第五話 同盟
「あんみつ村だ」 カノープスは鼻から息をはいてもう一度答えた。 「その似たようなリアクションを凛もしていたよ」
「また謎が増えたなあ……」 ましろは頭を掻きながら村へ足を進めた。
建物、と呼ぶにも頼りない村人の粗末な住居を素通りしていると、場違いなましろに気付いた村の住人が胡乱な眼差しを無遠慮に向けてきた。
ましろはさりげなくカノープスの傍に寄りながら、囁いた。
「この世界では皆あんなに死んだ顔をしているのか?」
「ほとんどが同じ面構えをしている。 とても豊かとは思えないだろう? なんでも人攫いが何度か起こって村の者たちは疑心暗鬼で不安がっている。 特にお前のようなあからさまな
「ところで」 ましろは人攫いなど他人ごとのように、カノープスを横目に話を変えた。 「確認だけど、動物が人語を話すのはこの世界では常識なのか?」
「いいや。 空を飛ぶ鳥や川を泳ぐ魚、野良の狼は人語を話すことはない。 確かに知性のある種族なら人語を話すものもいるだろう。 さらにお前たちの世界での創作された中での有名な生物で例えれば、ドラゴン、トロール、エルフ、悪魔といった種族はこの世界では実在し、今もどこかで生きている。 しかし森羅万象いかなる生物が
「確かにな」 とましろは同意した。 「そこかしこに人語を話す魚や鹿、蛙がいたら、俺たち人間は食べることに対して倫理とか宗教感が挟み込んで抵抗を抱くからな」
「そんなものか?」 カノープスは眉をひそめ首を傾げた。
「曲がりなりにも人間は古い時代から共存生活なしでは生きられなかった弱い種族じゃ」 とピャン。 「その名残から自分と同種のものを殺すことに躊躇いは少ないが、喰らうことには絶対の忌避的傾向がある。
「感覚としてどことなくわかる気がする。 我々は生き物の形をしているが、あくまでもこれはお前たちの世界に生息する生き物を模しているに過ぎない。 そもそも栄養を必要としないからな」
ましろは、何気ないカノープスのその言葉に再び足を止めた。
「……なんだと?」
「知らないのか? お前の〈
「儂は教えて学ばせるのではなく、自ら気付き学習してその横で、儂はずっとそのヒントを出しておったんじゃよ? と説く主義なんじゃ」
「いや言えよ放任猫。 どこまで猫は自由なんだ」
「まあそれも踏まえて話してやろう」 溜め息混じりに答えたカノープスはあんみつ村の中心を通り過ぎ、緩やかな曲がり道を下った。 村からだいぶ離れたその一画に小屋があった。 「見えるか? 今晩はあそこで休む」
「休むって」 ましろは先頭を歩くカノープスに詰め寄った。 「あれ馬小屋じゃねえか、どう見ても」
「まず最初に、私たちは皆それぞれ発展した都市、そして高い戦闘力を持った種族がいる範囲とはだいぶ離れた比較的戦闘力の低い未発達な土地に、貨幣も持たされない全くのゼロの状態で
「おいおいこれは下宿じゃないだろうよ」
そこは簡素な柵に囲まれた、あんみつ村の住居よりも一段と見窄らしい木造の小屋が見えた。 横に連なる長屋のようであったが、中を遠くから覗くと、お世辞にも綺麗とはいえず、幅も余裕もなく、また、規模に対して収容されている家畜の数は少なく、貧相なものしか見当たらなかった。 四人川の字でぎりぎり眠れるスペースで、草いきれの匂いに混じってかすかに家畜の糞尿の匂いがした。
「お前は——ましろといったか。 ましろがここへ来る途上の半壊しかけた小屋をなにやら警戒して素通りしたが、ここは私と凛の一次的宿舎みたいなところだ。 なに、結果的にお前たちは私たちの範囲内のど真ん中に侵入したというわけだな」
「他に仲間は?」
「いないさ」 カノープスは薄暗い小屋の前で微笑んでいるようだ。 「いたらこんなことを言わない」
(馬小屋か……。 そうだ、考えてみれば手持ちはゼロなんだ。 しかも住所不定の無職。 現実世界でそんなニートがいきなりホテルに泊まれるはずもない)
落胆を隠せないましろであったが、イエスも聖徳太子も馬小屋で生まれたことを思い出し、幾分穏やかな気持ちになった。
「しかしお前はともかく、凛のヤツ、よくもこんなぼろぼろの馬小屋で寝泊まりできたもんだ」
「なにを言っている」 カノープスはぼろぼろの小屋を通り過ぎ、柵を越えた先にある森を顎で差した。 「私たちが寝るのはあの森の手前だ」
「馬小屋ですらねえのかよっ!」
(まあ良かったけど……)
「これでも譲渡できた方だ。 宿もない村で見ず知らずのものを泊める数奇者など早々いないからな。 現実はそんなに甘くない」
「ファンタジー感台無しだな」
「この世界に生きてるものにとっては、これが現実だからな」
カノープスはずっと背中で気を失っていた凛を起こそうと身を揺り動かしていた。
さながら鞍と化しつつあった凛は掻き消えるような寝言を呟くと、たらんとした瞳を垂らして辺りを窺う。 その視線が自分を恐怖のどん底に文字通り突き落とした張本人のましろと搗ち合った瞬間、凛の目は飛び出んばかりに驚きの色に満ち満ち、「ヒイィィー!」 という年相応のか弱い悲鳴を轟かせ、薄い壁の向こうにいる家畜たちが一斉に鳴き出した。 カノープスの雄々しい身体にその小さな身を隠し、子鹿の如く怯懦に打ち震えている。
「あ、あ、あんた、なんでここにいるのよ……」
