第三十三話 捜探


 「これは驚いた……」 カジャはその窪んだ目許の深奥に驚嘆の色を浮かべ、嗄れた声もわずかに上擦っている。 「傷の癒えが早い」


 「特技なんですよ。 もう一つは平然とした顔で激辛カレーを食べること」


 カジャはそれを無視して好奇心の赴くままに横になったましろの肩の傷を杖で押すと、薄暗い室内に苦痛の声が響いた。


 「——ちょ、おいっ!」 ましろは傷口の上に手を添え防御する。

 「痛みがあるなら元気な証拠じゃな」 カジャが微笑むと、乾いた皮膚の皺をより一層刻ませた。 「お仲間が随分心配しておったぞ」

 「わ、わたしは別に……」 

 「どれくらい眠ってた……?」 ましろは恥ずかしがって顔を伏せる凛に尋ねた。

 「あ、えっと……。 三日ぐらい」

 「そんなにか……」


 夢の半分の舞台が今ましろたちがいる場所だったせいもあって現実と夢が混同して一瞬のように思えたからだ。


 「ありがとう、凛。 助けてくれて」

 「馬鹿言ってんじゃないわよ。 同盟を組んだんだもん、当然でしょ?」

 「ああ……」 ましろは微笑する。 「そうだな」

 「それにましろを助けたのはわたしたちだけじゃない。 森の監視者フォレスト・ウォッチャーのハイオイドっておじさんが助けてくれたの」

 「フォ、森の監視者フォレスト・ウォッチャー?」

 「わたしもよくわからないけど、その人がここまで運んでくれたの」

 「というか……」 ましろは辺りを見回す。 薄暗い部屋を照らしているのはどんぐりほどのロウソクの火。 室内に充満している薬草と香の臭いが鼻に纏わり付いている。 奥に真っ暗な部屋がある。 「ここはどこだ」

 「ここは〈アオノリ〉。 王都内の、ほら、換金所のおじさんが行ってたあそこよ」 曖昧に表現する凛は気まずそうに声を潜めた。

 「あそこってどこさ」

 「ほら、ランドームさんが言ってたでしょう……」

 「あのね、こっちは三日間も寝てたんだぞ。 もう少し詳しく言ってくえれないか?」

 「——ここは、その、トリマ国危険区域に指定されている場所じゃよ。 そういえばわかるじゃろう?」

 「ああ!」 ましろはカジャ、目を閉じた凛の順に目をやり何度も頷いた。 「ピャンは? あいつはどこにいる」

 「そこに寝てるわよ」 凛の視線はましろの隣で寝息を立てる黒い猫に向けられた。 「あんたが倒れたとほぼ同時にピャンも一緒に倒れたの。 ねえ、いったいどうなってるの?」

 「俺だって」 ましろは自分の肩を一瞥する。 「俺だってわからないさ。 こんなこと初めてだ。 あの時、なぜか肩の怪我が治らなかった……。 それにピャンもだなんて……。 そうだ、ここへはどうやって?」

 「ハイオイドさんがここまで運んでくれて、ここにいるカジャさんがあんたの傷を癒してくれたのよ」 

 「そうだったんですか……。 カジャさん、ありがとうございます」

 「構わんよ。 これで貸し一つじゃ」

 「貸し、ですか」 ましろは唇を歪ませた。 「いったいなにを返せばいいのでしょうか?」

 「なに、簡単なことじゃよ」 カジャは凛の方を向いた。 「ラカ・ラパを覚えておるじゃろ。 彼奴の息子タリと仲間が昨日帰ってくるはずだったがまだ戻ってきておらんのじゃ」

 「それを俺たちに向えに行ってほしいと?」

 「簡単じゃろ?」 カジャは深い皺を刻ませ微笑んだ。 「儂もラカ・ラパもここの民のために無闇に離れることができない。 だからお主たちに向え役を頼みたいんじゃ。 冒険者でいうところの依頼、じゃの」

 「どこへ行けばいいんですか?」 凛が訊ねる。

 「この王都の西にある〈ニラの森〉はビギナー冒険者のために第一から第五までは単純な一本道で構成されておる。 その途中途中に小屋があり、それを目安に第一、第二と区切っているのじゃが、タリたちはその第一エリア周辺にいるはずじゃ。 それ以上は危険だと口酸っぱく言っておるからな」

