第三十話 店主
王都—スキヤキから東に数キロ離れた森林地帯〈うるちの森〉の中で金切り声が聞こえた。
「——ましろっ! そっちに逃げたよ!」 凛の叫び声が聞こえた。
「オーケー。 任せろ」 頭に黒猫のピャンをのせたましろは利き手に持ったすり切れた木の棍棒を構える。
凛から少し離れたところで一人ポツンと取り残されたましろの周囲は林立した木々が太陽を覆い隠すように聳り立っている。 そのため森は昼であるのにも関わらず酷く薄暗く、湿り気が帯びている。 立ち止まってじっとしていると、どこから吹きつける風に靡いて枝葉が擦れてさざめきだした。 苔の生えた地面伝いに震動が響いてくると棍棒を握る手が引き締まる。 次第に土を蹴る慌ただしい音が加わりだすと、木陰の合間から暁色の羽を棚引かせた動物が飛び出してきた。
「ふにゃ?」 ピャンが微睡んだ声をあげる。
「ふにゃ、じゃねえよ」 ましろは斜め上を見上げた。 「ずっと寝てるけど、いつ出来上がるんだ。 俺の特製武器ってのは?」
「もうまもなくじゃ。 完成に近づいておる」 ピャンは近づいてくる
「そうだけど、お前は手を出さなくていいからな。 今回の依頼はあのモンスターの羽毛と皮、嘴と足が必要だから、残しておかなくちゃ行けない部位がたくさんあるんだ。 お前の【弾丸】なんかぶっ放したら原形の無い肉片になるからな」
「そりゃあ助かるわい」 ピャンは欠伸をかいた。 「ならもう一眠りとするかの……」
「ああ、はいはーい」
ましろと
肉を叩き付ける感触を腕に感じた直後、すぐ右手に移動して別の
二体を地に着けた後方に逃げる影に追従して疾走する。 殿がましろの追従に横目で気付き先ほどと同じ金切り声を上げると、連鎖してそこかしこに金切り声が森を揺らす。 ましろが運動能力を活かした跳躍で殿の暁色の背中に飛び込み、臀部から伝わる柔毛な線維に安堵を浮かべるもそこそこに両隣の
土煙を上げながら口に含んだ土を舌を出して吐き出すましろとピャン、そして息の無い骸と化した
「おーい、ましろー」 遠くの方で駆け足の凛が叫んだ。 その後ろでカノープスが走っている。「お疲れー」
「おう。 そっちもお疲れ」 ましろは寝ぼけ眼のピャンの口に強引に
「こっちはも七体。 思ってたよりも多く倒せたね。 しっかし、ピャンのその能力凄い便利だよね」 凛は大鎌の柄頭を地につけながら前屈みでピャンを覗く。
「そうだな、どれだけ入るか試したくなるぐらい大小関係なく無限に入るしな」
「儂の胃袋は宇宙じゃ」
「うるせーよ」
「こっちが終わったら、わたしの方もお願い。 状態も良いし、どれぐらい貰えるかなー?」
●
「銀貨24枚と銅貨5枚です。 先方のサービスで通常よりも高値で取引されたようです」
後日訪れた冒険者組合の別室で従業員の女性から鋳貨を受け取るましろと凛。
フリーハントと違って、組合に斡旋された依頼はただ対象モンスターの討伐するだけのものもあれば、特定の部位を品質の良い状態で捕獲、狩猟したものを組合を介して依頼先の元へ届けられる。 依頼内容によっては解体した状態もあれば原形を留めた状態で運ばれるなど様々なので、解体業者、商業組合の取引を一括して請け負う冒険組合を通して後日冒険者に手数料を引かれた報酬が懐に入る。
モンスター討伐関連が大概を占めるほか、加工、エキス剤、有効成分を抽出・
また冒険者には登録時組合から首飾りが支給され、『
ましろが鋳貨を専用の布袋に入れていると、受付の女性が間を空けて話しかけてきた。
「マシロさん。 お連れの女性の方とはチーム名を決められましたか?」
「——チーム名、ですか?」 何を言っているかましろには理解できなかった。 「意味があるんですか?」
「はい。 複数名の冒険者の方々はほとんど決めておりますが……。 いかがなさいますか?」
「ああ、そうですねえ……」 ますます意味がわからなかった。 「お姉さんが決めてください」
「え!? わ、私ですか?」
「はい。 それじゃあ」
ましろが踵を返して立ち去ろうとすると、受付の女性がカウンター越しに呼び止められた。
「あ、あの……、私なんかが勝手に決めていいのでしょうか?」