「あ、俺たち停戦協定組んだから。 よろ詩くー」 ましろは牧草の上に腰を下ろしながらおもむろに凛に手を振った。 「お前こんなとこ住んでんだな」
「よろしく頼むぞ。 小娘」
「え? はぁ?」 凛は困惑しきった表情でましろ、ピャンと見渡し、カノープスに視線を止める。 「どうなっているの?」
「すまない、凛。 状況が……、状況だったのだ」 カノープスは霞むような声でそれだけ言った。 「わかってほしい。 これが生存できる可能性のある選択だったんだ。 後でいくらでも私を責めてくれても構わない」
「そうだぞ、凛。 カノープスの選択はとても正しい。 お前を守るために限られた時間で最善の策を振り絞ったんだ。 それもすべてお前のためだ」
「まあ」 ピャンは寛いだ姿勢でましろを流し目で見つめた。 「それも全て儂のおかげじゃがな」
「カノープス、この男の言っていることは本当なの?」
「……ああ、そうだ」
カノープスは気を失っていた凛にこれまでの経緯を話した。 それを聞いた凛はカッと眦を上げて何度もましろとピャンを見ていた。
「確かに……。 こんなヤツに負けるなんて屈辱もいいところだわ。 カノープス、あなたはこいつらを……、いいえなんでもないわ」 凛は思うところを出さずに一度口を閉ざすと、頭を振ってからカノープスに頭を下げた。 「ありがとう。 きっとあなたのことだからあたしを助けてくれるためにこの条件をのんだのね」
「凛……」
「カノープス、あなたの意見を聞かせて。 こいつらの意見に従うべきかどうかを。 あたしはいったらあなたに命を救われたようなものだから。 だから、あなたの意見に尊重する義務がある。 あたしとあなたの命が優先される意見を聞かせてちょうだい」
「凛、それは……」 カノープスはましろたちをじっくりと見つけた。 夕日は沈み、辺りは静寂に包まれていた。 遠くの方で動物の吠える声がよく聞こえるほどに。 ましろたちは緩みかかった躯を引き攣り始める。 凛の応答次第で、早くも休戦協定は破棄される恐れがあるからだ。 それから馬小屋は森のように森閑としていた。 その静寂を打ち破ったのは、熟考していたカノープスであった。 「私は、私はこのピャンという猫の考えに賛同してもいいと思う……、今のところは。 悔しいがヤツのいうことは尤もだ。 残念ながら私たちの今の実力ではこの戦いに生き残ることは難しい。 困難を極めるかもしれない。 であるならば、一時休戦して、その間に力を付ける方が生存確率はまだ高い」
「なら決まりよ」 凛はじろっとましろを睨んだ。 「カノープスに免じて手を組んであげる。 でも、仲間だからって変なことするんじゃないわよ? もししたらその首跳ねてやるんだから」
「変なことってなんだよ」
「変なことは変なことよ!」 凛は歯を白い歯を食い縛って立ち上がる。 「いい? 嘘じゃないからね? やるといったらやるんだからね!」
「はいはいデレてろデレてろ」
「デレてなんかっ——」
「よしっ、決まりだな」 事が済んでなによりだとましろは鼻から溜め息を出して手を腰に当てて頷いた。 「それで、凛たちが寝泊まりしてるところはもうすぐなのか?」
「はあ? あんたたち……、泊まるところないの?」
「ないよ。 だから泊めてくれさい」 丁寧語と命令形。
「ふ、ふざけんじゃないわよ、いやよあたし、こんなヤツと一緒に寝るなんて」
「俺にだって選ぶ権利はある」
「おい」 と凛。
「まあまあ落ち着けって。 俺だってお前みたいな未発達児興味ないから安心しろって」
「あんたねえ……」 顔を震わした凛はなにもない虚空に手を伸ばすと、指先に突然波紋が生まれ、ずぶずぶ凛の細い手が見えない空間の向こうへ消えていき、なにか金属の音がかすかに耳に届いたのも束の間、引き戻した手には初めに出会った際に持っていた漆黒の大鎌が怪しい光を浮かべながら煌めいていた。 「ふざけんのもいいかげんに——」
「お前……、それどうやって——」
「うるさーいっっっ!!」
「うおおおおおおぉぉっっっっ!!」 凛の振りかざした刃が横に飛ぶ寸前にいたましろの地面を突き刺し、土を抉る堅い音が響いた。 「やめて凛さん! ついさっき協定結んだばかりでしょうがっ!!」
「あんたがセクハラ発言するからでしょうがっ! 知ってる? アッチの世界じゃあセクハラしたら斬首の刑よ」
「刑罰が重い!」
「ふんっ、まあ今日は疲れたからいいわ」 意に満たない様子の凛は不服そうだったが、大鎌を肩にかけると、真横に波紋が浮き上がり、先ほどと同じように波紋に向って大鎌を突き差す。 すると、見えない虚空の方からずんずん手繰り寄せられるように手を離れた大鎌が勝手に沈んでいき、柄頭が消えたときには小さな波紋をあっという間に消えていった。 「次言ったら斬首ね。 山田浅右衛門ばりにスパンと斬首だかんね?」
「あ、ああ。 すごいな、今の……。 魔法みたいだ」
「は? あんたなに言ってるの? あんたも〈
「ふん」 ましろは鼻で笑った。 「どうやらなにもしらないようだと嘲笑いたいところだが、俺がそんなことできるわけないだろう?」
「ねえ、カノープス」 凛は横にいるカノープスに囁いた。 「あたしあんな馬鹿に負けたの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます