第九話 戦闘


  カノープスから共通スキルの説明を簡単に受けたところで次に固有スキルに話題が移った。 その名のとおり、各〈異界獣ペット〉それぞれに異なる力を持っているので、全般的な説明はできず、あくまでカノープス自身の能力について説明を仰いでやろうとした時、森の奥で枝葉が重なって揺れる音が静寂な中聞こえた。 


 全員の視線がその方向を向く。 音は止んだかに思えたが、一つ、また一つとその音の範囲を広げるようにましろたちの方へと近づいていった。


 「……カノープス、〈異邦人ストレンジャー〉か?

 ましろは声を潜ませて訊ねると、カノープスは首を横に振った。

 「獣臭いのう」 ピャンが気怠そうな声で顔を掻いた。


 ましろが凛の方へ視線をよこすと、凛は真横の虚空に手首まで突っ込み、中から漆黒の大きな鎌を抜きだしては暗闇の森の向こうの誰彼に刃を構えていた。


 生い茂る草を掻き分けて姿を現したのは、人よりも小柄で、股間周りにしか襤褸切れを這い回していないほぼ裸族の怪物だった。 髪は生えておらず、頭頂部は弓なりに凹み、横長の顔の目鼻といった部位が中央に密集している。 憎しみと破顔と慟哭が渾然一体となった表情はまさに醜悪の塊であった。 肌の色はくすんだ黄土色で、泡のような炎症や突起した疣がちらほら窺える。 とんがった耳の上には数センチの角が生えているが、同じ角といえどカノープスのように神聖味の欠片もない汚れきった廃棄物のように見えた。 両手をだらりと垂らし、筋肉は発達しきっていない。 片手に持った手に馴染むよう細工している棍棒のような武器が警戒心を高めさせる。 両足とも裸足であるが、ぼろぼろの爪は土の地面に食い込むほど鋭利に伸び、人や家畜を引き裂くことなど容易に窺えた。


 全部で七体。 しかし殺し合いとなる初戦で相手の力量が測れないのはどうかとましろは思った。


 「ちょうどいいわ」 凛は鎌の柄を軸に回転させた後、〈異界獣ペット〉に命令した。 「カノープス、正面の奴らにを披露させてあげなさい!」


 「了解した」 カノープスは岸で見せた姿勢を低く身構え、前方で威圧する怪物に、その勇ましい龍の爪のように枝分かれした鋭利な角を向け、土を抉るように前足で思いっきり地面を蹴って突っ走った。


 「【突進】ラッシュ!!」


 その突進する速度は凄まじく、まさに暴風の如く荒々しかった。 吹きつける突風、後塵を拝する砂飛沫と木の葉を吹き飛ばすほどの絶大な威力をまざまざと見せつけた。


 カノープスは一瞬の風のように一直線に飛び出すと、正面にぞろぞろ威勢を放つ怪物たちのど真ん中に果敢に突っ込み、駿足を利用した知性と畏怖を思わせる鋭利な両角を以て怪物の身体を根こそぎ引き千切った。


 瞬く間に起こった情景に驚くましろを余所に、中空に舞い上がる怪物の手足や頭部から噴水の如く紅い鮮血を吹き上げ、草むらや樹木の幹を血に染め上げた。


 仲間の死体が転がる中、手足をもがれた怪物たちは割れんばかりの怒号に近い粘っこい悲鳴をあげた。


 先ほどまでカノープスのいた箇所には大きく削られた土が残り、その強靭な跳躍力の凄まじさを物語っていた。


 「これがスキル……。 〈異界獣ペット〉にのみ許された力なのか……」

 もしもあの時、山野で凛たちと出会った時——。

 バカが闇雲に突っ走らず、そして崖でなく、もっと広い場所で出会っていたのなら、あの【突進】によってまず間違いなく死んでいたとましろは自身の幸運さとバカに感謝した。


 「——油断するな」 樹木に角を突き刺していたカノープスがその大木ごと大地から抜き取り、近くに放擲していた。 「まだいるぞ」


 「仕方ないから二体はあたしが相手してあげる。 残りの二体はあんたと猫でどうにかしなさい」


 凛は草むらの闇の向こうへと例の如く突っ走っていった。 遅れて、怪物の叫声と悲鳴が遠くの方で響く。


 「……いや俺素手なんだけど」

 「聞いとらんな」


 少し離れたところでカノープスが二人を見ている。 まるで二人を見守っているようにも見えなくもないが、おそらく獅子は我が子を千尋の崖に落とす鹿verであること間違いない。


 草むらに潜んだ二体の怪物は口許から粘液の絡んだ唾液を垂らしながら嘲笑の顔で向ってきた。 うち一体は小さい足にも関わらず、すばしっこい早さで振り上げた棍棒をましろに向けて勢いよく振り降ろした。


 「——ふんっ!」

 ましろは怪物の振り下ろした棍棒を両手で受け止める。 怪物の醜悪な顔に一瞬の驚愕といった感情が浮かび上がった。 怪物は棍棒を引きはがそうと歯を食いしばり、ましろはそう易々と棍棒を離すまいと睨みつける。


