第四話 停戦
水に乗って冷たい風が吹いた。
「その前に」 ピャンはカノープスからましろへ視点を一度移した。 「ましろ、こやつらと組むことにしよう」
「私たちが、お前たちと協力だと?」 カノープスはピャンを睨んだ。 「私はお前たちに今一度この戦いの趣旨を説明すると確かに約束した。 だがしかし、協力するとなればそれは話は別だ。 私たちとお前たちは敵同士。 それはこの蠱毒の戦いの中での純然たる事実だ」
「ピャン、理由は? 敵であるこいつらに背中を預けるなんて無謀な真似をする意味を聞きたい」
「先にも言ったが」 と黒猫のピャンは話を続ける。 「この戦いは47人の子供が命をかけて勝ち抜く生存競争。 ——サバイバルじゃ。 これからこの先、儂とお主だけで生き残る確率など知れたものじゃない。 おそらく、敵の中にはあらゆる知恵を弄して必死に生に喰らいつくはずじゃ。 生きるためならなんだってするじゃろう。 そして間違いなく敵同士、協力してくるヤツもおるはずじゃ。 これはそれに対し少しでも有利に戦闘を運ぶよう、生存確率を上げようという作戦じゃ」
なるほど、と言いたい理由はわかった。
しかし、頭で理解できても実際それを行動に起こすことが出来るかは全くの別問題だ。 初めて出会ったばかりの、しかも互いが互いに暴力を以て解決しようとしたもの同士、さあ手と手を取って仲良くなりましょうとはならないだろう。
それは相手側も同じだ。 互いに信頼関係のようなものがない以上、まして当事者である以上これを安易に頷けるものではない。
「これはお主たちにとって、悪くはない条件だと思うぞ?」 ピャンはましろの不審な目付きを流しながらカノープスに向けて語り続ける。 「先ほどの戦闘ではっきりしたことがある。 それはそこの小娘の能力の弱さじゃ。 こんな、秀でた能力もない小僧に、扱いはさておき大きくそして鋭利な刃物を持った擦傷能力抜群の武器を持った小娘がいとも容易くやられたのじゃよ? もしあのとき小僧が持っていたものがただの壜でなく、同じく刃物であったのならば、それこそ飛び道具、鋭利か硬質かのどちらかの石でも構わない。 もしそうであった場合と……お主は
「そ、それは……」
「そう、小僧が戦う準備などしておらんかったから、油断したんじゃ。 その油断が命取りなんじゃ。 そしてその油断を悔恨している余裕が今あることをお主はきちんと理解せねばならない。 そして、今のままではこの先到底生き残れるはずもない、ということを厳粛に受け止めなければならない」
カノープスから怒りに似た禍々しさは洗い流されたようにきれいに掻き消え、言い返せない己の弱さそのものに悔いを感じている様子だった。
「儂らがお主らの力になろう。 その間、儂らはお主たちに危害を加える気はない。 そう、停戦をしようと言うのじゃ」
「停戦」 カノープスの言葉には未だ警戒の色だけが含まれていた。 「……提案自体は悪くない。 お前の話は確かに的を射ている。 だがしかし、私のパートナーである凛の賛同を得てからの話だ。 凛が首を縦に振らなければ、この話はなしだ」
「一向に構わない。 のう、小僧?」
「はあ」 ましろは頭に手をやった。 「まあ確かに仲間は多くいた方が助かるかもな。 正直、なにがなんだかわからないから。 とにかく情報が欲しい。 じゃなきゃ、安心する事ができない。 まずはそこからだ」
「そうじゃの。 まずはこの小僧にこの戦いの趣旨を知ってもらわねば」
どこか落ち着くところがあるかとカノープスに訊ねようとする寸前のところで思いとどまる。
砂上の楼閣のような停戦協定を組んだところで、一枚皮を剥がせば未だ敵同士であることには変わりない。 よくわからないが47人同士争う中に凛が含まれてのならば、いずれ戦いあうことは決まっているし、当の凛がこれを受諾しなければまた争うことになる。 平和的交渉を提示したとはいえ、それが絶対的な束縛を有しているわけではない。
しかし、それでも情報が欲しい。
なにがなんだかわからない。
この世界の情勢など興味がない。 しかし、ある日突然よくもわからないイベントに強制参加させられ、しかも子供同士で命を懸け合うなどあまりにも荒唐無稽で馬鹿げている。
事実が欲しい。
そのためには当事者であるこの女とカノープスという動物から少しでも有益な情報を引き出すことが先決であった。 そういう意味ではピャンの提示した休戦はましろにとって結果的に良い案であったといえる。
岸を上がって森を横手にしばらく歩くと、少々奥まったところに草木に覆われた朽ちかけた小汚い小屋が覗けた。 屋根は風雨で穴が空き、塗装は剥げて当時何色であったか判別がつかないほど汚れている。 脇に括られた手綱らしきものは、泥を含んで肥やしのようだ。
「あそこにしよう」
「却下だ」
カノープスの提案を即断した後、ましろは先を進んだ。 ピャンはましろの肩に乗っかった。
「どうしてあの鹿の提案を断った?」
「ここがどこだかわからない以上、すべてに対して警戒を強めるべきだ。 協定を結んだとはいえ、相手をそう簡単に信じるわけはない。 少しでも相手の主導権を渡さないこと。 さらに、誘導されないこと。 これが大事だ」
「歪んでるのお」
「しかし、さっきの提案は良かった。 正直言って不安なんだ、この情況が」
「まあ、そうれもそうじゃろうな。 お主はこの世界では赤子同然じゃから。 しかも童同士で争うなどとにわかには信じられんじゃろう」
「けれども、それが事実なんだよな」
「然り。 純然たる事実」
「まるで異世界物語だ。 ファンタジーみたいだ」
「事実そうじゃろう。 空想ではなく、真実じゃ」
「ああ、それと。 猫が自分の肩に乗るのはこの上ない喜びではあるが、人語を話す猫なんて気持ち悪さこの上ないからさっさと
「くそ野郎じゃのお」 ピャンはそういって肩から降りた。
ましろは辺りを見回す。
(この周囲があいつらのテリトリーという可能性も考慮のうちに含まなければならない。 あの小屋も、山野からそう離れていない。 とりわけ危険なのは他の仲間がどこかにいるという可能性。 次いで第三者との遭遇。 ただの人間であればなんの問題もないが、この世界のことをなにも理解できていない以上なにが出るかわからない。 情報が得られるまでは能う限り不用意な行動は避けたい)
木立を境に道が二つに別れていた。
右手はうねった丘をいくつも越えた向こうに見える小さな村。
左手は薄暗い闇に沈んだ森。 先は見えず、どこまで続いているのか不明瞭な森林地帯。
「仕方ない。 あそこにしよう」
ましろが指差したのは村の方だった。
「あそこもあそこで危険な気がするがのう」
「それは……あれか、動物的直感か?」 ましろは期待の眼差しを浮かべて訊ねた。
「まさか」 ピャンは自嘲気味に笑った。 「今のはボケか? だとしたら笑えんぞ」
(いや今笑ったよ?)
