らす強振動が森中を反響させると、充満した土煙の中で圧し折れた樹木の鈍重な落下音が地面を鳴らした。

 樹間を潜り抜ける柔らかい風が葉枝を揺らす音が静寂を導いた。 土煙が踊るように脇へ捌けていくと、舞台には微酔したように蹌踉よろめく白い鹿と鈍色から元の深緑に色を戻す平静の熊が残った。

 「なにがあったの……」 鼻口に袖をあてて目を薄めた凛は愕然とした表情を浮かべた。 「カノープス!」

 「大丈夫だ……、凛」 覚束無い足取りでゆっくり後退するカノープスは冷静さを取り戻そうとしているが、憮然とした表情が彼の内心を明明と物語っていた。

 「不思議な顔をしているなあ。 でもおかしいことなんて一つもないんだぜ? 俺のバリーの固有スキル、【硬化ハード】は全身を鋼質化することによって張力そして剛性を極限にまで高めた鉄壁の技。 おめえの〈異界獣ペット〉の刺突みてえなスキルはいかにも強力そうだけど、俺のバリーの方が一枚上手だったみてえだな」 瓜生はその一戦による戦況、そして彼我の差を悟って恍惚の嘲笑を浮かべた。 「……おめえ、名前は?」

 「……凛」

 「リンかあ……、いい名だなあ。 俺は瓜生。 なあリン、俺と組まねえか?」

 「はあ? なに言ってんの」

 「この戦いはまず間違いなく長期戦になる。 時間はかかるが確実に生き残るには徒党を組んで各個撃破する方法が一番生存率の高い手段だと俺は思うけど、おめえはどう思う? 今のおめえはどうだか知らねえけど、〈異界獣ペット〉の方は力の差がはっきりしている。 なあリン、ここでむざむざ無駄な戦いをするより、もっと生存率の高い方法を選んだ方がおれぁ懸命だと思うけどな」

 「お生憎様」 凛は大鎌の柄を回して構えなおす。 「同盟ならとっくに組んでいるわ。 それに、あんたみたいな横柄で人を小馬鹿にしたやつと一緒に戦うなんて生理的に無理」

 「ひでえこと言いやがんなぁくそ女」 瓜生は口角を歪めて眉を逆立てた。 「いいぜぇ? 来やがれ。 襤褸雑巾みてえにぼろっぼろにしてやんよ……。 だがその前に——」 瓜生は虚空に手を伸ばすと指先から透明のなにかに引き込まれるように消えていった。 金属音が聞こえたかと思えば虚空から抜き出した手には黄色い戦斧が握られていた。 瓜生は上体を捻り腕を引き締めると手に持った長物を投げつけるモーションをとった。

 凛は先ほどの経験から大鎌を構え防御をとっていたが、驚くことに瓜生の目標は凛ではなく、一緒に窪地を上がってきた重傷の男の背中目掛けて投擲したのだった。

 「グアッ……」 勢いよく背中に突き刺された男は反動で腕をかけたタリごと吹っ飛んだ。

 「なっ——!」 凛は驚愕と呆然を混ぜ合わせた表情でその弧線を描く様子をただ見送ってしまった。 「なんで! なんでそんな……」

 「なんでそんな——? そいつらはなあ俺の宝を横取りして我が物顔で持ち帰ろうとしてたんだよ。 そんな盗人、仕留めて当然だろうがよ」

 「——違う……」 タリは地面に横たわり呻き声を上げながら苦々しい顔で否定した。 「これは皆が命がけで手に入れた物だ。 お前に力で脅されて、無理矢理罠の囮にされて手に入れた俺たちみんなの物なんだ」

 「阿呆かおめえは」 瓜生は白い歯を剥き出しにして豪快に哄笑した。 「死んじまったら約束もくそもねえだろうがよ」 

 「……ああ、そうだ。 やっぱりお前は救いようのない人間だ」 タリは地面の土を爪で抉るように握り締めた。 拳は震え、怒りと遣る瀬無さに充ち満ちた表情で歯を食いしばり瓜生を睨みつける。 「絶対に許せない。 許さないぞ!」

