第十四話 無謀


 醜悪な小人ゴブリン襲来予測に伴い、あんみつ村の住人の避難誘導を凛と村長に任せたましろは、村にある武器といえるものを一つ、村長から借り受けピャンを連れて一足先に白玉の森の進軍地点の方角を木の上から偵察していた。

 「——敵はその……、一塊で行動しているのか?」

 「まあのぅ……。 敵さん、方向を変える気はなさそうじゃの」 ピャンは視線に気付いてほんの少し宙を見上げた。 一天の青模様、燦然と輝く太陽がひどく眩しく感じられた。 眩しい日差しに乗って柔らかい風が二人の頬を撫でる。 「目算、三十分程度で搗ち合うだろう。 ……ところで、そんな頼りない武器でどうこうなると本気で思っとるのか?」

 ましろが持っているのはきこり用の小振りの斧と、片側の肩から反対側の腰まで巻き付けた布の中に仕込んだ昨夜の奪取品の棍棒二つ、以上である。 回復薬は高価なものらしく、この村に置いてはいなかった。 仮にあったとしても、見ず知らずの人間に貴重な回復薬をそう易々と受け渡すとは考えられない。

 「いやー、全然思ってない」 ましろは逡巡もせずに即答した。 「つい恐怖から持てるだけ持ってったけど、いざ確認してみると、なんだこの雑魚さ加減は」

 「はふう」 ピャンは耳に届く大きな溜め息を吐いた。 「儂らの命運もここまでか」

 「やばくなったら最悪逃げればいい」

 「それでもあの娘を優先するのだろう?」 ピャンは身動みじろぎせずに視線だけを移して覗き込む。

 「なんだ、バレてたのか」 ましろは自嘲気味に笑い出す。 「でもまあ、なんとかするよ。 ある程度は」

 わずかな時間がとても貴重に思える十秒間。 風に舞い上がる木の葉が太陽を浴びながら揺れる姿をとても懐古的な眼差しで二人は見つめる。 まるで森の中にはましろと黒い猫しかいないほど静謐な長い時間に思われた。

 「主の、ある程度とは、死ぬまでを指すのか?」 ピャンはまた森の向こうに視線を戻した。 「自覚があるのならなお本望じゃろうて……、あの小娘にあてられたのじゃろう? 馬鹿馬鹿しい」

 「俺は極め付けの馬鹿だと思うよ」

 「なぜじゃ……」 ピャンは苦々しい表情でましろを凝視する。 「なぜそこまで命をす? 見ず知らずの娘一人に。 無謀とは思わんのか」

 「なんでだろう……。 それは俺が一番知りたいことなのかもしれない。 ただ、なんというか……気位、かな?」

 「気位?」

 「あいつ、馬鹿だろ?」

 「まあのう」 ピャンは即答する。 「真っ先に死ぬタイプじゃ。 そしてそれがもうすぐ叶うと思えるほどの馬鹿じゃ」

 「でもあの瞬間、村人を命賭けてでも救うって決めた瞬間、掛け値無しの馬鹿だなあって思ったけれど、あれはあいつなりの覚悟を決めた瞬間だったに違いないんだ」

 「覚悟、じゃと? 餓鬼の分際でナマ言いおって。 所詮やつも餓鬼じゃ餓鬼。 土壇場になれば命欲しさに逃げ果せるに違いない。 そしてお主は囮になって奴らの無限食料と化し、花の宴ならぬ村人たちの肉の宴で座は盛宴を張るじゃろう」

 「でもなあピャン、多分、あの表情にも言葉にも嘘はなかったように思えるんだ。 未熟なりにその覚悟があったんだ、あんな子供に。 俺はその時、自分と対比して、自分の考えが正しいと思う一方で、なんだかあいつがかっこいいって不覚にも心が動いたんだ。 おかしいだろう? 心を揺り動かせるなにかをあいつは教えてくれたんだ。 覚悟があるから良いなんて思っちゃいない。 後悔したくないから無謀な考えに走るのなんて以ての外だ。 でも、情けねえことだけど、そういう熱いもの見せられると、こっちもなんだか熱くなってくるもんがあるんだな、ここに」 ましろは自分の腹をあてた。 「そしてこれは同盟を組んで初の大きな戦いなんだ。 ここであいつに死なれちゃあこの先俺が生き残れないだろ? あいつは俺の肉の盾としてこれから活躍してもらわなくちゃいけないんだから、こんなところでみすみすむざむざ死なせてたまるかっていうこと」

 「ふんっ」 ピャンは厳めしい顔付きを崩して鼻で笑った。 「阿呆阿呆とは思っておったがこうも阿呆とは。 まさに目も当てられぬほどの阿呆ここに極まれりじゃ。 そんな下らぬ考えに命を賭けさせられた儂らの身にもなれというもんじゃ」

 ピャンが木から飛び降りると、ましろもそれに従うように降りた。

 「しかし面白い。 最期の最期の死に際までその阿呆に付き合おう。 馬鹿な小娘と阿呆な小僧が醜悪な小人ゴブリン共にけちょんけちょんにされる姿もまた一興」

 「かわいらしい表現だな。 撲殺か殴殺か、横文字でリンチが正しい表現だっつうのに」

 背後から駆ける音が聴こえて二人は振り返ると、凛とカノープスだった。 避難誘導は他の者に任せてこちらへ戻ってきたらしい。

 「ごめん、遅れた。 情況は?」

 「ピャン曰く、まもなくだ」 視線をピャンと同じく正面に向けたまま凛に答えた。 「カノープス、どうだ、【索敵】でなにかわかるか?」

 「……ピャンの言うとおり、かなりの数がこちらへ向っている。 一つの軍のように列を組んで進行している」

 「さて、どうすればいいんだろうな」 ましろは悩んだ。 「戦闘経験がゼロに近い俺や凛じゃあ適切な行動ができない。 頭を潰せば指揮系統を失って集団が混乱状態に陥る可能性もあるし、数の多さを解消するために始めに最弱の黄土色から攻めるって手もありえる。 俺と凛が別れてその二つの策を同時に行うって考えもあるし〜」

