第二十二話 稚児
あんみつ村の中央に横たわる謎の化物——三つ目の大百足。
ピャンの【弾丸】連続使用によって内部破裂を起こした化物の透明の飛沫がそこかしこに散っていた。
村人の怪我は奇跡的になく、住居の被害のみに収まった。 村人は怯えきった表情で化物と戦ったましろたちを見る。 目が合うと人々は目を伏し、また這うような目で覗き込んでいた。
ましろは少し離れたところで横に倒れている手押し車の方へ足を向けた。 積まれていた物は地面に転がって、布からは重い赤桃色の物体が覗いていた。 ましろはその布を指で捲ると、納得したように頷いていた。
「ましろ」 凛が背後から近づいて布に目を留めた。 「なにそれ?」
「奴らの戦利品」 ましろはそれを肩に持ち上げた。 「やっぱり重たいな」
「あのさ、あの女の人たちが村長の家で話があるって」 凛がその家を目で促すと、金色の髪のサラが緊張した顔付きでぎこちなく頭を下げていた。 「どうする?」
「行こう」 ましろは荷物の位置を微調整しながら答える。 「なにがあったか、俺たちとあの人たちは知る権利があるはずだろうから」
ましろと凛とサラは家へ入ると、苦虫を噛んだような顔付きの村長とピャン、そして〈聖統救済教団—クロノス〉のアスナ、ツバキ、ハイネがすでにおり、三つある席に村長とハイネが座していた。 ましろが入ると、その肩に積んでいた布に包んだ物に目を丸くした。 ましろはそれを一瞥して戸の端の方へぞんざいに投げた。 サラはましろの方へ小刻みに顔を向け、座るよう手で促した。 ちなみにカノープスは普通の鹿に比べて、躯が大きいせいで、一人外で待っている。
「まずは、先ほどは助けてくれてありがとうございました。 ほんと、冗談抜きで死ぬ一歩手前でした」 席に座った開口一番、ましろは〈クロノス〉の四人にお礼を述べると、後ろにいた凛も慌ててお辞儀をした。
「気にするな。 弱き者を救済する——、それが私たちの成すべき当然のことだ」 アスナが手の平を前に出し、ハイネを横目に見る。 「ハイネ、早速で悪いが私はツバキとともに周囲の警戒にあたる。 あの百足が動くことはないと思うが一応念には念を入れておきたいしな。 ——サラと共にここは任せるぞ」
「ええ。 貴女も留意を」 ハイネは首肯をした。
早々に外へ出たアスナとツバキの背中を盗み見ながら、遠近両方の攻撃が可能な魔法を使うハイネがこの室内に留まり、近接格闘メインのアスナとツバキが外の警戒にあたるということは、ハイネ自身がこの場に留まって情況を把握する立場にある、極め付けに四人いるうち一人だけ席に座るところからしてこのチームのリーダーが彼女である、とましろは不意に考えていた。 そして、また別のことを考えると胸許の十字の紋章、そして先ほどのアスナの弱き者を云々からして、宗教関係に従事している女性たちであることが容易に想像できた。
ハイネらクロノスがあんみつ村へ来た経緯の前に、自身を聖統救済教団というこのトリマ国で普及している宗教の修道士であることを伝え、白玉の森で
ましろは自分たちがいる国がトリマという名であることをその時初めて知った。
「本題へ入る前に……、お二人は白玉の森で
「マシロ、途中から狼のモンスターを引き連れてきてたけど、その途中なにも見かけなかったの?」
「いいや」 凛の質問にましろは答えた後、しばし考えこむ。 「なんか気持ち悪い幼虫みたいなのと、片足で歩くでかい鳥みたいなのはいたけど……それ以外は多分見てないなあ。 木——なんだよな、それ? だったらついつい見逃してたかもしれない。 木なんてどこにでもあったからなあ」
「
ハイネの凛とした瞳の鋭さに怯えたましろは、
「村長、彼の話ではあの化物と四人の男を呼んだのはあなたであると話しておりますが、間違ありませんか? それとも、たまたま呼んだ冒険者が化物であり、あんみつ村へ進行していた
「そ、それは……」 村長の渇いた唇が開ききった顔の周りは大量の玉の汗が吹き出し、頬を沿うように流れ落ちた。
「あなたはなにかを知っていますね。 私たちに対して、穏やかでないなにかを隠していますね?」
「いや、その……」 ハイネの容赦のない視線に村長は逃げるように目を泳がせる。
「——稚児の肉」
ましろがぼそっとその言葉を呟くと、村長はおっかなびっくりとした顔でましろにばっと振り向いた。