 「許せない? 許せないだとよぉ」 瓜生は凛に視線を移しざま、男に刺さった武器が燐光を煌めかせ霧のように宙に消えるのも束の間瓜生の手に閃光を放ち戻っていった。 「よえぇやつほどよく吠える。 負けるのが怖くて挑戦しない負け犬の遠吠えってやつだ」

 「リトル・ミス・サンシャイン……」

 「へぇ……。 よくわかったなぁ」 瓜生は陰険な笑みで見つめる。

 「大体の想像はできた。 良かったわ。 あんたが絵に描いたような人間で……」 静かに歩きだす凛の表情は足取りとは裏腹に憤怒の色で赤みだしていた。

 「おお、良かったって? 絵に描いた人間ってどんな人間だぁ?」

 「どんなだって……?」 凛は瓜生の口癖を真似た。 その顔は静かでそして冷たい眼差しで深い一歩を踏み込んだ。 その矮躯わいくからは有り余る義憤に駆られた感情が迸っていた。 「あたしが思っていた以上にあんたは下種やろうで、そんな下種やろうを斬るのになんの後悔も罪悪感も抱かないってことだ!」

 決戦の口火を切った凛は身体能力を活かした跳躍で瞬時に瓜生に肉薄すると、空中からの振りかぶった逆霞中段からの横薙ぎを首元目掛けて打ち込んだ。 対する瓜生の戦斧はそれを読んで長柄を大鎌の切っ先に向けて垂直に構えて斬撃を防ぐ。

 利き手を離したもう片方の手で柄を回しその遠心力の勢いを殺さぬまま瓜生の空いた右半身目掛けて斬りつけた。

 瓜生はその素早い二撃目に喫驚しながら致命傷となりうる心臓と頭部の箇所を防ぐが長い鋭利な切っ先が腹部を撫でるように切り裂いた。

 皮一枚程度の軽傷を目視せずに痛覚から即断した瓜生は左に構えた武器の刃先を凛の華奢な胴体に刺突した。

 唸り声をあげながら逆海老反りに捻って刺突を回避。 勢い余って体勢を崩すも手に持った大鎌の石突を地面につき橋のような姿勢で一瞬息を吸い、両手で柄を握ったと同時に逆上がりをする感覚でバク転した。 息を吐いた瞬間瞳の端で毛むくじゃらな物体が揺らいだ。 凛は条件反射で水平の構えをとった刹那、熊の十センチもある長い爪が上段から叩き付けられ漆黒の大鎌とそれを持つ腕ごと重力に則って真下へ急降下した。 鉄の錨を持たされた感覚を思い描きながら右の腕と肩の関節部が外れる乾いた音を立てた。 無防備になった状態を見過ごすほど深緑の熊は甘くなく、慣れた動作で追撃となる爪の刺突を仕掛ける。 外れた方とは逆の手で柄を持ち上げ斜めに武器を立て、刃がある方の石突を右足で力一杯地面に食い込ませた刹那、凛の視界が瞬間移動したかのような錯覚に陥った。 熊の破城槌の如き重量級の刺突によって凛の華奢な躯は蟻のように簡単に吹き飛び地面を転がり圧し折れた樹木に弾かれ木立に激突した。

 根本にずり落ちる苦痛の表情の凛の唇から赤い液体が滴り落ちた。 左手で右肩の関節部を無理矢理持ち上げるとまた乾いた音が痛みと一緒に躯に走った。 指先の感覚を確かめながら大鎌をついて立ち上がる凛は思考を働かせる。 この過程は少々危険だが、バリーの固有スキルが先ほどの【硬化ハード】一つだった場合、防御系スキルであることは疑いようがないだろう。 つまり、攻撃に特化したカノープスとは真逆の〈異界獣ペット〉である。 そして厄介なのがその巨躯を活かした重量級の攻撃であることを凛はまざまざと痛感する。 真正面から受け止めようにも今の凛の身体機能では抑えきれないほど過重であることは火を見るより明らかだろう。