 仕掛けたのはましろだった。 左へ力任せに両腕を捻り、怪物を正眼に捉えた瞬間、海老のように腰を曲げて両足飛びで怪物の腹部めがけてドロップキックをぶちかました。


 怪物は遠退く呻き声を上げて後方へ土煙を上げながら吹っ飛ぶ。 そこへ、もう一体の怪物が大きく飛びかかって棍棒を叩き付けてきた。

 ましろは怪物から奪った棍棒を手にしたまま思いっきり後方へ退いた。 すると、予想以上に高く飛び退き、怪物がより小さく映って見えた。 首を逸らして後方を確認しながら太い木の枝に着地したましろは、自身の身の軽さと跳躍力に喫驚していた。


 (すごい、これが身体能力の向上ってやつか)


 真下にいた怪物は駆け足でいつの間にか近づき、醜悪な顔をさらに醜悪させながらあくせく爪を食い込ませて木を登ろうとしている。


 「おいピャン、見たか今の大ジャンプ。 お前もなんかできんじゃないのか?」

 「ふんっ! 言ってくれるわい」 ピャンは木登りに夢中で背を向けている怪物を睨みつけると、脱兎の如く突っ走った。 すると、ピャンの周囲に白い霧状のものが渦を巻くように幻出げんしゅつし、後ろ足から前足に掛けて鋭くなっていたそれはどんどん粒子密度を濃くし、地面を抉り出していった。


 それは一つの弾丸を思わせた。


 少し離れたところで観察していたカノープスは顔を上げ、鋭い目は大きく見張っていた。


 なにかの気配を感じ取ったのだろう。 野性的感かもしれない。 ましろの真下で幹を掴んで下卑た笑みを浮かべていた怪物はその気配の源となる白鹿へ首を曲げて窺った——。


 それが怪物の最期であった。 次の瞬間、怪物の背中めがけて突っ込んだピャンの見よう見まねの突進によって胴体の上と下が、ロング・グット・バイ永遠に眠れしたからだ。


 周囲に木片が飛び散り、幹は『く』の字に薙ぎ倒された。 高いところにいたましろは落下する寸前地面に着地したその瞬間を狙って、先ほど後方へ蹴り飛ばされたもう一体の怪物が、見てくれに反して俊敏な足運びでましろに近づいてきた。 ——しかし。


 (それでも遅い……。 目で追いつくほどに……)

 ましろの肉眼には怪物の駆け足が断続的に切り取ったフィルムのようにきちんと見て取れた。


 さらには、振り上げた棍棒を掴んだ筋肉の張り、弛緩、そして手首の角度と肘の向き、視線によって相手の振り下ろす箇所がピンポイントに手に取るようにわかるのだ。


 ——不意に、ましろの中の悪魔が茶気を閃いた。


 ましろにとって、それは「確かに」 と頷ける名案であった。 これから巻き起こるであろう艱難苦行に対する未然の経験としては、良い実地訓練といえる。

 なにを思ったのか、ましろは怪物の振り降ろした棍棒めがけて胸を差し出し、自ら攻撃を受けに行ったのだ。


 「——なっ、なにしてんのっ!?」 遠くにいた凛の悲鳴に近い声が聴こえた。

 「馬鹿なっ! 自ら攻撃を受けになど自殺行為だ!」 呆れを通り越した憤激の声をあげるカノープス。


 「面白い。 良いぞ、もっとやれ。 馬鹿は死んだら治るようじゃからな」 滑稽な見世物に上機嫌に鼻で笑うピャンの愉快な声。


 棍棒は見事に鳩尾にクリーンヒットした。 鳩尾の奥に隠れた交感神経が痛みを訴え、咽喉を介して、血が吐き出された。


 「——ガァッ!?」


 心臓を押し付けられたような感覚を覚え、息が詰まって呼吸が覚束無くなったましろは鳩尾を乱暴に叩くと三度目あたりで溜まった空気が吐き出された。 ヒリヒリする鳩尾を擦っていると、初めの痛みがどこかへ飛んでいった感覚がした。


 「……死ぬかと思った」


 「そのまま逝っちゃえばよかったのよ」 遅蒔きに湧いた怒りを万全なく凛は向けてきた。


 怪物は醜悪さに怯懦の色を滲ませ、汚い肌から粟のような汗を噴き出していた。 もはやそれは見るに堪えない憐憫の情を抱かせるほど、無様な姿であった。


 「なんだ? 俺のこと心配してくれてれる余裕があんのか。 でも、いいのか……次は俺の番だぞ?」



                  ●



 ましろの目の奥が歪んだものを、怪物は暗い闇の森の中でも本能的に鋭敏に察知してしまった。


 怪物は矜持など道端に放り投げて顔を歪めて背を向け敗走した。

 先ほどの俊敏さと比べらねないほどの全力疾走であった。

 感情による暴発的な疾走ではなく、生存本能が危機感を呈したがむしゃらな足運びであった。


 その怪物は残念ながら他の種族と比べて知能にかなりといっていいほど劣っていた。

 その怪物たちが、手に持った木彫りの重い棍棒、自らを守る武器を投げ捨てより速度を上げてまで逃走を図ったのは、眼の前にいた相手が見かけに対して数段頑丈であること、さらに自分を吹き飛ばせるほどの強者であること。


