第二章 駆出し

第十話 謎謎


 目映い朝陽が空に昇り、適度に湿り気を帯び出した森の空気の心地よさに、ましろは瞼を開けた。


 (眠れない……)


 周囲で気持ち良さそうに寝ている凛とカノープス、ピャンを見つめながら、ましろは首を傾げた。


 理由は二つ、一つはカノープスが死体のように横になって寝ている姿がなんとなくシュールで面白かったのだ。


 (確かにその角、重そうだしな……)


 そしてもう一つ、その隣で眠っている凛だ。 白々しく空の色が輝きはじめた頃、すやすや眠る彼女の瞼がぴくりと動いたのだ。 それだけならましろは気にも止めなかったが、目を引いたのはその瞬きの早さである。 彼女は痙攣するような病的速度でピクピク蠕動していたのだ。


 (……キモッ!)



                  ●



 全員が起きてから、今後の方針を話し合った結果、夜中に現れた怪物(のちに醜悪な小人ゴブリンと知る)を倒したように、戦闘の場数を踏むことを前提とした冒険者組合ギルドへの登録だった。 雲霞の如く涌き上がる異世界物語に置いてひどくありがちな展開だが、通説どおりだと、強靭な力をもった者はだいたいそこでモンスターを討伐して、その報奨金で生計を立てるのがセオリーだ。


 このましろの提案にカノープスは賛同した。 凛はすぐにでも他の〈異邦人ストレンジャー〉を倒すべきだと乗り気だったが、未知の相手と遭遇した場合、彼我ひがとの圧倒的な戦闘経験の低さを懸念したカノープスの、戦闘経験を積むべきであるという考えがましろの意見と重なったためである。


 「まずは金だ。 時間を無駄に消費しないためにも、敵から身を守るためにもともかく金だ」


 ましろは見窄らしい木の葉の絨毯で寛ぐ凛に哀れみの目をくれた。

 「そ、そんな可哀想な目で見ないで。 わかった、わかったから! じゃあ具体的にどうすればいいの?」


 「無法者の俺たちができるのはどうしよもない馬鹿みたいに力があるってところだ。 だから冒険者になるのがまあ順当なんだよ。 じゃなきゃ宝の持ち腐れってやつだ。 カノープス、ここら辺に冒険者ギルドのある都市はないか?」


 「——あるぞ」 カノープスは膝を折ったまま顔だけをましろに向けた。 

 「よし。 それじゃあ、今後の目標は都市部へ行ってギルドへ登録をするんだ。 それから舞い込んだ依頼を受けて、達成すれば報酬を得られる。 仕事内容は主に肉体労働がほとんどで、昨夜のようなモンスター討伐、退治が中心だ。 余裕があれば依頼抜きでモンスターを討伐して経験をさらに重ねる。 どうだ、俺たち向けだろう?」


 「決まりだな」 ましろは立ちあがって背伸びした。 「さっさと行くぞ。 あほんだらど……も?」


ましろが何かの物音を感じ取る以前から、ピャンとカノープスもその気配を鋭敏に感じ取って目を見合わせていた。


 「 敵意はなさそうだ」

 一行が白玉の森を出ると、見窄らしい身なりをした中年の男女たちが、囲うような形で待ち受けていた。 見てくれからあんみつ村の住民であることが想像できる。


 「凛、行ってこいよ」

 「なんでわたしなのよ?」

 「この中じゃあ、凛が一番顔見知りだろ? 俺が行っちゃあ怪しまれるし、それとも人語を喋る猫と鹿に行かせる気か?」

 「仕方ないわね」 凛は不承不承頷いて村人達の方へ駆け寄って行った。

 「とっとと行けよ(ありがとう)」

 「おい、内の声と外の声が逆になってる」 と凛。

 「おっと」


 ましろと人語を話す二人は、端っこの方で様子を窺っていた。

 凛の前には年老いた男性と、日に焼けた肌をした四十前後の男性がいるが、直接会話をしているのは年老いた方一人だ。 少し距離を置いて、十数人の村人が、凛とましろたちを怪訝な目で野次馬根性丸出しで覗き込んでいる。


 ましろはふと気付いた。


 凛は外国語を話せるのか、と。


 ましろは二人の会話が聞き取れる範囲内まで歩を進め、老人の言語を確かめてみようと耳を澄ませると彼は驚いて老人の口許を眉を寄せて凝視した。


 老人は「つい最近まで…」と日本語を発していたのだ。 しかし、ましろが驚いたのはそこではなく、日本語を発していたのに関わらず口元は日本語とは明らかに異なる発話はつわを用いて会話が行われ、なんの違和感も齟齬もなくそれが成り立っているところだった。