 「そのタリって人の特徴は?」

 「お主らぐらいの歳と背の男の子で額に麻布を捲いておる。 まだまだ子供じゃが、父親の顔によく似ておる」

 「タリはなにをしにニラの森へ?」

 「食料用の動物と薬草の補充をしに行ってもらったんじゃ。 いままで何度か頼んでいたんじゃが、予定していた日時を過ぎることなどなかったからの。 ほかの民に頼もうにも危険がないとは言い切れない」

 「なるほど、まさに冒険者向けですね」 ましろは笑う。 「行きましょう」

 「なに言ってるの。 その肩でなにができるっていうの? あんたはここでお留守番よ」 凛は腕を組んでましろを睨みつける。 「怪我人でしょう」

 「大丈夫だよ。 うまく言えないけど、なんとなく肩の骨が繋がってきている感覚があるんだ。 無理さえしなければ」

 「それを無理しているって言うんだよ」

 「挙げ足を取るんじゃないって言うんだよ。 凛だけを向わせるなんてできない。 なにもないことに越したことはないが、カジャさんの言うとおり危険を想定して動かないと」

 「今のあんたじゃ使い物にならない」 凛はじっとましろを睨みつけている。 「わたし一人で行くから、あんたはここで休んでなさい」

 「凛……」 ましろは不安を覚えた。 しかし凛の言うとおり、ましろの状態は決してどころかまったく万全とは言い切れなかった。 事実今も痛みが走り、すぐにでも横になりたかったのを直隠しにしているほどだった。

 「カジャさん、ましろをお願いします」 凛はすぐに立ち上がって出口へ向った。 「ましろ、ここは安心してわたしに任せなさい。 あんたは休むこと、それが今のあんたの一番優先すべきことなんだから。 ……じゃ、ちゃっちゃと行って、ちゃっちゃと帰ってくるわ」


 凛が去ると、ましろはゆっくりとした動作で横になった。 集中して深く呼吸をする。 時折聞こえる薄い天井を叩く風雨の音がしんとした室内によく響く。 負傷したときはそこから訴えかける激痛にあっさり打ち負け気絶したというのに、今はもう不思議と眠気さえ起きない。 必要としないほどだ。


 「そのラカ・ラパって人はどこに?」 ましろは真横に座るカジャに訊ねた。

 「外におる。 タリが戻ってこない時からずっと」 カジャは出口の方を見つめた。 「あれはあんな無愛想な顔をしても中身は人間味のある男じゃからの。 心配なんじゃよ。 たった一人の家族じゃから余計に」

 「……母親は?」

 「ここへ来るまでに病気で亡くなったようじゃ。 アレは深く話す質ではないのでそれぐらいしかわからなかったがの。 彼らは、というより〈アオノリ〉の民は皆他国民の集まりなんじゃ。 皆訳あって国や村を出てここに辿り着いた。 だから孤独同士の我々はなによりも仲間を大事にしなければならないのじゃ。 ……少し眠ったらどうじゃ? 傷を治す一番の療法はとにかく寝て休むことじゃ」

 「そうしたいのは山々なんだけど、もう眠らないんだ」

 「——どういう意味じゃ?」 カジャは眉を顰めると額の皺がより一層深く刻まれた。 「眠れない、ではなく、眠らない、とは……」

 「それは俺が一番知りたいことなんだがな……、ここへ来るまで眠ったことなんてないんだ。 それだけじゃない、傷だってすぐに治った。 なのに、突然傷も治らず、睡眠もした。 もうなにがなんだかわからない」

 「別段おかしいところなんてなかった。 お前、マシロといったかの? 年寄りを揶揄からかっとるんじゃないか」

 「まさか、傷の手当をしてくれた恩人にこんな笑えない冗談言いませんよ。 それより過去、あなたの周りに俺みたいな人間いませんでしたか?」

 「近い状態なら何人も見た」 カジャは長く垂れた眉の下で目を細める。 「薬物、精神異常とは別に魔術的、魔法的処置の掛かった者たちだ。 お前の場合、そのどちらも考えられる。 過去の記憶がごっそり喪失しておるのじゃろう? これは薬物による症状と似ている。 また後者の場合、数分、極稀に数時間持続するものもあるがその際霧の渦ないし躯全体を覆う薄膜、ベールの波のような肉眼で検知できる。 しかし今のお前にはそのどちらも見えないだけでなく、気配さえ感じられないが、魔法というのは日々進化しておるだけでなく、超古代のものや未発見の魔法もある。 儂も知らぬ感知不能の魔法があってもおかしくはないからな」