 「同盟を組んだんだよなあ? 仲間はどうしたぁ?」 綽然とした態度で終始口角を曲げる瓜生は挑発的な口振りで訊ねる。 「それともあれは苦し紛れの冗談ってやつか?」

 「黙るってことを日本に置いてきたみたいだ」 凛は不快の印象を目で訴え、左の袖で顎を擦りながらカノープスに目配せすると、姿勢を低くし足許近くに大鎌の刃を下に構えて疾走した。 「やろうぜ、勝負はこれからだ!」

 地面を擦るような逆袈裟懸けと戦斧の袈裟懸けが衝突した。

 「トップガンってかぁ? あれは名作だぁ!」

 「ここであんたと映画談義するほど無意味なことはない!」

 大鎌と戦斧——。 敵の体勢を崩すことを得意とする長物を武器とする二人の〈異邦人ストレンジャー〉は素早い刃と刃の連撃の打ち合いで互いの致命傷を狙い、すべての致命傷を退けた。

 「つれねえなあ!」 総身に裂創を刻ませた瓜生は冷笑を浮かべて飛び退くと同時にバリーが獰猛な咆哮をあげて鋭い爪で襲いかかった。

 同じく総身に裂創を刻ませた凛は寸でのところでそれを躱し続け背後へ跳躍しざまカノープスに視線を移した。

 「——カノープスッ!! 【突進ラッシュ】よ!」

 「ちったあ学べよ、くそ女!!」 瓜生は狂った笑顔で喝采した。 「バリー!! 【硬化ハード】で俺の壁になれ!」

 カノープスが地面に鼻を擦り付けるほど膝を折り畳むより数秒早くバリーは総身を多角形の鈍色に変様させ、鋼のように硬直させた。 瓜生は硬化されたバリーの背後に素早く潜んで今か今かと待ち望んだ。 【突進ラッシュ】と【硬化ハード】の攻防の差は明確だった。 

 一秒——。

 二秒——。

 三秒経過した直後、瓜生は四本脚を元の体勢へと戻すカノープスと不敵な笑みを浮かべる凛を見つめてあらん限りの憤慨を示した。

 「そういうことか……」 瓜生は震える握り拳を鈍色の硬質化したバリーの大きな背中に叩き付けた。 何度も何度も。 拳の側面から滲み出る血液が鈍色の硬い巨躯に赤い泡沫の染みをつくるほどに沸沸と込み上げる真っ黒な怒りを抑えることができなかった。 「俺を騙したな……。 狙いは……、狙いは俺の〈異界獣ペット〉の精神労力を無駄遣いさせるためってかぁ……?」

 「ご名答」 凛は満足げに石突をついて腰に手をあてる。 「カノープスの【突進ラッシュ】を完全に防ぎきるってことはそれ相応の精神労力の消耗が激しいはず。 だから騙した……。 どんな気分、誰かに騙されるって?」