 おそらく老人が口述している言語はこの土地の母国語である。 それが〈異界獣ペット〉という優秀な翻訳機を介すことによって、こちら側、つまり〈異邦人ストレンジャー〉の耳朶を伝って脳裏に日本語の音声言語として寸毫のタイムラグを開けずに受信する、という仕組みである。


 この特殊機能をただの能力であると一顧だにせずに、魔術であるか、魔法であるか、機構であるかなど搔い摘んでカノープスに訊ねてみると、わずかな沈黙を挟んで知らぬ存ぜぬが返ってきた。


 「もっと考えろ、お前のことだろう? 考えたこともないのか?」

 「とはいってもな……、それがなにか問題に直結するのだろうか? 私たち〈異界獣ペット〉はお前たち〈異邦人ストレンジャー〉と共に戦う、それだけの存在だ」


 またこれだ、と聞く耳を持たないお決まりの文言にましろは苛立ちを抑えようとカノープスの上等な角を引っ張った。


 自身への追求の対応策として〈異界獣ペット〉の「思考管理」、——別の言葉に換言するなら「思考妨害」が発動している。 外的事象に対しての思考は正常的に働いているのに対し、内的事象に関する形式論理をそもそも考える気すら起こさない、言い換えれば起こそうとしない。 カノープスは〈異邦人ストレンジャー〉がこの世界に落とされたと同時に生まれたと言っていた。 もしかすると、現界と同時に神術的な手段で内省する自我の一部分を取り除かれているなんてことがありえるのだろうか。 人類の命題の一つとしてあげられる「我々は何者であるか」、などの問題解決学習そのものを思考しないという都合の良さ。 凛が瑠璃色の膜で遭際した光の人形ひとがたによって〈異邦人ストレンジャー〉は導かれたと思ったが、〈異界獣ペット〉もまた導かれたように感じ出した——否、誘導された、のか……? そう思うと、目の前にいる〈異界獣ペット〉が不幸に思えてならなかった。


 こいつらは、自分の意志以前の問題に、


 (……まるで、武器だ)


 カノープスの角を離したましろの身体を微細な痺れが襲い始めた。 足の痺れのような痛覚が全身に回ってきた感覚であった。


 (……まるで、機械だ)


 ましろの視界に砂ほどの粒子が斑に散り始めた。


 (……まるで——)


 瞬く間に視界は霞み、テレビの砂嵐のように荒々しくなった。


 (……っ違う! こ、これは——)


 すぐさま気付くが遅かった。 身体がいうことを聞かず、脱力したように足の力がすっぽり抜け、上から糸を操る者がいなくなったマリオネットのように足許から崩れ落ちそうになったのをもう片方の足でなんとか踏み堪えたが、その力は空気が抜けたように千鳥足になり、最後に膝をついて横に倒れ臥せた。


 視界がうっすら霧に包まれたように白くなり、継いで暗転の幕が下りる。 もはや抗うことなどできはしなかった。 息をしようと大きく息を吸った。 頭が次の命令を起こそうとしている。 しかしそれはなにかひどく面倒な動作に感じられた。 なにをしようとしたか不明瞭であった。 朧を掴むような、もうひどく無意味な——。


 ましろは意識を失った。



                  ●



 (なるほど、これが意識を失うか……)


 ましろが目覚めたのは実質数分程度の出来事であった。 しかし、恐ろしく長く感じた——否、長く感じたことに恐れを抱いたというほうが正確である。

 目覚めると、室内にいた。 とても裕福とはいえず、狭い住居スペースであるが、壁があるというのはやはりありがたいものだとましろは感動していた。 少し汗の匂いがするベットから起き上がり、扉を開けると、凛、ピャン、そして先ほどいた老人と年近い小さな老婆が食卓を囲って出迎えた。


 食卓の上にはカンパーニュに似た形の悪いパンと、湯気を立てた薄色の野菜スープ、わずかばかりの黒い鹿肉が並んでいた。

 「あれ?」 ましろは鹿肉を指差した。 「これカノープス?」

 「あんた馬鹿言ってんじゃないわよ!」


 八割五分切れてましろの頭を殴る凛。 そのテーブルの下にはピャンが絶望した表情で眼前の皿に乗ったおがくずみたいななにかか、正真正銘おがくずを見つめていた。


 これが人語を話さないただの猫だったらそんな姿もかわゆいと頬ずりしたくなるが、人語を喋る猫だから助ける気すら湧かないのはなぜだろうとましろは落胆した。


 「ベットをお借りして申し訳ありませんでした」

 ましろは恭しく頭を下げた。 情況がわからない以上、黙っているしかなかった。 凛が食事を共にしている以上敵意はないように思えるが信用はできない。 食事自体に遅効性の毒が含まれていると考慮して絶対口にしないほうがいい。 凛よ、もっと喰え。 むしろ毒よ、入っててくれ。 こいつの苦しがる顔を正直見てみたい。


