第二十七話 王都
およそ四日かかって中央都市〈王都—スキヤキ〉へ辿り着いたましろ一行。
「やっと着いた」 とましろ。
目的地へ着いた達成感に浸るましろと、反対に疲労しきった凛の第一声が重なった。
ぐるりと陸続きに伸びる灰色の煉瓦を積み立てて築造された市門は聳え立つ牢固な鎧と風格を漂わせ、見るものに壮大で厳粛な印象を抱かせた。
左右に開かれた鉄製の重厚な門はアーチ状に造られ大小存在した。 大きな方は馬や馬車のため、小さな方は規模の少ないそれ以外の者が利用し、両端には直立姿勢の半甲冑の鎧を着た槍の柄を地面に立てる兵士が二名おり、少し先にいるもう何人かが都市へ入る者の検閲をしていた。 門の上方の胸壁と数十メートル上方に付属した円筒形の側防城塔には、武器は違えど同様の外見をした城兵が幾人見受けられた。
「さすがというべきか、当然というべきか、やはり整っているのう、一応は」 胸壁に立つ警備兵を一瞥したピャンはましろの肩の上で漫然とした態度で呟いた。
ましろ特製の武器を造ると豪語してからというものピャンの口数は少なくなり、動くことも極端に減った。 進行状況をましろが訊ねても、「ぼちぼちじゃな」の一点張りで、具体的な完成期日も分からずじまいであった。
検閲に際し、銅貨三枚を支払う凛に驚いたましろであったが、凛は素知らぬ顔で城門をくぐり抜け、都市内へ歩を進めていった。
●
「驚いたな、いつのまにお金なんか持ってたんだ。 それもあれか? あの膜の中で光の
四人は街の住人から安価な食事処を訊いて、ひと気のない古びた小さな建物の中でご飯を食べていた。 鎧戸を全開にしているのに店内は薄暗く脂っこい臭いが肌に密着するように充満していた。
床は食べかすや赤い浸み——葡萄酒と願いたい——がこびり付き、八つのテーブルにはそれに見合った客が席に着いていた。 そしてその中には当然ましろたちも含まれている。
店の者はがたいのいい長身の禿頭で、染みのついた半袖の衣類から浮き上がるほどの胸板が張っている。 目付きは鋭くましろたちを一瞥しただけで硬貨数えに戻っていた。 他のテーブルにはましろと凛が頼んだ食べ物以外にエールと呼ばれる安価な麦芽酒が入ったグラスが並び、独特のアルコール臭が漂っていた。 客層はましろたちよりもずっと上の者ばかりで、皆体格やら身につけている物、腰に佩いた鉄製の武器から、それがましろたちと同じ冒険者であることは明確であった。 過半数が、戦いに飢えた凶刃めいた目を宿し、値踏みするような、嘲笑するような視線を向けていた。
「いいえ。 これはクロノスのツバキさんがこっそりくれたの。
「ふーん。 それよりどうしてツバキさんが?」
「さあ? おかしな人だと思ったけど、案外いい人だったのね」
「おかしなヤツというのは、常人と比べて大概善人なんじゃよ」 テーブル中央で堂々と丸く寝転がるピャンが目を伏したまま呟いた。 「ただ常人とそうでない者のなにが違うというと、そうじゃの……、常人にはある振り幅みたいなものがそ奴らにはないんじゃ。 だから越えてはならない一線や抑えなければいけない感情、控えるべき予測的行動の制禦が出来てると本人は思っていても実際できておらず、それが結果的におかしなヤツとして扱われるんじゃ」
「誰も聞いてねえよ」 とましろはピャンの言を袈裟懸け。
「なになに? ピャン、しばらくぶりに偉ぶっちゃって。 あんみつ村を出てからしばらく静かだと思ってたら急に元気になって。 お腹空いてたんなら支給されたビスケット食べれば良かったのに」
「儂は小食なんじゃよ」 ピャンは気怠そうに吐いた。 「大体、あの黄色いビスケット、よく喰えたのう小娘。 あんな味の無いもの喰ってて虚しいと思わんのか?」
