第十三話 前相


 北西五十キロ先にある荒れた地を最大速度の駈歩かけあしで馬上する女性四人組が白玉の森及びあんみつの森を目指していた。


 それは白い毛並みに鉛色の馬を含めてみなどこから見ても同じような身形をしていた。 統一されていると言葉に合わないのは各々の髪型とその長さ、そしてわずかな胸の脹らみだけであった。

 

 〈聖統せいとう救済教団きゅうさいきょうだん〉。


 彼女たちはその一宗教組織に帰属し、〈クロノス〉と呼ばれる組織内でも一目置かれる特殊集団の一組で、四年の苦行を終えて新人とはいえ修道士の一員となった彼女はさらに敬虔な信仰を通常の布教活動とは別の角度から全土へ布教させるためにさらに四年を重ねた艱難苦行の地獄のような試練を慈悲忍苦を以て乗り越えた、歴とした修道士であった。


 聖統救済教団とは、ましろ、凛たちが一次的行動拠点としている〈トリマ国〉最大の信徒を集め、人道救済こそが天上神への真の奉公であると宗教組織である。


 多くの信徒を確保している事情は二つあり、夫婦どちらか片方が信徒である場合、その間に子が生まれて三ヶ月経つと最寄りの教会に定期的に開かれる〈カタクリの露〉という聖水に小さじ程度の小麦粉を混ぜた淡水を数適赤子の頬に垂らす清礼儀式が行われ、以降この儀式を終えた子と、それに列席した夫婦のうち、例え無宗教だろうと他宗教だろうと無事晴れて主宗教の信徒として入信されるからだ。


 一部、信徒の解釈違いで、カタクリの露を行わなくても我が子は同じ信徒だろうと思い込んだ信徒の誤解で、物心ついた後でも自身が聖統救済教団の信徒であることに気付かない隠れ信徒も多く存在するが、熱心な神父によってはそれもまた教団に属する子と曲解を説くとする穏当でない者もいる。


 前身である初期教会、〈央立おうりつ教会〉から派生した諸教派しょきょうはの一つである一見適当なこの教団であるが、真の救いは信徒を含め、みな善人で穏健であったということである。


 この他にも、開祖や教典のない民族、民間、公的に存在しないとされる裏教りきょうを含め国の数以上存在し、当然、この異世界では人間種以外の固有種族による固有思想に基づいた特定の宗教も含まれ、この多くは祖霊を信仰している。

 温厚的教えが大概であるが、古い時代には一部魔族の中に〈末日導督まつじつどうとく教会きょうかい〉という超がつくほどの過激な急進主義組織も存在したという文献がトリマ国から遥か北西にある〈ミチショウ国〉の古代歴史図書館に残されているが、内容が悪影響を及ぼすという複数の宗教団体から連帯要請を受け、偽伝文献扱いとして長い間保管庫に収められている。 


 閑話休題。


 聖統救済教団がトリマ国において多くの民から信奉される理由の二つ目は、多大な被害、悪影響を及ぼす過激武装勢力、言論による抗議を意に介さない相手に信徒の命が脅かされる段に対してで救済する彼女たち〈クロノス〉と呼ばれる信徒の守り手、いわばアンチ武装隊の功労というが大きい。


 かといって武装宗教と蔑視するものも事実だが、クロノスは聖統救済教団の中でもごくごく一部の武力の才とその芽がある人間のみ選定され、そこからさらに四年もの苦行の修道試練を乗り越えた修道士——クロノスは、多くの信徒を危機から救っている事実がそういった一部の意見を跳ね退ける存在にまで至った。


 聖統救済教団の礼装は一枚布のダルマティカの上にさらにストールやチャジを羽織ったりするが、それは人前に出る行事、祭礼といった儀式のみに限り、使命を承ったクロノスなどを除いては、聖職者も修道士も教団内や時間外では至って大人しい服装で、白の袖と裾の長いチュニックを着、腰回りを黒いロープで調整する質素な格好をしている。 例外として地方集落の牧師はその地域の者と馴染むため服装もその地のファッションに倣う(派手な服装は厳禁)。 上位の者となると服装、装身具一つで大きく異なるが、聖統救済教団では白は純真、真実、光を意味し、男女違いなく祭礼時には先述した白を基調とした礼装を身にまとっている。


 ただし、例外扱いで除いたクロノスの礼装は黒である。 正確には太股が覗くほっそりとしたチャイナ服に似たネックのあるノースリーブのキャソックドレスというシンプルな服装であったが編み込まれた線維一本一本に魔法因子が施されているため、対全衝撃永続軽減効果が発揮される優れ物であった。 さらに首に装着された特殊金属性のチョーカーには十字が嵌め込まれ、軽量かつ品やかでありながら恐怖対抗効果、魔法、打撃、斬撃威力超軽減効果が限度付きである。


