これでは私が襲っています 13


 千佐子を父親に引き渡したあと、真尋は、

「じゃ、送ってくよ」

と遥に言った。


 さっき乗ったところについ、乗ろうと、後部座席のドアに手をかけると、

「助手席乗ってよ。

 ひとりで前乗ってると寂しいからさ」

と言われる。


「あ、はい。

 わかりました。


 ありがとうございます。

 お世話になりました」

とご両親に頭を下げると、


「うむ。

 苦しうない」

と千佐子に言われた。


 よくわからない人だ……。


 横で、はいはい、と千佐子の夫が言っている。


 落ち着いた印象で眼鏡をかけていて、背が高くて。


 おや、うちのお父さんと似ている、と気がついた。


 そして、千佐子よりも、父親の方に、航は似ている気がする。


 顔は千佐子だが、雰囲気が。


 お母さんが最初に課長を見たとき、真尋さんより課長の方がいいと言ったので、お父さんと課長に似たとこなんてあるかな、と思ったのだが。


 やっぱり、何処か似ているのかもしれない、とちょっと思った。





「今日はごめんね。

 なんだかよくわからない感じになっちゃって」

と真尋に言われ、


「いえ。

 お二人の子どもの頃のお話とか伺えて、楽しかったです」

と言うと、


「そういえば、兄貴は酒を?むと積極的ってなに?」

と訊いてくるので、


「いえ、いつかのあれです。

 課長も酔われると、男の方ですから、やはり、ちょっと」

とアパートに連れ込まれたときのことを思い返しながら言うと、


「あのときも結局、なにもなかったんだよね?」

と一度話したはずなのに、窺うように訊いてくる。


 はい、と頷き、

「お、襲われたかったわけではないんですが。

 ああいう放り出され方もなにやら納得いかないなと」

と呟くと、真尋は、


「俺なら、絶対、放り出さないよ」

と言う。


「そりゃ、真尋さんなら……」

と言いかけたとき、真尋が助手席の背もたれに手をかけて、キスしてこようとしたので、ひゃーっ、と脳天を突き抜けるような悲鳴を上げてしまう。


「ああ、ごめんごめん。

 ちょうど赤信号だったからつい」

と真尋に謝られた。


 貴方は運転中、赤信号になると、反射的に助手席の女性にキスしてしまうのですか。


 うむを言わさずですが。


 ……その積極性、ちょっと課長に分けて欲しい、と思ってしまった。


 窓を流れる景色を見ていると、なんだろう。

 課長に会いたくなってしまった。


『航だ』


 いつ聞いたのだろう。

 課長の声が耳に蘇る。


 聞いているだけで、どきどきするが、不思議に落ち着くいい声だ。


『航。

 俺の名前だ。


 知ってるか?』


 あれは……もしや、呼べという意味だったのでしょうか。

 その名前で。


 いやいや。


 いやいや……と思いながら、課長、今、課長に会いたいです、と此処に居ない航に向かい、呼びかけた。


 まだ大きな道を走っているので、窓からの眺めは明るく鮮やかだ。


 こうして見ていると、いつもピカピカ綺麗で、クリスマスみたいだな、と思ってしまう。


 クリスマスコンパか、と思ったとき、真尋が言った。


「兄貴の魅力って、なに?」


 は? と振り向く。


「遥ちゃんはさー。

 今まで好きな人とか居なかったわけでしょ?