「あ、はい。 なにかカッコイイものであれば構いません。 それじゃ」
ましろは移動中チーム名を付ける意味を考えていたが、どう考えていても理解ができなかった。 だが、意味のないことに理由を見出すのが人間だ。 だからこれにもきっと信じ難い訳があるのだろうと考えた。
入り口近くのテーブルのイスに座る凛へ近づくと、彼女は立ち上がって一緒に外へ出た。
「さっき立ち止まってなにか話してたけど、どうかしたの?」
「んにゃ、別に」
ましろたちはその足で換金所へ向い、
「へえ、つい最近冒険者になったばかりなのに随分頑張ってるじゃない。 それに大した傷もないみたいだし」 シャンテルは今日は朽葉色の首の長い豚のモンスターを天井から吊り下げられたフックを前足に二箇所刺して解体している。 その手を止めずにゴーグルと黒い防塵マスクを着用しながら説明する。 「この四本脚の犬は
「この頭部が鹿で胴体が鳥のモンスターはなんですか?」
「これは珍しいね。
「なるほど。 勉強になります」
「それはそうと、キミ、ランドームの家に泊まってるんだって?」
「ええはい。 この街のことよくわからなかったんで、物怪の幸いとその糸を掴みました」
「モッケノサイワイがなんだかわからないけどね。 そうじゃなくてこの付近で冒険者が殺害される事件があったって聞いた?」
「いいえ。 それは物騒ですねえ。 そういった事件はよく起こるんですか?」
「まあね、街も広いし、荒っぽい人間もなかにはいるからゼロとはいえないけれど、その遺体、ほとんど炭の状態で発見されたから、ちょっとだけ珍しいなって。 よくあるのが刃物による刺殺か殴殺とかだから」
「はあ」 ましろはいまいち驚きがなかった。 おそらく炎の魔法か油かなにかで燃やされたのだろう。 炎の魔法でぱっと思い出すのは〈聖統救済教団—クロノス〉のハイネである。 彼女たちは今どうしているのだろうと物思いに耽る暇さえなかったが、こうして最低限の暮らしができるようになると、余計なことを考えてしまう。 恐いもの見たさで会いたい半面、隙のないハイネやアスナの視線や質問にのらりくらり交わせる自信がなかった。 そういえば食事処で〈聖統救済教団〉がどうやら恐れられているような感触を抱いたのを思い出した。 この国での影響力が不意に気になってしまった。
「そういえば、シャンテルさん。 〈聖統救済教団〉という宗教組織を知ってますか」
「え」 ましろの科白にシャンテルは解体する手を止める。 「そ、そ、それがどうかしたの?」
「あ、いいえ。 食事処でそんな名前を聞いたので、どんな組織なのかなあって……」
「えっとね、マシロ。 キミはどうやらこの国を知らないようだから一応忠告しておくけど、その、その教団はね? 国教として貧しい人々を支援して助けたり、不幸や執着に捉われた人の心を救ったりと善行を謳って救済活動をしているけど、噂では本人も知らないうちに入信している強引な活動をしているって聞くし、私たちの行動や隠していることを調べていたり、それを活かしてこの国の国民を結束という名の心理操作によって裏から制圧統制して国政にまで影響力をもっているって黒い噂も聞くよ。 教団の掲げる全人類の平等公平社会、悪の道から正道へ導く布教活動に反した連中を監禁しているって話も聞くし、私や冒険者みたいな人間を命を奪う残虐な悪魔の忠僕と揶揄する聖職者もいるって聞く。 それ以外にも正直良くないいろいろな噂を聞くけど……。 もしかしてマシロ、入信に興味があるの?」
「いやいや違うよ。 ちょっと話を聞きたかっただけなんです」
(なんだそれは、思っていた以上に恐ろしい組織なんじゃないか)
たしかにハイネを思い出すと厳格な修道士がいる組織というイメージを抱きかけるが、サラみたいに笑った顔が太陽のように愛らしい優しい人格をもった修道士もいる。 希望的観測でシャンテルの言っていることがたまたま全部、噂の範疇にすぎないとましろは強引に解釈づけて心配そうに見つめていそうで実際なにを考えているかゴーグルとマスクのせいでわからないシャンテルの視線に窮して話題を変える。
「ああでも、さっきの炎で人を燃やした事件ですけど、ある程度は犯人を絞れるんじゃないですか? たとえば炎を使える者の犯行とか」
「たしかにそうだ。 でも、この王都にどれだけの数の炎の魔法を扱える者がいる? そこらへんのおじいちゃんだって煙草を吸うために火をつけられる」
「捜しはしないんですか? 犯人を」
「ふふ、犯人? そうだね、人殺しが蠢くこの街で犯人を見す見すのさばらせるわけにはいかない。 たいへんだ、いますぐ自警団を総動員して赤の他人を捕まえよう。 魔女狩りだ」 シャンテルは乾いた笑い声を浮かべて作業に戻る。 「それは自警団の仕事だし、人殺し自体珍しい話じゃない。 魔法で人を殺すなんて根性のない真似、新人の女か新人魔導士か新人の女魔導士か豆野郎ぐらいなもんだよ。 ま、マシロたちも変なヤツに目を付けられないように気をつけることだね」
「なるほど」 ましろはシャンテルが言った内容をほとんど聞いてなかった。
ましろが待合室に行くと、退屈そうな凛が話しかけてきた。
「これからどうする?」
「さあなー。 とりあえずやらなくちゃいけないことは一通り済んだし。 あとは自由行動で良いんじゃないか?」
「だったらさ、この街をまた探索しようよ。 今度は装備品とか洋服とか買いたいし」
「洋服?」 ましろは自分の汚れたシャツを見下ろした。 肉類をとっていないせいか異臭はしていないと思うけれど、さすがにぼろぼろになってきた。 自分は気にしなくても、相手からすれば目に留まる貧相な出で立ちに捉えられなくもない。 それに忘れていたが、目の前にいる凛は忘れていたが女性である。 ずっと制服というのも堅苦しくて嫌だろうし、おしゃれもしたいだろう。 ガキのくせしてませたことヌカすと思ったが、かくいう自分も似たような目的で買うわけだし文句を言えた義理ではない。
「よし行こう。 ついてきたまえ」
ましろたちはそれから徒歩圏内にある王都の商店を回った。 武器屋でお互い
金属や革、木製で作られた鱗状の板片の鎧、
衣類専門の商店ではおよそ戦闘に関係のない普段着用の衣類を何着も買い、もはや買い物袋と化したピャンの口内へと次々に放り込んでいった。 ましろたちは歩きながら屋台で買った焼き串を頬張っていると、露店の切れ間にどことなく足を引かれる不思議な引力に誘われるような心地でその間を縫うように進んだ。 道は建物同士の細い通路であったが、短い通路を抜けた先が急に眩しくなり、ましろたちは同時に眼を瞑った。
次にましろたちが目を開けると、そこはどこかの建物の中であった。
「どうなってるの?」
「わからないな」 ましろは装着したばかりの
「これは——」 ましろの頭の上で寝ていたピャンも突然の異変に目を覚ます。
「——これは、結界だ。 非常に高度に練られている」
「カノープス」 ましろは後ろを振り返った。 透明のカノープスが辺りを窺っている。 「くそっ、〈
「いいや、敵意がまるでない」
「——いらっしゃい」
不意の声に全員が騒然とする。 店の奥に炯々と燃える燭台と紫色の斑模様のある食虫植物を木製のテーブルに乗せた、ツーブロックの藍色の長髪を横に流した女性が一人席に着いてましろたちを不気味な笑顔で迎えていた。 目を落ち窪み、隈が何層にも刻まれ顔は躯同様痩せこけていた。 服装はタンクトップのような薄着を着て、薄い皮膚の内側の骨が浮き出ているように見えた。
店内には主に髪飾り、耳飾り、首飾り、首輪、腕輪、指輪、加工石、仮面、シルクハットなど様々な品々が各棚に一つひとつ並び、店主の背後の棚には光輝く色取り取りの爪ほどの大きさもあれば、子供の頭部大の宝石、テーブルの横にあるガラスケースには歪な形をした多種多様な指輪が陳列されていた。 その他にも緑の虹彩を背景に黒のバツ印が囲繞した黒い瞳孔の義眼、金色の鍵、髑髏のペイントの緑のヘルメット、火山岩の付いたヒトの頭部ほどの卵、苔の付いた小さな卵、シャープな流線型の銀のデザートナイフ、銀色の細かい高彫り模様の柄の折りたたみ式剃刀、桃色縁のひび割れた手鏡、目許が赤い点に塗られた白い鶴の折り紙、透明の瓶に入った赤と青の金平糖、腐敗した欠けた林檎、下部に
「ここはどこですか?」 凛が一歩進んで尋ねる。
「どこってここは……、ここは店さ。 魔道具を扱うしがないお店だよ……」 若い店主は薄ら笑みを浮かべる。 「お客さんはキミたちで初めてだけど……」
「あなたは……、何者ですか?」 ましろが尋ねた。 「俺たちはここへ来た記憶が、ありません。 気付いたらここにいた」
「それはないだろう? だって欲しいものがあるから人は店を訪ねるんだ。 そうでなければ、キミたちがここにいる意味が成り立たない」
「欲しいもの?」 ましろは凛を振り向く。 彼女もましろ同様困惑した様子で首を振る。 「欲しいものってなんですか?」
「それはキミたちが知っているんじゃないのかな? いやいや、なにも私はキミたちを戸惑わせよう困らせようなんてこれっぽっちも思っていないんだよ。 むしろ困っているのは私の方さ。 だってキミたちから来たのにそんな顔をされては私も困って、これはもう平行線だよ」
「だったらここへ出ます。 よくわからない状況で、正直危険な雰囲気しかしない」 ましろは踵を返して立ち去ろうとした。 しかし、歩いても歩いても出口が見えない。 後ろを振り向くと、すぐそばに凛と透明のカノープス、そして少し離れたところに店主の女がいる。 ましろはさっきいたところから全く進んでいないようだった。
「無理だよ」 店主は薄ら微笑む。 「欲しいものを手に入れない限り、ここへは出られない。 ここの結界はキミたちでは解く事が出来ない」
「どうすればここから出られる」 ピャンが久しぶりに喋った。
「今言っただろう。 求めるものが見つかれば、すぐにでも帰れる」
「欲しい、もの……」
「キミもだよ、お嬢ちゃん」 店主はテーブルに肘をついてその手で顎を支えて首を傾げる。 「キミもあるはずだ」
「この猫が喋っているのを見ても、驚かないんですね」 ましろは店主に眉を顰めた。 「大概の人間は驚くってのに」
「まあね」 店主は一度微笑んだ。 「この仕事も長いから」
ましろは店内を見渡す。 燭台に輝く装身具はどれもこれも高価に見える。
凛が手に取ろうとしていたのは鳥の巣のような環状形の黒いワイヤーで、外側に白い球体が二つ固定されている。
「綺麗でしょう?」
ゾッとするほど冷たい科白だった。
「え、ええ。 これも魔道具なんですか?」
「そうだよ。 逆に魔道具以外ここにはなにもないぐらいだよ」 店主は薄ら微笑んだ。 「それは、えっとね、所持者の生涯の運を消費する変わった
凛が手に持った髪飾りの白い球体が店主の声に応えるようにぎょろっと回転し、黒い瞳が凛を捉えた。
「ひっっ!」 凛はそれを急いで戻した。
「でもそれはキミが欲しいものではないね」
ましろはそれを横目に考えた。 そんなものを求めているわけではない。 高価な装いよりも高機能のアイテムが欲しいし、第一それに見合うお金を先ほどほとんど消費してしまった。 自分が欲しいものとはなにか……、力か。
「RPGゲームでよくある、テレポート? 系のアイテムとかないんですか?」 ましろは凛から聞いた無駄知識で得た単語を使って尋ねた。
「ないよ」 店主は即答した。
「え、こんな凄いものばっかあるのに?」
「よく考えてよ。 物体が別の地点に瞬時に移動ってどんなイメージ?」
「——それは、パッと消えて……」
「そう、それだよ。 物体が一瞬にして物質に変換される。 つまり分子レベルにまで一回分解してから粒子となって別の地点で分子化した人体を再構造させるのになんのデメリットもないと思う?」 面倒くさそうに店主は答える。
「わかりましたもう二度と言いません」
ましろは適当に棚の上に置いてある、楕円形の
「ああ、それはキミの相棒が手に取った髪飾りと同じ素材を使った腕輪なんだ。 それは所有者の魔力を指輪に流すことで膂力・筋力を爆発的に強化させる
「どれも凄すぎて迷うなあ」 そこでましろは店主の後ろに並んでいる高価そうに見えないアイテムを指差した。 「そこにあるサイコロはなんですか?」
「ああ、これ?」 店主は後ろを振り返って手を伸ばしてそれを取り出した。 「〈ロクブンのイチ〉。 対戦相手の持っている武器や魔法や
「その隣の駒は?」 とましろ。
「この〈