「生きるためならしのごの言ってられないのよ。 というか、ましろもピャンもなんでそんなに小食なのかなあ、力でなくても知らないよ?」 凛の食事の手は止まらない。 「で結局なにが言いたかったのよ、黒猫」
「なにも。 ただまあ、おかしなヤツにも色々あるが……、そのおかしなヤツがよりにもよって宗教家というのが少々気を留めるというか。 お前たち、ツバキだけではなく、クロノス延いては組織に属した者に接触したときは最低限注意しておけ。 組織の一人を敵に回すのは組織そのものを敵に回すといっても過言ではないんじゃないからの。 事、今の時点では防衛に徹してほしいのが心情じゃ」
「了〜解。 それより……」 ましろは凛の隣で半透明化しているカノープスが気になって仕方がなかった。 「いったい全体どうしたんだよお前」
「わからないが……」 カノープスは自分の身体を見回そうと首を捻ると猛々しい角が凛の顎をすり抜けた。 「突然こうなったとしか言いようがない」
「まあ、鹿が店にいたら目立つしな。 俺らとしては丁度いいよ。 その半透明はいつでも解けるのか?」
「どうだろうな。 私もわからない」
ましろはカノープスの頭に触れようと手を伸ばしたが、先ほどの凛の顎をすり抜けたように、手は白鹿の頭を素通りし、なんの感触も覚えなかった。
「都市に入るまでお前のことすっかり忘れてたからな。 いきなり消えててびっくりしたよ」
「私には消えた感覚がなかったんだ。 ただ、警備の者が私を一瞥もしないのはふと妙に思っていたが……、まさか半透明になっていたとは」
「これはあれかな? ゲームでいうセーブポイント的場所での戦闘ができない、みたいな」 凛はテーブルに肘をついて掌に顎をのせカノープスを見つめる。 「たとえばここで【
「いいや」 カノープスは首を振る。 「固有スキルは全く使える気がしないが——」
「おい——」
ましろたちの席の後ろから低いだみ声が聞こえた。
「今、【索敵】でお前の背後から男が近づいてきた」
「遅いんですけど」 ましろはカノープスを睨んでからテーブルの上で寝転がるピャンを見つめた。 「でもカノープスが透明化するんなら、なんでピャンも透明化しないんだろう……」
「ふにゃ?」 とピャン。
「ふにゃ、じゃねえよ。 カワイコぶんな、グーパンするぞ」 とましろ。
「儂は今スリープモード的状態なんじゃがのう……」 ピャンは気怠そうに欠伸をしながら足を掻く。 「それは、あー、あれじゃあれ。 あのー、そう見てくれじゃよ見てくれ」
「見てくれって?」 凛がさらに問う。
「あー、ほれ、鹿がこの街におったら人の目につくじゃろう?」
「さっき馬が通ってたけど——」 凛は即答する。
「——黙れ」 ピャンは猫の手も借りたいほど険しい顔付きで数秒の間左の彼方を見上げていた。「——しかし、こんなチャーミングで鞠のような小さい儂みたいな猫がいたところで、同じ動物でも人の目につく意味が違う。 危険も違和感もない。 だから儂にはカノープスのように透明化する必要がない。 ただし、儂もカノープス同様能力が扱えん」
「一理あるようでないような」 ましろは黒猫を訝しむ。
「——おいっ!!」 とだみ声。
ましろは男の方へ面倒くさそうに首を曲げた。
「なんすか」
店の者ほどではないが、分厚い胸板をした橙色の長髪を後ろに束ねた背の高い男がましろの背後で腕を組んで立っていた。 黒い半袖に灰色のズボンを履いた男の腕は深い切り傷があり、日焼けした肌のなかでそこだけ白くなっていた。
「お前に用があんじゃあねえ。 ——そこのお嬢さん、珍しい服着てんじゃねえか」 だみ声の男は下歯をむき出しにしていやらしい笑みを浮かべながら凛の制服を見下ろしていた。 「どこの国から来たんだ?」
