第二十八話 夕日


 換金所の待ち時間の間、ましろたちは街を逍遥としていた。


 先ほどの露天商が並ぶ通りに戻ったましろたちは焼き串を頬張ったり、てらてら艶のあるパンを食べたり、観光を満喫していた。


 王都—スキヤキは大きくいって内郭と外郭に分かれており、国民だけでなく、ましろたちのような外部の人間でも自由に行動できる区画を外郭と呼ばれ、中央広場と呼ばれる区画には毎日露店が並び、商業が振興している。 音楽隊も加わると、そこはさながら祭のような活気に溢れる。 住民の住む家も冒険者組合のように立派な造りの建物は主に中央広場に密集しており、中心街から離れるほど侘しい外観の住居もちらほら存在している。


 ましろたちが出会った〈聖統救済教団〉もこの外郭内に大きな教会を構えて寝食を共にしている。 また、ある一画が一般に立ち入り禁止区域と指定されており、そこはあんみつ村以上に貧しい生活をした住民が暮らしている者もいるという。 街に長く住む者でさえ、外郭内を全て把握できないほど広大であり複雑規模を誇っている。


 中央にある内郭は石を土台にした丘上城塞であり、水堀を越えた先の跳ね橋、落とし扉、殺人孔のトラップを抜けた向こう側にある。

 別名堅城壁とも呼ばれる強固な外壁の向こう側とトウイ城の間に広場があり、主に騎士たちの訓練兼馬場として利用されている。 城内部は王族が住まう王宮と来賓向けの宮殿があるほか、それを囲う四つの城塔の一画には来賓貴族の部屋、一流の執事や給仕の部屋があり、また別の一画には王や貴族の直属兵の駐屯所以外に主に国の政治的役割を担う役人の部屋のほか、宝物塔に貴重な資料文献、国宝級の品々が保管されていたりと国に関する急所的場所とされていた。


 ましろたちは外郭の外壁、聖統救済教団の次に大きい庁舎の屋上に得意の身体能力を駆使して、外から登って王都スキヤキの全貌を夕日を背景に静かに望んでいた。


 地上では人数がいくらか減っているようすだったが、露店の賑わいようはむしろ増すばかりであった。


 「修学旅行で海外に来たみたいだね」

 「そうだな。 まさに異邦人だな」 そんな記憶のないましろは凛のようすを横目で窺った。 夕日に照らされた凛は少し翳って、それが哀しそうな表情を一層引き立てているようであった。 「どうかしたのか、凛」

 「え?」 凛はましろの方へ顔を向けた。 翳りが強くなり、もうその表情は窺えない。 「なにが?」

 「いや……」 ましろは夕日を見つめた。 「この世界へ来て、一週間経ったけど、平気か?」

 「なに、気持ち悪い」 凛の笑った声が聞こえる。 「平気、か……」


 二人はまた黙って夕日を眺めていた。 ましろにとって初めて綺麗と感じられた瞬間だった。 ピャンは屋上の隅で眠り、カノープスは庁舎の下で休んでいる。


 「あの時」 ましろは夕日を見ながら話し出した。 「麻衣子を殺したこと、後悔してないか?」

 「もういいわよ」 凛はじっと見つめるましろの視線に気付いて目を合わせた。  「……なによ」

 「つい最近まで学生してたヤツがいきなり殺し合いしてくださいって……。 それを、その学生のお前に俺は同じ学生を始末するよう強要した。 冷静に考えれば、ヒトが絶対に踏み出しちゃ行けない一歩を、俺が背中から押してしまったって思って。 少し……」

 「後悔——?」

 「いや、あんまり」 ましろは感心なさげに首を振った。 「勢いでやらせたけど、勢いじゃなきゃできないと思った。 ——ヒトを、殺すの」

 「もういいよ謝んなくて」

 「誰も謝っちゃいないよ」

 「でも、倒したのは事実じゃない?」 遠くを見つめる凛の表情はどこか物悲しく、それでいて達観としていて、あまりにも未熟で、そして空虚の人形だった 「この世界から抜け出すには……、仕方ないことじゃない? それにあのままでもあの女は森の狂狼フォレストウルフに食べられてただろうし。 こんなこと偽善みたいなようだけど、気絶したまま天に召されて彼女も苦しまずに済んだだろうし。 ね、そうでしょう?」


 ましろは返す言葉が見つからなくて黙り込んでしまう。


 「……ねえ、言ってよ。 あの時みたいに、はっきりと……。 やるしかないってさ」 凛は顔を伏した。 「じゃなきゃ……、じゃなきゃ堪えられないよ、こんな神も仏もない地獄……。 倒す、じゃなきゃ生き残れない。 そんなのわかってるけどこんなの何度も続けられないよ。 あと何人ころ——倒さなきゃいけないの……」


