第二十三話 安危
あんみつ村の村長は、貧困状態の村を危惧し、ならず者の冒険者上がり集団〈ノックドックス〉に
そこへ〈
そして
疲労のなか、〈ノックドッグス〉を撃退し、巨大な大百足の本性を表したラコヴァとの連戦に苦戦していたところ、聖統救済教団—クロノスのサラ、アスナ、ツバキ、ハイネの加勢により辛くも勝利する。
先述した稚児の肉を売買するという事の顛末を村長が全て吐き、モンスターの肉の保存方法を教えた謎の旅人は自らをカイムと名乗ったという。
●
村長の起こした一件は想像を絶した。
村の存続のためにモンスターの肉を偽り、それをヒトが食べることを予期した上で売買していたのだから……。 ハイネもそれを痛感し、情報系の魔法を使い、外部へ緊急の連絡を取っていた。 具体的には、十センチにも満たない深さの碗に水を注ぎ、両手で碗の外側を包むようにしてから、なにやらぼそぼそ口を動かしていると、水が内側へ内側へと吸い込まれたその時には、水面に見ず知らずの女性が鮮明に写り込んでいた。 ハイネは水面越しの別の女性にモンスターの肉云々の内容を伏せたあくまで緊急事態であることを伝えると、相手は無言で頷いた。 しばらく経って一度だけ波紋が広がると、相手の女性は搔き消え、元の透けた水に戻った。
「面白い魔法ですね。 そういった魔法を習う場合、まずなにから始めれば良いんですか?」
ハイネは薄い目でましろを一瞥すると、心底めんどくさそうに溜め息をついた。
「始めるもなにも、まず素質の問題があります。 素質がなければいくら修練を磨いてところで徒労に終わってしまいますし、もしも素質があったとしてもきちんとした師の許で鍛錬を重ねなければ、基礎もまともに習得できない芽のままの状態で終わる場合があります」
「素質の有無はどうすればわかるんですか?」
「いくつかあります。 修養を極めた魔導士などは直接肌で感じると聞いたことがあります。 私たち〈聖統救済教団〉の者にも数名存在しますが、滅多に人目に出ることがないので、手っ取り早いのが濃度の高い葡萄酒をこの椀と同じぐらいの深さまで充たし、五本指をしばらくの間入れていればわかります。 素質がある者は、気泡が爪の間から浮き出て、素質のない者はそのままの状態です。 素質のある者の度合いもその際判明できますが……。 村長、葡萄酒はございますね?」
「え——?」
「誤摩化そうとしても無駄ですよ。 私のアルコールを嗅ぎ分ける鼻は神が与えたもうた才能と〈聖統救済教団〉で轟いているほどですから」
(あれ、真面目なのかな? それとも真面目にぼけてるのかな?)
「あ、はい……、ただいま——」
村長はそういうと奥の部屋から布に包まれたガラス瓶を取り出し、恭しくハイネに手渡した。
ハイネは水の入った椀を調理場の鍋の中に放り捨て、空いた椀に葡萄酒を注ぎ込んだ。
「さあ、指を入れてご覧なさい」
ましろはハイネに言われたとおり、利き手の五本指をそっと入れてみた。
それから数秒経つと……。
「……なにもないんだけど」
「まあ残念ながら、あなたにその素質はなかった、ということでしょうね」 そういってハイネがおもむろに自分の人差し指を第二関節辺りまで浸けると、不意にぷくぷく気泡が浮き出した。 「本来だと、こうなります」
「すごいな……。 しかし、そっかあ……。 まあできないとは思っていたけど。 ……凛も試すか?」
「ああ、いいわ、別に」 凛はぞんざいに手を振ってそれを辞した。 「初めからわたしたちにはできないって言われてたし」
「——言われてたって、どなたにですか?」
「えっ、あっ、それは……」 凛はあからさまに動揺した顔で目を泳がせましろに救いの眼差しを向けてきた。 「ま、ましろに!」
「そういえば、あなた方はどこからいらっしゃたのですか?」 ハイネはすっと鋭い眼差しでましろを上目遣いに見据える。 「失礼ながらその服装、その顔立ちも見慣れぬものばかりですが」
(くそ凛余計な事抜かしやがって……。 しかし、このままこの人たちに本当のことを話していいものかどうか……)
