第十九話 餡蜜


 一行が指先程度の不信感を募らせながらあんみつ村へ帰還した頃、上空に映える太陽は傾きかけていた。


 馬小屋から村長のいる住居を目指していると、その家の前で明らかに村人よりも立派な身形に茶褐色のローブを被る長身の男性が村長と話し込んでいた。 その男の後には四人の男がじっと並び、皆青銅の鎧や皮鎧、腰には一目で武器とわかるものを佩き、その後に、布に包まれ膨らんだ荷物を載せた手押し車が置かれていた。


 村長が人影に気付いて近づいてくるましろたち一行を目にした瞬間、驚きと困惑の綯い交ぜになったような薄気味悪い印象をほんのわずかに露呈したのも束の間、にっこり微笑んで一度深く頭を下げた。


 「皆様、よくぞご無事で」 村長は駆け寄ってからもう一度頭を下げた。 「皆様がこちらにお戻りになったということは、モンスターたちを退治していただけた、ということでしょうか」


 「ええ、そうです」 凛が代表して頷、長身の男性を一瞥した。 「失礼ですが、こちらの方は?」


 「ああ、はい」 村長は手の平を上にし、近づいてくる見慣れない五人を紹介した。 「こちらの方々は冒険者の方々です。 あなた方と一緒にモンスター退治をお願いしようとしていましたが、どうやら杞憂のようでしたね」


 村長が空笑いをしている傍らで、ましろはローブを羽織る男と目が合った。 薄い顎髭を生やしたローブの男は頬が痩せこけ、大きな眼孔から男をじろっと見下ろしていた。 


 「あなたも冒険者ですか?」


 ましろは否定を含んだ疑問をなげた。


 「いいえ」 男は首を振った。 「あなたはどうやら獣使いビーストテイマだとか。 実際目にしてはいないが醜悪な小人ゴブリンの大群を返り討ちするとは」


 ましろは自分を見下ろすローブの男の科白に耳を傾ける一方、ふと眼の前の男に強烈な違和感に身を固めた。 それは、顔の表情筋が一切動いていないような気がしただけでない。 口許は果実の種が入りそうなほどの小さな穴が空いており、そこから言葉を流している、そんな風に思えた。 瞬きをせず、眉を動かさず、ただ機械的に無感情にじっと見つめている。 まるで仮面のようだった。


 「きっと強い実力者なのだろうが、名を知らない。 そちらのチームの名は?」


 「そうだなあ」 ましろは思案顔で下顎を指先で撫でながら、ぼそっと呟いた。  「——『稚児の肉』……、とか」


 ローブの男はましろの科白をきいた瞬間、村長の家とは反対にある布に包まれた膨らんだ荷を載せた手押し車をゆっくり首を曲げて覗いた。


 「……ああ、そうか。 だから【索敵】に反応がなかったのか」


 空気が一瞬のうちに冷たい氷のように重く張りつめた。 身動き一つ取るのも、息を吐くのもようやっとといえる重圧な雰囲気の中、かすかな溜め息が静寂を打ち破った。 それはローブの男から吐かれた乾いた音だった。


 村長は蒼褪めた皺顔を引きつかせながら一歩一歩後退していった。


 ローブの音の後にいた四人の男の手はそれぞれ腰に佩いた武器の柄を這うようにゆっくり包みだした。


 「——凛、猫、鹿」 ましろは時間も惜しいぐらい早口で呼称した。 「来るぞ」


 「——お前たち」 ローブの男は手押し車に向けた首を牛のように緩慢と動かしながら同じくらいゆっくり落ち着いた声で四人の男を呼んだ。 


 「殺せっ!!」


 ローブの男の後ろに並んでいた四人の男は無言のまま、まっすぐ飛ぶような疾走で襲ってきた。


 ましろ以外の三人はまったく情況が把握できないまま疲弊した身体を引き摺って否応無しに戦闘に臨む。


 先述のせいで、二対四ではなく四対四の、村のど真ん中での戦いとなった。



                  ●



 ましろたちにとって、最大の失敗は二つあった。


 まず一つは村長の質問に、適当に誤摩化そうと獣使いビーストテイマであると虚言は吐いたこと。


 さらに一つは、危険である可能性が高かったのにも関わらず、相手の触れてはいけない禁忌に面白半分に突っ込んだことである。


 後者により、まずましろたちはローブの男の指示を受けた四人の男に殺されかかっているということ。


 前者により、ピャン鹿カノープスという本来であれば戦闘時ただ見過ごされるであろう動物が、モンスター退治に特化している調教済み動物であるため、対戦の駒の一つにカウントされてしまったせいで、相手の不意をついて〈異界獣ペット〉たちに奇襲させる有利な方法が先んじて封じられたことだ。