 「それでも……、やるしかないんだよ」 ましろは凛を見ずに沈むかけの夕日を見つめた。 「お前のような人間もいれば、麻衣子のような一線越えた人間もいる。 お前が相手に加減をすれば、相手はその隙を狙ってお前を躊躇なく倒すかもしれない。 本当に、残酷で馬鹿みたいなルールに縛られたこの世界で俺たちは戦わなくちゃいけないんだ。 生きるために、生き抜くために、死なないために、殺されないために。 これから先、苦しんで苦しんで、もがき続けてでもお前は元の世界に帰るんだよ。 じゃなきゃお前のそれまでの行いが無駄になるだろうから」


 「麻衣子……、あの子だって生きるために必死だったのかもしれない。 それなのに、それなのにわたしは……」


 「凛。 それは皆同じだ。 俺たちだって同じなんだ。 あいつが必死だったように、俺たちだって生きるために死なないために必死に戦ったんだ。 やらなきゃやられていた。 あの時倒さなくても、またいつ襲いかかるかもしれない。 それに森の狂狼フォレストウルフを連れ立った俺が言うのもなんだけど、あの状況じゃあすでにあの女を助けるのは難しかった」


 「そうかもしれない。 そうかもしれないけどましろ、わたしはひどい女なんだよ。 麻衣子を殺すことに躊躇ったのに、醜悪な小人ゴブリンやノックドックスの男を斬るときには、なんとも思わなかった。 同じ日本人だからかな? 同じ性別だからかな? 同じ境遇でこの世界に飛ばされたからかな?」


 「ヒトを殺すことと動物を殺すのとは違う。 麻衣子に躊躇いを覚えたのは初めてだったからだ。 醜悪な小人ゴブリンをやらなきゃ俺たちがやられてたし、その後あんみつ村の住人が襲われていただろうし、〈ノックドックス〉を倒さなかったらやっぱり俺たちがやられていた。 全部俺たちで選んだ結果の答えなんだよ、凛。 なんども言うがやらなきゃやられていたんだ。 憐憫の情を抱くのは悪いことではないけれど、だからといって相手も情の深い人間であったとは限らない。 このまま腐っているようじゃ、また新たな〈異邦人ストレンジャー〉が襲ってきた場合、太刀打ちできなくなるぞ」


 「……それもそうね」 凛は濡れた目元を袖で拭った。 「そうよね。 あんたは強いからそう言える」


 「強くはない。 でも俺には記憶がないから今のお前よりかはマシなだけ、その分考え方も変わる」


 「……割り切るしかないんだよね。 生きることって、なにかを妥協しなくちゃいけないんだよね。 妥協して妥協して、ずっと妥協していって残り残った一本の道が、それがその人の生きた証なんだよね。 生きるってこんなに苦しいものなのかな?」


 (選ぶということは、妥協するということ……)

 「長生きしてから言えよ、十代」


 「あんたもだろ、十代」


 二人は笑った。 乾いた、愛想笑いに近い、同情心の寄り添いである。


 「……今はまだ、この状況に、この環境に慣れないせいで大変なことがあるかもしれない。 不安定で辛いことがあるかもしれない。 あー俺今からキモいこと言うぞ。 ……でもだからこそ、少しでも妥協しない最善の道筋を俺たちは探し出さなきゃいけないんだと思う。 辛いからこそ、立ち上がるんだ」


 「馬鹿な癖して前向きなんだね、あんた。 そして本当にキモい」


 「馬鹿だから前向きなんだ。 先のわからない向こう見ずだから、先の見えない無鉄砲だから前向きなんだ。 この先なにがあるかわからないなんて、恐いもの見たさで先が気になるだろう?」


 「ほんと、呆れた……。 まぁでも、あんたがいてくれなかったらきっとわたしはこの夕日を見れなかったし、あんたがいるからこうやって気持ちが塞がらずに済んだ。 そこだけは感謝してあげる」


