第三十七話 雲晴


 静穏な聖域は一切の不浄を浄化させる心地だった。 たとえその手を血に染め、これから何人もの子供を屠っても、古城を背景にしばらく佇んだり、星空が燦然と輝く夜空を突くほど屹立する九十二の列柱廊ペリスタイルを逍遥と歩いたり、仄かに煌めく湖を眺めているだけで、すでに心は洗われる。

 湖上に浮かぶ青い魔方陣が目映く光を発すると、その上のなにもない虚空に突如◯◯色金ヒヒイロカネのトルレガが出現した。 【瞬間移動テレポーテーション】が完了した途端、大きな音を立てて真っ逆さまに湖に落下した。 トルレガは湖の底で溜め息をつく声をあげた。

 「——随分とやられたな。 時間ギリギリだからだ」

 湖畔から男の声が聞こえたトルレガは水中から見上げた。

 「……レインか。 ああ、油断していた」

 「お前の悪い癖だ……。 それほどまでに楽しめたのか?」

 「ああ、殊の外な。 だが一人はやったよ……、上がっていいか?」

 「いいや、だめだ。 その水で傷を癒せ」

 「『月の水』か……、本当にこんなのが効くのか?」

 「効くから頼んでいるんだ。 それでなにがそんなに楽しかったんだ」

 「ああ、チルドレンに会えたぞ」

 「——なんだとっ!?」 冷静なレインに珍しい動揺が走った。 「それでどうした」

 「安心しろ。 殺してはいない……、充分加減したからな」

 「バレたか?」

 「それはないはずだ。 これだけはさすがに堪えたさ。 初めてこの顔に感謝だ。 ……蓮はどうだ?」

 「47のうち40に減った。 良くも悪くもといった感じだ」

 「辛辣だな。 ……なあレイン。 俺たち、これで良いんだよな?」

 「なにがだ?」

 「子供を、殺すことだ!」 トルレガは水底から怒鳴った。 「また殺した!」

 「そうだ、そしてまた殺すんだ。 この煉獄から解放させるために安らかにな……」

 「殺す以外に、ほかに選択はないんだよな?」

 「ヒトは生きる。 解放は一つしかない。 道はたくさんあるようで、実際選べる道は一つしかないんだ。 選択なんて、初めからないんだ」

 「——ッ……」 トルレガは言葉を失い押し黙った。

 「躊躇うか?」

 「……まさか」 トルレガは首を振った。 「約定は果たす。 必ずだ」

 「ああそうだ。 すべては子供たちのためだ……」



                  ●



 「——随分と大変そうだったじゃないか」

 〈うるちの森〉にてフリーハントを終えたましろと凛たちが王都へ戻ろうとしたとき、木立から男の声が聴こえた。

 「知ってたの? ハイオイドさん」

 立ち止まった凛が木を見上げて訊ねると、枝葉を擦る音と一緒に薄い黒髪に健康的な肌の男性が現れた。 草木や葉、苔を貼付けた濃緑色のフード付きギリースーツを羽織り、口と頬の周り砂鉄ほどの髭を生やし、青い瞳の片方は布製の黒い眼帯を耳に掛けている。

 「ハイオイドでいいよ。 それに俺は森の監視者フォレスト・ウォッチャーだ。 風が吹けばこの耳に届く」 ハイオイドは自分の耳を指に二度あててからましろの方を見た。 「よっ」

 「ども」 ましろは頭を下げた。 「凛から聞きました。 あの時はありがとうございます。 ……貸し一つ、ですか?」

 「カジャの件だろ?」 ハイオイドは鼻を吹いた。 「無事で良かった」

 「あいつを実際見たわけではないんですよね?」 ましろは訊ねる。

 「あいつ? 巨大なモンスターのことか?」 ハイオイドは首を振る。 「知らないな。 いままで見たこともない。 そいつの狙いはお前たちだったのか? それとも凛と交戦した男か?」

 「まあ、どっちも、……ね」 凛は目と口を端に寄せて困惑した表情をする。

 「凛と交戦していた男の熊はその後どうした」

 「情報は耳に入っているんじゃないんですか?」 凛はハイオイドを真似るように耳に指先を二度あてた。

 「喋る熊と喋る未知の巨大なモンスター。 どっちが重要だと思う?」

 「少し休んでから向ったんですが、熊には逃げられ、瓜生という男が持っていた箱も消えていた」

 「……気をつけろ。 復讐に歪んだ熊が凛を狙い兼ねない。 あの時のように、いつまでも助けが来るとは思わないことだ」

 「それも鉄則?」

 「いいや、忠告だ。 人生の先輩としてのな」 ハイオイドは微笑する。 「それともう一つ忠告がある——ましろ、お前にだ」

 「俺に?」

 「その剣、どうも怪しい……。 魔剣で、しかも知性武器インテリジェンス・ウエポン」 ハイオイドはましろの手に握られたヘカトンマキアを訝しげに注視していた。 「……そうだろう?」

 「——魔剣じゃない。 喰らう剣、『喰剣くうけん—ヘカトンマキア』。 儂のスキルで造り出した武器じゃ」 ましろの頭部の上でピャンが話す。

 「……スキルで、造っただと?」 ハイオイドは目を薄めた半信半疑の様子で口の端を曲げた。 「いったい……、どうやって?」

 「その二つの定義が俺にはわかりませんが、まあ大体予想どおりだと思います。 まずいですか?」

 「いや。 自分でもそう思っているのなら止めはしない。 その剣のお陰で生きて来れたようだが、完全に御しきれてはいないようだ」

 「わかるんですか?」

 「ああ、今お前の腕を喰っているからな」

 「——うぉおおいっ!」 ヘカトンマキアの剣身が『U』の字に曲がり、中心が口のように開いた牙がましろの腕を噛んでいたので、彼は慌ててぶん殴った。 「なんか温かいと思ったらお前だったのか!」

 「主人として認めてないの?」 凛はましろの不気味に笑う剣を一瞥してからピャンに訊ねた。

 「主人どころか産まれたての赤子も同然じゃ。 理性もなく感情の赴くままに行動する。 馬鹿剣じゃよ」

 ピャンがヘカトンマキアを酷評していた途端、断続的に刃先についた棘のような突起物の一つが蛇の如く俊敏に飛び出し、鞭のようにしなってピャンの頬を打ち付けた。

 「にゃはん」 ピャンは反動で頭からずり落ち、白のチェニックの袖に爪を立ててしがみついてヘカトンマキアを睨みつけた。 「こんのっ親不孝物がっ! 産んだ恩を忘れたか!」

 「親が子に言ってはいけないランキングトップスリーに入る科白をよくも平然と……」

 「空気感染してるのよ。 ましろ菌が」 

 「ああ、話を戻しますが」 ましろは再びハイオイドを見上げた。 「こういった剣はどうやって制禦することができるんですか?」

 「知性武器インテリジェンス・ウエポンはとても珍しい武器だ。 なんたって生きた武器だからな。 コレクションとしての価値も高いが、武器といえど知性がある以上まずそれは一個の生命体と区別して見るべきだろう。 それにそれぞれ性格というか、個性も様々で確実な制禦方法というのもない。 子育てと同じだ。 そして知性があるため武器自身にもえり好みが激しく、適正する所持者以外には本来の力を発揮しないものもいれば襲いかかる悪辣なのもいるからだ」

 「あ、後者」

 凛が不意に零した独り言をましろは一瞥しただけで黙した。

 「だが、要はエンパシーの問題だ。 完全に扱うには絶対的な信頼関係が必要だが、別段完全でなくてもある程度の水準さえ越えれば知性武器インテリジェンス・ウエポンとしての機能が発揮できる。 話を聞く限りではその剣はお前を所持者として完全に認めていないようだから、認められるためにはひたすらその武器を使って戦闘を行い所持者として“信認”を得ることが必要だ。 なにも難しいことではない。 ——簡単でもないがな」

 「とても認められているとは思えませんが」

 「認めてもらえなかったら今頃お前はその剣に咀嚼されている」

 「ああ、そうか」

 「とにかく」 凛は一区切り打つように手を叩いた。 「じゃいつもどおりやってればいいってわけね」

 「そうだな。 決して短期的ではないが金も入り、等級も上がり、信認も得る。 つくづく冒険者向きだろう? ……ところでタリはどうだ?」

 「彼は無事よ。 遺体は仲間の人たちが丁重に埋葬されたわ。 そうだ、ラカ・ラパさんがあなたにお礼を言ってました。 また会いにいくと」

 「あいつも律儀だ……」

 「あの、そもそもハイオイドとラカ・ラパさんとはどういった関係なの?」

 「別に大したことはない」 ハイオイドは少し哀しげな瞳を流しながら微笑んだ。 「アオノリの連中は恵まれない境遇の者たちがほとんどだ。 王都の民もいるがその多くは他国から逃れてきた者たちによって集団化されている。 ラカ・ラパはその集団を一から作った初期メンバーの一人、元上級レベルの冒険者というのもあって彼らの中でも一目置かれているほどにな。 あいつは自分の家族と仲間たちと一緒にこの国に来たんだ。 たまたまその途中、困っていたところを助けてもらって、そしたら今度はあっちが困っていたから恩を返した。 それから仲良くなった。 ……それだけだよ」

 「あれ、これはなんか後々巻き起こる嫌なフラグの予感が……」

 「それより」 ましろはハイオイドの哀愁混じりの雰囲気を掻き消す。 「緑色の熊ってその後どうなったか知ってますか?」

 「いま言ってた第二エリア奥地の熊のことだよな。 仲間が周辺を見て回っていたが見つからなかった。 あのぐらいの図体なら他にもいるけど緑色って特徴は普通なら目立つんだが、場所が森なだけにな。 早早簡単に見つかりそうにない」

 「他になにかいませんでいたか?」

 「いたにはいたらしい。 でも、熊ではなくお前たちと同じ歳の、随分見慣れない風貌の男と水玉模様の梟がいた話は聞いている」

 ましろと凛はお互いの顔を見合わせた。

 「あ、そいつがなんかあるんだな?」 ハイオイドは不敵に微笑んだ。 「なんだなんだ。 ちょっと面白くなってきたじゃないか」

 「まだ一日しか経過していない。 そう遠くへは行っていないはずだから運が良ければこの街のどこかにいるかもしれない」

 「でも正直あたしたち、この街どころかこの世界のこと正直よくわかっていない状態でもう半月近く過ごしちゃってるじゃない? 今現在何人生き残っているのかとか、あのトルレガ《巨人》はなんだったのかとか……。 っていうかそうそう、なんだかんだでつい流し気味だったけれど、ましろ、主にアンタよ!」

 「え、俺がなに?」

 「ほら、肩の大怪我!」 凛は驚くましろの肩を平手でバンバン叩いた。 「この前まで肩の骨が丸見えで、三日間死生の間をさまよっていたくせに、なにケロっとあのトルレガ《巨人》と戦ってんのよ! そしてそう、そのヘカトンマキア!」 凛は人差し指でましろの大剣を差した。 「説明しなさい。 徹頭徹尾」

 「いやあ、そう言われてもなあ」 ましろは困惑した顔で頭を掻いた。 「俺にもよくわかんないんだ。 気がついたら、傷が塞がってて……」

 ましろは異性の凛に対してなんの抵抗もなく当時粉砕骨折されていた肩を見せた。

 「わっ! ちょっと——、あれ?」 初め目を反らしていた凛は眉を顰めて肩を注視した。 「ん? あれ? 傷痕きずあとがある」

 「そりゃあるさ。 だって怪我だもん」 怪訝な顔でましろは凛を見返した。 「どっか頭打った?」

 「だまらっしゃい。 ほら、見てよ」 凛は袖を捲って両腕の肌を見せつけたり、足を交互に捻って見せた。 「どこにも怪我はない」

 「え、あ、ごめん、つまりなにが言いたいの?」

 「ほら、ねえ……」 凛は頭上の木に立つハイオイドを一瞥すると、声を潜めて囁いた。 「あたしたち、再生能力があるでしょう? 今までの戦闘でいくつも傷ついたはずだけど、すぐさま傷口は塞がってどこも怪我なんてない箱入り娘のような肌のよう」