いつのまにか店内の近くにいた客たちは皆男のような下卑た顔を浮かべたり、興味本位で覗き込んでいたりしていた。 先ほどのがたいの良い禿頭は困った顔を浮かべて腕を組んだままカウンターから動く気配がなかった。
「ニホンだよ」
ましろが答えると、キッと鋭い目つきが返ってきた。
「てめえに訊いてんじゃねえよ! ニホンだあ? どこだそれ?」
「やっぱり知らないか……」
だみ声がましろの肩を後ろから力強く掴み顔を近づけた。
「てめえ、誰が喋っていいっつった?」
「うわ、カノープス。 見て見て。 王道の展開だよ、これ」 凛はだみ声に指を指しながら驚きと興奮を浮かべている。 「一番下らない見飽きた展開ベスト3がここにいた」
「てめえも……、なめてんじゃねえぞっ!」
だみ声の怒りの籠もった右からの強打をましろは掴まれた肩とは反対の左手でばしんと受け止めた。
「ねえ、なにこの昭和漫画」 そう言いながら凛は手を挙げてパン注文した。
ましろは男の握られた人差し指の隙間に親指を差し込んで手前に引き、抜き手になった男の四本指を握りつぶすと、滑稽な音が談笑まじりの店内にメゾフォルテを打った。
男は苦痛の表情を浮かべ、汚い歯茎が口からはみ出ながら言葉にならないかわいい高い音を奏でた。 自分の根っこのような手を押さえ、床に尻餅を着けたかと思えば、もんどりを打っていた。
その途端、一つ離れた席にいた三名の男たちが一斉に立ち上がって、ましろたちを睨みつけた。
「あんたなにしてんのよ……」 凛は呆れた顔で身じろぎ一つとらず溜め息をついた。
(……力は残ったまま、か)
「そこのお仲間さん」 ましろは立ち上がっている男たちに床に半透明の汁を垂らす男を指差した。 「早いとこ治療した方がいいよ。 アイテムか……、ああそうだ、回復魔法とか」
もし所持していたら強奪して自分たちで検証してみようと、ましろは考えた。
別の仲間が負傷した男の許に片膝をついた。
「折れてる……」 根っこの男は泣きながら掠れた声で仲間に訴えた。 「ちくしょう……、ふざけやがって……」
「てめえ」 だみ声男の仲間らしき軽装な身形の男が一歩進んだ。 「……んなもんで直るわけねえだろっ! なんだよ、回復魔法って、馬鹿にしてんのか!」
「いや、馬鹿にしてないけど……。 アイテム持ってないの?」
「折れた骨を直すアイテムなんか俺らが持ってるわけねえだろう」 少し離れた席で似たような格好をした中年の男性が笑いながら割って入った。 完全な観客だ。「それともあれか? お前たちがくれんのかって」
知らない男たちがゲラゲラ笑った。
指を潰された程度では彼らの日常位変化はないようだ。
「ふざけてんのか?」 仲間らしき男の一人はまた一歩進んで腰に佩いた短剣の柄に手をあてた。
「あ、ああいけないんだあ!」 ましろは禿頭を見た。 「すみませーん、この人店で暴れようとしてますよー」
「あんたたちが勝手に騒いで勝手に暴れただけだろう」 奥にいた禿頭が顎の仰角を上げた姿勢でましろを睨みつけた。 「そっちで勝手にしろ。 ただし、うちの物をぶっ壊したら弁償してもらうぞ」
「だってよ」
「だってよじゃねえんだよ……」 男はまた一歩踏み出し、床に額をつけて呻いているだみ声男の前で止まった。 すでにその手には短剣が握り締められているが鞘に収めたままの状態であった。 「殺しはしねえ。 殺しちまったら冒険者組合から脱退させられちまうからな。 だから徹底的に嬲ってやる。 女はその後だ……」
