これでは私が襲っています 10
「新海、なに渋い顔してるんだ?
金曜は遥ちゃんと呑んだんだろ?」
と社食で航は大葉に言われた。
「今朝は一緒に来たと聞いたが、土日は一緒だったのか?」
とにやにや笑って言われるが。
「いや、遥を家に送っていったら、遥の父親が家まで送ってくれて。
UFOとUMAの話をしながら帰った」
「……全然進展してないような、ものすごい進展してるような。
微妙だな」
と小堺が笑って言う。
「一応、親公認になったんだ?」
と確認されるが、いや、遥に好きだとも言っていないのに、公認もクソもない気がするんだが、と思っていると、後ろから声がした。
「えーっ。
あのあと、遥ちゃん、今度は課長と呑みに行ったんですか?」
トレーを手にした小宮だった。
「此処いいですか?」
と空いていた小堺の隣りに座る。
「じゃあ、僕が家まで送っていけばよかった」
と嘆いている。
「ちゃんと家まで連れて帰ったんですね?」
と確認するように言ってくるので、何故お前に言われにゃならん、と思いながらも、
「ちゃんとおんぶして連れて帰った」
と言うと、小宮は、微妙な顔をする。
「今、おんぶとかずるい、と思ったけど。
よく考えたら、そんなに酔わせておいて、ちゃんと家に連れて帰るってすごくないですか?」
と言ってくる。
「なんでだ。
連れて帰らないとまずいだろう」
と言うと、
「真面目ですね、課長」
そんなんじゃ、なにも発展しませんよ、と何故か、説教じみた口調で言ってきた。
お前、遥が好きなんじゃないのか……。
「でも、おんぶっていいよね。
こう身体が密着して」
と小堺は鼻の下を伸ばしていたが、
「いや、小堺さん。
おんぶじゃ、手も使えないし、顔も遠いし、なにも出来ないですよ」
と大真面目に小宮は反論している。
この男は、普段、なにを考えて生きてるんだろうな……。
自分の対極に居る人間のような気もするが、所詮、同じ男なので、大差ないような気もしている。
とりあえず、遥の側には置いておきたくないかな、と思っていると、
「まあ、課長だったら、そんなもんですかね」
と少し上から目線で言ってきたので、つい、
「確かに、おんぶじゃなにも出来なかったが。
遥はお姫様抱っこなら、キスできると言ってきたぞ」
と言い返してしまうと、
「遥ちゃん、意外と大胆だねえ」
と大葉が妙なところで感心していた。
「路上でお姫様抱っこでキスですか。
いや、僕でも出来ませんよ、それ」
と小宮が言い出す。
「すごいですね、課長」
「だから、やってない……」
「そうですね。
出来たら、師匠と呼んでついていきますよ。
遥ちゃんを諦めてもい――」
と言いかけ、
「いやまあ、それは無理ですけどね」
としれっと笑って言ってきた。
何処まで本気なのか、よくわからない男だ……。
「やあやあ、遥ちゃん」
朝子たちと外食していた遥は、戻ってきたとき、航たちと出会った。
彼らはロビーのソファで、珈琲を飲んでいたのだが、何故か、大葉が笑って声をかけてくる。
なんかものすごく妙な空気を感じるんだが……と思いながら、微妙な感じに視線を逸らしている航の側に行き、
「な、なにかあったんですか?」
と訊いてみたのだが、航は、
「いや、別に……」
としか言ってこない。
なんだろう。
嫌な予感しかしないんだが、と思いながら、遥はその場から後ずさるように逃げていった。
昼の仕事が始まり、最近食べ過ぎなので、階段を使っていると、下から小宮が上がってきた。
冷ややかにこちらを見て言う。
「あ、お姫様抱っこでキスの人が来た」
「なっ、なんなんですか、それーっ」
と叫びながら、遥は、ん? お姫様抱っこのフレーズ、今朝聞いたな、と思っていた。
じゃ、と行こうとする小宮の腕を引きずり落す勢いでつかむと、
「死ぬ死ぬ死ぬーっ。
遥ちゃんっ」
と手すりをつかんで、小宮が叫ぶ。
「あっ、すみませんっ!