「俺たちは
「ちょ、ちょっと待ってください」 ハイネが蹶然と席を立った。 「今なんと……、
「いや、俺じゃありません。
「精神系の魔法でしょうか?」 サラは小さな声でハイネに訊ねていた。
「
「どんな方だったんですか?」
「ええっと……、女で……」 ましろは目を泳がせながらピャンを見下ろす。 「俺らとほとんど同じ歳で……、女で……」
「お、女の子!?」 ハイネはまた驚く。 「詳しく、詳しく教えなさい」
「ちょ、ハイネさん!」 サラは慌ててハイネを諌める。 「急にそんな問い詰めては……」
「サラ、あなたもよく平静としていられますね。 もし、もしマシロの言うことが本当だとしたら、その女の子はあの〈
(また変な単語が出てきた……) ましろは嫌気がさしていた。
「いやあ、その、申し訳ないんですが、それ以上のことは俺も知らなくて……」
「そうですか……」 ハイネはあからさまに疲れた表情を浮かべた。 「えっと、それで話を戻しますが、ましろ……」
「ああ、はい。 要約すると
凛とサラ、ハイネの三人はピャンが座布団扱いにしている布に包まれた物に注目した。 ましろは村長は怯えた様子で見つめていた
「ああ、そういえばあったわね」 凛が何度か頷きながら呟いた。
「つまり、あいつら」 ましろは蒼白顔の村長を一瞥した。 「そしてあの布に包まれた物を見た村長の顔色が蒼褪めたところから、村長も稚児のことを既知していたことになります。 そしてあの布の中身を見て……、多分ですけど全てがわかりました。 肉でした」
「肉?」 サラが怪訝そうに首を傾げる。
「——
「村長、あなたは……」 ハイネは胡乱な顔付きで、村長を見つめる。 「あなたはいったいなにを……」
「……どういうこと?」 凛はいまいち把握できていない様子で周囲の者の顔を窺う。 「稚児の肉ってなに?」
「あの肉を」 サラは横目で布の包まれた物を一瞥して村長に問い質す。 「あの肉をどうするつもりだったんですか?」
「そ、それは……」 二人の修道士の強い視線に村長は顔を伏せる。
「怒りませんから……」 ハイネが頷く。
(嘘だ。 ならどうしてそんな殺気立った目で村長を見据えるんでしょうか)
ましろはジト目でハイネを見つめた。
「う、売るつもりでした……」 息も絶え絶えのか細い声で村長は答えた。
「どこへ……?」
「中央都市、スキヤキの外れで……」
「え? あの今すき焼きって——」 ましろはハイネにそっと訊ねるも、彼女の鬼の形相に怯んだ。
「なんてことをっ!!」 ハイネの怒りの感情が部屋一杯に充満した。 「
「売る?
「さあね」 ましろは首を傾げた後、村長の方へ顔を向けた。 「どうしてただの動物ではなくモンスターの肉を?」
「……この村の周辺はね、動物の数よりもモンスターの数が多いんですよ」 哀しい表情の村長は目許だけは親しげな微笑みを浮かべていた。 「私はそれをなんとか利用できないかと考えた時、不意に、昔モンスターの肉を食べた人の話を思い出しました。 その人はとても不味くてヒトが食べれるものではなかったと言っていましたが、もしその問題が取り除けるのだとしたら……、私は村を見るたびそればっかり考えていました」
「そこまでこの村は困っているんですか?」 凛は問うた。
「冒険者の方、この村を見てすでにおわかりでしょうが、この村から出る財源なんてものはほとんどないんです」
あんみつ村だけでなく、小規模の村々は年々困窮の一途を迎えるところばかりであった。 畑の農作物を街へ売った収益は毎年少なく、ひもじい生活を送る日々が続く村の大きな打撃は「税」であった。
農民一人ひとり支払う人頭代、農地の規模によって異なる地代、収穫した一部を教会に支払う十分の一税。 これが毎年毎年、死ぬまで行われる。 因みに農地を持つ親が死亡し、その子息が引き継ぐ際は死亡税というのも支払うので、親は死にたくても死にきれない。 負の連鎖のような生活である。 きちんと納める者などほとんどおらず、領主の農園で納税分無償で働く
「生きていれば幸せなことがある、生きているだけで幸せである。 たしかにそうかもしれません。 ですが、もうわからなくなったんです。 幸せとはなにかを……。 愛はお金では買えません。 しかし、愛だけでは食べていけません。私は色々なものを売り払ってかき集めたお金で、はぐれ冒険者にモンスターの稚児を攫うようお願いしました。 この老いさらばえた躯ではモンスターを倒すことなど自殺行為ですから。 彼らは
