これでは私が襲っています 9



 で、 何故、俺はまた遥の父親に送ってもらっているのだろう。


 しかも、今日は遥も居ない。


「よく連れて帰ってくれたね、ありがとう」

と言われ、はっ、いえ、と畏まる。


 酔った遥をどうにでも出来たのに、ちゃんと家まで連れて帰ったことに対して、ありがとうと言ってくれているようだった。


 ……すみません。


 この間の夜は連れ込みかけました、と思いながら、車窓を眺める。


 不思議だな、と思っていた。


 まだ二回しか会っていない人なのに。


 こんなに緊張しているのに。


 この人と一緒に居ることに、なんだか違和感がない。


 遥の父だからだろうかな、と思いながら、窓から、また星を見た。





「あんた、若い娘がこんなになるまで呑んでー」


 トイレに目を覚ました遥は、ついでに水を飲みに下り、母親に説教されていた。


「新海さんがいらっしゃらなかったら、どうなってたと思ってるの。

 きっと駅のベンチに寝て、そのまま留置場行きだったわよ」


 いや、課長が居なかったら、そもそも呑んでないと思うんですが、と思いながら、遥はソファに腰を下ろす。


 はい、と水を出された。


「ありがとう。

 お母さん。


 お父さんは?」

と訊くと、


「今、新海さん送ってってるわよ」

と言われる。


 うう、申し訳ない、と思っているうちに、玄関が開く音がした。


「ただいまー」

という声がして、リビングに父親が入ってくる。


「お、お父さん、ごめんなさい」

と苦笑いしながら言うと、


「いや、なかなか楽しかったよ」

と異な事を言い出した。


 ……課長と二人でなにが楽しかったのだろう、と思っていると、二人で、星の話から、UFOの話になり、UMAの話になったと言う。


 好きそうだな、二人とも……。


 父親は棚に鍵を置きながら言う。


「最初に彼の顔を見たときに、ああ、遥は、この男と結婚するのかなと思った」


 いきなりの発言に遥は水を吹きかける。


「高校のときお前を送ってきた、ほら、誰だっけ? 吉村くん。

 彼のときは、違うなあと思ったんだがね」

と遥でさえ忘れていた名前を出してくる。


「あ、あれはただの友だちよ。

 よく覚えてたね、お父さん」


 しかし、父親というのはそういうものかもしれないと思った。


 気がつけば、なにやら、しんみりしている。


 いや……私は別に課長と付き合ってるわけでも、結婚を申し込まれたわけでもないんだけどね、と思ったが。


 今、なにか言っても弁解がましいかな、と思い、黙っていた。







 まどかに会いたい。


 遥の父と別れ、ひとり部屋に居た航はそんなことを思っていた。


 あれからずっと考えていた。


 俺は遥が好きなのだろうか。


 一緒に居ると楽しいし、他の男と居るとムカつくし。


 さっき、大葉でさえ、あまりに遥が褒めちぎるので、月曜会ったら殴ってやろうかと思ってしまった。


 好きなのだろうか。


 そして、遥は俺のことをどう思っているんだろうか。


『課長と帰りたかったんです』


 あれは、一体、どういう意味なんだ?


 ただ、一緒に帰りたい。


 ひとりが帰るのは寂しいから一緒に帰りたい。


 だが、それで、ひとりで俺が帰るのを待ってたりするのはおかしな話だ。


 遥は俺のことを好きなのだろうか。


 いやいや、待て待て。

 思い上がるな、と自分に言い聞かす。


『私、そういう大魔王様が好きなんです』


 あれだって、一般論っぽかったぞ。


 ああ、まどかと話がしたい。


 二人きりになって、ゆっくり俺の悩みを聞いてもらいたい。


 だが、今のまどかには家庭がある。


 携帯を開いてみる。


 『古賀遥』の下に、『斎藤まどか』の名前があった。


 少し迷ったが、時間を考え、結局、電話しなかった。






『いつでもいいです。

 会って話したいときには電話してきてください――』






「お、おはようございます、課長」


 そう挨拶した遥に、航は驚いたようだった。


 遥が先に自分の乗るホームに居て、待っていたからだ。


「どうした」

と問われ、


「いえ。

 金曜日のお詫びをと思って。


 早い電車に来て待ってたんです。


 すみません。

 ありがとうございました」

と遥は深々と頭を下げながら、これ、どうぞ、と最近出来た美味しいと評判の店の洋菓子店の紙袋を差し出すと、


「いらん。

 お前が食え」

と言われる。


「ですよね。

 いやー、ほんとは、さきイカとか駄菓子とかの方がいいんじゃないかと思ったんですが、格好つかないので」

と苦笑いすると、


「なんで、駄菓子だ」

と言う。


「いや、男の人って好きじゃないですか、駄菓子。

 のしイカとかイカフライとか」

と言うと、


「さっき言ったのと微妙に被ってるぞ」


 全部イカじゃないか。


 お前が好きなんじゃないか? と言われた。


「こっちこそ、お父さんに送ってもらって悪かったな」


 他に言いようがなかったから、『お父さん』と言ったとわかっていて、航が自分の父をお父さんと言ったことに、どきりとしていた。


 そして、気づく。


「あれ?

 お父さんは、課長を送っていったんですよね?


 誰がベッドまで連れてってくれたんでしょう?


 家に帰ったら、歩けたんでしょうかね?」

とあまりその辺の記憶がないので、適当に言うと、


「俺だ」

と言われる。


「俺がお前を背負ったまま、二階に上がったんだ」


「ええっ。

 そうだったんですかっ?