 それがなんで、兄貴をいいと思うようになったの?」


「いや……いいとか思ってるわけではないんですが」

と言ったあとで、これでは、悪い方だと言っているようだ、と思い、慌てて弁解ついでに本心を吐露してしまう。


「い、いや、いい方ですよ。


 その、私が課長をいいなと思うのは。


 ……そうですね。

 本の好みが合いそうだったりとか。


 電車が一緒だったりとか」

と言うと、電車が一緒だったりは、いい方と関係ないんじゃない? という顔をされる。


 だが、電車で相席したことがそもそもの始まりなので、自分としては、航を語るに外せない一点だ。


「酔うと性格変わる癖に、すぐに戻ったり。


 翌日は知らんぷりして、それをなかったことにしようとしてみたり」


「いや、そこだけ聞くと、結構ロクでもない男みたいなんだけど……」

と言われたが、遥は目の前の道を見つめて言った。


「でも、私は、課長のそういう不器用なところが好きかなあって思います」


 そう言ったあとで、

「あっ、す、好きって、その好きじゃないんですけどっ」

と恥ずかしくて慌てて付け足したが、


「往生際悪いよ」

と笑われてしまう。


「そうなんだ。

 あのルックスとか出世しそうなところが好きなわけじゃないんだね」

と言われ、


「……課長は出世されないかもしれません」

ともらすと、


「なんでそう思うの?