「なるほど」
「なるほどじゃないわよ、バカっ!」 凛は妙に納得したましろを睨みつけ罵倒する。 「だけどどうして……、モンスターの肉っていうのは臭くて不味いんですよね? そんなもの、正直売れないんじゃないですか?」
「ええ、仰るとおりです。 ですが、二ヶ月前ある日突然彼が……、彼が現れたんです」
「彼……」 ハイネが眉を顰めた。
二ヶ月ほど前、村長の元へ、ある旅人があんみつ村を訪れたという。
その旅人を貧困に喘ぐ状況であるにも拘わらず、村長は一宿一飯を施した。 旅人もそんな村長に感謝したらしく、お礼にと辺疆の地に伝わるある
「それは……」 ハイネが神妙な顔で村長を見つめる。 「いったいなんなんなんですか?」
「モンスターの……、モンスターの肉の腐敗腐臭を防ぐ保存方法です」 村長はか細い嗄れた声で答えた。
モンスターの肉というのは異臭を放ち、飲み込むのも堪え難いほど不味いらしい。 そんな忌避された肉を、とある薬草と木の実、水、それを肉の重量に合わせた配分量で混ぜ合わせることで、たったそれだけでほぼどんなモンスターの肉でも食肉として扱える、動物よりもモンスターの数が多いこの村にとって、救いともいえる魔法の話であった。
「若い肉体である稚児ならより柔らかいことなお良しと仰っていたので、はぐれ者の冒険者の方々に頼んで巣から離れた稚児たちを数体攫ってもらい——」
「この村でその旅人から教えてもらった方法で処理した、と。 それから一通り終えて村長はその肉をラコヴァに売ろうとした……」 ましろの言葉に皺顔の村長が頷く。
「他に、他に方法はなかったんですか?」 凛が悲嘆な声で村長を見つめた。
「方法もなにも、動物は白玉の森にいます。 モンスターが生息する森にです。 なんとか動物を狩ろうとしましたが成果のない日々が何日も続きました。 この村を見ましたか? 誰か笑っている人がいましたか? 私はもうずっとそんな光景を見ていません。 ずっと夢をみているのかもしれません。 この村は、この村はもう死んだも同然なんです。 やろうとしていることが正しいだなんて爪の先ほども思っていません。 ですが、暗澹たる村の行く末を考えると、もうそんな余裕なんてなかったんです。 お嬢さん、あなたにはわからないかもしれません」 村長は凛に微笑んだ。 「わかってほしくもありません」
「あ……」 凛は開いた口を閉ざし暗然と顔を伏せた。
ハイネは顔に手を当てて黙り込んでいた。 サラも凛も、ただじっと無言のまま目の前のテーブルを見つめているだけだった。
「モンスターの肉を売ることは悪いことなんですか?」 ましろはハイネに訊ねると、鋭い眼光がすぐさま彼を突き刺した。
「なりません。 少なくとも、この国ではそのような非人道的蛮行を固く禁じています」
「なるほど」 ましろはその内容を聴きたかったのだが、それに気付かない人
ではないことはわかっていた。 知ってて素知らぬ顔を決め込んでいるのだから、いま詮索しても薮蛇になることがハイネという人格から容易に想像できた。 ましろは村長に視点を変える。 「ところで、ラコヴァとはどこで?」
「その旅人の方が、もし、その、モンスターの肉を売るのならその方を紹介すると仰っていました。 ですが、どうやらラコヴァという方はその旅人のことをよく存じ上げないそうで、あくまで仕事上の付き合いのように感じられました」
「その旅人の名前は?」 ハイネが疲れた顔で尋ねた。 「名前ぐらい名乗ったんでしょう?」
「えっと、確か」 村長は宙を見上げてから答えた。 「カイムと……」
「カイム……」 ましろは顔を少し伏せながらぼそりと復唱した。 危ないやつだと認識した。
「マシロ、四人の男たちは手の甲に紫色の紋章があったと言いましたね」
「い、言いました」 ましろは怖々とした面持ちでハイネに向って頷く。 どうやらこういった品のある知性ときちっとした真面目な人物は苦手らしい。 「三日月模様の中心に、犬か狼みたいな牙の鋭い動物の顔が彫られていてそれ全部が紫色に輝いていました。 文字も彫られていたけどよく見てませんでした……」