 「カジャさん、恩人にこういうのも失礼だが、いったい何者ですか?」

 「どこにでもいる、ただの死に損ないの老いぼれじゃよ。 それよりも、お前の状態の方をなんとかせねばならないだろう。 食事も睡眠も必要としない人間なんて見たことも聞いたこともない。 今までなにも問題なかったようじゃが、問題なかったことこそが異常なんじゃ。 お前の話を聞いて儂は一層自分の頭がおかしくなった気分じゃ。 お前も儂と同じ気持ちじゃろう? ……お前さんはいったい何者なんじゃ、とな」



                   ●



 凛は今まで何度も通っていた王都・南部中央広場を経由する。 途中大きな造りの教会を遠目に眺めながら西部の城門を潜って外へ出た。 先日買ったフードのついた薄い上着を羽織い、小雨降る曇り空の下、起伏のある道の先の黒々とした深い森を見つめる。 王都からそう遠く離れてはおらず、その途上に馬車と人影もちらほら見える。


 「正直、お薦めはできない」 透明化がなくなり可視接触化されたカノープスが隣の凛を見つめる。 「だが行くんだろう? 凛」

 「ええ。 借りを返さなくちゃ。 それに、帰って来ない人たちも心配だし」

 「そうだな……。 きみはいつだってそうだ」 カノープスは正面を向いた。 「だから私はきみについていくんだ」


 凛はカノープスに乗って〈ニラの森〉へ走った。 石畳によって舗装された街道はその先にある街に沿って敷かれていたため、森へ向うときにはすでに湿った土壌の上を走っていると、先ほど見かけた人影の輪郭がはっきりしてきた。 隊商キャラバンとそれを護衛する冒険者の一向である。 その冒険者の一人が凛に向って手を振った。


 「ヨォーヨォーヨォー」

 「え、ああ、はい……」 カノープスの足を止めた凛はジト目で冒険者を見つめながら手を振った。 「よ、よーよーよー」


 「森へ向うのかい、黒果実ブラックパールのお嬢ちゃん」 へそ辺りまで伸ばした金髪で長軀の線の細い男が交差させた手を後頭部にあてながら気さくに笑顔で訊ねてきた。 金輪鎧チェインメイルの上に赤い革鎧レザーアーマーを羽織り、短剣ダガーを佩き、肩から腰にかけて木製の合成弓コンポジット・ボウを携行していた。 「見たところ獣使いビーストテイマだと思うが当たりかなあ? だとしたら、俺っちみたいな野伏レンジャー無しに森へ行くのはちょっと関心しないなあ」


 凛は飄飄とした口振りの長軀の首元に輝く白い花弁の首飾りを確認した。

 (白花クチナシ……、五等級か)


 「もうすぐ黄花カッシアに昇級さぁ」 弓者は凛の視線から先読みをして微笑んだ。 「野伏レンジャーってのは五感がなによりも大事なんだ。 お嬢ちゃんは薬草の香りが清楚さをより一層引き立てているね」

 「こら、なに後輩を誘ってるんですか」 濃紺の前面に十字を縫い付けたローブを羽織った茶色いショートヘアの男の子が、ワンドを地につきながら男を注意した。 「ごめんね、この人女の子相手にめっぽう弱くて。 ところで、〈ニラの森〉へ向うんだよね? もう何度か行ったの?」


 「いいえ、これが初めてです」


 「それは……、ちょっと安心できませんね」 隊商キャラバンの前方で護衛している武装した戦士風の赤髪の男性が眉を顰めていた。 赤銅しゃくどう色の板金鎧ハーフアーマーに同色の肩当てスポウダー肘当てクーターを装着し、腰には片手剣ショートソードを佩いている。 「あの森は王都周辺に点在する森林地帯の中でも比較的セーフ・ゾーンが多い森ではありますが、それでも危険な野生モンスターの生息域であることには間違いありません。 その……、僕の言いたいことがわかりますか?」


 「ええ、。 ですがこちらもできるだけ急がなくちゃいけない用事があります。 タリっていう、わたしぐらいの歳と背をした男の子で額に布を捲いているらしいんだけど……。 見覚えありませんか」


