第二十話 百足


 猫と鹿の相手をしていた男たちは二人ともすでに絶命し、血まみれの状態で地面に倒れ臥していた。


 ローブの男を除いて四人の屈強な男たちはすでにこの世にいない。 二人の男は自分より一回り若い子供に倒され、二人の男は自分より一回りも二周りも小さな動物に蹂躙された。


 「それで、どうするローブ野郎」 ましろは両膝に両手をつきながら、上目遣いで睨みつけた。 「こっちはまだまだやれるけど」


 ローブの男は一切動揺することなく、周囲で息絶えた四人の男たちそれぞれを一瞥すると首を傾げた。 三センチ——、八センチ——、十五センチ——とそれは次第にギリギリ関節の外れた人形のように傾けはじめ、ローブの下が凸凹異様な形態をとり、波のうねりのようにくねくね蠢きだすと、骨のなる音を響かせながら突如としてローブの男の背丈がぐんぐん持ち上がり、周囲に影を差すほど天上高く伸び上がった。 側面から枝のような艶のある紫色の鋭い触手がローブを突き破って上下運動を繰り返す。 ローブの下から覗かせる艶のある外骨格、気色悪い蠕動、それはまさに大百足であった。 ましろたちだけでなく、一部始終傍観していた村人の多くが突如出現した異形の化物に阿鼻叫喚の悲鳴をあげた。


 「なに、あれ……」


 眉間に深い皺を寄せて口を開ける凛。


 ましろは愕然と口を開ける。


 (キ、キ、キモすぎる!!)


 大百足はその長く艶光りした触手を死した四人の男たちに向けて飛び出し、肉を貫く生々しい音とともに触手に貫通された四人の死体を宙吊りした。 更に大百足は自身を覆うローブの下へ一人また一人と放り込んではぐしゃぐしゃ肉片や夥しい血の吐瀉物がこぼれ落ちた。


 その残忍極まる光景に、さすがのましろも胸くそ悪い気持ちで眉を顰めた。


 「カノープス、ピャン、あと何回使える!?」

 「もうないっ!」

 「儂は三回じゃ」


 「限界手前か……」 ましろは先の戦闘で地面に残った男の遺留品である片手剣ショートソードを拾い上げる。 「凛、どうする! 撤退した方が俺はオススメだと思うけど」


 「戦うに決まってんでしょう!」 即断する凛は歯を食いしばりながら漆黒の大鎌を大百足に向けて構える。 「このまま野放しにしたらこの村の人たちはこの化物に食い殺される! もうっ! 醜悪な小人ゴブリンたちに続いてなんなのよっ!」


 「それ俺も思った」 ましろは凛と同じく片手剣ショートソードを構える。 「——いくぞっ!!」

 ローブの頭頂部を覆う部分はあらぬ方向を向いたまま複数本の触手が矢の如く放たれ、一直線に向ってくるましろたちを襲いかかった。 ましろは貫く触手を避ける時、ピャンを襲う黒光りの刺突を斜向いから突っ走った状態で袈裟切りする。 触手はましろの斬撃でも千切れることはなかったが、角度を逸らしてピャンの手前に深く食い込んだ。


 (——なんつー硬さなんだ)


 先ほど二回の打撃で破壊したヘンデルの盾を思い出す。 そのヘンデルから手に入れた片手剣ショートソードによってさらに力を得たのにも拘わらず、一刀両断できなかった強固な外骨格の硬質さにましろは内心驚いた。


 「凛とカノープスが囮になってやつの注意を引く。 ピャン、その間に俺たちが仕留めるぞっ! 凛、カノープスを守れ、カノープス、凛を守れ! わかったな」


 「もとより私の命は凛のためにある!」 カノープスは高い動体視力で流れるように触手を払い避ける。


 「わかった!」 凛は頷きながらましろより先行して触手を切断する。 「でもあんた、なに命令してんのよ!」


 (やっぱり凛のあの鎌は普通の武器と違ってなにかしら特殊な武器らしい……、おっと)


 ましろは曲線に降り注ぐ触手を回避しつつ武器で牽制する。

 ピャンとましろはわずかにできた間隙を縫うようにして駆け抜ける。


 「一撃の威力でいえば俺の攻撃よりもお前の【弾丸】がずば抜けている。 俺が先行して援護する。 ピャン、腹を狙え」

 「承知」


 大百足は近づいてくる二人の物体に反応し、硬質な触手が柳のように降り注ぐ。


 「——あ、ピャンごめん、ムリ」


 ましろはサイドステップで退く。


 「ちょ、ええっ!!!」 ピャンは不意に消えたましろに驚愕の表情を浮かべ、あられの如く降り注ぐ触手を小さな躯をくねらせながら必死に回避する。 「こら貴様っ! 殺す気かっ!!」