「ただの意見として聞き流してくれて構わん」
カノープスを先頭にしたまましばらく無言で村まで進んだ。
周囲は下草も疎らな開けた大地が続き、遠くの丘に数人の輪郭が見えた。 皆肩になにか背負っており、旅行者のような出で立ちをしていた。 中には剣のようなものを佩いている姿もある。 ましろは自然と昂揚していた。
「すごいぞ、ピャン」 ましろは真下の黒猫に囁いた。 「剣だ。 喋る動物。 これで魔法とドラゴンがあればファンタジーだ」
「剣なんぞそこいらの街に売っておるし、戦場跡を歩けば運良く回収し忘れのものが見つかるかもな。 喋る動物なんぞ。 獣人を数に入れるのならこの先腐る程耳にするじゃろうし。 魔法も、まあいずれ目にするやも知れんのう」
「獣人。 そんなのもいるのか……。 ドラゴンは?」
「およそ考えうるものはこの世界では現存、存在する。 しかしドラゴンはどうかの? 仮におったとして、儂らにはどうもすることはできんよ」
「なあ、俺の力って、どのぐらいなんだ?」
ましろは自分の手を握ったり離したりしながら問うた。
「力とは……、身体能力その他のことか? 何を今更……、それはもう想像のとおりじゃ。 都合主義に則して能力じゃ。 まだ実践があの小娘じゃから確かめようがないがの。 強いぞ。 それはもう暴力、経験と知識さえ育てれば暴虐の限りを尽くせる力じゃ。 この世界の常人のベクトルなんぞに当て嵌められぬほど、お主たちは桁外れに強いのであろう。 しかし、それでも越えられぬ壁があることをきちんと理解せねばならない。 お主たちは強い。 並の大人など捻り潰せるほどに。 しかし、それも所詮は同じ人間同士の経験の浅いもの同士の次元に他ならない。 相手がヒトよりも強い屈強なモンスターならどうじゃ? 同じ人間でも熟練の域に達した者とならどうじゃ? もしかしたら勝てるかもしれん。 しかし、負けるかもしれん」
黒猫のピャンは立ち止まった。 ましろもカノープスもそれに倣って立ち止まる。
「よいか小僧。 いくら力があったところで彼我の差の見極めを誤ればその瞬間命が潰えるんじゃ。 力を過信するな。 力に溺れるな。 儂が忠告できるのは、まあひとまずはそれぐらいじゃ」
「……あいよ」 ましろが歩みを再開すると、今度は二人の動物も歩き出した。 「長々とご心配してくれるわりには、この戦いのことをちっとも話してくれないじゃないか」
「ふん。 やかましいんじゃよ」 ピャンは一瞥してまた正面を向く。 「……儂にもいろいろあるんじゃ」
なだらかな丘をいくつも越えて村に到着したとき、空は藍色の闇が広がりだしていた。 低い柵の向こうには漆喰でできた住居が疎らに点在すし、窓のようなものはなく、ぽっかり空洞になっており、そこかしこの家から温光色が漏れていた。 田舎のようだ。 発展した道具などは見られない。 随分と退行した海外の地方の風景に感じられた。
出歩いている数人の村人の横顔を見て、ましろはやや驚きの表情を浮かべた。
「……おお、外国人だ」
村人の容姿は全体的に茶髪か、くすんだ金髪、暗い青髪がほとんどで、アジア系が占める黒髪など目視の限り一人も見受けられなかった。 目許は落ち窪み、瞳に生気がない。 ましろと年近い村の男性の何人かを見かけたが、背は比較して皆高い、これはどちらかというと日本人の平均身長を基準にしているのが問題なのだろう。
服は農作業に適した格好だろうと納得できるがあまりにも見窄らしい。 色落ちが目立ち、肘や膝などは縫い合わせた形跡がいくつか見当たった。
よく見ると、髪は荒れているものがほとんどで、顔も痩せ衰えているようだ。
「ここはあんみつ村だ」
カノープスのさも当然のように語られた
「……はい?」
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