「そのケースに入っている指輪はなんですか?」 ましろは店主の隣に置かれたガラスケースを差した。
「これは火・氷・風・雷・土・光・闇……。 七つある魔属性のなかでもあまり解読されていない闇属性魔法が付加された指輪なんだよ。 このケースの中に入っているのは、その闇属性のなかでも効果発動の度に精神を喰われる代償行為付きの指輪で取り扱いが難しい品なんだ。 そもそもその二つの属性はほかの魔属性と一線を画すほど強大で難解で、修学する人間はほとんどいない。 教える先生が極わずかだからね。 たとえばこの〈
ここへきて、ましろは魔法に関して益になる情報を得られた。
この中から好きな武器を選びなさい、私はあなたになにもできないけれどと言うアリスの手を引いて一緒に青い世界に飛びだした勇気ある少年、巴武よろしく、ましろも有益な情報をもつ店主の手を引いてこの店内から抜け出すイメージを思い浮かべたが、あまりにも手を引く対象が恐すぎる。 亡霊の手を引いて歩く姿なんか想像もできない。 それを払拭するように、ましろは説明されていない商品のなかから、楕円形の泣き顔の銀色髑髏を指差した。
「ああ、それは〈ウヴァルの指輪〉、対即死系の指輪だよ。 闇属性には、ああそうそう光属性もだけれど、この二つの魔法には中位ぐらいから即死系の魔法があるんだ」
「即死系。 呪文を唱えれば瞬殺する、みたいな感じですか?」 凛が尋ねる。
「仰るとおり。 ものの一言で対象の命を消すんだ。 パッとね」 店主は顎をのせた手とは反対の手の握り拳を開いてみせた。 「〈ウヴァルの指輪〉はそれを無効化させる、反射はしない、ただそれだけの
「即死系を防ぐほかの手段は?」
「完全に防ぐ、という意味ではこれ以外適した物はないね?」 店主は微笑む。 「これが良いんだね?」
「ええ。 けれど……」 ましろは皺を寄せて恐る恐る尋ねる。 「精神を喰うんですよね?」
「例外なくね」
「精神を喰う量を軽減させる
「魔力を軽減したり、魔法発動時間を短縮する
「指輪を装着した時点で精神を喰われるんですか?」
「いんや」 店主は否定する。 「発動した時点で精神を喰う。 つまり、闇・光問わずに対即死系魔法を所持者に向け発動された時点で精神を喰うんだ。 喰われるんだ」
「これにします」 ましろは〈ウヴァルの指輪〉を差した。 「これをください」
「いいよ。 差し上げよう。 ——ところで今どれぐらいお金を持っている?」
「えっと——」 ましろは袋を取り出して中身を確かめようとすると、店主は細い腕を伸ばして袋をスッと取り上げた。 「あ、ちょっと」
「これだけ貴重な品をあげようというんだ」 店主は袋の中身を見下ろして、そこから一枚の銀貨をましろに返した。 「たったこれだけの、雀の涙程度のお金で承諾するんだから、加えて善意ある民の私が無一文のキミを哀れんで銀貨を一枚返すんだから、寧ろキミは私に感謝すべきだ。 感涙咽び泣くべきだ」 店主はましろの銀貨を持った左手中指に〈ウヴァルの指輪〉を手ずから装着し、その手を反転させて別のアイテムを手渡した。 「はい、これ」
それは小型のポケベルに似た装置だった。
「これは……?」
「あげる。 きっといつか役に立つさ。 どんなアイテムよりもね……」 店主は含み笑いを浮かべる。 元々、悪霊みたいな凄みがあったので、これ以上ない恐怖の笑みだった。 悪霊は——、店主はましろの肩越しの凛を見つめた。 「気になる物でもあった?」
凛が手に取っていたのは、先端にかけて細く尖った針が伸びた黒い金属のアーマーリングであった。
「それは〈
「これは?」 凛が指差していたのは、表裏同じ模様の錆びた金コインが宝石のように固定された指輪であった。
「それは〈大群買いの指輪〉。 下位から上位のモンスターの大群をランダムに召喚できる召喚魔法代用魔道具。 ただし召喚されたモンスターは自由意志を持っているから言うことを聴かずに身勝手に行動するし、一度使ったら指輪の効力がなくなり二度と使えなくなる」
「全然使えないじゃないですか!」 凛はそれを戻した。
「時と場合によってはそれが使えるという者もいるんだよ。 その隣の指輪なんかどうだい? 凡庸性が高いと思うんだけど」