 「その特徴のある子なら第二と第三の小屋周辺で見た」 冒険者の中で一番巨躯で重量のある蔦のように絡んだ蒸栗むしぐり色の髪の男が穏やかな声質で割って入ってきた。 出縁フランジ型柄頭の戦棍メイスを腰に佩いた男は胴体・肩・前腕の革製品で装備されていた。 飄飄とした野伏レンジャーの指摘どおり三日三晩カジャの所にいたため凛の衣類には薬草独特の臭いが染み付いていたが、巨躯の彼からはそれ以上に薬草臭を強く放っていた。


 「第二と第三、ですか……?」 凛は眉を顰めた。 カジャの言っていたエリアよりも進行しているからである。 お目当ての食料か薬草が見つからなかったからなのだろうか不明だが、案外すぐに見つかるかもしれない。 彼女は一抹の不安を抱きながらもどこか安堵を覚えていた。 


 「うむ。 昨日そのエリア間を移動していたときに森の向こうでそれらしき風貌の少年を見かけたのである! 見たところ冒険者でもなさそうだったが、近くにそれらしき人物がいたので——」


 「その人物ってどんな感じでしたか?」


 「そうだなあ。 ほかの者たちに比べ、身形もそれなりにあり、きちんと武器も所持していて貴君と同じ獣使いビーストテイマだったのかも!」


 「獣使いビーストテイマ……」 偶然だろうか、と凛は思った。 「その獣使いビーストテイマはどんなモンスターを遣っていましたか?」


 「あれはたしか、熊である!」


 「黒果実ブラックパールのお嬢ちゃん。 急ぎの用じゃなければ明日〈ニラの森〉へ一緒に行ってやろうか? もちろん依頼料はその美しさに免じて少しサービスしてやんぜ?」 先ほどの野伏レンジャーがへらへらした態度で訊ねてきた。 「……と言っても、どうやら急いでいるようだな」


 「ええ。 ありがとう。 お気持ちだけ受け取っておきます」 凛は頭を下げて先を進むようカノープスに促した。


 「獣使いビーストテイマの方」


 「はい?」 凛は首を曲げて後方の戦士風の男を見遣った。


 「……どうかお気をつけて。 ビギナーにありがちなのは経験の浅さから無茶無謀を認識できずに過信することです。 ですからくれぐれも無理をしないように」


 「ありがとうございます。 先輩方」 凛はもう一度頭を下げた。 「では」

隊商キャラバンと同行する四人の冒険者たちと別れた凛は急ぎ〈ニラの森〉へ向った。


 身形の異なる熊の獣使いビーストテイマなる人物。


 カジャはそれらしいことを一言も言ってなかった。 考えられることは先ほどの冒険者同様に善意でタリたちの仕事を手伝っていること。 であればそれでいい。 確認をして危険性がなければそれで済む。 もしそうでなければなにを目的に同行しているのだろうか。 少しわからなくなってきた。 なにがあったのだろうかと凛は頭を悩ませた。


 〈ニラの森〉へ到着した頃、雨を降らす雲の切れ間の太陽は真上を差していた。 森は深く黒く生い茂り、無限の闇を彷彿とさせていたが〈うるちの森〉と比べてより人工的に均された林道が先へ先へと続いている。 その道を凛の乗ったカノープスが駆ける音が静かな森を揺らす。


 「カノープス、気配は感じる?」


 「モンスターらしき気配ならある」 足を止めずにカノープスは答える。 「ほら、あそこ。 醜悪な小人ゴブリンがいる」


 林道の木陰の奥から複数の黄土色の醜悪な小人ゴブリンが見えた。

 「今は急いでいる。 必要最低限戦闘は避けよう。 それでも襲いかかってくるようなら」 移動中の凛は右手をなにもない虚空に向けて差し出すと波が生じ、手首から先を突っ込み抜き出すと、その手には漆黒に輝く大きく鋭利な鎌が握られていた。 「——応戦する」


 醜悪な小人ゴブリンは睥睨する凛と目が合ったが、交戦する気配は感じられず、じっと様子を窺っているようでそれ以上先へ進んでこようとはしなかった。


 「そうよ。 それでいい……。 カノープス、林道に沿って走って、もし〈異邦人ストレンジャー〉の反応があったら、そっちへ向って」

 「先ほどの冒険者が言っていた熊の獣使いビーストテイマのことか?」

 「たぶん、そう。 目的はわからないけど」

 「今私たちのやるべきことはタリという子供を捜し、保護することだ。 だが本来私たちの目的は全ての〈異邦人ストレンジャー〉を屠ることにある。 仮にそれが本物の〈異邦人ストレンジャー〉だった場合、凛、きみはどうする?」