 「ああ、それで?」

 「それ、その肩の」 耳許から離れた凛はましろの肩を直に指差す。 「傷痕が残ってる」

 「え? あ、本当だ」

 ましろは凛に指摘されて初めて気がついた。 薄赤色のひび割れた凹みが生々しく残っていた。

 「あのデカいモンスターだとこうなるのかな、なんていう名前だっけ——」

 「獠牙の巨人オークだ」 頭上のハイオイドが指摘する。 「雨の日のデカいモンスターだろ? お前たちさっきっからなに話してんだ?」

 「どうして獠牙の巨人オークに負けたか、理由はなにか、条件として力の彼我を無視した上で考えています」

 「なるほど……」

 「その獠牙の巨人オークだと、あの時みたいにいつもの馬鹿力が使えない、とか? 本来ならありえない力を俺たちは持っているんだ。 それくらいの弱点というか死角というか、“代価”があっても不思議じゃない」 

 「代価に関しては言われて確かに一理あると思わざるを得ないけれど、でもその推理は残念ながら外れよ。 なにしろあたしはすでに単独でそのモンスターを退治してるし、もちろんその戦闘中、いえその前後も力が喪失されることはなかった。 だから別の理由からよ。 ピャン、確かあのときあんたも弱ってたわよね。 なにかないの? あの時弱った理由は」

 「理由かのう……」 ましろの頭にのっかるピャンは気怠げに後ろ足で額を掻きながら思案していた。 「この世界に堕ちた日数が問題とか、じゃないかの?」

 「日数?」

 「なんの気なしに聞いてくれて構わん。 空を見ながら適当に思い付いたことじゃからの。 たとえば7のつく日とか、キリのよい10、20の日に薄弱となる、とか」

 「俺たちこの世界に来て何日経った?」

 「確かめようがない。 当のお主が覚えとらんのじゃからな」

 「なにか特定なものを食べるとザコになるとか?」

 「実をいうとこの世界に来てから木の実と水と例の黄色い非常食とパンくずしか食べてないんだ」

 「そう、それも問題ね。 なんでそんなに食べないのよ、なに? 即身仏系男子?」

 「だから食欲がないんだよ。 それより、日数経過でも食物でもないとすると……、なんだ?」

 ましろが腕を組み、凛が頭を抱えて黙考していると、ハイオイドがあのよ、と声をかけた。

 「日数とか食物とかでもないとすると、その黒猫のじいさんがさっき“空”って言ってたので思い出したんだが、あの日あんた雨に嫌われたとか言ってたじゃないか。 雨なんじゃないのか、雨」

 「それは……、あの時は適当に冗談を言っただけじゃが……」

 視線を横に投げながら思考するピャンと、思わずハッと表情を変えるましろと凛。

 「なるほど。 確証はないけど、それまでの二説より遥かにあり得る考えだ。 力が不完全の状態で怪我を負うと、雨が止めば治癒は出来るがその時できた傷痕は元に戻らないのかもしれない。 というか、天気次第で能力が変化するなんて、まるでゲームキャラクターのステータスみたいだな」

 「人生ゲームってあるじゃない? あたしたちはそのボードゲーム上で自分の選んだキャラクターを操作して遊んでいるけど、実はそのあたしたちも誰かに操作されている駒の一つに過ぎないんじゃないかしら」

 「リンはなにを言っているんだ?」

 「俺にもわかりません」

 「なんでもないわよ!」 凛は気恥ずかしそうに顔を塞いだ。 「とにかくこの問題は次に雨が降ったときに検証しましょう。 それとどうしてピャンまでましろと同じく弱ったのか、これも問題よ。 もしましろ同様に雨の影響で力がでなくなったら戦力半減してしまう。 ピャンも今まで気付かなかったの?」

 「まあ儂もましろと同じで記憶がないからの」

 「あたしたちは雨に弱い、と。 まるで宇宙戦争の侵略者ね」 凛は自分のこめかみを人差し指でトントン叩いた。 「ずっと不思議に思ってたんだけど、地球を侵略するなら事前に天気ぐらい把握しておくべきじゃない? あのオチはこれは死活問題ね。 万が一〈異邦人ストレンジャー〉と〈異界獣ペット〉同士では精精逃げ出せば済むかもしれないけれど、相手がモンスターだった場合に命を奪われかねない。 この不思議な力のないあたしたちなんてただの学生、雑魚に過ぎないんだから。 それで、そのヘカトンマキアはどこで拾ってきたの? ダメでしょ、持ち主に返さなくちゃ」

 「トルレガとの戦闘中にさらっと言ったけど、こいつが作ったんだよ。 ヘカトンマキア《アレ》を」

 「え、ピャンが? あの獄中画を具現化したような剣を?」

 口許をだらりと伸ばしたヘカトンマキアはグググと気味の悪い声を上げる。

 「褒めてないぞ」 ましろは凶器の大剣を一瞥する。 「【精製】っていうの憶えてる? あのピャンの体内で造られた武器がヘカトンマキアなんだ」

 「へぇー。 よくこんな物造ったわねえ」 凛は関心半ば引き気味でヘカトンマキアを凝視していた。 「他にもなにか造れるの?」

 「造れるが物によって精製時間が異なり、その間ワシはスリープ状態に入る。 なにより素材にこだわりがあっての。 市に出回っているようなありきたりなものは儂の関心外じゃ」

 「こだわりってなんだよ?」

 「他では気軽に手に入れることのできない極めて希少性の高い悪心悪辣なものが望ましい。 悪には悪を、というやつじゃ。 以毒制毒が儂の好きな四字熟語での。 あとは晴耕雨読」

 「時々ピャンがなに言っているかわからないんだけど」

 「大丈夫、こいつが喋っている時俺は自分がゆで卵になったつもりで聞き流しているから」

 「お互い様か」 凛はゆで卵に構うのをやめた。 「ましろはほかに疑問に思うことはある?」

 「いや、半分聞き流してくれても構わない話なんだけど……」 ましろは夢の中で現れた紅棕櫚べにすろ唯一ゆいかとの心像体験をなんの気なく凛、そしてピャンに話した。 「——夢であることはわかってたんだ。 でも、夢にしては妙に現実味があって……なにより俺はこの世界に来てから一度も寝てなかったのに」

 「弱体化して、平素の、ただの人間に戻ったってことなのかな?」 凛は首を傾げた。 「でも、やっぱりただの夢でしょ、それ。 その紅……棕櫚さん? ちょっと恐いけどね。 夢って実体験とか視覚から得た情報を脳で処理している映像、みたいなものなのよね」

 「知らないよ」

 「聞いて」 凛は目を薄めてましろを黙らせる。 「あたしが言いたいのはね、あんた、その女の人に会ったことがあるんじゃないのってこと」

 「俺が? いや、だったらお前も憶えていることになるだろう? 俺がこの世界に目覚めて、すぐにお前たちに出会でくわしたんだから」

 「違う違う違う。 この世界に来る前の話し。 地球にいた頃の話をしてんの。 その紅棕櫚さん、元いた世界のグレーのスカートスーツの服装をしていたんでしょう。 あんたが夢の中で不思議に思ったのはそれよ。 この世界にそんな服装した人、会ったことないもの。 お互いが自己紹介したってことは、初めてその人と会ったときの夢を回想していたに過ぎないわ」

 「……いや、俺は、あの人を知らないはずだ」 ましろは確信めいたことを言えない自分に苛立ちを覚えながら答えた。 「記憶のない男がなにを言うのかと思うが、信じてくれ。 あの人とは一度も会ったことがないんだ」

 「ましろ……」 凛は半ば呆れ、半ば悲哀混じりに返す。 「言いたくはないけど、それは考えられないわ。 さっきも言ったけど、夢っていうのは目で見たものを再現するんだよ。 仮に目で見たものでなくても、手で触れた形を頭の中で構築しないと夢はその物体を再現できないってのも聞いたことあるけど……、ましろの場合その紅棕櫚さんの外見とか、話の内容とか妙に細やかすぎるし……。 じゃあなに、その紅棕櫚さんとは夢の中で初めて会ったと? ましろはそう言いたいのね?」

 「ああそうだ。 それが自然に落ち着く答えだろう」

 「あんたがもしも、なにかの主人公やストーリーの展開に重要な役割を担うキャラクターの一人だとしたら、きっとその夢にも大きな意味やヒントが内在してしるのでしょうけど」 凛は嘆息した。 「もう少し説明すると、夢の世界っていうのは夢をみている者主体の映像なの。 そこに出てくる登場人物が自分以外の誰かであっても、結局それは夢をみているもの頭の中である以上、登場人物の中身は全部自分自身なの。 相手がどんな台詞を言うかも、自分がこういう、こういうであろうって想像から決まるものだから、その紅棕櫚さんが話した内容も結局は夢をみている当人、つまり、ましろ本人がそういうであろう、もしくはましろ自身がそう思っているっていう想像が生み出した幻想に過ぎないの」

