第六話 休息
凛たちが一次的住処にしていた場所は、あんみつ村から森の中を覗き込んでもかすかに判別できる程度の距離の窪んだ大地だった。
ちなみに森の名前は白玉の森というまたまた大層ふざけた地名であった。
そこは二人が寝食を目的とするだけなら最低減の広さで、人為的に集めたと覚しき木の葉の山が二つ築かれていたことから、寝床兼座布団の役割を果たしていたのだろうと推測できる。 さらにその間を挟む形で机となる小さな木箱が置かれ、隅の方に枯れ木が密集していた。
(哀れだ……)
同情を禁じ得ない表情でましろは凛を見つめると、凛は手をバタバタと振り、違う違うと主張した。
「この世界に来たばっかりで、まだきちんとした行動に移してないのよ。 なんというか——、そう、探索、探索よ」
「哀れだ」
「おい」 と哀れが言う。 「あの山で探索してたらたまたまあんたたちを見つけて、ゲーム感覚で襲いかかっちゃったのよ!」
「なるほど、俺はゲーム感覚で殺されそうだったのか。 たまったもんじゃないな」
「だから謝ってんじゃない!」 凛は取り乱したながら答えた。
凛のその大声は深く寝静まった暗い森を響かせ、遠くの鳥類の羽ばたく音がいくつも重なって聴こえた。 四人はそれぞれ自由な姿勢で休息している。
「凛」 カノープスはそれだけ呟いて、隣の彼女を見つめた。
「ふんっ」 凛はカノープスからわざと目を逸らすと、木の葉の天然座布団に仰向けになって、夜空を見つめながら深く長い溜め息をついた。
カノープスも四本脚を曲げてもう一つの定位置に座した。
ましろとピャンはそのまま地べたに座ると、さすがに凛と同じく、大きな溜め息が自然と出てしまっていた。
「人生で一番疲れた」
「いや、お主なにもしとらんじゃろ」
ましろとピャンの会話を聞いていた凛は、口の端を曲げて何言ってるのよと鼻笑いで返した。
●
凛がおもむろに宙に手を伸ばすと、指先の空気がわずかに波紋を広げるように波を描いて見えた。
事実、次の瞬間にはその箇所だけが音もなく空間振動を起こし、指がすうっと消え去った。
けれど、ましろの目には切断されたようには見えず、どことなく手が透明になっていると思える方が随分納得できた。
凛は視線を指先から外し、反対方向を向いて片方の眉を怪訝そうに傾かせながら、ぼつぼつなにか呟いていた。 それから取り出したのは、神秘的な美しさをもつ小鳥が薄く彫られた模様のない白亜の陶器で、くびれのある長く細い壷であった。
凛はうっすら伸びた把手を握って、元々置いてあった底の深い木彫りの器に水を入れた。
「すごいな。 それも魔法か」
思えば目覚めてから、〈魔法〉と解釈される現象を肉眼で見ることとなったのはついさっきであった。 それは驚きと興奮の瞬間であった。 しかし、それはほんの刹那の出来事であった。 空間に現出した小さな波紋が凪になった時には、この現象が自分の今後にどう影響を及ぼすのか考慮する必要があった。 突如として凛が襲いかかってきたように、今後危害を加える者が殺傷能力のある魔法を使用する可能性が当然起こると考慮しないだけでも生存率は大きく変わっていく。
この戦いの趣旨説明を聞き終え次第、凛を始末しようと考えていたが、早計であったとましろは胸を撫で下ろす。
これまでの二人の会話によって、凛との共通点が多い点からましろは彼女と同じ〈
「感想はそれだけ?」 凛は鼻息を吐いた。 「あんたもやってみなさいよ」
「あまり動じないタイプなんだよ」 どうでもいいけどな、とましろは付け加えると、凛の真似をして、自分も空中に手を伸ばしてなんとなく、イメージしてみる。
「……でないんだけど」
「ただ伸ばすだけじゃなくてイメージするのよ。 私たち〈
ましろは眼を瞑り、凛の言ったことを頭の中で咀嚼してから、もう一度意識して手を伸ばす……。
「……できないんだけど」
「はい終了〜!」 凛は無表情で間延びした声を出して勢いよく手を叩いた。 「おっかしいなあ、言われたことをそのまま伝えたはずなんだけど……」
「まあ実践あるのみだな」 ましろは腕を伸ばし、引き、伸ばし、引きを繰り返しながら再びなにもない空間に手を伸ばした。
「……できないんだけど」
●
凛は中心に置かれた木箱をどかし、その場所にたくさんの落ち葉を重ね、数本の枯れ木を置くと、再び宙に手を伸ばし、指先の空間だけに波を起こす。 空間から取り出したのは小指ほどの小さなマッチ箱だった。 凛はその箱からマッチを取り出し、二度擦ると先端に赤々と火が灯り、落ち葉をチリチリと焦がす。 落ち葉は周りの落ち葉と共に燃えだし、枯れ木に火が移る。 何本も途中で消え、一連の動作を続け、やっと燃焼が持続すると一回り大きな枝を取り出し、「焚き火」らしくなった。
「火の魔法とかないの?」
「ないわよ」 凛は火を眺めながらあっさり答えた。 「あたしたち〈
夕餉は丸い異世界にしかない果実と先ほどの水だけだった。
てっきりもう少しまともなものを食べれると淡い期待をしないでもなかったが、実に裏切られた感が波寄せ、凛がこれがご飯よ、とぶっきら棒に言った際には、「てめえの最後の晩餐がな!?」 と怒鳴り散らかしたい気持ちが咽喉奥から押し寄せてきたが、寸でのところで舌がそれを押さえ込んで事なきを得た。
ましろは熟したピンク色の果肉を齧りながら、ん? とふと疑問を浮かべた。
「なあ、凛、この果肉、味するか?」
「するわよ」 凛は口を尖らせ眉根を寄せた。 「少し、というかなかなか酸っぱいわよ、これ」
「ああ、だよな」
ましろは言葉とは裏腹に内心首を傾げた。
(これはあまり大した問題と思わないけれど……、思わないけれど、どうやら俺には
食べる量と数の少なさから淡々と食事が終わり、水を飲みきったところで、ましろが訊ねてきた。
「そろそろ話してくれないかな。 凛がここへきた——、ここへ来ることとなったと言えばいいのか。 そのすべてを」
「え? ええ、いいわよ」 凛は名前に不承不承納得した様子で頷いた。
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