「ハイネさん」
「ええ、おそらくサラの考えどおりかと」 ハイネがこくんと頷く。 「その者たちの正体は〈ノックドッグス〉という集団の一部でしょう」
「〈ノックドッグス〉? なんすかそれ」
ましろはハイネに向って反射的に舎弟語を使う自分に内心驚いた。
「ならず者の冒険者上がりとこちらでは把握しています。 武力を業とする戦闘集団で、表立っては要人を警護することになっていますが、裏では秘匿情報を売ったり、お金のためなら今後予想される人的被害など全く考慮せず非合法な取引活動さえも警護、利益のために虐殺を行う、血も涙もない輩の集りです。 〈ノックドッグス〉にとって、色というのは優劣の等級を意味し、紫は一番下から二番目を表します」 ハイネは最後にましろを見つめた。 「雑魚です」
「はふぅ〜ん」 ましろはハイネの吐き捨てるような科白に背筋をぞわぞわさせ奇声を上げながら小刻みに体を震わせた。
「え、どうしたの?」 まるで汚物を見るような眼差しで凛は驚く。
「いや、わからない。 なんだろう、この気持ち」 ましろは自分の胸に手を当てる。
「あの化物に——ラコヴァにその紋章は見当たりましたか?」
サラが何度もましろを横目で見ながら訊ねる。
「いいや。 見当たらなかったと思う。 絶対、とは言い切れないが」
「こちらでもああいった類いが過去〈ノックドッグス〉にいたという情報は聞き入れていません」 ハイネが引き継ぐ。 「私たちの認識では基本彼らは冒険者上がりの、私たちと同じヒト族で構成された組織と聞きますから。 そもそもラコヴァのような生物——というのでしょうか、見たことがありません」
「質問なんだけど……、なんですけど」 ましろがハイネとサラに向って手を挙げる。 「この件をどうするつもりですか?」
「応援が着き次第、交代して本部へ戻り速やかにこの村を封鎖するよう具申します」
「そ、そんな!」 村長は席を立ちあがりハイネに懇願する。 「この村は、この村の人たちはなんの関係もありません。 私以外誰も知らない。 あくまで私の独断で決めたことなんです。 村の者にはなんの責任もないんです」
「村の長であるあなたがこの禁忌に手を染めたということが問題なのです」 睨みをきかせたハイネが村長に詰め寄る。 「その肉が市場を通して人の手に渡る意味をあなたは理解していない。 その肉に興味を抱いた者がここまで立ち入り、あなたから保存方法を教えられば第二第三と禁忌に手を出す輩が続出するでしょう。 仰るとおり、辛苦を舐めているのはこの村だけではありませんから……。 非道な手段でその知恵を奪おうとするかもしれません。 それにあなたは、よりにもよって……、
「まさか……わたしたちが食べた鹿肉って」 凛がハッと口許を押さえる。
「いいや、それは違います。 あれは正真正銘の鹿肉です。 あなた方を警戒して本物の肉を出したのですから」 村長は慌てて否定した。
「これはあなた個人の問題に収まらないとても重大な問題です。 あなたが潤えば、この村も徐々に潤い始めるでしょう。 それがあなたの望む幸せというものに近づくでしょう。 この村がただ動物の肉だと偽って繁栄を続ければ、それだけ需要と供給が罷り通っていることに帰結します。 そうすれば、いずれそれを不審に思う者は必ず出てくることでしょう。 遅かれ早かれあなたの行いは明るみになり、滅びの道を辿ることでしょう」
「重々承知しております」
「いいえ、あなたは……、あなた方はなにもわかってはいない。 なにもかも!」
「ハイネさん……」 サラは言葉を震わすハイネの腕に手を置いた。
「このトリマ国が、いいえこの〈スー大陸〉全土にいる全ての者たちが不浄に汚されることを私たちは断固として認めるわけにはいきません」 憤怒に駆られるハイネはましろたち一行を射貫くような視線で捉えた。 「あなた方もこのことは一切他言無用でお願い致します。 もしも……、もしもこのことが人々の耳に触れでもしたら、国全体を揺るがすだけでなく、近隣諸国を巻き込む自体に……、わかりましたね!」
「イ、イエス! ボスッ!」 ましろは間を空けずに直立姿勢のきれいな最敬礼をした。
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