これでは私が襲っています 11


 なんだか莫迦みたいなカップルなのに。


 うらやましいと思ってしまうのは何故だろう。


 そんなことを思いながら、亜紀は二人を見ていた。


 こういう人が相手だと、私だったら、イライラするが、遥にはちょうどいいようだ、と思う。


「はい、じゃあ、課長。

 仕事なすってください」

と亜紀は給湯室の扉を閉めた。


 遥が、あ、と言う。


 まだ大魔王様と話したかったのかと思ったが、そうではなかった。


「そういえば、給湯室のドアは閉めちゃ駄目だって、引き継ぎのときから言われてるんですけど」

と言ってくるので、


「莫迦ね。

 それは私のせいよ」

と亜紀は言った。


「私が此処で、新人の子を泣かせてから閉めてはいけなくなったのよ」

と言うか、泣かせた奴が上司にチクったからだ。


 学校で言うなら、自分ミスしてが叱られたのに、教師に言いつけに言ったようなものだ。


 人前で叱っては悪いかと思い、此処で叱ったのだが、まるで陰でいじめたみたいに言われてしまった。


 まあ、確かに私の説教は母親に似て長いかもしれないが。


 一応、彼女らのためを思って言っているつもりなのに。


 あまり理解されないな、と思っていた。


 今では小うるさいお局様のように言われている。


 まだそんな年でもないのに。


「私は言いつけに言った奴こそ、まず叱れって思ってるけどね」


「……亜紀さん」

と苦笑いして遥が言うので、


「なによ。

 ミスしたのは、あっちの方よ。


 ああいう子は、言わなきゃわかんないの。

 それに、ほんとに腹立つくらい、とろかったのよ。


 そのくせ、男にだけはちゃっかり愛想ふっちゃってさ」


 ちなみにあんたもとろいけど、何故か腹立たないわよ、と言うと、

「あ、ありがとうございます?」

とちょっと疑問形で遥は礼を言ってきた。


 褒められてるのか、けなされているのか、いまいちよくわからなかったからだろう。


「しっかりしなさいよ、遥」

とその背を叩く。


「なんだかんだで、課長、いい男だし。

 そういうちゃっかり女に持ってかれないようにね」

と言うと、


「ちゃっかり女……まどかさんとか?」

と言ってくる。


「まどかさん、誰よ」


「言いませんでしたっけ?

