これでは私が襲っています 12
「遥ちゃん、隠れてっ」
と言われた遥は、は? と言って、後ろを振り返る。
なんだろう。
すごい大柄な美人の人が入ってくる。
あら、とこちらを見た。
なんとなく頭を下げる。
「あら、真尋。
新しい彼女?」
と遥の横に荷物を置きながら、大きな声で言ったので、店内の女性客が、みな、こちらを見た。
ちっ、違いますーっ、と思っていると、
「違うよ。
この人は兄貴の彼女だよ」
と真尋が言う。
それも違うっ、と思いながら、慌てて遥は言った。
「ちっ、違いますっ。
部下ですっ。
あっ、部下でもないですっ。
課長のコンパをお手伝いしているだけの、しがない隣りの課のものですっ」
弾みでそう言ってしまい、
しまった。
うちの上司に聞かれたら、なにが、しがないと言われそうだ、と思ったが、問題はそこではなかった。
「コンパ?」
とその女性は意志の強そうな眉をひそめる。
「あのー、遥ちゃん。
それ、うちの母親……」
ひいいいいっ。
コッ、コンパとか言ってしまいましたっ。
「いっ、いえ、仕事で、コンパをっ」
「仕事でコンパ?」
「課長はそのっ、別に浮かれて、コンパをなさるわけじゃなくて……っ」
リストラの苦肉の策でっ、と言いかけたのだが、浮かれてというフレーズで、あの似合わない星つきの三角帽子を被った航の写真を思い出し、吹き出してしまった。
「すっ、すみませんっ」
「真尋……なんなの、この子」
「ごめん。
さすが兄貴の彼女、変わってるんだ……」
と何故か真尋が謝ってくれた。
いや、ちょっと謝り方に問題がある気もしているが。
「貴女、よくあの航と付き合うとこまで話持ってけたわねー」
ワイングラスを手に、航たちの母、千佐子(ちさこ)が言う。
近くのダイニングバーに三人で来ていた。
「なんで母さんまでついてくるんだよ」
嫌そうに言う真尋に、千佐子は、
「なによ。
あんた、遥さんと二人で来る気だったの?
っていうか、なに、あの張り紙は。
それから、航にも電話しなさいよ」
と言って、嫌だと言われていた。
「遥ちゃんが煮詰まってるみたいだから、兄貴の愚痴を聞いてやろうと思ってたんだよ」
と言うと、
「あら、だったら、私が聞くわよ。
私が産んだ私の子どもの愚痴だもの。
さ、遥さん。
愚痴りなさい」
と言い出す。
……無理です、お義母さま。
そういえば、課長の部屋に入ったことのある女は、お義母さま、まどかさん、私、だと課長が言ってたっけ。
あとこの場に足りないのは、まどかさんだな。
このダイニングバーで、鳥カゴに入ったまどかさんが、ケーッと鳴きながら暴れるところを想像してしまった。
いや……インコ、ケーッて鳴くんだっけ?
しゃべるよね、確か、人の言葉を、と思っていると、
「遥さん、どうしたの?」
と千佐子が訊いてくる。
「すみません。
今、まどかさんって、なにしゃべるんだろうなと思ってました」
「……誰、まどかさんって」
と千佐子は真尋を振り返っている。
「一時期、兄貴が飼ってたインコだよ。
ごめん。
遥ちゃんは、時折、頭の中身がよそへ行ってしまう子なんだよ」
……なにか可哀想な感じに言われてますが。
いけませんか? と思う。
学生時代、みんなが、ひいひい言って、走っていた持久走でも、よそ事を考えているうちに終わってしまうので、然程、苦ではなかったし。
時折、妄想の翼を広げてみるのも悪くないと思うのだが。
「あらそうなの。
なんだか航にぴったりなお嬢さんね。
おめでとう、遥さん」
となにがおめでとうなんだかわからないまま、ワイングラスをグラスで軽くコンとやられた。
「困った子なのよ。
私に似て、顔も綺麗だし、身長もあるのに。
女性に興味がないのか。
真尋と違って、浮いた噂がなくてー」
おかしい……。
私に愚痴れと言ってくださったはずなのに、お義母さまが愚痴っておられる、と思いながら、遥は何杯めだか、もうわからなくなったワインを空けていた。
千佐子がどんどん呑む上に、実にいいタイミングで、真尋が二人についで来るからだ。
しかも、真尋自身はあまり呑んでいないような。
笑って二人の話を聞いているだけのように見える。