 「いくら集団で行動しているからと言って、無駄のない綿密な連携が取れているという確証はない。 まあ、確証を得る時間がなかったという言い訳に過ぎないだけじゃがな。 そんなことはどうでも良いとして、つまりなにが言いたいかというと、暴力的な恐怖から主従的統制ができているということじゃ。 野蛮な奴らなら、そのやり方がごくごく普通ではないのじゃろうか」

 「すげえ、ピャンのくせして良いこと言った」

 「え、今なんか言ったかの?」

 「いいえ、なんにも」 ましろは首を振って思考の方針を変える。 「だとしたら、混乱させれば正気があるかもしれない……。 カノープス、敵の眼の前に立って囮になってくれ」

 「囮?」 凛は怒りをあらわにせず、一拍置いてそれを飲み込んだ。 「で、あんたはどうするの?」

 「真後ろに回り込んで、カノープスの【突進ラッシュ】で混乱した奴らの隙を突く」

 「それから」 凛は真剣な眼差しで先を促した。 「それからどうするの?」

 「いいか、まず——」

 ましろの突発的な思いつき、緻密も綿密もない崩壊する恐れの高い砂上の楼閣であった。 どちらかのではなく、互いの命を優先するでもなく、勝算の確率でもなく、敵の減少と避難の時間稼ぎを目的とした稚拙な作戦であった。 凛の意志を尊重した無謀な策といえた。

 無傷では到底済まないし、運が悪ければ凛が死ぬか、ましろが死ぬか、二人とも死ぬか、ただそれだけである。

 死とは単純である。 飛沫のように儚く消える。 煙草の紫煙の如く消えゆく定め。 生命器官のいずれかを損傷、破壊するだけでその個体が再度動くことはない。

 再生能力が高いといえど、それは例外ではないはず。

 「どのパターンを採っても、ほとんどの雑魚共を任せることになるかもしれないけど……、凛、大丈夫か? 多分、いや、正直言うけど端からそっちを助ける余裕がない。 やれそうか?」

 「ふんっ」 凛は目を細めて笑いだした。 「こっちの心配なんかしてんじゃないわよ。 どうにかなるし、どうにかしてみせる。 決めたのはあたしなんだから。 できるかできないかじゃない。 やるって決めたんだ。 そのかわり、あんたもきっちり頼んだわよ」

 「まあ任せろよ。 まあ俺もなんとかなるだろうし、なんとかしてみせる。 同盟を組んだんだ。 ちっとは信じろ」 ましろは決然と口角を曲げた。

 「話の途中で悪いがの」 ピャンが横から割って入った。 「敵さん、まもなくお出でになるようじゃよ。 臭くて仕方ないわい」



                  ●



 あんみつ村まで直進して進む一群がいる。 悪鬼迫る足取りで、一歩一歩着実に人のいる巣へ向うモンスターがいる。

 醜悪な小人ゴブリンである。 彼らに共通するのはその醜悪な顔、ただそれだけであり、ただその一言に尽きた。

 黄土色。

 赤色。

 淡い緑色。

 灰色に濃紺の斑模様。

 この順番により、能力が徐々に向上していっている。 これは醜悪な小人ゴブリンだけに限らず、どのモンスターも色の違いによって、身体能力、魔法能力、魔法系統、その他様々な力が異なっていく。

 醜悪な小人ゴブリンに関していえば、基本、魔法は使えない。 これは上位であっても例外はない。

 よって、向上されるのは身体能力のみに限定される。 一部例外があるが、基本的にモンスターは同じ種族、同じ色を本能的に好み、共存共生し合い世代を重ねる。 例えばそこに別種族のモンスターと遭遇した場合、多くは戦闘になり、自然界の摂理により、敗者は必然的に淘汰される。 また、同種族ではあるが色の異なるモンスターが遭遇した場合、まずは武力による誇示、嬲り合いが始まり、打ち勝ったものと打ち拉がれたものの中でハイアラーキーが確立される。 争いによりもちろん犠牲は出るが、決して淘汰されることはなく、主従のような関係が構築される。

 つまり、醜悪な小人ゴブリンで当て嵌めるところ、四種類いる中で一番の強者、頂点に立つ種類が一群を率いることになる。

 当然、それは灰色に濃紺の斑模様の醜悪な小人ゴブリンである。

 (以降、色による簡略化) 

 一つの長方形があるとする。 前方を黄土色、中央を赤色と淡い緑色が並び、殿を灰色という形で進行し、その外側に疎らに数体の赤色がいる。 素人目にはなんてことのない形。 しかし、例えばこれを場数を踏んだ中堅の冒険者が崖の上からでも木の上からでも俯瞰していれば観察するまでもなくある一瞥程度でその違和感に瞬時に気付くはずであった。

 知性のない醜悪な小人ゴブリンにしてはであることに。

 ましろと凛たちは、そしてこの一群を偵察していたピャンと数百メートル先で【索敵】をしていたカノープスがこの違和感にささやかでもいいから気付くべきであった。

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