「え、お前たち、もしかして冒険者なの? そんな身形で? そのツラで? もしかして冒険者ってのは掃き溜めの集まりなのか。 いや、でも待てよ」 ましろは立ち上がり、思案顔で腕を組む。 「こんな素性の知らない俺たちがすんなり都入りできたんだ。 どんなに上手く取り繕っても、やってることは大概モンスター退治。 ヒトにとって厄介者を暴力で始末することに変わりないから、案外天職なのかもしれないな……。 良かったな、お前ら、この時代に生まれて」
「ましろ……、ちょっとあんた言い過ぎ」 凛も立ち上がり、ましろと同じく男と正対する。
「かく言うお前のその手に持っているフォークはなんですか?」
「これは、防衛手段よ」
「数時間だけとはいえ醜悪な
「お、おい今〈ノックドックス〉って——」 短剣を握った男の顔が急に蒼褪め始める。
「——
「——馬鹿言え、あんなガキどもに倒せるわけねえだろ。 でまかせだよ、でまかせ」
「——でもあいつ、さっきあの大男の指をあっという間に圧し折ったぞ?」
「——なんだよ、三つ目の大百足って、
「希少種とかか?」
「——そんなことよりも、あいつ、今、〈聖統救済教団〉って言わなかったか」
「——あのヤバい組織に目をつけられるなんて、まともなヤツなわけがない」
「——〈ノックドックス〉なんて凶悪集団と関係を持つあのガキっていったい何者なんだ」
「——〈ノックドックス〉ってなんだ?」
「——ガキのダマ(騙す)かもしれない」
「そこいらのガキが〈ノックドックス〉を知ってること自体普通じゃねえ証拠だ。 見ろ、あの指を……。 一捻りだったぞ」
周囲でましろたちの争いを面白がって物見していた客席の男たちは
戦闘経験のある彼らが戦々恐々とした顔で食事やエールを挟んで耳打ちする声は静まり返った店内では漏れに漏れ、嫌でもましろの耳にも届いた。
(え、ちょっと待って……。 聖統救済教団をヤバい組織って表現がすごい気になって仕方がないんですけど)
「あの、ちょっと質問なんだけど」
「あ、え、な、」 男は先ほどとは打って変わって力が抜けたよう顔をした。 「お前……、あの教団の関係者なのか——?」
「あの、まあ知人程度ではあるけど——」
「ひ、ひいぃ!」 男は騒然と蒼褪めて短剣を戻し、床にいた橙色の長髪の男を強引に担ぎ出し慌てて外の出口へ走り込んだ。 男が逃げ出そうとすると、連れも壁伝いで後に続いて去っていった。
先ほどまで騒いでいた店内は水を打ったような静寂さに包まれ、ましろが目を向けると、皆揃って顔を伏せ、目の前のエールを飲んでいた。 店の者に視線を移すと、禿頭は顎をくいと指した。
「出てけ……」
●
「確定だな」 ポケットに手を入れたましろは微睡んだピャンを頭に乗せ、中央通りへ向いながら呟いた。 「ここでは〈
「具体的には?」 と凛。
「例えば、共通スキルの【会得】によって多くの固有スキルを所有する〈
「やっとこれから始まるってときに早速一軒出禁にされたけどね。 この先、生存競争どころじゃないぐらい大変かもしれないわ。 幸先不安だよ」 凛は太黒ぶちの丸眼鏡のつるをくいっと持ち上げた。
「いつの間に出したんだ、それ?」
「どう、似合う?」 手を後ろに組んだ凛は前屈みになってましろに白い歯を見せ微笑んだ。
「それが仮神から貰った四つの道具の一つの眼鏡か。 どんな能力があるんだ?」
「仮神——?」 とピャン。
「例の光の人形の仮称」
「眼鏡の感想はなしかよ……」 目を反らす凛は腕を組んで唇を尖らす。 「これはレンズ越しに文字を解読できる能力があるのよ」
「ほう。 乞うご期待だな」
「お任せあれ」 凛は微笑んだ。
中央広場へ近づくにつれ、人通りが激しくなり、賑々しい歓声や肉の焼ける臭いが風に乗ってましろの鼻腔に入った。
「嗅覚はあるんだけどなあ……」 ましろは呟く。