 「相手との戦力さえ明確でない以上、非戦闘員を守りながら戦うのは圧倒的にこちらの不利になる。 でも、実際出会ってしまったら交戦することは否めないでしょうね」


 先を急ぐ凛たちは第一から第二エリアまではモンスターと戦闘することはなかった。 エリア間には先ほどの冒険者が言っていたとおり切り開かれた場所に木造建築の小屋が見えた頃、雨は止んでいた。 その周囲にベンチやテーブルがいくつも点在し、凛以外の六等級の黒果実ブラックパールから四等級の黄花カッシアの冒険者数名がそこで休んでおり、新たな冒険者である凛の登場に腰を下ろしていた冒険者たちの値踏みするような視線を無視しながら目を皿のようにして小屋の中まで見回したりもしたが、タリと覚しき人物ないし羆の獣使いビーストテイマの姿も気配も感じ取れず、数人の友好的な冒険者にタリの特徴を伝えるも、皆否定的な答えしか返ってこなかった。


 「ここにはいないようだな」 小屋の出口の前で待っていたカノープスが告げる。 「先へ行くか」

 「そうね……」


 「——これで三日目だぜ? なのに宝の『た』の字も出てこねえ」

 「——本当にあるのか、そんなものがここに」 

 「——これで、じゃなくてまだ三日目だ。 野伏レンジャー宝掘者トレジャーハンターの俺が絶対見つけてやるから安心しろって」

 「——なにが宝掘者トレジャーハンターだ。 市にあった胡散臭い書物を読んだだけでいっちょまえ振りやがって。 いままでどれもスカだったじゃねえか」

 「——だ、大丈夫だって、ここの地理にもある程度慣れてきた。 ここからだって、ここから」


 三人の冒険者から漏れ聞こえた内輪話を気にも止めず、凛とカノープスは第二エリアへ向って行った。



                  ●



 森の奥深く、光も細く薄く遮蔽されるほどの密集した木々の中の仄暗い窪地に草叢に隠れた隧道がある。 その草叢は人手によって掻き分けられた形跡があり、穴の奥深くに浮かぶ火明かりが靡いていた。

 「はぁああ」 殿の大柄な少年が大欠伸をしながら気怠げに悪態をついた。 「おい、おめえら早く行けよぉ。 このまんまじゃ日が暮れちまうぞぉ? 嫌だろう? 早くお家に帰りてぇだろう? なあ」

 先頭に立つ男はおどおどしながら短い足幅で真っ暗闇の中、松明を持った手を震わせながら歩いていた。 その顔は酷く蒼褪め、元々痩せこけていた容貌に拍車をかけてより一層病的に見えた。

 彼らの歩いた背後の隧道には一人の死体が横たわっている。 胸許には錆び付いた矢が突き刺さっており、傷口から赤い液体が流血していた。

 「お、俺は、嫌だ」 先頭の男は躯中を震わせながら背後の熊に乗った少年の方へ振り返った。 「あ、あいつと同じ目に合う。 お、俺たちはここのトラップに引っ掛からせるための囮なんだろう?」

 「おいおい、なに言ってんだよ」 少年は松明を持っていない方の手で角刈りの頭を掻きながら失笑した。 「碌に食いもんも手に入れられなかったおめえらを誘ったこの俺の善意を疑うってのかぁ? 約束しただろう? 俺の宝探しを手伝って、見つけたらきちんと山分けをする。 おれぁ約束は守る男だ。 絶対にたがえはしない」

 怯えきった先頭の男の目にはそれが真意であるとは到底思えなかった。 彼だけじゃない。 一本道に列をなす彼の後ろの三人全てが同じ考えを抱いていた。

 「おれぁ約束を守るのに、おめえたちはその約束を信用しようとしない。 こいつぁ哀しい、哀しいよなあバリー?」

 「まったくだ、瓜生うりお」 角刈りの少年——瓜生を乗せた深緑色の熊が人語を話した。 「嘆かわしい限りだ」

 熊が話しかけた途端に、男たちの表情がさらに強張った。 悲鳴が隧道の中を反響させた。 一度目は横たわる死体が出来上がった瞬間。 そして二度目は人語を話す熊に出会した瞬間。 三度目はあるのだろうかと先頭の男は思った。 少なくともそれは自分が罠にかかる瞬間なのだという恐怖が頭の中から離れなかった。