 なだらかな速度で鈍色の総身がまた元の深緑に戻った。 メッキのように剥がれた鈍色は範囲を丸丸小さく狭めて点になると背中の血と一緒に表皮へ吸い込むように消え去った。

 「……瓜生、自分が不甲斐ないとはいえ俺様に当たるのは止してもらおう」

 「黙ってろバリー! おめえは引っ込んでろ!」 眉間に縦皺を寄せて目を三角にする瓜生は思いどおりに進まない事に駄々を捏ねる制禦不能な子供そのものだった。

 事実、瓜生は子供そのものだった。 欲しいものはなにがなんでも手に入れた。 瓜生は変形可動型のおもちゃを欲しがれば名前も知らない子供を殴って手に入れたし、カードゲームを欲しがれば店主の目を盗んでパックをポケットの中に入れた。 中学に上がる頃にはその大きな躯を活かして、他校の学生を恐喝をしてバイクを買い、高校生の頃には欲求が誇大して恐喝の対象が大人までになった。 分不相応の洋服とカワサキのバリオスを買った。 ゲーム、ギター、アクセサリー、アンティークの家具、豪奢な食事、欲しいものはなんだって手に入れた。 邪魔する者や障害は武力を以て粉砕していった。 それが瓜生の導き出された単純且つ明瞭な解決法であり生きる上での処世術でもある。 だからこそ今まで生きられていたしこれからもそうする……。 顔を伏せた憤怒の表情の瓜生は鋭い眼光を凛に向って突き刺した。

 「いいぜぇ、証明してやろうじゃねえか……。 どっちが正しいかをなぁ!!」

 瓜生の裂帛の怒号は両者再戦の合図だった。

 凛へと襲いかかる瓜生の嵐のような猛攻。 回避するだけで精一杯の彼女の許へと向うカノープスの前に、羆のバリーが二本脚で立ち塞がった。

 「つまらない小細工を弄したな……。 子鹿」

 「それが戦略というのだ。 図体だけの傀儡くぐつよ」

 顔を歪めたバリーの表情は判別しにくい。 笑っているようで怒っている。 怒っているかと思えばただじっと見つめているだけ。 しかし、その一瞬でバリーの殺意を読み取ったカノープスは間一髪のところで爪による袈裟懸けを回避した隙に無防備になった樹木のような太い腕に鋭い角を突き刺した。

 「——グゥァッ」 痛みに声をあげるバリーはがむしゃらに振り回してもう一方の手で角を打ち払った。 「……まるで虫だ」

 「その虫に遅れを取っている気分はどうだ」 角の根本から血を滴らせるカノープスは頭をふらつかせながら嘲笑する。

 「主共々、——似た者どおしだなぁ!!」

 声を荒げて襲いかかるバリーの乱撃を猛々しい両角で受け流しながら攻撃に転じると、軽快な澄んだ音が聞こえた。 カノープスの角の一部が折れた音だった。 それを見たバリーは失笑を禁じ得ない顔で見下ろした。

 「高高角を削ったぐらいで随分と満足げの様子だな」

 「これから子鹿にしてやるんだからな。 無様な貴様の様子を思い浮かべるだけで……、笑いが止まらない」

 「良い趣味だ——」

 目にも止まらぬ早さで躯を捻りながらの角の回転攻撃を繰り出すと、先ほどまで余裕を浮かべていたバリーは慌てて爪で弾き返し思わず一歩退いた。

 「貴様——」

 「止まったな……。 笑いが」 カノープスは憮然と歯を剥き出しにするバリーを見遣った。

 「くだらんくだらん! くだらん小細工だっ!!  お前は——、俺たちはなんのためにこの世界に堕とされた! 力だ! 力を振るうためだろう!? ならばこの命をかけて、正々堂々スキルとスキルで勝負しろっ!!」

 「驕るなよ〈異界獣ペット〉……」 清流の如き静けさでカノープスは厳かに告げる。 「スキルだけが勝敗を左右するわけではないことをその身を以て証明してやろう。 私たちチームワークの力でな」



                  ●



 〈異邦人ストレンジャー〉と〈異界獣ペット〉同士の白熱する戦闘情景を隅でただ呆然と見つめるタリ。 一時は死を覚悟した彼の心に小さな希望が芽生え出していた。 劣勢に思えた少女たちは快心とまではいかないも徐々に拮抗状態にまで肉薄していく模様に拳を震わせながら、いくつもの小さな石が地面を叩くように震動していたのを視界の端で認めた。 初めは熾烈な戦いを繰り広げる両者の影響かと思えたが、なんの脈絡もなく揺れ動く石の数が増え出したとき不穏な冷気が纏わり付き肌を粟立たせた。

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