 凛の前に立つ相手は板金鎧プレートアーマを着込んだ人一倍大きな男——セドリックは背中の両手剣グレートソードを引き抜き、そのまま流れるように凛に向って襲いかかった。


 凛は疲弊を殺してバックステップし両手を腰の後に回し、その空間に指先を突っ込んで強引に漆黒の大鎌を抜き出した。


 「なっ、おぃガキっ! オマエ、どうやってそんなデカいのを取り出した?!」


 「ガキっていうな! くそオヤ——、ジッッ!!」


 凛は躯を軸に刃を水平にして回転しながら斬りかかったが、セドリックは地面を切り裂きながら刃の竜巻を払いのけると、彼女はその反動の勢いで足を縺れさせながら後退した。


 出し抜けに起こった戦闘に、彼女の頭は混乱と怒りではち切れそうだった。


 (なにが起こっているか全く理解できない。 チゴノニク——? ましろアイツ、またなにかやらかしたの?)


 住居の中にいた村人や、元々外で畑仕事などしていた人たちが、野外で巻き起こる剣戟の喧噪に導かれるように一人、またひとりと集まりだし、気迫溢れる乱戦を遠くから見ていた。


 セドリックは突進するサイのような勢いで両手剣グレートソードを振りかぶって凛に接近する。 大きな身体に、その巨体を覆う重厚で岩石のような鎧に身を包む彼はいわば動く暴力であった。 その速度は鈍足ではあったが、問題はその身体を生かした膂力りょりょくであった。


 振り下ろした両手剣グレートソードを鎌の長い柄で受けようと頭の上で水平に構えた直後、柄に叩き付けられた大きな鉄の塊の重圧が奥歯を噛み締める凛を危うく押しつぶしかけた。 踏み出していた足は土の地面に食い込み、搗ち合う歯と歯が欠けるほどの衝撃だった。


 自身の一撃必殺ともいえる上段からの斬撃を、枝のような細身の、しかも年の半分程度の浅い女が防ぎきったことに一層喫驚するセドリック。 しかし、驚きの顔を浮かべたのも束の間、即座に上段構えから脇構えに似た水平から斬りつける動作に切り替え、シュッと歯の隙間から息を吐き出し再度斬りかかる。


 そのセドリックの水平切りを鎌の峰を下ろして再び防ごうと構える凛。 柄を握る拳、踏み込む右足に掛けた重心、腰から臀部にかけて力を込める。 身体を鋼に、とイメージした瞬間、セドリックの重い剣撃が手から全身へと伝って反対方向へ大きくブレさせた。


 視界が揺さぶられるほどの力強い反動をその小さな躯に受けた凛は、上目遣いで歯を食いしばり、瞬時に切っ先をセドリックに向け弾き返すように目一杯振り上げた——。


 「がああぁぁーー!!!」


 野太い悲鳴を上げて顎を上げるセドリック。 彼の着た板金鎧プレートアーマの隙間を縫うように右脇を切り裂かれ、夥しい量の赤い血飛沫を流していた。


 苦痛の表情で下唇を食い縛るセドリックがもう片方の手で右脇の失血を押さえ込んでいると、不意に凛の姿が消えていることに気付き、心臓が止まったかのようにはっと息を呑んだ。


 「——後ろよ」


 耳許に響く幽霊のような冷たい声に思わず背筋を凍らせ聳動しゅんどうするセドリックは、右手に握った両手剣グレートソードを冷たい汗に濡れる背中に向けて強引に振りかぶった刹那——。 スパンという軽快な音と一緒に自分の視界が宙に反転していることにセドリックは初めなんの違和感も抱かなかった。


 しかし、眼下の地上に図体のデカい鎧を着た男に気付いた彼は、刹那、片眉を凹ませ怪訝に思う。 その鎧とその鎧から露になる外見、その右手の甲に彫られた薄紫色のタトゥ、その手に握り締めていた両手剣グレートソード。 そして、先ほどまで剣戟を交わしていた自分の膝丈ほどの小さな女は首のない鎧の後方からじっと中空を揺蕩うセドリックを見上げていた——。


 ああ、そうか——。


 セドリックはそう言った。 しかし、彼が口から言葉を紡ぐことは叶わず、あくまで脳が抱いたほんの一瞬の錯覚に過ぎなかった。 彼が点と点をなぞるように死を悟った瞬間、岩のような胴体の首元から噴水のように迸る鮮血が彼の鎧を濡らし、右手に握っていた武器が固い音を立てて地面に落ちた。