 「バリーは怒ると恐いぞお? おめえらなんて指先ひとつであっさり殺せるし、引っ掻きをすりゃあさけるチーズの出来上がりだ。 なぁ、要は罠にかからなけりゃいいんだよ。 な? そうすりゃ晴れて宝を山分け。 万々歳ってわけだ。 まああいつは……」 瓜生は背後の暗闇に横たわる男たちの仲間を親指で差した。 「不幸だったけどな。 でも世の中常に犠牲はつきものだ。 あいつの分まで働いて、それで宝を持って村へ帰れば村の連中も許してくれるさ。  わかるか? もう成果なしに帰れねえんだよ、おめえたちは」

 「こ、ここに宝がなかったらどうする!? おれたちの犠牲が無駄になるじゃないか!?」

 「だから、その点は心配ねえって」 瓜生はバリーを軽く叩いた。 「こいつの力がここに宝があるっていってるんだ。 そこは安心して構わない」

 「でも、でもだからっておれたちが先頭にならなくちゃいけないなんて——」

 「なあ……、なあなあなあなあ。 おれが先頭に立ったらおめえたちのいる意味がねぇだろうがよぉ? ちったあ考えろや……。 なあ、少年?」

 瓜生は前にいる少年に話しかけた。 その少年はほかの男たちよりも赤黒く、目許が落ち窪んでいる。 若いながら体付きもよく背も高く、額には麻布を巻き付けていた。

 「下がればお前に殺され、進めばトラップに殺される。 下がるも地獄、進むも地獄というわけか」

 「おいおい深読みはいけねえぜ少年。 だがまあ、当てずっぽうにしちゃああながち間違っちゃいねえがな」 瓜生は下卑た顔が松明の火に映った。

 「なら俺が先頭に立つ。 父ならきっとそうしている」 麻布を捲いた少年が一歩前へ踏み込んだ瞬間、少年の肩にすっと柄の長い戦斧せんぷがのせられた。 少年は背後を振り返ると、いつの間にか瓜生の手には黄色い戦斧バルディッシュが握られていた。 今の今までそんな長物持っていなかったのになぜ、と少年は頭が真っ白になった。

 「そりゃだめだ。 おめえはほかの連中よりも勇猛で気骨がある。 そういうやつはいろいろ役立つはずだ。 悪いな、お前は最後だ」

 少年は歯を剥き出しにして怒りをあらわにした。

 「それだそれ。 この状況を打ち勝とうとしているその熱意。 それがいい、 俺と同じだ。 だからおめえは最後なんだ」 瓜生は戦斧を先頭の男の方へ差した。 「だからっておめえの命を蔑ろにしてるって意味でもねえ。 何度も言うが要は罠にかからず、死ななきゃいい。 でも前進しなきゃなにも解決しねえってことだ。 いいか? このガキの言うとおり、下がればまず間違いなく死ぬんだ、約束を破った罰として。 でも前進すれば死なない可能性が高い。 なあ? シンプルだろう?」

 「ちくしょう、なんでこうなった……」 先頭の男は下唇を噛んだ。 掲げた松明の火を四方に照らし、罠がないか確認して一歩一歩慎重な足取りで前進していった。 そう、無理な要求だが、確かに罠にかからなければいいんだ。 男は自分を落ち着けようと必死にそれを反芻して進んでいると、明かりのなかで一瞬なにかが煌めいた。 男はそこの目を向けると、足許にピンと張られた銀色の線が地面から数センチ上に左右から伸びていた。

 「トラップだ……」

 「そうそう、その調子」 瓜生が手を叩いて喜びの声をあげた。 「そうだよそうだよ。 いいじゃねえか」

 先頭の男が罠を避けようと股を開いた時、その後ろの男が先頭の男の肩を掴んで止めた。

 「待てっ——」

 「な、なんだ」 男は片足立ちの間々硬直させ、背後を振り返った。

 「よく見ろ……」

 男の言うとおり注意深く見てみると、線のあった数十センチ先に同じトラップが仕掛けられていた。

 「二重罠ダブルトラップだ。 一つ目でわざと油断させて二つ目の罠で嵌める……。 ちきしょう、油断も隙もねえ」

 「た、助かった……。 悪いな」 男は大股開きで二重罠ダブル・トラップを回避し、一歩先へ進んだ靴底が小さな段差になったことに遅蒔きに気付いた刹那、男の背筋に冷や汗が走った。