 課長がベッドに寝かせてくれたんですかっ。

 すみませんっ」


「ば、莫迦かっ、お前はっ。

 デカイ声で、誤解を招くようなことをわめくなっ」


 誰が聞いてるかわからないのにっ、と叱られる。


 す、すみません、と思いながらも、どうやって寝かせてくれたんだろうな……とちょっと興味が湧いてしまう。


 物のようにどーん、と背中から落としたり? と考えていると、

「……お姫様抱っこはしてないぞ」

と何故か航は言ってくる。





「……お姫様抱っこはしてないぞ」

と言った航を遥が不思議そうに見た。


 なんでそんな話になったんだろうというように。


 こいつ、その辺の話も覚えてないな、と航は思う。


 まあ、覚えていてくれない方がいいのだが。


 正気のときには、酔っているときの会話は思い返したくないものだ。


 あのあと、寝ている遥を二階まで背負って上がり、遥の母親が背中から下ろして、寝かせたのだ。


 お姫様抱っことか、親が見てるのに出来るか、と思っていた。


 早い時間なのに、なにか行事でもあるのか、若い人が多く、珍しく電車は混んでいた。


 人に押されるがまま、遥との距離も近くなる。


 ……隣りのオッサンとの距離も近いが。


 遥は照れたように俯いているが、いや、俺の方が何処を向いていいのか、わからないんだが、と思っていた。


 身体は遥の方を向いてしまっているが、そちらを向くと、ちょうど鼻先に遥の頭のてっぺんがある。


 おんぶしたときと同じ、いい匂いがしていた。


 なので、不自然に顔を背けてしまい、隣りのオッサンと目が合う。


 だが、人間の身体の構造上、それ以上は首を後ろに向けられなかったので、品川に着くまで、そのまま、そのオッサンと見つめ合っていた。






 なにか、朝からどっと疲れたぞ、と思いながら、人事と総務のあるフロアで、

「では、今度、駄菓子屋で、ポット入りのイカの足、買ってきます」

と遥に言われ、別れた。


 いつの間にそんな話になったんだと思いながら、追求するのもなんなので、じゃあ、と言い、自分の部署に向かう。


 ああ、首が痛い、と思いながら。





「朝から熱々ねえ、遥」


 ロッカーで遥は亜紀にそんなことを言われた。


「……熱々なのでしょうか」


 心の底から疑問に思い、訊いてみる。


「だって、二人で出勤してきたじゃないの」


「あれは私が待ち伏せしたからです。

 ……私、課長のストーカーなのですかね?」


 常々不安に思っていたことを問うてみると、

「なに言ってるのよ。

 そのくらいストーカーの範疇には入らないわよ。


 あんただって、学生時代、好きな先輩とかを隠れて見てたりしてたでしょ」


 それと同じよ、と言われる。


「してません」

「は?」


「こみ……」


 うっかり小宮さんに言われて、気がついたんですが、と言いかけたのだが、亜紀の手前、そこのところは呑み込んだ。


 また余計な揉め事が起こりそうだったからだ。


「よく考えたら、私、今まで誰も好きな人とか居なかったんです」


「それはまた貴重な人材ね」

と半ば呆れたように亜紀は言う。


「っていうか、よく考えないとわからないのがちょっと怖いんだけど」

と言う亜紀に、


「いえ。

 ですから、今も、好きとか、どういう感じのことを言うのか、よくわからなくて。

 自分が課長が好きなのかどうか、わからないんですよ」

と言うと、


「いや、好きなんでしょうよ。

 それだけ気になってるのなら」

と言われた。


「どうでしょう。

 課長、変わってらっしゃるから、目が離せないだけなのかもしれません」


「いや、あんたも相当変わってるけどね……。


 っていうか、まだそんな戯言言ってたの?


 今朝は一緒だったから、日曜から課長のうちにお泊まりでもしてたのかと思ったわ」


「お泊まりとか出来ません。

 うち、実家なんで」

と言うと、


「……それ、恋愛するには、致命的ね」

と言われてしまう。


「とりあえず、家出なさいよ」

と言われたが、


「嫌です。

 だって、お父さんが家建てるときに言ってました。


 家族で暮らせる時間は思いのほか、短いんだって。


 長かった気もするけど、考えてみれば、今でも、わずか二十何年です。


 人生のほんの一部です。


 大学などで一人暮らししたら、もっと短いです。


 だから、お父さんは、家を建てるのなら、早く建てたいと言ってたんです。


 そうして、みんなで暮らせる期間は短いから。


 だから、私は居られる間は家に居ようと思ってるんです」


「いい話ね」

と亜紀もしんみりしてしまったが、ふと我に返ったように言い出した。


「でもそれ、あんたが早くに嫁に行く前提の話だから。

 いつまでも家に居たら、そのうち、さっさと出て行けって言われるから」

と畳みかけるように言われる。


 ああ、言われそうです~っ。


 そして、既に従姉のまみちゃんが言われていますっ。


「お父さんのためにも、早く課長とお泊まりして、結婚して、家を出てあげなさい」

と亜紀に手を握られた。


「は、はいっ」


 お父さんのため、という言葉に、思わず、頷いてしまったが、なにか違うような……と気づいてはいたのだが。


 そのとき、思い出していた。


『最初に彼の顔を見たときに、ああ、遥は、この男と結婚するのかなと思った』


 そんな父の言葉を。


 そんな父親の勘を、今は信じたいような気もしている――。






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