 「監督俺、脚本俺、編集俺、キャスト全て俺ってこと?」

 「映像も配給も製作も諸々全部あんたよ。 なんかそう考えるとキモいわね。 孤独でちょっと可哀想」

 「孤独をマイナスイメージに捉えること自体間違っている気がするけどな」

 「はいはい。 孤独乙」

 「……なあ、話はそろそろ終わったか?」

 ましろと凛が話し合っている間、一人黙りこくっていた頭上にいるハイオイドが我慢できずに割り込んできた。

 「ああ、まあ大したことは話してませんが、一段落はつきました」

 「いや、ついてないわよ」 凛が手を横に振った。 「寧ろ謎が深まるばかりよ」

 「話を少し戻すがお前たち、その梟を連れた男を捜したいんだよな?」 

 「ええ、まあ。 あ、ハイオイドさんが見つけてくれるんですか?」

 「生憎俺も暇じゃないんでな、こうして今お前たちと喋っているのもただ休憩中なだけだしな。 俺は捜してやれないけど、捜すことをなりわいとしている奴なら紹介できると言ってるんだ」

 「さすが森の監視者フォレスト・ウォッチャー」 凛は手をパチパチ叩いた。 「情報通」

 「といっても詳しいことを知っているのはラカ・ラパなんだがな」

 「なぁんだ。 喜んで損した」 凛はあからさまに肩を竦めた。

 「楽して得られた情報なんだから感謝しろ」 ハイオイドは皺をつくって微笑んだ。 「その歩く金属体のトルレガといい、熊や梟——、お前たちが来てからこの国内で……、とりわけお前たち周辺で奇妙なことが多発している。 なにかあれば教えてほしい」

 「それだけでいいんですか?」 ましろが訊ねた。 「首輪をつけていたいと」

 「鉄則その三十七、困っている人を助けなさい、だ」

 「「でた」」 ましろと凛がハミングした。

 「なにかあったときのために対処できるようにしたい。 俺はこの森を守るために存在する。 俺は森を監視する者」

 「あの、すみません」 凛はハイオイドに手を挙げた。 頭上にいるお陰で首をだいぶ仰いだ。 「気になっていたんですけど、他にどんな鉄則があるんですか?」

 「鉄則その一、常に疑いから入れ。 鉄則その二、相手は目と仕草、行動から見て判断しろ。 大方それは間違っていない。 ……まあとにかく伝えたいことは伝えた。 頼んだぞ。 ……ああそれと——」 ハイオイドはましろの持つ無言で微笑むヘカトンマキアを指差した。 「ましろ、次会うときまでにはソイツを馴らしとけ。 じゃなきゃあ撃ち殺す」