 「あっ——」

 「ひぃぃ——」 男が躯を捻って後退しようとしかけたが、それ以上にトラップの速度が素早く発動し、左右の隅から交差するように飛び出した細長い槍が男の躯を貫いた。 「ぎゃぁぁあああああ」

 「あぁあ残念」 瓜生は溜め息もそこそこに口角を歪めた。 「惜しかったなあ。 三重罠トリプレットトラップだったとは……。 それほど厳重にトラップを仕掛けているなんて、なんだなんだぁこの先どんな宝があるか楽しみじゃねえか、なあ? おい、そいつはまだ無事か?」

 「無事だと!?」 槍が土の中に戻り、串刺しにされた男が倒れ込んだ。 その前にいた男が怒りと悲しみに混じった表情を瓜生に向けた。 「ふざけるんじゃねえ! 仲間が、仲間が死んじまったんだぞ!」

 「そうか、死んだか。 死んじまったかぁ。 哀しいなあ……」 瓜生は眉根を寄せてうんうんと何度も頷き男の目を見てニヤリとした。 「よし。 それじゃあ次はおめえが先頭だ」

 「もう嫌だっ!」 男は隧道中に響き渡る声で叫んだ。 「おれは帰るっ!!」

 「ああ、あんまお勧めしねえぞぉ?」 瓜生は黄色い戦斧を肩にあてて忠告した。 「さっき言ったよなあ? なあ?」

 「くっ……、構うもんかっ!」 男は仲間を強引に掻き分けて走り出した。 目の前には大きな深緑の熊と大柄な少年が立ち塞がっている。 「どけっ!」

 「ああいいぜ」 瓜生はバリーを叩いて細い脇道を開けた。 「どうぞお帰り……」

 男は全速力で壁に躯を擦り付け、大きな羆をすり抜けるように避けながら駆けた。 眼前の仲間の死体を飛び越し、その先に見える薄い光が間近に迫ると男の目に輝きが生まれ目頭が熱くなり、口が大きく開いた。

 「や、やった——」 男は隧道を抜けて隧道の出口の壁に手をかけ、生の感動に酔いしれながらまた一歩踏み出そうとした瞬間、背中から突き動かされる熱を帯びた強い衝撃に男は抵抗する暇もなく前のめりに倒れ込んだ。 「ゴッ……、ブフッ……」

 男の背中には長柄の戦斧が垂直に突き刺さっていた。   隧道の中で悲鳴が小さく零れる最中、太陽の光に入射した戦斧バルディッシュが目映いを煌めかせると、粒子状に分解され燐光を放ちながら空気中に散っていった。

 「せっかく念を押してやったのに、聴かねえんだから……、なあ?」 瓜生はなんの罪悪感もなくフランクな口調で少年に同意を求めていた。 「死ぬなら堂々と真っ正面から斬られるのが男だとおれぁは思うぜ。 あれじゃあ犬死にだ。 いや、無駄死にか?」

 「ただ純粋に生きようとしただけだ!」 眉を逆立てた少年は瓜生に向って怒号した。 「それをお前が、お前の身勝手な理由で死なせたんだ!」

 「——おい」 瓜生は戦斧の刺先を、睥睨する少年の額に突き立てた。 額から、赤い露がゆっくりと垂れる。 「調子乗んなよ……、くそガキ」

 「本当のことを言っただけだ」 少年は真っ直ぐな目で瓜生を睨んでいる。 「間違ったことなんて言っていない」

 「や、やめろタリ……」 残った男がタリの肩を引っ張った。 「おまえさんが死んじまったらラカの旦那が悲しむだろう……」

 「しかし——」

 「大丈夫だ。 罠にかからなければいいんだ。 そうすれば解放してくれる。 宝も分けてくれる。 そうだろう?」

 「ああ、もちろん。 おれぁは約束を守る。 逆に約束を守らねえ奴には容赦しねえ。 今さっき証明したとおりな。 生きるってのは今おめえたちが体感してるぐらい実は難しいことなんだぜ? 選択を間違えて死んじまう奴もいれば、おめえたちみてぇに正しい選択をする奴らだっている。 難しいよなあ人生って。 だからこそ楽しいよなあ人生ってやつわよぉ……。 なあ?」

 四童子瓜生は笑う。 ヒトの生き死にを、生殺与奪の権利を得た心地よさに。

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