この世界のことをまったくわからないことはサラはともかくハイネには薄々感づかれていたようだし、ましろ自身、モンスターの肉を食べてはいけないという常識を知らないことを口走ってしまった。 この異世界ではヒト族だけでなく、数多くの種族が混在化した社会が形成されている。 それ故もしかしたら自分たちが常識的に考えていることがこの世界では通用しない、例外でないと考えてしまったのだ。 ここ一帯を〈トリマ国〉と呼ぶことさえついさっきさりげなーく判明した工合なのだから、ましろたちはこの世界のことをなにひとつ理解していないことはやはり今後の行動に支障を来す恐れがある……、とは言ったものの、ましろの頭は、凛曰く、小学3年生初期レベルも怪しいらしく、向上心のかけらもないため、国勢状況を知るなんて死んでも嫌だと考えていた。
〈聖統救済教団〉という宗教組織がどういった理念、思想を掲げようと、「宗教」である以上、商業利益を目的とした事業団体であることは間違いない。 それは歴史が証明している。
この「宗教」というのは近い存在でいうところの〈
「宗教」はもう一つ劣悪であり、異端を決して見過ごさない。 この時代がどの程度発展しているかは不明だが、ハイネやアスナの厳格さを鑑みるにまず間違いなくこの規律は崩壊していないだろう。
特にこの二人に対して下手なことを言えない、否、逆に正直なところを言ったら、おそらく精神病であると疑われる。 この世界の住人ではないなどとは終ぞ言えるわけなどない。
「不毛だな……」
「——はい? なにかおっしゃいましたか?」 ハイネが小首を傾げて眉根を顰める。
「愛しています。 ああ、いいえ噛みました。 ええっと、実は、俺たち揃ってそのー、き、記憶喪失でして……」
(ああ、なんて嘘にもならないことを……)
「記憶喪失……、それはなんとも大変ですね……」 サラは眉根を寄せて心痛の表情を浮かべた。 「ハイネさん、マシロさんを〈聖統救済教団〉の施設で保護してはいかがでしょうか……」
(しまった! 早くも病棟送りにされる!)
「あれ? わたしは?」 凛は自分を指差した。
「あなたは一人でも生きていけるのでよろしいのでは?」
サラは優然とした顔と口調とは裏腹に凛に冷たい科白を放つ。
「ちょっと、なんでこいつだけ特別扱いするのよ?」 凛はましろの頬を指でずぶずぶ指しながら抗議する。
「この方は見ず知らずの私をあの怪物から助けて下さった命の恩人です。 その恩人に対しそれなりの誠意を以て遇するのは修道士以前に人として当然のことです」
「本当に誠意だけですか?」 ハイネは続いて後輩の修道士であるサラに薄い目線をくれる。 しかし、ましろと違うのはその視線に視線を共にくぐり抜けた者同士としての信頼の情が含まれている。 「そこに行為や下心はないと誓えるのですか、サラ?」
「ななな、なにを仰るんですかハイネたん!」
「ハイネたんの『たん』はこの際聞かなかったことにするとして……。 サラ、そこの
「よろしいんですか! マシロさんと一緒に行っても!」 サラは嬉々とした笑みを浮かべて両手を組み合わせる。
「確認ですが野蛮人っていうのは俺のことなんですかね?」
「あら?」 ハイネは嫣然と微笑して小首をまた傾げる。 「他に誰が?」
「あっ、なんだろ、肌に合ってきた」
「おいっ、戻ってこいっ」 凛は冷たい目線で突っ込む。
「ちなみに苦淒粉というのは知性の低いモンスターを数時間敬遠させることができる特殊な粉薬です。 まあ、問題が一つありまして……」
「壮絶に臭いんですね?」
「それはもう……」 瞼を閉じたハイネは被虐の快楽に浸った艶笑を口許に浮かべた。 「もう想像を絶するほど、もう」
●
村長の家を出ると、村人の数が先ほどよりも減ったように見受けられた。
「きっとアスナさんとツバキが村人に必要最低限住居の中にいるよう呼びかけたのでしょう」 サラはそんなましろの様子を見て答えた。
「ところでハイネさんはあれか、いつもあんなどぎつい人なの?」 ましろは歩きながらサラに訊ねた。