ここへ来てからおかしなことがましろの周りで起こった。 しかし、ましろ自身の問題もその中に含まれている。 この世界で目覚めてから一度も眠気がなく、なにを食べても味覚がなく、肉体的な疲労も、思考も明瞭快活としている。
凛たちが寝静まっている数時間もの間、ただずっと瞼を綴じてこの世界のこと、47の〈
悪魔カイムの意味深長な言葉。 まだ答えに至る事柄が足りなすぎる。 考えたところで意味がない。
まだある、まだ知らないなにかがたくさんある。
「生存競争……、47人の生き残りをかけた争い。 仮に凛が見たその光の
「そうなのよね……」 凛は瓶に入っていた液体を飲み干す。 「わたし自身は早く戻りたいわよ? 家族に会いたいし、やりたいことだってある。 抜いた剣は元の鞘に戻るようなものよ。 でも、ましろの言うとおり、必ずしも元いた世界に戻りたいとも限らないんじゃないのかと思うヒトもいるはず。 この戦いの抜け穴というか、盲点というか。 無理して戦わなくても生きることができるのよ。 カノープス、そこんところどう?」
「いいや、なにも知らされていない。 ただ最後の一人になるまで命をかけて戦いあう。 それだけだ」
「突つけば謎はたくさんある。 なぜ47人なのか?」
「人数に意味があるの?」
「意味がないかもしれないけれど、無意味とはまた別に思える。 47と聞いてなにか思い付くことがあるか?」
「47、47……。 あ、都道府県。 それと、
「アコウロウシ?」 ましろは聞きなれない単語を復唱する。
「昔のニホンにいた武士たちが嫌な上司に腹立って謀反した人数」 凛は呆れた表情を浮かべる。 「ごめん。 忘れて」
「仮に本当に光の人型が神だとして、元いた世界からわざわざこの世界まで転移させてまで戦わせる理由がわからない。 〈
ましろは意見を求めようとカノープスに顔を向けるが、案の定カノープスはましろの疑問を含めた視線に無言で首を横に振った。
「わたしたちのいた世界ではできない理由かぁ……」 凛は唇に当てながら思案顔で青空を見上げ考えていた。 「……魔法?」
「およそ再現不可能な魔法、いや、この世界そのもの、か。 凛は仮神に出会い、そして気づいたらこの世界にいた」
「実体験通りだと、わたしたちは一度死に、仮神によってこの世界に生前の身体の状態で転移された、ってことになる」
「そもそもこの世界はなんなのか? あんみつ村の村長が言っていたように、俺たちは夢でも見ているんじゃないのか?」
「夢……、これが」 凛は街の風景をぐるり見渡す。 「——全部夢の中なの?」
「そう……、だよな……。 忘れてくれ」 ましろは溜め息をついた。 「とりあえず、行こう」
ましろたちは露店の裏側から出てきたようで、表通りはどこもかしくも人だらけであった。 香ばしい肉が焼かれた店前では串に刺さった肉を買う年老いた女性がおり、新鮮そうな野菜を籠にいれた女性が店主と世間話をしていた。 一段低い露店では金属やガラス製のアクセサリーのほかに天に向けて剣を突き立てる木製人形や長い髪に長いスカートの女性の木製人形があり、愛らしい笑顔を振り撒く子供を見て笑う母親の横顔が人の切れ間から覗けた。
王都と比較するのも公平でないが、数日前までいたあんみつ村と大違いだとましろは思った。 凛の方を見ると物悲しい暗い目でその微笑ましい光景を見つめていた。
煉瓦で造られた二階建ての冒険者組合は道行く人々に何度か訊いて看板を目印に、無事辿り着くことができた。
ましろが戸を開けるとアルコール臭がした。 中は思っていたより奥行きがあり、入り口手前に木のテーブル席が敷き詰められている。 左手奥にカウンターがあり、まだ昼ではあるがすでに何人か出来上がっており、酩酊した赤ら顔で仲間と談笑しあっていた。 中央の空いたスペースを進むと、奥のテーブル越しにパーテーションを挟んで横一列に受付嬢が並び、向かいに軽装の装備をした弓使いや怪しげな格好から恐らく魔法使い、重装備の剣士、その他一見素人目には判別できない
「そういえば、カノープスはこの国の文字をちゃんと読めたりするのか?」
「もちろんだ。 凛が今装着している眼鏡と同じ読字力がある」
掲示板をあれこれ見回してると、受付が一つ空いたので、ましろたちはそこで銅貨を払って新規冒険者登録をした。
粗悪な羊皮紙に氏名を記入する際、文字が書けない旨を伝えると、訝しがることなく代筆で記入してくれた。 物書きが出来ない事自体別段不思議ではないと教えてくれた。
この次が、漠然とした登録方法であった。 新規登録時、受付嬢は額が見えるようにと言いながら、卓上に置かれていた一見なんの変哲もないランタンに手を掛けた。 それは揺らめく蒼白い炎を灯し、ましろと凛の額に交互に近づけた。
それから、ランタンを戻すと、引き出しから親指の腹ほどの大きさの判を取り出し、額に押されただけで完了となった。
ましろと凛が互いの額を見合うと、拭きもしていないのにその判の跡は忽然と消えていたのだった。
「毒性のない特殊な昆虫の液体を使ったトリマ国冒険者ギルド指定の印が押されてあるんです。 どういう原理は詳しくは私も分かりませんが、この蒼い炎を翳すとそれに反応して印が発光します」
「どうやったら消えるんですか?」 凛が即座に訊いた。
「薬草を混ぜ合わせた塗り物を使って落とします。 ですが、これまでそういった人はいませんでした」
「わたしが第一号になるかもしれません」
「おめでとうございます」 受付嬢は恭しく軽く頭を下げた。
「では、こちらをどうぞ」
別の受付嬢が後ろから来た。 年上のそばかすのある気さくそうな女性が、代わり番子のように受付に回ると、受付下の草臥れた箱から、幾重にも編み込まれた皮状の輪っかに、黒い果実のような小さな球体が三つ密着して括り付けられたアクセサリーのようなものを二つ取り出した。
「こちらが現在お二人の冒険者の
「ええっと……。 よくわからないので、今は特にありません」 ましろは微笑した。
「皆様同じことを仰られます」 そばかすの女性はチャーミングに微笑んだ。
ましろと凛は腰のベルトに(凛は購入)、
ましろは引き続き受付の女性に換金をしようと尋ねたが、どうやら城門近くの
冒険者組合がある中央区域から城門まで十分近く歩くと、行きは気付かなかったが、少し奥へ行った先に国章が刻まれた石造りの一階建ての駐屯所があり、戸口に甲冑の左胸に国章が刻印された数名の兵士がいた。
樹木を隔てた隣に間口の広い木造二階建ての建物があったので、入ってすぐの受け口の男性に用向きを伝えると、これまた粗雑で汚れた羊皮紙に名前と用件、モンスターの種類、大まかな個数を記入しろと言われた。 ましろたちは先ほどと同様書き方がわからない旨を伝えると、こちらも代筆してくれた。
外に出て、右手の通路から裏へ回れと指示を受けたましろたちは、裏手へ回るにつれ酷い異臭が辺りに充満していた。 吹き抜け二階分の高さと面積のある広場にでると、サラが白玉の森で装着していた物より、さらに職業専門向きの密着性の高いゴーグルとマスクを装着した女性がいた。
すぐそばに、天井からフックにカメレオンに似た爬虫類系のモンスターの死体が架けられ、女性は慣れた手つきで死体の皮を剥いでいる最中だった。
薄暗いせいで明瞭ではないが、空中に浮いた足許から紫色の粘性の液体が断続的に真下の容器に滴り落ちていた。 室内の壁際には多種多様な工具類が掛けられ、台の上には豚に似た頭部、十五センチほどの角や太い牙がおもちゃのガラクタのように並べられ、隅の方には堆く積もったモンスターのバラバラになった残骸が山となっていた。 腐臭の原因はこれであった。
足音に気付いた女性がましろと目が合うと、作業を止めて手を挙げながら手袋を脱ぎ取り近づいてきた。
「よっ、何しにきたんだい。 ここは子供の来るところじゃないよぉ? 臭くて鼻が捥げるだろう」
「いいえ、一度捥げてるんでこれぐらいなんとも思いません」
「嘘、わたし無理ぃっ!」 凛は鼻を押さえて悶絶の表情を浮かべていた。
「凛は外で待ってろ。 俺が換金しといておくから」
「分け前盗らないでよ?」
「俺をなんだと思っている」 うっかり忘れていた。 「そんなに疑うならカノープスを置いてけ」
ましろが言うと彼女は本当に半透明したカノープスをその場に残し、去っていった。
「あいつ、なんて薄情なヤツなんだ」 ましろは愕然と呟いた。
「まあそういうな。 お前もそうさせた一因でもあるんだから」
「それを言われるとぐうの音もでない」
「ちょっとなに独り言言ってるんだい?」 女性が胡乱な声で尋ねる。
「あ、俺の仲間なんで気にしないでください」 ましろは頭でまだ寝ているピャンを下ろし、ビンタしながら名前を呼んで無理矢理起こさせた。
「なん、なんじゃここは……」 ピャンは見えない手で殴られたように顔を仰け反らせた。 「くっさ! なんじゃここ! あの悪夢か、またあの悪夢なのか!」
「起き抜けに悪いけどピャン。 換金所に着いたから、例の袋を出してほしいんだが」
「ふぁ? あ、ああ」 ピャンは口をあんぐり開けて尻尾を口内に突っ込むと中から唾液の着いていないあの時白玉の森で三人で剥ぎ取ったままの革袋が出てきた。 「ほれ。 受け取れ」
「うわっ! 喋った」 女性は驚いた声を上げた。
きっと表情もさぞ驚愕しているであろうがゴーグルとマスクのせいで表情が読み取れなかった。
女性は前屈みになってピャンを覗き込んでいた。 「それになになに? その口の中どうなってるの? アイテムが収用できて人語を話す猫の獣なんて聞いたこともない。 ねえ、その子どうしたのよ!」
「城の前で『拾ってください』って書かれた箱の中にいました」
「うっそ!」
「なんじゃ、やかましいの」
「ああ、悪いな。 後はこっちでやっとくからお前はまた寝てていいぞ」
「ふん。 こんなところで眠れるわけなかろう……」 ピャンは不機嫌にぼやいた。
「アタシはここでご飯も食べれるし、すぐ眠れるわよ」 女性はましろから革袋を受け取りながら答えた。
「此奴、悪魔の類いかなにかか……」 ピャンは唖然とした表情を浮かべた。
「しっかし凄いわねえ。 こんなちっこい猫が……、文献にあった神獣クラスかなにかかしら……」 女性は袋の中身を開けると二度頷いた。 「はいはい
「意外と掛かるもんなんですね」
「キミたちだけだったらすぐ終わるんだけど」 女性は先ほどの爬虫類のモンスターを後ろ指で差した。 「先客がいるからね。 悪いけど順番待ちだよ」
「ああ、なるほど。 すみません、浅学で」
「浅学ってなに?」
「ああ、いや、馬鹿ですみませんってことです。 じゃあ日が暮れてからここへ来ればいいんでしょうか?」
「いや、受付はもう済んだよね? だったらまた受付に行けば、そこでお金の受け渡しがあると思うから。 あ、アタシの名前、シャンテルっていうんだ。 キミの名前は?」
「俺はましろ。 こいつはピャン。 こいつは——」 ましろは半透明のカノープスと目が合った。 「あ、なんでもありません」
「へんなやつ」 シャンテルは莞爾と笑った。
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