 あの年で、あんな大きな会社の人事課長なんて、どんな理由があるからにしたって、出世頭じゃん」

と言われる。


「そうなんですけど。

 なんていうか、課長は人がいいし。


 ガツガツされたところもないので。


 余程、引き立ててくださる上役の方がいらっしゃらない限りは、出世されないかなあと」


「はあまあ、会社って、ゴマすったもん勝ちみたいなところあるらしいからね」


 まあ、向いてないよね、とさすが兄弟、真尋もそれを認めたが、いや、それより心配していることがある、と思っていた。


 課長は、本当にあと十人もリストラ出来るのだろうか。


 無事にこの役目を終えられるのだろうか。


 航の妙に潔いところがなんだか怖い。


 そんなことを考えている横で真尋が言う。


「そうかー。

 出世しそうな男に、特に興味はないわけね。


 じゃあ、俺も別に、次々チェーン展開とかしなくても、遥ちゃん的には駄目ってこともないのか」

と言ってくる。


「チェーン店ですか?」


「そう。

 儲けようと思ったら、あの一店舗じゃ無理だろ」

と言ってくるが。


 遥は少し考え、

「真尋さんの店はチェーン店は出せないと思います」

と言った。


 うっ、と真尋はつまる。


「確かに、儲かってないけど。

 手厳しいねえ」

と言う真尋に、


「違います。

 真尋さんが、二、三人いらしたら、チェーン店も出来るのではないかと思いますが。


 真尋さんはひとりです。


 みなさん、真尋さんの店には、美味しい珈琲を飲みに行ってるだけじゃないんです。


 真尋さんに会って、ほっとしたくて行ってるんです」


「……遥ちゃん」

と呼びかけてきた真尋に、


「すごくいい話だけど、珈琲、一度でも飲んでから言って」

と言われてしまう。


 うっ。

 すみません、と謝ると、真尋は笑う。


 でも、本当だ。


 みんな珈琲だけではなく、真尋に安らぎを求めて行っているのだ、きっと。


 それは自分もそうだから。


 いや……珈琲は飲んでませんけどね。


 美味しいですよ、真尋さん、ナポリタンと焼きそば、と思っていると、真尋はそっと笑って言ってきた。


「……俺の方がみんなからもらってるものが多いと思うけどね」

と。






 道順を説明することなく、車は遥の家に着いた。


「すごいですね、真尋さん」

と言うと、真尋は、


「いや、普通、一回来たら、わかると思うんだけど……」

と言ってくる。


 はは、と苦笑いしていると、真尋は遥を見つめて笑う。


 その顔を見ながら言った。


「ありがとうございました。

 楽しかったです。


 本当にいつも、真尋さんにはお世話になってばっかりで。

 感謝してます」


「いや、俺の方こそ、毎度笑えて、楽しいよ」


 うっ、とつまっていると、

「まあ、また来てよ」

と微笑んでくれたので、はいっ、と勢いよく返事した。


 今度は綺麗な人をいっぱい連れていってあげよう、と感謝しながら、降りようとしたとき、何故か、ドアにかけた遥の手に、真尋の手が触れた。


 おや? と振り返ると、いきなり真尋がキスして来ようとする。


「まっ、真尋さんっ」

と遥はドアに張り付くように、飛んで逃げた。


「今、赤信号じゃないですっ」


 そう叫ぶと、真尋は吹き出した。


「いや、赤信号で反射的にするってわけじゃないんだけど」


 それ、どんな呪いだよ、と真尋が笑っている間に、車の音がしたせいか、母親が出て来た。


 真尋は車から降り、にこやかに母親に挨拶する。


 何事もなかったかのように。


 まあ、真尋さんにとっては、なんてことないことなんだろうな。


 彼の住んでいる世界ではきっと、女の子を送っていったら、降り際には、キスしなければ、失礼なのだろう。


 そんなことを考えていたら、姉までが出て来た。


 ……また来てるのか、姉。


 家は大丈夫か、と思っていると、真尋が帰ったあと、中に入りながら姉は言ってきた。


「そっくりじゃん、あんたの大魔王様と」


 いや、あんたまで、大魔王様と呼ぶな、と思っていると、

「でも、私は、今の人の方が好みだなー」

と言ってくる。


「じゃあ、お店、行ってあげなよ。

 落ち着いた……」

と言いかけ、いや、落ち着いてないな、と姉を見ながらも、


「美人が好きなんだって」

と言うと、


「あらーっ。

 じゃあ、行かなきゃね」

と言う。


 ……おい、と思っていると、

「じゃあ、なんで、あの人、あんたがいいのよ」

と言い出した。


「え? 真尋さん?


 真尋さんは、別に私がいいってわけじゃ。

 乗せて帰ってくれただけで」

と言うと、姉は既に閉まっている扉を振り返りながら、


「そう?

 あんたに気があるように見えたんだけど」

と言ったあとで、


「でも、あんたはあの、無骨な軍人さんみたいなお兄さんの方が好きなのよね」

と言ってくる。


 ……いけませんか?


 無骨な軍人さんみたいじゃ、いけませんか? と思ったのだが、とりあえず、喧嘩を売らずに訊いてみた。


「おねえちゃんは、結構モテたじゃん」


「なに過去形にしてんのよ、あんた」


 いや、既に人妻なのだから、今更、モテてもトラブルの元だろうと思ったのだが、まあ、女として、そういうものでもないのだろう。


「なんでお義兄さんにしたの?」

と訊くと、姉は、うーん、と、


「話してて、一番しっくり来たからかな」

と意外にまともなことを言ってくる。


「笑った顔が好きだったの。


 隆弘さんが、うちに遊びに来て、お母さんたちと話してるのを見たとき、その違和感のなさに、ああ、私、この人と結婚するのかなって思った。


 まあ、頼りなさそうに見えて、芯もしっかりしてるしさ。


 チャラくないし。


 ま、そういう意味じゃ、あんたの軍人さんと変わらないか」

と言ってくる。


 いや、だから、課長、軍人じゃないし。


 人斬りとは呼ばれてるけど。


 ……でも、青年将校の格好とか似合いそうだな、とちょっと思ってしまう。


「隆弘さんも、あっちから押してくるようなタイプじゃないから、結婚も結局、私が決めたようなものね」

と言われ、えっ、と言ってしまう。


「今どきの男はみんなそうよ。

 それか、ストーカータイプで束縛が強いか」


 ……偏見だ、と思うが、自分より経験豊かな姉の言葉なので、なんだか反論できない。


「実家に居る方が楽だから、なかなか結婚に踏み切らなかったりするし。


 言いそうにないわねえ、あの大魔王さまも。


 でも、あんたも押してくタイプじゃないし、前途多難ね。


 やっぱり、どっちかが積極的でないとね。


 京都にでも行ってきたら?

 願掛けに」

と言われてしまう。


 課長は実家じゃないから、居心地良くてというのはないかもしれないが。


 うーん。


 ……でもまあ、その前に、とりあえず、付き合うところまで行かなければな、と思っていた。


 先は長いな……。




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