 目を細めるハイオイドはそう告げると、高い木々の隙間を縫うように、颯爽と深い森の奥へと飛び去っていった。 



                  ●



 「アイツ《ハイオイド》が言っているのはハクのことだろう」

 アオノリの奥で生活しているラカ・ラパに事情を伝えたところ東洋系の名前が挙がってきた。

 「何者ですか、ソイツは」

 ましろと凛の座した床には木のカップに入った茶が置かれていた。 凛はそれをひと啜りした直後危うく仰け反りかけた。 彼女は真横のましろに当惑の目線を投げた。

 「ハクを紹介する以上聞いているはずだ。 奴は偵知、つまり情報を探る、集めることを商売としている裏側の人間だ。 そういう人間たちはツグミと呼ばれている」

 「そのハクという鳥人間にはどこで会えますか?」 ましろは濁った茶を一息で飲み干した。 「美味いですね」

 「……本当か?」 ラカ・ラパは眉を顰め、怪訝な顔でましろの顔を窺っていた。 「皆、口を開いて不味いと言っていたんだが」

 「「ならなぜそれを出した……」」

 「ハクはこの周辺を中心に情報収集している鶇の一人だ。 テンガスかテンナントカとかいう酒場に入り浸っているそうだから、そこへ向うといい」

 「どういう人物か特徴みたいなものはありますか? そのハクさんって人」

 凛の問いに、ラカ・ラパは皮肉混じりの笑みを浮かべた。

 「行けばわかる」

 凛の飲み残しを残飯処理係ましろに与えていたところ、ラカ・ラパの後ろの部屋からこちらの様子を窺う見覚えのある子供が眼に留まった。

 「タリ、来なさい」 ラカ・ラパは振り返らずに背後の少年に告げた。 「この二人に言うことがあるだろう」

 タリは少し気恥ずかしそうに頭に巻いた麻布をずらしながらラカ・ラパの隣に座した。

 「あ、あの、この度は助けてくれてありがとう。 感謝申し上げます」

 タリが頭を下げるとラカ・ラパもまた頭を深々と下げた。 彼はタリ救出の際にすでに感謝の意を示していたが、その時同様しばらくその頭を上げることはなかった。

 これに対し、ましろはともかく凛は心中複雑な思いであった。 タリを救ったのは間違いなく彼らであるが、元を辿ればタリとその仲間を襲ったのは瓜生という本来この世界に居るはずのない〈異邦人ストレンジャー〉であり、凛もそのうちの一人であるからだ。 つまり、凛や瓜生といった〈異邦人ストレンジャー〉がいなければアオノリの住人が無惨に亡くなることはなかった。 凛はそれを理解していて、だからこそなにも答えることができなかったのである。

 「気にするなとは言わない。 言える立場でもないからな」 ラカ・ラパはましろたちを外まで見送る最中、視線を真正面に向けたまま口を開いた。 「お前たちは見ず知らずのはぐれ者の俺たちを命懸けで守ってくれた」

 「でも、お仲間を救えませんでした」

 「だが二人が来なければタリはいない」 ラカ・ラパは顔を伏す凛の頭を優しく叩いた。 「彼らを向かわせたのは俺の責任だ。 お前たちは悪くない」

 「でも……」

 「……一つ、聞いてもいいか」 ラカ・ラパは立ち止まるとゆっくり二人を見遣った。 「お前たちは、いったい何者だ。 タリが出会ったという熊と少年。 人語を話す動物と人間の一対。 お前たちと共通するのは偶然か?」

 「そ、それは……」 凛は再び黙り込んでしまう。

 「関係しているが、互いが互いのことをよく知らない。 よく知らないままある戦いに俺たちは巻き込まれているんです」

 「……そうか。 聞いた俺が馬鹿だったな」

 「いえ、本当なんです! ハクという人を訪ねに行くのもその戦いのためなんです」

 凛はこれまでの経緯を簡単に説明する。 ラカ・ラパは半信半疑といった様子であったが、二人の真剣な眼差しをじっと睨み続けていると、首を振りながら溜息をついた。

 「およそ考えられない話、と言いたいところだが、かくいう俺も辺疆の地の部族出身だからな、それに似た儀式や通過儀礼があるが、潰し合いというのは聞いたことがない。 それをここでも行われているとなると少々驚きだがな」

 「まあそうですよね」 ましろは頭を掻いた。 「俺たちもよくわからないままこの戦いに巻き込まれているから——」

 「だが信じよう。 およそありえない荒唐無稽な話ではあるが、お前たちがそれを本気に信じ込んでいる。 余程お前たちの演技が上手いのか、単純にお前たちが騙されているだけかわからないが、入り口はどうあれお前たちがタリを救ってくれたことは事実だ。 信じる理由は、それだけで充分だ。 ……“義には義を”。 我が一族の古くからの掟だ」

 ラカ・ラパの曇りなき眼を見た凛は彼の言に嘘偽りがないことを確信した。 それはこの世界へ来て初めての感覚であった。 少なくとも、誰にも言えずコソコソ隠れるように生きてきた凛にとって(ましろはなんとも思わない)真正面から信頼してくれる人間が一人でもいる。 それだけで今の今まで固まっていた緊張が解けそうになった。

 「ともかく、ハクの居場所を教えよう」


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オルタード・ジュブナイル 〜The Garden toys〜 大久保 @hukurou1001

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