これでは私が襲っています 4
「おはよう、遥ちゃん」
朝、わざわざ給湯室を覗きに来た小宮が満面の笑みで挨拶してきて、遥は逃げかけた。
亜紀が側に居たからだ。
「お、おはようございます」
と言うと、うんうん、と小宮は頷き、
「今日も頑張ってね」
とにんまり笑うので、
「……小宮さん、面白がってますね?」
と片目で睨むと、
「お昼一緒に食べようよ。
なにかあったら、報告して」
と言ってきた。
「食べませんし、報告しませんよっ」
と言っても、笑ってそのまま行ってしまった。
「遥……」
ひい、後ろが怖い。
「なんであんた小宮と」
と言い出したので、あのー、小宮さんはやめるって言いませんでしたっけ? と思いながらも、弁解する。
「すみません。
昨日、課長の前で固まってるの、見られてしまって。
私に課長に告白しろと言ってくるんです」
「は?
今まで普通に話してたじゃない。
なに急に緊張とかしてんの?」
と問われてしまう。
「いやいや。
いよいよ、意識し始めた証拠ですよ~」
と小宮より更に面白がっている声がした。
振り返ると、また優樹菜が立っていた。
「遥さん、A4の封筒、百枚ください」
と備品伝票を突きつけてくる。
「だから備品使い過ぎだって、あんたのとこ~」
と文句を言った。
「莫迦じゃないのー?」
小宮を避けるためか、お昼は、近くのファストフードに、亜紀に連れていかれた。
優樹菜も一緒だ。
うーむ。
これだと課長も避けてしまうことになるんだが、と思いながら、遥は亜紀に昨日の話をする。
案の定、莫迦じゃないの? と一蹴された。
「だいたい、パワースポットってなによ。
ただ一緒に帰りたいだけなら、課長に、一緒に帰りましょうって言えばいいんじゃない」
「亜紀さんっ」
と遥はポテトを持った亜紀の手を握る。
「目からウロコですっ!」
「……なんでよ」
「そうですよね。
一緒に電車で帰りたいなら、そう言えばいいだけの話ですよね。
なにかこう、運を天に任せるか、念じるかしか方法はないと思ってました」
「念じるってなに?」
拾い上げて、そのウロコ! と言われた。
「じゃあ、今日は課長のところに行って、一緒に帰りましょうって言ってきたら?」
はいっ、と言ったあとで、遠慮がちに亜紀に言ってみた。
「あの~……亜紀さん、ついて来てくださいませんか?」
あんた、小学生っ? と罵られたが、ついて来てくれそうな雰囲気でもあった。
だが、優樹菜が笑顔で、
「私、ついて行ってあげてもいいですよ」
と言ってくる。
「いや、いい」
と亜紀と二人同時に言っていた。
「えーっ。
なんでですかーっ」
と文句を言ってくるが。
いや、なんだか訳のわからないことや余計なことを言い出して、余計引っ掻き回しそうだからだ、と思っていた。
一緒に帰りたいとか、莫迦じゃないの?
高校生か、と思いながら、仕事に戻った亜紀はエレベーターに乗っていた。
「あれ? 亜紀ちゃん。
今日も綺麗だね」
そんなことを言いながら、小宮が乗ってくる。
「……ベタですね」
職場なので、一応敬語で亜紀は言った。
ははは、と小宮は笑っている。
「あの」
と呼びかけると、なに? とこちらを見た。
「あんまり遥をからかわないでもらえますか?」
「ああ、面白いよね、遥ちゃん。
あの二人、上手くいくと思う?」
と笑っている。
なんだ。
別に遥を好きとかいうわけじゃないのかな、と思ったあとで、なに、ほっとしてんだ、私、と思った。
そのとき、扉が開いて、航が現れた。
二人で頭を下げると、軽く下げ返してくる。
そのまま扉の方を向いてしまう航にちょっと迷う。
此処で私が言うべきか。
『課長、今日、遥と帰ってやってください』
いや、こういう男には、やはり、本人から言わせた方がいいか。
そんなことを考えている間に、小宮が勝手に航に話しかけていた。
「課長、ニンジン食べられるようになったそうですね」
わあっ。
なに言ってるんだ、この男っ。
案の定、航が、なに? という顔で見る。
「遥ちゃんが言ってましたよ。
僕、昨日同じ電車に乗ってたんで、遥ちゃんに聞いたんです」
航は不愉快そうだった。
原因は、子どものようにニンジンが嫌いなことを知られたことか。
小宮が遥と親しそうなことか。
「……食べられないわけじゃない。
あんまり好きじゃないだけだ」
「へえ。
じゃあ、なんでまた積極的に食べてみようと思ったんです?」
「遥が……」
「ああ、遥ちゃんが、ニンジン入りの手料理を作ってくれたとか?」
「作るか、あれが。
遥がニンジン入りの焼きそばを食べてて」
「美味しそうだったからですか?」
「いや、ニンジンは食べないでって言ってます、と俺に言ってきて。
それでだ」
「……すみません。
よく意味がわからないんですが」
と小宮は言っていたが、航は、そうか、とだけ言って降りていってしまう。
自分たちも同じフロアで降りるんだったのを忘れて、うっかりそのまま、がっしりした航の後ろ姿を見送ってしまった。
扉が閉まり、小宮が言った。
「ねえ、大魔王様のこと。
今まで、よくわからない人だなあって思ってたんだけど。
話してみると、より一層わからない人だね」
あれは手強そうだね、と小宮は言う。
どういう意味で手強いんだろうな。
遥が課長を落としにくそうという意味か。
それとも、あの人がライバルだと手強そうという意味か。
そのままエレベーターは社長の居るフロアまで上がってしまった。
専務が乗ってきたので、恐縮しながら、二人で下まで降りた。
何故っ?