凛が手に取ったのは、錆びた銀のリングに爪の大きさ分の
「それは〈
「あ、それはすごいですね? これにしよっかなあ」
「じゃあはい」 店主は掌を出した。 「お金」
凛は袋を取り出すと、先ほどと同じように袋をむしり取り、銀貨一枚だけを返した。
「え、ええ!?」
「慌てない慌てない」 店主はぞんざいに手を振る。 「この子(マシロ)にも言ったけど、これぐらいで済んで寧ろ良かったって後々思うはずだよ。 さあ、買い物はこれで済んだね? 出口はあっち、向こう側だよ」
店主が指差した先をましろたちは反射的に振り向いた。 その瞬間、奥から目映い光が差し込み、ましろたちは思わず目を瞑った。
空には夕日が浮かび、ましろたちは中央広場の噴水の縁に座り込んでいた。
ましろが空を見上げると、赤色の夕日がどろどろバターのように溶けている。 見上げたままぼうっとしていると、頭の上にのっかっていた黒猫のピャンが噴水に落水した。
「ここは……」 凛は辺りを見回した。 「元に戻った——?」
「あの人散々テレポートについて説いていたけど、これはどう説明するんだろう」
ずぶ濡れの黒猫を拾ったましろたちはコウロの宿へ戻る道すがら冒険者組合の前を通ると、彼を呼ぶ声が聞こえた。
「ああ、受付の」 先ほどの女性だとましろは思った。
「マシロさん、偶然ですね。 お帰りですか?」
「ええまあ。 なんか不思議な世界にワープしていたので」
「は、はあ……」 受付の女性はぎこちない笑みを浮かべた。
「あなたもお帰りですか? えっと……」
「ご紹介遅れました」 受付の女性はお辞儀をした。 「私、ブリガドーンといいます」
「え、あの?」 凛は目を見開く。
「くそカッコイイ……」 ましろは口をあんぐり開けた。
「あ、そうですか? 珍しい名前とよく言われますが、そんなお恥ずかしい……。 ああ、そうです。 先ほどお二人のチーム名を登録しておきました」
「チーム名?」 凛は首を傾げる? 「あんたそんなのお願いしてたの?」
「必要なんだとさ。 俺はセンスないし、お前のセンスには賛同したくないから、ここは日常茶飯事に冒険者と接点のある人に任せた方が良いと思って頼んだんだ」
「まるで私がセンスないみたいじゃない! そういうのはきちんと報告しなさいよ!」
「だから今してるだろ」
「遅いわよ! あんたがしてんのは事前じゃなくて事後報告!」
「ところでブリガドーンさん」 ましろは凛を無視した。 「いったいどんなチーム名にされたんでしょうか。 ブリガドーンさんのお名前がお名前なので、ついかっこいいチーム名を想像してしまうんですけど」
「はい!」 頬を朱に染めたブリガドーンは微笑んだ。 「ダークマシュマロンズです!」
駆け足で追いかけっこをしている子供の陽気な笑い声がましろたちの横を通り抜けた。
「はい?」 ましろは眉ひとつ動かさず聞き返した。
「ダークマシュマロンズです」 ブリガドーンはさらに微笑んだ。
「え——」 凛が目を見張った。 「今なんと?」
「ダークマシュマロンズです」 ブリガドーンの辺りに花が咲き誇るほど満面の笑みで答えた。
●
燭台の炎が仄かに揺れるその室内に、一人の痩せ細った藍色の髪を横に流す女性がいる。 彼女は背凭れに上体を預け真っ暗闇の天井を見上げる。
久しぶりに人を見た……。 おかしく見えなかっただろうか。
久しぶりに喋った……。 少し喋り過ぎた気もしたがどうだろう。
久しぶりに金属や革以外の別の臭いを嗅いだ……。 悪くはない。
しかし、これは反則級の行為であると女は思った。 素質のある者に強力な剣をあげるようなものだ。 手渡したことによって、今後の運命が優位に変わるかもしれない。 否、きっとそうなるだろう。 これによって、死ぬべきでない者の運命を変えることを頭の片隅で思い描いていたというのに、手渡してしまった。
しかしと女は目を流す。
まあタダではないからあの子たちも怪しまなかった……、とは思えないか。
女は鼻で笑った。
「……これで良かったんだね。 カイム……」
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