 「いいんですよ。 疲れていたんだろう。 旅の者よ、まだ休んでいても平気だよ?」


 「いいえ、お気遣いには大変感謝しますが、これ以上ご迷惑をおかけするわけにもいきません」 ましろは凛を含みのある目で睨みつけた。 「それで凛、こちらの方々は?」


 「あんたそんな言葉遣い知っているの?」 凛は戦々恐々とした真っ青な顔でましろを見つめていた。 「どうしよう、超気持ち悪いんですけど。 おえ」

 「人によって態度を変えるんだ」

 「おい」


 「儂はこのあんみつ村の村長、それでこれが妻じゃ」

 「さあ、いつまでも立ってないで、こっちに座って一緒に食べましょう」

 妻という女性がましろを食卓へと誘った。

 ましろは席に座りながら、パンの形が他の物と比べて僅差ないことと、鹿肉はおそらくこの村ヘ着たときの十人の痩けた顔付き工合から貴重であることから毒を混ぜていないと踏んで口に入れることにした。 スープは宗教上の理由でと断り、凛に食べさせた。 どうだ凛、気持ち悪くないか? ならないか?


 「実は先ほどもこの子とお話をしていたのですが、皆さんは昨夜、森で醜悪な小人ゴブリンに襲撃されたのに、それを退治なさったとか?」 スープを啜りながら村長が訊ねた。


 「ああ、ええ」 ましろは凛を横目に覗きながら慎重に頷いた。 「覚えもないのにいきなり現れて驚きました、なんとか撃退できましたが……、よくあることなんですか?」


 「いいえ、それが突然の事なんです」 村長は恐る恐る口を開いた。 「てっきりあなた方が招いたのではと村の者がいうのですが。 失礼ですが一体あなた方は何者なんですか?」


 来い、浮かび上がって来い嘘よ。 嘘言うの得意だろ? 浮かび上がれ俺のサイコパス精神……。


 「私たちは……、遠い他国から亡命してきた駆け出し冒険者です。 といっても、この国で未だ登録できずにいる半端者ですが」


 よし、ナイス俺、ナイスえらい俺。


 「そうですか……身形みなりから察するに、獣使いビーストテイマかなにかですかな?」


 「ええ、よくおわかりですね」 ましろは微笑んだ。

 「まあ無駄に長く生きていますからね」 老人はころころと笑い出し、こほんと空咳を吐くと居住まいを正した。 「失礼しました冒険者の方々。 先ほどの無礼をお許し願いたい」


 「私は席を外させていただきますね」

 村長の奥さんは名無しと凛に一度微笑むと、ましろが入ってきた部屋とは別の扉を開け、中へ消えていった。


 村長は妻が消えたことを確認してからおもむろに口を開いた。

 「——実は、折り入って冒険者のお二方にお願いがございます」


 「なにかのモンスター退治ですか?」 凛が眉根を寄せながら訊ねると、ほんの一瞬目を見開いた村長は案の定こくんと首を動かした。 「昨夜と同じ醜悪な小人ゴブリンですか?」

 「ええ、そうです」 村長は何度も首を振った。


 あとから凛に聞いてみると、王道展開ね、と語った。


 その、経験的眼差しから語られる凛の態度が、彼女の頬を俊敏性のある裏拳ビンタでぶっ飛ばしたくなるほどこの世界に目覚めて初めて腹が煮え繰り返るほど怒りを覚えたが、同時に、ましろは口内の肉を歯で噛み切ることで精一杯自制に努めた。


 よかったな。 俺が、俺で。


 詳しくはわからないが、異世界物語の作品はどこもかしくも馬鹿みたいにゴブリンを出したがる傾向があるそうで、とりあえず出しておこうという立ち位置らしい。

 作成者にはこういった異世界を想像するユニークな発想があるということだ。


 そんな、現実から逃避した夢想世界に今ましろたちはいる。

 

 「それと、見たことのない肌の色をした醜悪な小人ゴブリンを見かけたようです」

 「色?」 スープを飲み干した凛が眉を寄せた?

 この村に着いた当初、カノープスが何気なく言っていた人攫いを思い出した。

 「もしかして、人攫いが関係ありますか?」

 「ありますとも」 老人はましろに訴えかけるような眼差しをした。 「あれはやつらゴブリンの仕業に違いありません。 村の者が何人も……、子供だって……」


 「攫ってどうするんです……?」

 ましろの質問に村長は黙りこくったまま、下唇を噛み締めてじっと見ていた。 すると、すぐ隣の凛が思いっきり足を踏んできた。


 「馬鹿! 不謹慎よ!」

 「え、まさか……」


 「そうです。 餌にされたんです。 あれは……、雑食だ」

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