 救済布教活動という名の武力行使に特化されたクロノスには一人ひとりに合った特製の武器を携行することが認められている。

 四人にもそれぞれに許された武器を所持している。

 斧槍ハルバート戦棍メイス両刃斧ラブリュスワンド。 いずれも高性能にして靭性じんせいの強いものばかりで、貴重な金属で鍛造された一級品である。


 一説では天上神の神勅を受け天降りした天人あまひとが初期宗教〈央立教会〉の聖堂奥という重要な場所——、至聖間に現れ、硬度、靭性、軽量に優れた三十三の神器を下賜したとされる。

 さらに天人は精錬技術や錬金術、発展に必要な技術を与えた。 三十三の内、使い方のわからないものを省き、当時神の域といわれた鍛治士一人によって鍛造に鍛造を重ねた神器のレプリカが四人の持つ武器である。


 「少しスピードを落としなさい、サラ」 斧槍ハルバートを携行する先頭の修道士に殿から声が飛ぶ。


 「しかし、アスナさんっ」 両刃斧ラブリュスを携行する殿の修道士に向けて上体を曲げる。 座骨が動いてしまったり、また、バランス感覚が崩れたせいで手綱を緩めれば、馬銜はみでの扶助操作に隙が生まれて最悪地面に叩き落とされる危険もあるが、いかな状況下での騎乗において、かの試練を乗り越えた彼女たちからすればその程度の動作、雑作もなかった。 「こうしている間にもモンスターの群行は進んでいる可能性があります。 事は一刻を争うかと」


 「しかしは貴女の方ですよ、サラ」 ワンドを携行するサラの真後ろの修道士が溜め息をついて馬を撫でた。 「ここまで休む時間を削っての大移動です。 私たちならはまだしも、この子たちは疲弊しているに違いありません。 思った以上に飼い葉を消費しましたし……。 この子たちは貴重な恵みの一つなのですから、粗雑に扱うわけにはいけません」


 「そ、それはわかっていますが……」 両横に交差して編み込んだセミショートの檸檬色の細い髪と同色の澄んだ瞳のサラはこの勅命のために司祭から貸し与えられた馬を見下ろした。 確かに緊急とはいえこの子たちを酷使し続けたかもしれない。 この子たちだって必死になって私たちをあんみつ村まで運んでくれているのに、その恩恵の尊さを理解しきっていなかった。 そう思うと、サラの心がざらざらした砂に埋められる気持ちだった。 「……はい、仰るとおりです」


 「ま、まあまあ皆さんお気持ちは一緒なんですから、そうかっかしないで下さい、ね? ハイネさんだって決してサラさんを責めてるわけではないんですから」 三番手にいた戦棍メイスを携行する白皙の修道士が列からはみ出て先頭のサラの斜め後ろからフォローした。


 「聴こえてますよ、ツバキ」 ハイネが斜向いの最年少のツバキに向って叫んだ。 「それと、列を崩さない!」


 「はいっ、すみませんでしたー」 ツバキはニコニコ顔で元の位置に難なく戻った。


 「あと二回は休む場を設けたい」 年長者のハイネは全員に伝えてから、太陽の沈み工合を観察した。 「到着次第即時戦闘の可能性が考えられます。 皆さん、そのつもりで……」


 「はいっ!」

 サラはそれに応の意を返すと、内心で当該の疑問を掘り下げた。


 〈クロノス〉が武装隊だとしたら、情報収集に特化した〈ムネモシュネ〉と呼ばれる集団が同じく聖統救済教団に存在する。

 そのムネモシュネとトリマ国の中央都市、スキヤキのギルドへ寄せられた依頼申請の統合見解から、白玉の森にて大きな問題を起こさなかったゴブリンが昨今怪しい動きを見せていると連絡が渡ってきた。


 広大な面積を誇る白玉の森は複数の比較的温厚な種族の睨み合いによって均衡を保ってきたモンスターの生息域であった。 醜悪な小人ゴブリン森の狂狼フォレストハウンド蠕動虫キャタピラ角兎ジャッカロープ粘菌半液状体グリーンスライム、湖付近には片足の斧アックスビーク、それを餌とする邪悪な掃除猫ノールがおり、その他多くの白玉の森に潜むモンスターを総ているのが、巨人樹ジャイアントトレントである。 決して森の王として武力を以て圧制しているのはなく、森の如き深い知性と千年以上生きているという長寿であるが故に古くから各種族の間で知られ、常に中立の立場を保ち、多種族同士の争いを防ぐために暴を以て暴に易う抑止力として粉塵するその巨躯の姿に、いつしか森の中でも一目置かれるようになったと聞く。


 であるのにこの緊迫とした情況は何事だと、サラは当惑する。


 考えられることは、森の主たる巨人樹ジャイアントトレントに不測の事態が生じた結果、均衡の崩壊、もしくは新参のモンスターという異物が他種族の縄張り内に侵入したことによるドミノ倒しのような波及的な乱れ。


 「どっちも最悪だわ……」 サラは思っていたことをつい口に出してしまった。 

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