まあ、店でもいつも聞き役に徹しているようだから、こういう状況は慣れているのだろう、と思ったあとで、いや、逆か、と思う。
母親のせいで、慣れているから、店でずっと女性の愚痴を聞いたりしているのが苦ではないのだろう。
人の話を聞いていない課長とは対極に居る人だな、と思う。
課長に言わせれば、人の話を聞いてないのはお前だろう、と言われそうだが。
真尋さん、人を眺めているのが好きだと言っていたし、人間が好きなんだろうな。
課長は、嫌いということはないんだろうけど、仕事の方が好きそうだな。
……少なくとも私よりも仕事の方が、と思いながら、また真尋がついでくれたワインを呑んだ。
「でも、女性に興味がないということもないと思いますが」
と遥がもらすと、
「そうよね。
貴女という人が居るんだものね」
と千佐子は言う。
「いえ、私は課長とはなにも。
いや……なにもじゃないですけど」
と思い返しながら呟くと、真尋が、
「遥ちゃん、親の前、親の前」
とたしなめる。
「いえ、大丈夫です。
親御さんの前で話せないほどのことはしていません」
ちょっとアパートに連れ込まれて、キスされただけです、と思っていたのだが、何故か、千佐子に説教される。
「駄目じゃないの、遥さん。
こっちから行動起こさないと、あの男はいつまでもぼんやりしてるわよ」
「これ、進まないカップルだよねー。
恋愛に関しては、自信がない兄貴と、ぐいぐい押してかない遥ちゃん」
と真尋が言い出したので、
「課長が自信がないかどうかは知りませんが。
もし、そうだとするなら、真尋さんのせいなんじゃないんですか?」
と言うと、えっ? 俺? と言う。
「真尋さんは、同じ顔なのに女性に長けてらして。
真尋さんを見るたび、自分はああはなれないと思ってしまわれてるんじゃないでしょうか?」
うーん、と考えた千佐子は、親の率直な意見として、
「でも、真尋みたいに積極的な航って、想像つかないんだけど」
と言ってくる。
「仕事では積極的なんですけどねえ」
「まあ、遥ちゃんに関しては、かなり押してってる気もするけどね」
と言う真尋に苦笑いして、
「いえ、酔ってるときだけですよ」
と言うと、
「あら、じゃあ、ずっと酔わせときゃいいじゃないの」
と高笑いして、千佐子が言う。
「お義母さま、私と同じ発想ですね」
と二人で手を握り合った。
航を呼ぶ、という千佐子を何故か真尋が振り切り、二人を車で送ってくれた。
「なによ。
あんた、呑んでなかったの?」
と千佐子が助手席で文句を言っている。
「いや、だって、母さん、絶対べろべろに酔うからさ。
ましてや、嫁になるかもしれない人と初めて一緒に呑んだわけだし」
「そうか、嫁。
嫁よね。
私、姑になるんだわ。
真尋、見てなさいよ。
私、おばあちゃんみたいな姑にはならないからねっ」
と言いながら、航の手にも似た大きな熱そうな手で、バンバン真尋の肩を叩く。
「殴らないで運転中っ」
と真尋が訴えていた。
おばあちゃんみたいな姑にはならないって、なにがあったんですか……と思いながら、聞いていた。
「遥さんっ」
「はっ、はいっ」
「末永くよろしくお願いしますっ」
とまだ酔っている風な千佐子に頭を下げられ、いえ、と頭を下げたあとで、はたと気づいた。
「あのー、楽しくお酒をいただいて、しかも奢ってもらったあとで、なんなんですが。
私は別に課長とお付き合いしているわけでは……」
「じゃ、付き合いなさいっ」
「はい?」
「付き合って、結婚なさい。
遥さんっ」
「はいっ」
「航と結婚してくださいっ」
……お義母さまにプロポーズされてしまいました。
人生、初のプロポーズなんですが……。
ちょっと嬉しいような。
いや、やはり、ちょっと悲しいような、と思っていると、こちらの気持ちを読み取ったのか、真尋が、
「……ねえ、もういいから、寝て」
と言い出した。
そのとき、車が昔の洋館風の大きな家の前に着いた。
真尋が先に降りて、チャイムを連打している。
「父さん、門開けてー。
出て来てー、引き取ってー、この酔っ払いーっ」
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