 制禦を失った首から下の胴体は、中空から振ってきたセドリックの頭部にカチンと鎧の金属音を響かせ仲良く横臥した。



                  ●



 片手剣ショートソードと盾を構えじっとましろを睥睨するヘイデン。 この四人組のリーダーである彼は、ましろが自分の手の甲に彫られた薄紫色の紋章のようなタトゥに視線を注いでいることに気付くと、その隙を突いて地面を強く蹴り、素早い跳躍を以て間合いを一気に詰めながら上段斬撃を繰り出すも、ましろは平然と身体を横に向け、紙一重でそれを避けてみせた。 ましろの黒い髪が風圧でふわりと靡いた。


 次の瞬間ヘンデルはましろから鋭く伸びる抜き手の速度に喫驚するが、もう片方に持った盾で顎の下から腹までを防ぐ。


 ヅンッ、と鈍い音が表面の盾越しから腕へと伝わった。 ヘンデルは一歩後退して、電気のように痺れる腕の痛みに堪えながらもその口許は緩みに緩みきっていた。 目で追うよりも身体で反応する戦闘経験の余裕と豊富さが物を言った。


 「馬鹿が」 ヘンデルは己の優位さからましろを嘲笑しだす。 「使役のいない獣使いビーストテイマなんぞ相手にもならん。 無手だと? ふんっ、笑わせてくれる」


 ましろは盾に塞がれた手をぞんざいに振りながら、聞く耳持たずにヘンデルに向って突っ走る。


 ヘンデルはかすかな嘲笑を残したまま盾を前方に待ち構える。 相手がどういった対策を講じようと、使役のない獣使いビーストテイマが無手で挑むことの圧倒的な差は埋まらない。 もう一度盾で防いだ瞬間外側へ往なすように逸らし、隙だらけになったましろを刺突する。 確かに一撃の拳打は獣使いビーストテイマの領分を越える力ではあったが、眼前の小僧は多くの人間、自分よりも強大なモンスターと比べてしまうと驚愕に足るものでもない。 ヘンデルの経験と対人戦闘における推測はおおよそ正しかった。 しかし——。


 防いだ盾の外側から打ち込まれる破城槌のような力強い剛撃によってヘンデルは吹き飛ばされ、遠くにある手押し車に激突した。


 「ラコヴァさん! こいつ本当に獣使いビーストテイマなんですかっ? 使役無しでこの俺を吹っ飛ばすなんてっ!」


 「【防御増大アドデルマ】、【攻撃増大アドランボス】、【速度増大アドプテロン】!」 ローブの男——ラコヴァは手の平を前にだし即座に呪文を放つと、ヘンデルは若緑色、紅緋べにひ色、千草色の順繰りに微光に包まれた。 「いいか、こいつらに知られたからには生きて返すな」


 「スゲェ! 力が溢れてくる。 止まんねえ! これがあの補助魔法か! やれる、やれるぞぉ!」 ヘンデルは力強い声で意を返すと、ましろめがけて突撃してきた。 「馬鹿力のくそガキが! 補助魔法で拮抗がなくなった以上、お前に勝ち目はないっ!」


 ましろは左手を前に出し、右手を腰の後ろまで引き、腰を低く落とす。


 ヘンデルは条件反射で盾で防いだが、【防御増大アドデルマ】によって一次的に防御力を高めたおかげで全身が盾となった今、むしろ過剰反応だとつい口を歪めた。


 「……フッッ!」 ましろは弾くように左手を引き、その回転を生かして風を切る勢いで思いっ切り右手を突き出した。 その素人の似非正拳突きは盾に亀裂を生じさせながら、わずかにヘンデルを宙へ浮かさせた。


 ヘンデルは【防御増大アドデルマ】によって強化されたのにも拘わらず、装備武具に亀裂を入れるましろの強烈な一撃に駭然と瞠目した。 着地したと同時に正面のましろは地面を滑りながら再度拳を背後に引き絞った。


 「——まっ、待てっ!!」 ヘンデルは亀裂の入った盾で正面をガードした直後、突き出された一撃がその亀裂を中心に、蜘蛛の巣のように広がって瞬く間に粉砕しただけなく、勢いそのまま抜き出した拳がヘンデルの尖った顎に深々と食い込んだ。


 「グホッ……」 瞠目した表情のヘンデルは口許から粘性の血を吐き出した。 「ば……、かな……」


 「すごいな」 ましろは崩れ落ちるヘンデルを尻目に、自分の握り拳を見つめながら呟いた。 「なんつー馬鹿力」

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