 「喜べ凛、これから先、なにが起こるかわからないぞ」

 「素直に喜べなーい」

 「辛くなったら時々励ましてやる」

 「時々かよ」

 「落ち込んだときはなにも言わないで近くで突っ立ってやる」

 「いや、励ましなさいよ」

 「哀しくなったら、寝てるピャンの毛色をペンキで全部真っ白にしてやるよ」

 「なにそれ……。 ちょっと見たいかも」

 「怒ったときは俺にケツキックして構わない。 俺は男だからケツが四つに割れても淡々と生きていける」

 「言ったなぁ? 後悔すんなよー」

 「助けてほしいときは全力で助けてやる」

 「え……?」

 「俺が全部引き受けてやる」

 「い……」 凛の鼻をすする音が聞こえる。 「言ったなあー?」

 「もうお前は〈異邦人ストレンジャー〉を殺すな。 後は俺が全部やってやる」

 「それは……。 それは……」 凛は手で目許を拭っていた。 「それはだめだよ、ましろっ」 

 「同盟を組んだんだろ。 半分背負うなんてカッコイイことは言わないよ。 寧ろいろいろ迷惑かける気しかしないから。 だからそれ以外の一番辛いことは俺がやってやる。 一番哀しいことも俺がやってやる。 一番苦しいことも俺がやってやる。 凛に迷惑かける以外全部俺が背負ってやる。 だから笑えよ凛。 お前が笑わなきゃ締まりが着かない」 ましろは凛を見つめた。 「これからの戦い。 〈異邦人ストレンジャー〉以外との戦闘が起こりうる場面はきっっとどこにでもあると思う。 その時は自分の身を守るために戦え。 もう無理に殺さなくたっていいんだ。 一歩踏みしめた。 その覚悟だけでもう充分だよ。 あとは全部俺に任せろ。 〈異邦人ストレンジャー〉は全部俺が屠ってやる」

 「ましろ……」 凛は鼻をすすり、制服の袖で涙を拭いてましろににじり寄った。 「ふざけんな、調子のんな、何様だ。 なにもかも勝手に自分で決めて勝手に自分で背負い込もうとして、なに自分勝手に恰好付けてるんだよ!」 凛はましろの腹を殴った。

 「なんとでも言えって」 ましろは微笑む。

 「あんたに背中を押されたけど、覚悟を決めたのはわたしの意思だ。 わたしが選んだ道だ! 麻衣子を屠ったのは紛れもないわたし自身の意思なんだ! わたしたちは同盟を組んだんでしょう? なら半分背負い込まなきゃだめ! 一人で苦しむんじゃなくて片方が苦しんだらもう片方が助けてあげて! 一人で悲しむんじゃなくて片方が悲しんだらもう片方が励ましてあげて! 一人で怒るんじゃなくて片方が怒ったらもう片方が笑わせてあげて! 一人だけで背負ったらずっと心に辛い気持ちが残ったままだよ!」 凛はましろを何度も殴った。 八つ当たりのように、自分への当てつけのように、やるせない自分の哀しさ、情けなさ、弱さをぶつけるように何度も何度も何度も殴った。 「わたしたちは同盟を組んだんでしょう? だったらわたしを励ましてよ! わたしを助けてよ!」


 充血した目許を滲ませながら、凛はましろの腹を何度も殴った。 ましろは立ち尽くしたまま凛の苦しみを受ける。


 ましろは凛の悲しみを何度も受ける。


 ましろは凛の怒りを何度も受ける。


 ましろは凛の出口のない気持ちを受けとめる。


 「なんとか言ってよっ! なんとか……、なんとか言えよっ! 四月一日わたぬきましろ!!」


 悲しみ泣け叫ぶ凛の震える拳をましろは手で受け止めた。 その手を握り、前へ引き寄せ肩を震わす少女を抱きしめた。


 「……なに、これ……」

 「いや、えっと……。 もう腹を殴られないように……、じゃなくて」 ましろはすぐ傍で聞こえる凛の泣きじゃくった声と温かい躯に思わず顔を逸らす。 「半分背負い込もうと、しました」


 凛の鼻で笑う音が聞こえた。

 「なにそれ……。 このヘンタイが」

 「……悪かったな。 こんな同盟、生まれて初めてだからな」

 「へえ。 奇遇だね。 実はわたしもそうなんだ」

 「お互いこんな同盟、最初で最後にしたいもんだな」

 「ええ。 そうね、こんな同盟これっきりにしてほしいわ」

 「凛、先の見えない、先のわからないこの世界で、それでも俺たちは生き残ろう。 俺がお前を守ってやる」

 「ふっ、さっきもそんなカッコつけた科白言ったわね。 調子に乗るんじゃないわよ」

 「女の前でカッコつけなきゃ、男はいったいどこでカッコつけるんだよ」

 「はいはい。 言ってろ。 ……あんたがわたしを守るなら、わたしがあんたを守ってあげる。 だってわたしたち、同盟を組んだんだもの。 そうでしょ、ましろ——?」


 音楽家たちの笛の音が、地上で鳴り響く。 人と人が和やかな空気のなかで笑いあう。 太陽に別れを告げる、その時を。


 夕日に沈む屋上では黒い猫が目を覚ますまで長い影はしばらくひとつに重なったままだった。

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