 「いやいや、あの攻撃は無理だろう。」 はふうとましろは冷静に分析し、冷や汗を流す。 「しかしやべぇな……こりゃあ」


 「——お困りのようですね」

 地が割れ、穴穿つ戦場に突如響いた澄んだ声のする方向へ首を向けると、大百足の後方遠くに黒い装束を着た四人の美しい女性がその美貌にアンバランスな武器を携え現れた。



                  ●



 「あれはなんですかぁ?」 戦棍メイスを肩に掛ける修道士——栗色の髪が耳許までかかった百六十センチほどの幼顔のツバキが誰彼に問いかける。 瞳は丸く猫のようで愛らしく、この戦況において天真爛漫さを隠しきれていない。


 「人を喰った!」 ましろは神経を大百足に注いでいるため端的に叫ぶ。 「逃げろっ! 今ならタダで逃がしてやる」


 「……なんてことを」 ましろの言葉が耳に届かないほど怒りを露に両刃斧ラブリュスを強く握る長身の修道士——アスナは厳かに一人歩を進める。 小豆あずき色の長い髪を後ろに纏める彼女の瞳は憤怒の炎で燃え滾っている。 長い睫毛の下の熱の籠もった双眸が行く手に立つ大百足を睥睨する。 「先行する。 ハイネ、加護を。 サラ、ツバキ、援護を」


 ハイネは了解の意を上げると、ワンドを前方に構え、呪文を唱えると、 腰まで届く銀色の髪が魔法の波動で細波のように揺蕩う。 理知的な顔に長く鋭い凛とした双眸。 顎のほくろが呪文の発動で蠱惑的に動く。


 「【攻撃複数増大ラーイアドランボス】、【防御複数増大ラーイアドデルマ】、【速度複数増大ラーイアドプテロン】。 ……掛けました」


 大百足は背後の存在を脅威と認識した途端、右半身の触手を射貫くよう急激に襲いかかる。 アスナ、サラ、ツバキの三人に半透明の微光の薄い膜が紅緋べにひ色、若緑色、千草色、の順に一瞬覆われると、三名の速度が増し、斧槍ハルバートを振りかぶった修道士のサラは地を這うように伸びる触手を斧部で薙ぎ払えば、一塊になって貫かんとする触手をツバキの六角の戦棍メイスが地に小規模のクレーターを残すほどの打撃力で深々と埋める。


 「すごい力だ……。 まさか、あいつらも——」


 「いや、違う」 ましろの言下をカノープスが遮る。 「しかし相当戦い慣れているのは一目瞭然だ」


 サラ、ツバキが降り掛かる触手を物ともせず応戦背後で、アスナは空いた手を両刃斧ラブリュスの刃に添え、呪文をそっと唱える。


 「【架加かか】……」


 左手を纏う浅紅のほとりが両刃に当てられ赤い波を打つと、両刃斧ラブリュス自体が浅紅色に変わりだした。


 アスナは浅紅色に発光する両刃斧ラブリュスを脇構えに威勢を上げながら跳躍し、大百足の黒光りする外骨格の胴体目掛けて振り下ろす——。


 「業火斬滅ごうかざんめつっ!!」


 ——怒りを込めた豪快な一振りが大百足を切り裂き、燃えるような赤い火花が炸裂した。


 触手を斬られ、薙ぎ倒され、打ち付けられても動揺を見せることのなかった大百足が、アスナの必殺の剛撃において地を震わすほどの激痛に苦しむけたたましい奇声を上げる。 浅紅色を帯びた両手斧ラブリュスの斬撃によって切り裂かれた外骨格からは透明の体液が吹き出し、大百足の頭頂部に位置するローブの男の口許からは粘性の雨が降りしきる。 苦痛の飛沫を吹き出すものの、未だ倒れる気配を見せない敵に、ましろとサラたちは唖然とする。


 「……そんな、アスナさんの業火斬滅ごうかざんめつでも倒せないなんて。 なんて硬いの……」


 着地したアスナに視線を移すサラに隙が生まれた瞬間、大百足の鋭利な触手が獲物を見つけたように勢いよく強襲する。


 「——っ!!」


 サラの眼と鼻の先まで肉薄した俊敏な触手を寸前のところでましろが片手剣ショートソードで斬る——否、叩き落とす。 サラとましろの間に触手の刺突によって生じた割れ目が地が抉った。