てか、なんなんですかっ。
その、お姫様抱っこでキスってーっ」
「デカイ声で叫ばないでよっ」
響くよ、階段。
丸聞こえだよーっ、と小宮の方が叫んでいる。
「あのっ、さっき、ロビーで大葉さんたちがすごいにやにや笑って私を見てたんですが、なんかそれと関係あるんですか?」
と逃がすまいと腕をつかんだまま問うと、
「ああそう。
今日、僕、珍しく新海課長たちとお昼一緒だったんだけど。
君の話になったとき、課長が、この間、遥ちゃんに、路上でお姫様抱っこでキスしろって言われたって話になってさ」
と小宮は言い出した。
「なっ、なんですか、それーっ!」
「いやあ、すごいよね、遥ちゃん。
君、僕の事を神って言ったけど、僕は君を師匠と呼ばせてもらうよ。
君は恋愛の師匠だよ。
さすがの僕もそんなことなかなか言えないし、出来ないよ」
じゃっ、と何故か、怒ってる風の小宮は行ってしまう。
「こっ、小宮さんっ。
この話は……」
と手すりを持ち、すがるように見上げて言うと、もう踊り場の先まで行っていた小宮は上から見下ろし、冷ややかに言ってきた。
「大丈夫だよ。
誰にも言わないよ。
大葉さんと違って、して楽しい話でもないしね」
じゃあ、と今度こそ行ってしまう。
ちらと亜紀の姿が下に見えた気がしたが、今は気にする余裕はなかった。
遥がとぼとぼと自分のフロアに戻ると、廊下に亜紀が仁王立ちになっていた。
「ちょっと遥。
給湯室に来なさい」
『亜紀さんに給湯室に来いと言われたら気をつけて』
入社して総務に配属されたとき、真っ先に言われたセリフだ。
給湯室で亜紀にネチネチ言われて泣かされたという子は結構居る。
遥は亜紀の側まで行くと、組んでいる亜紀の腕をぐっとつかんだ。
「亜紀さん、今すぐ給湯室に来てください」
「……は?」
そのまま戸惑う亜紀を引きずっていく。
しかし、連れ込んだまま溜息をついていると、
「なんなのよ、あんた。
っていうか、そうよ」
と本来の目的を思い出したらしい亜紀が言ってきた。
「あんた、このヤカンで殴られるのと、お盆で殴られるのとどっちがいい?」
とヤカンと重そうな木製のお盆を見せてくる。
「私、忠告したわよね。
小宮にちょっかいかけるなって」
遥はそんな亜紀をチラリと見て言った。
「もう諦める、も何回か聞きましたが」
「あんた、喧嘩売ってんの?」
と言う亜紀の両腕をおもむろにつかみ、一緒にしゃがませる。
「聞いてください、亜紀さん」
「……あんた、人の話を聞きなさいよ」
そう言いながらも、一緒に小声になり、しゃがんでくれる。
いい人だ。
「わ、私、酔って、路上で、課長に、お姫様抱っこでキスしてくださいって言ったらしいんですよーっ」
と泣くと、えーっ、マジでっ!? と亜紀は身を乗り出す。
「いいじゃないの。
してもらないなさいよっ。
っていうか、したの?
あの課長が、路上でっ」
わかりませんーっ、と顔を覆う遥に、
「莫迦じゃないのっ。
そんなレアなことっ、覚えときなさいよっ。
もう一回やってもらいなさいっ」
と言ってくる。
ええっ!?
「それにしても、あんた純情そうな顔してすごいわねっ」
と言われ、
「いっ、言ってないと思いますっ」
と遥は主張した。
「きっと、なにか話が曲がりくねってるんですよっ。
だって、出どころ、大葉さんと小宮さんですからっ」
と我が身可愛さに失礼なことを言ってしまう。
そのとき、ちょうど航が給湯室の前を通った。
「あっ、課長ーっ」
といきなり立ち上がった亜紀が航を呼び止める。
ひいいいいいいっ。
「課長っ。
遥が課長に、路上で、お姫様抱っこでキスしてくれって言ったってほんとですか?」
祈るように航を見ていたが、航は一瞬、上を見たあとで、
「……ほんとだが」
と言ってきた。
「死にます」
は? と二人が振り返る。
「私をさっきのヤカンで殴ってくださいっ」
「いや、あんた、なに言ってんの?
ヤカンで死なないから」
っていうか、それで死ぬほど殴るの嫌だから、と亜紀が言ってくる。
「酔うと積極的になるのは、課長だけじゃなかったんですね」
と錯乱して呟いてしまい、こら、待て、と赤くなった航に言われた。
ベラベラしゃべるなと言いたいのだろうが。
いいえ、貴方の方が余計なことをしゃべっています、と思う。
すると、亜紀が、
「いいじゃないの。
酔うとお互いが積極的になるんなら。
っていうか、それでどうして、話が進まないの?」
と心底不思議そうに訊いてくる。
「酔いって冷めるものだからですよ、亜紀さん」
と遥が言い、
「あと、遥の家が駅から近すぎるからだな」
と航が言った。
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