 そして極め付けは……戦闘を、


 「ンガ、ガアァァーー」


 これは恐れを抱いた怪物の叫び声であった。


 張り出した枝木を爪で切り裂き、盛り上がった大木の根を飛び越え、草叢や灌木を掻き分けながら怪物は小さな足を目一杯振り上げた。 頭で警鐘の音が鳴り止まない。 心臓が軋みを上げる。 筋張ったふくらはぎが悲鳴をあげている。 塞ぐ耳許からその叫ぶような重低音が耳朶に滑り込むように這入り込んでくる。 怪物の敗走には明確な進路などない。 右へ左へ、崖を飛び越え、草叢を抜けたりと脇目も振らずにデタラメに走っている。 無意識に走っている。 であれば相手も見失うのではないのか……と。


 足を止めた怪物は背後を振り返らずにはいられなかった。

 ——誰もいない。

 不意に訪れた幸運に、怪物の爛れた口許から歪んだ笑みと殺していた吐息がこぼれた。 口内は砂のように乾ききり、死臭のような息から生暖かい生気が混じる。


 あんなニンゲン見たことがなかった。 怪物は内心でばらけた感情を組み立てながら、相手を振り返った。 いつもなら怯えさせながら身体のどこでも叩けば悲鳴をあげ、そのまま巣に持ち帰れば五日、賢いものがいれば使えるところを最大限駆使して一週間ほど腹を満たされるのに、あんなものが他にもいるのならば、食べるニンゲンの対象を変えなければならない。 巣にあるあの皮しかないニンゲンはすぐに無くなってしまうが、これも生きるためには必要なこと——。


 というのが目に見える死を免れた怪物の冷静さを失う直前の思考であった。

 一瞬視界が暗転し、頭部の強い衝撃に継いで鼻の奥を突き刺す鈍痛が怪物を襲ったのだ。


 怪物は気がつくと、顎を地面に突っ伏し、うつ伏せで倒れ込んでいたのだ。 口の中で、生暖かい血の味と、冷たい砂利の味が混ざり合っていた。


 「よぉ」 飄飄とした声が聞こえた瞬間、ましろが背中の上に立っていることに怪物はやっと気付いた。


 なぜ? 確かに後ろを確認した。 怪物は我が身を疑った。 見間違いなどではないはず、いない、確実にいなかった……、なのになぜ——?


 ——まさか。 怪物は頭上に浮かぶ月の光に眼を眩ませた。

 ——飛んだのか……。 さっきのように。


 怪物は蘇った恐怖の再誕に堰を切ったように感情が発露し、荒々しくがむしゃらに我を忘れて身をバタバタと捩り始めた。 バラバラになった仲間の最期が蘇る。 胴体を分離された仲間の最期を思い出す。 あとの奴らはどうした、ああそうか……、お前たちも……。


 「——ああもう、だまらっしゃい」 ましろが怪物にとって聴き取れない言葉をぼやいた瞬間、怪物は激痛のあまり奇声を張り上げた。


 片足が捻られたような激痛が先端から脳を辿って全身を駆け巡ってきたのだ。

 身体が暴走して張り裂けそうで激しくのたうち回る怪物は恐る恐る片足の方を窺った。 そこにあるのは地面に食い込む自分の棍棒が膝を粉々に押しつぶしている光景であった。 怪物は死に物狂いで叫声を上げた。 必死に逃げ帰ろうと立ち上がろうとするが、背中に乗ったましろがそれを抑え込むように不動のまま動かない。 怪物は屈辱と激痛と恐怖で一杯になった躯を芋虫のように這いずりながら一ミリでも遠くへ進む。 口の中の砂利が進むたびにどんどん入り込んでくる。 血の混じった粘り気のある唾とともにそれを吐き出しながら、苦悶の表情を醜悪な顔に混じらせながら惨めに進んでいったが、怒りで駆り立てた力はついに力つき、全身を駆け巡り脱力感に襲われた怪物は、背中に立つましろへおそるおそる首を回した。


 ましろの姿は背後に燦然と輝く月の光で輪郭しか捉えられなかったが、胸のうちではある覚悟が浮かび上がっていた。


 怪物は死を受け入れた。


 死を願った。


 もう苦痛は限界を迎えていたのだった。


 月明かりを背景に浴びたましろの目は邪悪な光に歪み、溢れかえる残虐性茶気を湛えていた。


 「まああれだ。 自分の武器で死ぬんだ。 本望だろう——?」

 怪物が感じ取った意識は、その体勢を拘束されたまま、屈み込んだましろが手に持った棍棒を、怪物の死臭漂う口許に無遠慮に注ぎ込む粘着音。 そして歯が砕ける悲痛な音と、子供のように止まらぬ涙の生温さであった。

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