 「あなたはっ——!」

喫驚きっきょうの表情を湛えるサラは紫色の触手越しにましろを見つめた。


 「——くるぞ」 今の攻撃によって完全に剣の刃を截断せつだんされたましろが矢継ぎ早にサラに告げる。


 ましろの宣告どおり、即座に射貫く触手が襲いかかるが二人は高い跳躍を以てすぐさま回避した。


 そのかん、【速度複数増大ラーイアドプテロン】によって敏捷性を高めたツバキとアスナの容赦ない連撃を浴びる大百足は耳朶を塞ぎたくなるほどの叫声を轟かせる。


 「少しずつではありますが、奴にはきちんとしたダメージが蓄積されています。 アスナが払った攻撃で鋼のような装甲に裂け目ができたあの箇所を狙えば、勝機があるはずです」 遠くにいるハイネが一同に向けて叫んだ。


 「で、どうする? そっちが援護してくれるなら俺が仕留めるけど」

 「折れた剣でなにができるというんですか——」 サラが一喝する。


 「——【豪火球プロクスフィラ】!!」


 ハイネが発動させた攻撃魔法の灼熱の球体は、チリチリ空気を焦がし、轟音をいざないながら大百足に直撃し、ローブを燃やしながらくねくね悶絶するように曲がりくねる巨体を炎が包み込む。


 タンパク質を熱した臭いのような、外骨格と透明の体液を焦がす悪臭が大百足の周囲一帯に蔓延する。


 ローブを焼かれた髪のない裸の男の下半身は硬化な外骨格に形成されていた。 その顔は初めて会った時とは全く異なり、蟻のように鋭く尖った下顎からの牙状突起に、端倪する三つ目、豚の鼻の形をした紫色の人形ひとがたであった。


 三つ目の大百足は自身に纏わり付く業火の蜷局を体内に溜めた魔力を放出させることで【豪火球プロクスフィラ】を弾き飛ばした。


 「相殺させた——!?」 高声を立てるサラは息を呑むことさえ忘れ驚く。 「同等の魔力を蓄えているというのですか!」


 「威力が足りないんだ」

 ましろの声にサラは瞠目しながらも思わず頷く。

 「あの三つ目の大百足、今までに見たこともありません。 魔族登録書にも記載されていなかったはず……。 そもそも……、あれは、モンスターなのでしょうか……」


 「そんなもんどうでもいい」 ましろはサラの自問を一蹴し、彼女を見つめる。 「どうする……?」


「こうします……」 意を決したサラは、アスナ同様、手に持った斧槍ハルバートに手を添える。


 「——【嵩颶かざぐ】」


 呼称するとともに発光する翡翠色の薄い膜に覆われた左手は、瞬時に添えた武器——斧槍ハルバートに流動されて色が移り変わる。 


 「それは、さっきの見た目半端ない剛力姐さんと同じ魔法……」 ましろは両刃斧ラブリュスを振り回す修道士の張った胸を一瞥する。


「そうです。 私たちクロノスに許された付与魔法……。 これならば、アスナさんが作った軌跡を辿るようにあのモンスターに当てれば……」 サラは柄を力強く握り締めた。


「……よし」 サラの顔を見てましろは場違いに微笑んだ。 「やろう」



                  ●



 漆黒の大鎌が休むことなくひたすら触手を斬って、斬って、斬りまくる。


 凛は素顔を暴かれた三つ目の大百足を挟んだ向こうでなにか行動を起こそうとするましろと、謎の女性陣のうち一人、翡翠色の斧槍ハルバートを構える修道士のサラを見遣り、瞬時に悟った。


 (なにかを企んでいる。 あの武器を包む色、さっきの仲間の一人と似ている。 だとすれば……)


 「ピャン、前に出るよ! カノープス、二人でピャンを援護!」

 「わかった!」

 「小娘、なにをするつもりじゃ!?」 ピャンは離れたところにいる凛に問いかける。


 「わからない……。 でも、あいつがまたなにか考えている。 それは確か。  だとしたら、こっちもいつでも準備しておかなくちゃ」


 攻撃を回避するピャンも凛と同じく向こう側で場違いな笑みを浮かべる男の顔を見つめて目を細めて鼻で笑った。 「ふん……。 なるほどのう」

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