「どぎつい、という言葉の意味を私は残念ながら存じ上げないのですが……。 でも、あんな楽しそうな顔のハイネさん、初めて見ました。 ハイネさんは私たちの組織の中でも厳しい方なので、なんと言いましょう……。 違いの差に驚いた半面、なんだか嬉しい気分になります。 マシロさんはすごいです。 あのハイネさんを笑顔にさせるなんて」 サラは少女のように微笑んだ。 事実、彼女はまだ少女だ。
ましろや凛たちが子供じみた顔と背格好なだけで、おそらく、サラとはそう歳が離れていないはず。 気さくで淑やかで大人びようとしている、ましろに映る修道士サラという人物像はそう映り込んで見えた。
「んー、それはなんだか随分勘違いしているような気がするけど……、まあいいか。 ところで、あんみつ村は今後どうなる?」
「——とおっしゃいますと?」
「村の人たちはこのままここに住めるのかってこと」
「ああ、ええ。 おそらく、こちらの助勢でこの村の次期村長を選任させていくのだろうと思います」
「じゃあ村長はどうなる?」
「その質問に答える前に……、あの村長とは親しいんですか?」
「いいや。 でも同情はするよ。 俺と凛たちを
サラはころころと笑ってから、ゆっくりと真面目な表情に戻った。
「報酬は近い将来、必ずお支払い致します。 それと、村長の処遇ですが……、知らない方が懸命かと思われます」
ましろはサラをしばらく見つめていると、悟ったかのように無言で何度か頷き、まあいいやと呟いた。
「——ところで、そちらの方に乗せている可愛らしい子猫ちゃんはマシロさんの使役した
「え——」 サラの言う
「多分ですが」 サラは袋から小さな茶色い筒を取りだした。 「この粉は猫ちゃんにはかなり刺激が強いかと思われます」
「ふん、今さっき生まれたばかりの小娘に儂のなにがわかるというんじゃ」
「ね、猫ちゃんが喋った!」 サラは喫驚して後退り、胸に手をあてていた。 「は、初めて見ました……」
「ああそうなんですよ! うちの猫、喋るんですよ! ええはい!」
「へえー。 すごいですねえ」 サラは胸にあててた手を口にあて、関心めいた声をあげる。 「あ、それでどうしましょう。 猫ちゃんにはここで待ってもらいますか? 私とマシロさんの二人だけなら問題ないかと思われますが……」
「いまさらこんなところで置いてけぼりにされても困るしの、そんな人間の作った粉程度で儂は窮されんよ」
「はあ……。 それなら構いませんが……」
ましろとサラ、ピャンの三人は、白玉の森に入ってから彼女の持つ苦凄粉を振りかけた。
●
「ぬううぅぅぅぅぅ……。 じ、死ぬううぅぅぅぅ……」
ピャンは妙なところで動物の特性が働いて、この強烈な刺激臭にもんどりをうってから土の地面に鼻をもぎ取りそうな勢いで一生懸命擦り付けていた。
「これは……うっ、中々うっ……、強烈だな、おおえっ」
ましろは鼻を押さえているのにも関わらず、ずいずい鼻腔に入り込んでくる粉に辟易とし、半ば嗚咽した。
「ごめんなさい。 マスクが余分にあったら……」 サラは申し訳なさそうな顔で散布用の防塵マスクを口許に装着してから耳許に掛けていた。
「
「
「
三人は刺激臭を散布した状態で森の奥へ奥へ進んでいくと、捻り曲がった鼻の奥から別の異臭が混じり込んできた頃には、もう鼻の器官は死に瀕し、麻痺に慣れてきた。
そこは数時間前に
「なるほど。 マシロさんの仰る場所というのがここなんですね」 サラは一通り屍山血河の惨状を覗き込んでから、あっと声を上げ、ポケットから皮の袋を取り出した。 「スキヤキのギルドに
「
といいつつ三十分も掛からずに切り終えた右耳を皮の袋に入れたところで、ピャンがましろに声をかけた。
「その袋を儂の口に放り込め」
「は? なに言ってるの?」 ましろは真顔で答える。 「金をどぶに捨てろと?」
「違う。 そのままでは邪魔だから儂の口に入れろと言っているんじゃ。 これでも儂の口は小娘のあの空間と同じく出し入れが可能なんじゃ」
「なんて便利などぶなんだ」
「誰がどぶじゃボケ」
ましろは形の残った68体の
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