 インコです」


「何故、あんたはインコに怯えてんのよ……」


 人間としての尊厳は何処? と言ったが、

「だって、私より課長の心の近くに居る気がするんです」

と言い出す。


「……インコが?」


「インコが」

と遥は頷く。


「……あー、そう。

 まあ、そういうこともあるかねー」

といまいち心のこもっていない発言をしてしまった。


 申し訳ない。





 なんだかんだでいい男、のなんだかんだが気になるな、と遥は思っていた。


 給湯室を出て、ひとり廊下を歩きながら、なんだもかんだもなく、課長は、いい男ですよーと思っていると、


「遥」

と呼びかける声がした。


 ひっ、と遥は身をすくめる。


 航が後ろに立っていた。


 もしかしたら、心配して、給湯室の様子を窺っていたのかもしれないと思う。


「悪かったな」

と航は言ってきた。


「うっかり余計なことをしゃべってしまって」

と言うので、


「うっかり過ぎます~っ」

と文句を言った。


「でもあの、課長。

 私、本当に、課長にそんなご無礼なことを言ったんですか?」

と訊くと、航は少し赤くなり、


「……ご無礼ってわけでもないだろう」

と言ってくる。


 まあ、ペラペラしゃべって悪かった、と言って航は行ってしまった。


 課長らしくもなく、何故、そんなことを人にしゃべったのか。


 結局、したのかしなかったのか、なにもわからなかったな、と思いながら、その後ろ姿を見送った。





「なに唸ってんの? 遥ちゃん」


 会社帰りに寄った店で、カウンターの向こうから、真尋が訊いてくる。


「いや、なにやら、私、大失態を犯したようでして」


「へえ、仕事?」

と訊かれたが、黙ると、


「ああ、じゃあ、兄貴のことだね」

と笑って、結論づけられた。


「まあ、聞かないでおいてあげよう」

と武士の情けか、仏心か言ってくれた真尋は、


「で、なんにするの?」

と訊いてきた。


「なにかこう、私の心が癒されるようなスペシャルなものが食べたいです。

 とりあえず、焼きそばとナポリタン以外のもので」


 わかった、と苦笑する真尋には、本当にわかっていただろう、と思う。


 焼きそばとナポリタンを見ると、課長を思い出すので避けているということを。


「真尋さん。

 なんでこう、なにもかも上手くいかないんですかね?」

と呟くと、


「よくわからないチャラ臭い男とフラフラしてるからじゃないの?」

とつれなく言われてしまう。


「いや、すみません。

 それ、小宮さんのことですよね……」


 どんな言いようだ、と思いながら、

「そういうことじゃないんですよ~」

と嘆く。


「課長と親しくさせていただくようになってから、なんていうか。

 私が私じゃないみたいって言うか。


 とんでもないことを言っちゃったりやっちゃったり……」


「相性が悪いんじゃない?」


 そう切って捨てるように真尋は言う。


 うう。

 そうなのでしょうかね、と遥はいじけた。


 そこで、真尋は、

「そうだね。

 君の心を癒せるようなスペシャルに美味しいものはこの店じゃ出せないな」

と言い出す。


「そうですか。

 すみません。


 ご無理言いまして。


 でも、真尋さんの作るものはなんでもスペシャル美味しいですよ」

と言うと、


「ありがとう」

とちょっとだけいつもの顔で笑ったあとで、


「時間、大丈夫?」

と訊いてくる。


「え、はい……」

と言うと、真尋は奥に入って行った。


 なにかを書いた紙を持って外に出る。


 それをドアに張って戻ってきた。


「なんですか? 今の」

と問うと、


「今日、九時で店閉めるから、軽くなにか食べて待っててよ、遥ちゃん。

 本当に美味しいお店に連れていってあげるよ」

と言い出す。


「えっ、でもっ」

と店内を見回す。


 早く閉めさせていいのだろうかと思ったからだ。


「いや、もともとは九時なんだけど。

 なんとなく、ずるずる遅くまで開けてたんだよね。


 今日はちゃんと、九時に閉めようかと思って」


「ちゃんと閉めますって書いて来たんですか?」

と振り返る。


 白い紙がガラス越しに見えた。


 それもおかしな話だ。


 ちゃんと時間通りに閉めますとか。


 ちゃんと定休日には休みますとか。


 わざわざ書いて張らないといけないなんて。


 真尋さん、人が良さそうだから、まだ、大丈夫? とか、あら、日曜は休みなの? とか言われたら、店開けちゃうんだろうな、と思ってちょっと笑ってしまった。


「つきあってあげるよ、遥ちゃんの愚痴に。

 どうも兄貴が原因らしいから、責任とって」

と真尋は言ってくる。


 いや、そんな申し訳ない、と思いながら、

「そういえば、この店って、何曜がおやすみなんですか?」

と訊くと、


「不定休だよ。

 用事があるとき休むだけ。


 此処でぼんやり人眺めてるの好きなんだ。


 それが趣味みたいなもんだから、別に休みっていらないかなって。


 女の人もいっぱい来るし」

と言う。


「そうなんですか。

 でも、たまには、休んで、ゴロゴロされるのもいいと思いますよ。


 真尋さんが無理して倒れたりされたら、みんな心配しますから」

と言うと、


「……そうだね、ありがとう」

と真尋は笑う。





 休んでゴロゴロね、と軽くサンドイッチをつまんでいる遥をちらと見て、真尋は思う。


 頭に浮かんだのは、日当りのいい自分の部屋で休日、遥と二人でゴロゴロしている姿だった。


 なんでだろうな。


 ゴロゴロだらだらしてそうだからかな、と遥のつむじを見下ろし、ぷっと笑うと、遥が、え? え? とこちらを見たり、周囲を見たりし始めた。


 基本、挙動不審だよね、と思う。


 まあ、あの子どもの頃から、落ち着き払っていた兄貴も遥ちゃんを前にすると、挙動不審になるけど。


 そんなことを考えていると、客も減った頃、遥が言い出した。


「今日は、課長は来ないんですかね?」


「あのー、遥ちゃん、兄貴に会いたいの?

 会いたくないの?」


 大好物らしいナポリタンや焼きそばを兄貴を連想するからと避けていたくせに、と思いながら問うと、

「いやそれが、今日は、びみょーな感じなんですよねー」

と遥は腕を組んで唸る。


「大丈夫です。

 明日は立ち直ります」

と言ってくるので、そうか、じゃあ、言い寄るなら、今日か? と反射的に思ってしまう。


 いやいや。

 これだけモテるのに、兄貴の彼女に手を出さなくてもいいんだが、と思ったとき、その人影が見えた。


 ドアの前に立ち、張り紙を見ている。


 げっ、と棚に戻しかけた皿をつかんだまま、止まる。


「どうしたんですか?」

と遥に訊かれた。


「ヤバイ。

 いや、別にヤバくはないんだけど。


 ……遥ちゃん、隠れてっ」

と言うと、遥が、は? という顔をした。






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