亜紀さんが課長をガン見しているっ。
遥は仕事の手もおろそかになりながら、そちらを窺っていた。
総務に用があったらしい航が来て、部長と話をしているのだが、何故か亜紀がその背を見つめている。
わ、私が課長の話をし過ぎたせいで、亜紀さんも課長を好きになったとかっ?
と遥は、じゃあ、あんた、私が小宮の話をしたら、小宮を好きになるの、と言い返されそうなことを思っていた。
航が総務を出て行くとき、何故か亜紀も席を立つ。
なっ、なになになにーっ!
と思ったが、一緒に立つのもなんだかなと思い、視線だけでそちらを窺っていた。
通りすがりのおじさんが、
「おっ、古賀さん。
打つの速いねえ」
と言ってきた。
どうやら勢いに任せて打っていたようだ。
確認し直さなければと思いながらも、二人の出て行った廊下が気になる。
「新海課長っ」
遥ではない女の声にふいに呼び止められた。
振り向くと、亜紀が立っていた。
側に来て、声を落とし気味に言う。
「課長、今日、遥から、大事な話があるそうです。
ちゃんと聞いてやってくださいね」
大事な話?
……ってなんだ?
『私もニンジン食べられるようになりました!』
いや、あいつは最初から食べてるな。
もっと大事なことか?
女にとっての一大事と言うと、結婚か?
『結婚することになりましたので、ひとりリストラできますよ』
……誰とだ? 遥、と妄想の中の遥に話しかける。
『真尋さんとです』
何故か、妄想の中の遥は真尋と結婚すると言い出す。
実に可愛らしい笑顔で。
……ちょっとありそうで怖い。
『美味しいナポリタンと焼きそばを作ってくれる真尋さんと結婚したいです』
「あ、課長」
と亜紀が呼び止めて、まだ、なにか言おうとしたようだったが、そのまま人事に戻っていった。
あいつ、食べ物につられるタイプだからな。
真尋と結婚したら、あいつは俺の妹じゃないか。
……あんな小うるさい妹はいらん。
絶縁だ。
ずっとそんなことを考えていたせいか、いまいち仕事に身が入らなかった。
すべきことをしなかったわけではないが、何度も時計を見てしまう。
そのうち、時計は六時を回った。
あいつ、もう帰ってるだろ。
なにも言ってこないじゃないか。
なんなんだ。
思わせぶりなことを言っておいて。
いや、言ったのは、遥ではなかったのだが、何故か遥に腹が立つ。
そのとき、ぴょこん、といきなり遥の小さな頭が人事の入り口に覗いた。
「あ、古賀さん。
新海課長?」
と入り口付近に居た若い部下が笑いながら遥に言っていた。
「えっ。
課長ってわけじゃないんですけどっ」
と言ったあとで、
「……課長はまだいらっしゃいますか?」
と訊いている。
「居るよ、ほら」
と部下が手で、こちらを示した。
だが、目が合った途端、遥は隠れた。
「いえ、いらっしゃるんならいいです。
それでは~」
何故、帰る遥っ!
俺に大事な話があるんじゃないのかっ。
つい、立ち上がっていた。
そのまま遥を追って出る。
廊下には、もう帰り支度を済ませているらしく、鞄を抱えた遥が居た。
「は……、古賀遥」
遥と呼びかけ、言い換える。
誰が聞いているかわからないからだ。
「なにか俺に用があるんじゃないのか」
「あ、えーと。
まだお仕事ならいいです。
その、まだ帰らないのかなあと思って」
「なんでだ?」
「は?」
「何故、そんなことを訊く」
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